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理由は分からぬままに
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「ここは……」
「気が付いたか?」
見慣れてはいないが、見覚えはある。恐らく母屋の一室だろう。
寝かされている寝具の、忘れて久しい柔らかな感触に一瞬目を細めたが、直に意識が明瞭になる。
先程までに自分の身に起きた事を夢だと思いかけた、けれども覗き込む男と目があえばその考えは瞬時に消える。
枕元に座し気づかわしげな光を宿した眼差しを此方に向ける織黒の存在を認識すれば、間違いなくあれは現実であったのだと思わざるを得ない。
あれから何があったのか、何故自分は母屋と思しき場所にて上等の布団に寝かされているのか。疑問は迩千花の裡に渦を巻いている。
一度唇を引き結んで瞼を伏せ思案する。再び瞳を開き、一瞬の躊躇いの後に紡いだのは小さな問いかけだった。
「何であのような事を……」
ようやく紡いだ言葉は、やや掠れていた。
封じられていた祟り神であるこの男は、あろうことか贄の意図で捧げられた迩千花を妻にと望んだ。
そして、迩千花以外の願いは聞かぬとまで言い放ったのだ。
それは、迩千花が置かれた立場が反転する出来事である。忌まれる存在から、尊ばれる存在への転換を意味している。
織黒が何故そこまでするのか皆目見当がつかない。
眠りにつき、己の過去すらあやふやなこの祟り神がそうまでして迩千花を求める理由が分からない。
理由が分からないこと、未知は恐怖に通じる。織黒を見つめる迩千花の瞳は、僅かな怯えの色を帯びている。
「……お前を側で守る為に一番良いと思った」
迩千花の様子を静かに見つめ、その言葉を聞いていた織黒はひとつ息をついて重々しく言葉を紡ぐ。
父母や一族の思惑、迩千花の置かれた境遇から迩千花を救うには確かにそれは堅固なる手段であろう。
けれども、答えを聞いても疑問は晴れるどころか深まるばかり。
何故そこまで織黒は自分を守ろうとするのか、理由がないはずだ。
あの彼岸花の庭で織黒が目覚めるまで、迩千花は織黒の名を言い伝えに聞くだけだった。
特別な関わりなど何もなかったし、あの刹那に為せよう筈もない。
織黒自身もどこか戸惑いはあるようだ。記憶が定かではないというのに、曖昧な自分の中で確かなものが、出会ったばかりの他者へのこころだけ。
「お前が側の側にありたい、お前の願いを叶えたい。お前を苦しめ脅かすものを消し去り、お前には幸せと安らぎだけがあればいい。……そう思うのだ」
その想いだけが裡にある確かなものであり、行動の理由、衝動。
声には何故か、何かを悔いて責める響きすらあるような気がして迩千花は眉を寄せる。
叶わなかった望みを叶えたいというような過去への何かへの渇望。
けれども、それが何かに対してかはわからない。迩千花にも、織黒にも。
迩千花を求め守りたいと願う心だけが確かである事を、恐らく一番理由を問うているのは織黒自身だろう。
しかし、そう思っても実直なまでの言葉を紡がれ続けて迩千花は思わず顔を背けてしまう。
不快ではない。むしろ嬉しいと感じてしまった自分が、理由がわからぬ事を信じようとしてしまう自分が恥ずかしくてならない。
忘れてはならない。自分が何かを大事に思えば、それは奪われるのだということを。
何かを大事に思ってはならない、求めてはならない。価値を見出してはならない。そうでなければ、奪われた事が哀しく辛い。愛すれば失う事が痛い。
強大な力を持ちながら迩千花を求めるこの男とて、何時かは。
何か言葉を返さねばと思うけれど、迩千花は顔を背けたまま何の言葉も紡ぐ事が出来ない。布団を握りしめた手に力が籠る。
その場には重くどこか切ない沈黙が流れたものの、暫ししてそれを破ったのは織黒だった。
「何故と問うなら。……その理由を知るまで側に在る事を許して欲しい」
迩千花をねじ伏せ無理やりにでも言う事を聞かせる事が出来る男は、恐れを滲ませながらぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
その恐れは、自身の言葉を迩千花が拒絶するかもしれないという可能性へのものだと、言葉にせずとも感じ取れる。
何故なのか。何故この男は、祟り神は自分をそこまでと、胸が痛いほどに苦しい。
迩千花はもう一度織黒の方へと顔を向ける。戸惑いをこめて見つめた眼差しの先にあるのは、悲痛なまでの切なさ籠った二つの黒。
焦がれる程に何かを求める瞳。彼が本当に求めるものは自分ではないかもしれない、他にあるのではないかという気がする。
でも、失った過ぎし日に惑うこころに、迩千花も覚えがあるから……。
逡巡に沈黙する迩千花の手に、少しばかり遠慮がちに織黒の手が伸びる。
壊れ物のようにそっと握りしめるその手を、迩千花は拒まなかかった。
織黒は言った、お前の望みを叶えたいと。
しかし、迩千花はぼんやりと思うのだ。
あの窮地にて、唯一抱いていたはずの願いは、理不尽な日々を終りにする事。それは思いもよらぬ形で叶えられたと言えるかもしれない。
でも、分からない。恐らく、織黒が叶えたいという「願い」はそれとは違う気がするから。
何かを願うとは、どんな事だったろう。忘れてしまって久しい事、全てを諦めて過ごす日々には無縁の事だ。
