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殴れば何とかなりますか?

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 一週間後、リゼルは国王と王妃に呼び出されていた。
 茶でも飲みながら話そうという非公式な誘いではあったが、どれほど気が重くても国王からのものとあっては断るわけにはいかない。
 そう、気が重いに決まっている。絶対に話題はエスターの花嫁についてだ。
 渋々足を運んで、何処となく憂いを感じる笑顔の二人に出迎えられて、菓子と茶を喫していたら。
 案の定、王は王子の花嫁についてだが、と切り出してきた。

「全力は尽くしておりますが、何せ王子があの通りのロクデナ……なかなか難しい方でいらっしゃいますので」
「……今、ろくでなしと言いかけなかったか」
「いえいえ、まさか。気のせいでございます」

 うっかり出そうになった本音をしれっと押し隠して、リゼルは微笑んで見せた。
 有無を言わせぬ笑みにたじろぎつつも、国王と王妃は深く溜息を吐いた。

「あれも、一途といえば一途というか……。大分拗らせてしまっているとは思うが……」
「若干、不憫と思わないでもないけれど……」

 揃って、ちらちらとリゼルに視線を向けながら言う国王と王妃に、リゼルは不審さを覚えた。
 何か含みのある言い方というか、何を言いたいのだろう。
 それに、何処か後ろめたそうな様子である。
 一途? あの、条件をあげるだけあげて花嫁を連れてこさせて、かと思えば手当たり次第にやっぱりいいやと城から帰す。
 何処が不憫だ。不憫なのは私の方だ。
 完全に怒りの色を隠さずカップに口を付けるリゼルは、尚も何か言いたげな国王達に思い切って意図を問いただそうとした。
 しかし、その時だった。
 リゼルが「おかしい」と感じた次の瞬間、室内に陶器の割れる儚い音が響いた。
 次いで、何かが転げ落ちるような鈍くて大きな音。
 
「……これは、一体、どういう……」

 霞む視界に顔を歪めながら、椅子から転がり落ちたリゼルは国王達を睨みつけた。
 これは疑う余地もない。何がしかの薬を盛られたのだろう。
 毒ではない。意識が薄れかけているところからして、眠り薬の類だとは思うが。
 中和の魔法を使おうにも出来ない。恐らく、妖精に作用が大きい特殊な薬が使われたらしい。

「私たちには、他に方法がない」
「許してね、リゼル」

 心から申し訳なさそうに、国王と王妃はリゼルへひたすらに詫びていた。
 だから、どういう事ですか。
 リゼルはそれを最後まで口に出来なかった。
 銀髪の妖精の意識は、それを待たずに途切れたのである。


 ――次に目が醒めたのは、見た事もない部屋だった。

 どうやら、自分は寝台の上らしい。
 随分上等な寝台だ。肌に感じる感触は柔らかく、寝心地はとても良かった。目覚めの気分は最悪だが。
 国王と王妃に薬を盛られて、意識を失って。気が付いたなら見知らぬ部屋に寝かされていた。
 そんな事をされる理由が全く思い当たらない。腹が立つが、同時に解せなすぎて不気味さも感じる。

 此処はどこだ、とリゼルは、緩やかに身体を起こしながら、部屋を見回す。
 瀟洒な造りからして、王宮内のどこかであるのは間違いないが、知らない場所である。
 知らないはず、なのだが何故か心地よさと……同時に、うすら寒いものを覚える部屋だ。
 美しいもので埋めつくされ整えられ、姫君の部屋と言っても可笑しくない。
 しかし、おかしいと思う。
 調度の色も意匠もあまりにリゼルの好みだし、緞帳も壁紙も寝具類も同じくだ。
 並んでいる書籍もそのうち彼女が読みたいと思っていたものだ。
 小物も何もかもが彼女が欲しがっていたものや、好むもので構成された、不思議な部屋だった。
 全てがリゼルの好みに合っている事が、何故か背筋に寒いものを走らせる。
 少しばかり薬が残っているのかくらくらする頭を押さえながら、とりあえず国王夫婦を問い詰めに行こう、と寝台を下りようとした。

 だが、その瞬間に気づいてしまった。
 重い音をたてた、自分の左の足首にある豪奢な足枷の存在に。

 鎖の長さはかなりあり、この部屋の中は自由に行動できるであろうぐらいの長さである。
 だが、それ以上には当然ながら行けない。多分、この部屋からは出られない。
 そして、その鎖と枷の材質が材質である。
 妖精の魔力を封じる金属を混ぜ込んで鋳造したであろう枷には、金銀象嵌の細工の他、美しい宝石がはめ込まれている。
 用途と意図がちぐはぐな戒めに呆然としていると、リゼルの耳に馴染みのある声が聞こえた。

「ああ、起きた。良かった、随分ぐっすり眠っていたから、効きすぎたかと思ったんだ」
「エスター……?」

 何時もと変わらぬ笑みを浮かべて現れたのは、エスターだった。
 豪奢な部屋に足枷で繋がれた自分。そこに驚く事なく自然な様子で現れた王子。
 あまりに異様な状況に、理解が追いつかない。
 エスターはリゼルが薬を盛られた事を知っている。
 ……いや、相手の言い様からして、薬を盛らせたのは。
 分からない。本当に、何がどうなっていて、何故なのかわからない。
 どういう事だと言わんばかりの様子で自分を凝視してくるリゼルに気付いたエスターは、屈託のない笑みを浮かべて語り始めた。