答えの返らぬ問いは、迩千花の裡に苦く響いた。
「気が付いたか?」
見慣れてはいないが、見覚えはある。恐らく母屋の一室だろう。
寝かされている寝具の、忘れて久しい柔らかな感触に一瞬目を細めたが、直に意識が明瞭になる。
先程までに自分の身に起きた事を夢だと思いかけた、けれども覗き込む男と目があえばその考えは瞬時に消える。
枕元に座し気づかわしげな光を宿した眼差しを此方に向ける織黒の存在を認識すれば、間違いなくあれは現実であったのだと思わざるを得ない。
あれから何があったのか、何故自分は母屋と思しき場所にて上等の布団に寝かされているのか。疑問は迩千花の裡に渦を巻いている。
一度唇を引き結んで瞼を伏せ思案する。再び瞳を開き、一瞬の躊躇いの後に紡いだのは小さな問いかけだった。
「何であのような事を……」
ようやく紡いだ言葉は、やや掠れていた。
封じられていた祟り神であるこの男は、あろうことか贄の意図で捧げられた迩千花を妻にと望んだ。
そして、迩千花以外の願いは聞かぬとまで言い放ったのだ。
それは、迩千花が置かれた立場が反転する出来事である。忌まれる存在から、尊ばれる存在への転換を意味している。
織黒が何故そこまでするのか皆目見当がつかない。
眠りにつき、己の過去すらあやふやなこの祟り神がそうまでして迩千花を求める理由が分からない。
理由が分からないこと、未知は恐怖に通じる。織黒を見つめる迩千花の瞳は、僅かな怯えの色を帯びている。
「……お前を側で守る為に一番良いと思った」
迩千花の様子を静かに見つめ、その言葉を聞いていた織黒はひとつ息をついて重々しく言葉を紡ぐ。
父母や一族の思惑、迩千花の置かれた境遇から迩千花を救うには確かにそれは堅固なる手段であろう。
けれども、答えを聞いても疑問は晴れるどころか深まるばかり。
何故そこまで織黒は自分を守ろうとするのか、理由がないはずだ。
あの彼岸花の庭で織黒が目覚めるまで、迩千花は織黒の名を言い伝えに聞くだけだった。
特別な関わりなど何もなかったし、あの刹那に為せよう筈もない。
織黒自身もどこか戸惑いはあるようだ。記憶が定かではないというのに、曖昧な自分の中で確かなものが、出会ったばかりの他者へのこころだけ。
「お前が側の側にありたい、お前の願いを叶えたい。お前を苦しめ脅かすものを消し去り、お前には幸せと安らぎだけがあればいい。……そう思うのだ」
その想いだけが裡にある確かなものであり、行動の理由、衝動。
声には何故か、何かを悔いて責める響きすらあるような気がして迩千花は眉を寄せる。
叶わなかった望みを叶えたいというような過去への何かへの渇望。
けれども、それが何かに対してかはわからない。迩千花にも、織黒にも。
迩千花を求め守りたいと願う心だけが確かである事を、恐らく一番理由を問うているのは織黒自身だろう。
しかし、そう思っても実直なまでの言葉を紡がれ続けて迩千花は思わず顔を背けてしまう。
不快ではない。むしろ嬉しいと感じてしまった自分が、理由がわからぬ事を信じようとしてしまう自分が恥ずかしくてならない。
忘れてはならない。自分が何かを大事に思えば、それは奪われるのだということを。
何かを大事に思ってはならない、求めてはならない。価値を見出してはならない。そうでなければ、奪われた事が哀しく辛い。愛すれば失う事が痛い。
強大な力を持ちながら迩千花を求めるこの男とて、何時かは。
何か言葉を返さねばと思うけれど、迩千花は顔を背けたまま何の言葉も紡ぐ事が出来ない。布団を握りしめた手に力が籠る。
その場には重くどこか切ない沈黙が流れたものの、暫ししてそれを破ったのは織黒だった。
「何故と問うなら。……その理由を知るまで側に在る事を許して欲しい」
迩千花をねじ伏せ無理やりにでも言う事を聞かせる事が出来る男は、恐れを滲ませながらぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。
その恐れは、自身の言葉を迩千花が拒絶するかもしれないという可能性へのものだと、言葉にせずとも感じ取れる。
何故なのか。何故この男は、祟り神は自分をそこまでと、胸が痛いほどに苦しい。
迩千花はもう一度織黒の方へと顔を向ける。戸惑いをこめて見つめた眼差しの先にあるのは、悲痛なまでの切なさ籠った二つの黒。
焦がれる程に何かを求める瞳。彼が本当に求めるものは自分ではないかもしれない、他にあるのではないかという気がする。
でも、失った過ぎし日に惑うこころに、迩千花も覚えがあるから……。
逡巡に沈黙する迩千花の手に、少しばかり遠慮がちに織黒の手が伸びる。
壊れ物のようにそっと握りしめるその手を、迩千花は拒まなかかった。
織黒は言った、お前の望みを叶えたいと。
しかし、迩千花はぼんやりと思うのだ。
あの窮地にて、唯一抱いていたはずの願いは、理不尽な日々を終りにする事。それは思いもよらぬ形で叶えられたと言えるかもしれない。
でも、分からない。恐らく、織黒が叶えたいという「願い」はそれとは違う気がするから。
何かを願うとは、どんな事だったろう。忘れてしまって久しい事、全てを諦めて過ごす日々には無縁の事だ。
答えの返らぬ問いは、迩千花の裡に苦く響いた。
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