「リゼルが、私を置いて旅に出るなんていうから」
「……は?」

 思わず間の抜けた声を上げてしまう。
 そういえば、先日確かにそう言った気がした。
 ゴッドマザーになる前に修行をしてくると、相手に伝えたのを思い出す。
 それと、この状況と何が関係しているのか。旅に出る意思を伝えただけで、何故自分は足枷なんぞ付けられているのか。
 まだ理解出来ていないリゼルを見て、エスターは仕方ないな、という風に肩を竦めた。

「私はずっとリゼルだけを想い続けてきたのに。遠回しに伝えても、やっぱり伝わっていなかったんだなって寂しかったよ」

 思わずリゼルは形容しがたい呻き声をあげる。
 乙女に求める条件はリゼルについて挙げていたのに、と拗ねるように言われて漸く気付く。
 確かに、今まで挙げられた条件の数々は全てリゼルに当てはまるものばかりだ。
 いや、だからといってそれが好意だとは思わんだろ、と裡に呟く。気付くものなのか? それとも自分が殊更鈍いだけなのか?
 そもそも、ずっと想い続けてきたって何時からだ、という問いは何時の間にか唇から零れてしまっていた。
 エスターは、物心ついたころからずっと、と明るく返答し、更にリゼルを絶句させてくる。

「リゼルは本当に鈍いから。言うよりも、もっとわかりやすく直接行動で表す事にしたんだ」

 リゼルが旅に出るつもりだと聞いてから、彼は迷うことなく行動に出た。
 リゼルの力を封じる枷を職人を脅して作らせて、事前に調べてあげておいた彼女の好みに沿う調度や小物、本、ドレス、宝石、その他。
 彼女が好ましいと思うものや欲しいものを集めて、リゼルの為の鳥籠が出来上がったので父と母を脅してリゼルに一服盛らせた。
 眠り込んだ彼女を丁寧にここに運んで、手ずから枷をつけた。
 無邪気とすら言える笑顔を浮かべながら言うエスターに呆然としていたリゼルは、二の句が継げない状態だった。
 血の気は完全に失せてしまっている。背筋に冷たい汗が伝ったのを感じた。
 目の焦点が若干あっていない状態で、かくかくと音がしそうな仕草で首を左右にふりながら、リゼルは言う。

「エスター、お前……。落ち着け、考え直せ、いいから。頼むから」
「もう遅いかな? 左手を見てみて」

 ほっそりとしたリゼルの左手には、指輪がはめられていた。
 生涯を共に歩み、支え合うという誓いと共に、王子の花嫁の指にはめられるはずだった妃の指輪。
 それが今、リゼルの左手の薬指におさまっている。
 リゼルは、それが何かを認識した瞬間、声なき絶叫をあげてしまう。
 指輪は、皮膚に張り付いてしまったように抜けない。
 当然だ。元々一度嵌めたなら生涯抜けない。そういう指輪なのだから。
 そう作ったのは他でもない自分である。
 王家に伝わる指輪に、そのような魔法をかけて欲しいと、と目の前の相手に願われて、渋々。
 妃となる相手に対する誠意を示したいという言葉にのせられて……。
 対を為す指輪を嵌めた自分の指を、ひらひらと示してみせながら微笑んでいるエスターを見つめるリゼルは、もう半ば涙目だ。

「……そもそも、妖精と人間だという事忘れていないか……? 陛下たちが何ていうか……」
「父上も母上も。ちゃんと王子の責務も果たすし、喜んで跡継ぎを作るっていったら、快く許可してくれたよ」

 本当に快くなのかは、正直あやしい気がする。
 道理で何か後ろめたそうだとは思った。
 あれは、リゼルを悪魔に売り渡してしまった事への罪悪感だったのだ。目の前で微笑む、この金色の髪の悪魔に生贄を捧げた罪悪感……。
 いやいや、そもそも私は王家を守護する妖精。先代から正式に継いで、いずれ世継ぎの王子の……こいつの息子のゴッドマザーとなるはずの妖精だ。
 その為にも、こいつに嫁を探してくるのが私の役目だったはずだ。
 嫁を世話する側が、嫁になるなんて誰が想定しただろう。
 守護妖精を悪魔に売るなんていい度胸してるな、あの国王夫婦。
 いや、その悪魔もまた守護する対象であって。
 内心の混乱で意味ある言葉を紡ぐ事が全くできなくなっているリゼルへと、エスターは笑いかけた。

「旅になんて行かせない。……何処にも行かせない。君の世界には私だけでいい」

 熱を帯びた、それなのに背筋が凍るような眼差しで見つめられて、リゼルは強ばる。
 いや、世界には自分だけでいいと言われても。
 そもそも、私はこいつの事を諦めるために旅に出ようとしていたのではなかったか。 
 その相手が、自分の事を想っていたといい、自分を閉じ込めて離さないといっていて……。
 ああ、もう何がなんだかわからない。
 自分の気持ちも揺れに揺れて、ごっちゃごちゃに混ざって、もう本当に何がなんだか。
 
「愛してるよ、リゼル」

 リゼルの銀髪を一房掬って。
 とびきり魅惑的な微笑を浮かべながら、蕩けそうな程甘い声で囁きながら口付ける王子に、完全に顔色も言葉も無くして凍りつく妖精。
 夢を見ているのだろうか。それも、悪い方の。いや、良い夢、なのか?
 わからない、ほんとにもう何がどうなっているのか。

 とりあえず、この悪魔を殴れば悪夢は覚めるだろうか。
 そうだな、殴れば解決する事は多いし。殴れば何とかなるはずだ。
 もう混乱し切りの頭で、リゼルは自棄ぎみに考え、拳を握りしめた……。



 それから、二人がどうなったのかは定かではないが。
 以後暫くの間、王国において『乙女』が選ばれる事はなかったらしい。

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