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青天の霹靂、という言葉が脳裏に巡った。
それは、北方の大国と日本の間が争い始めてから暫しした頃の事。
戦況について聞こえ来る中、課せられる重さに世に不穏が満ち始めていた。
花霞は元より白いかんばせをこれ以上ない程に蒼褪めさせて、唇を震わせている。
周が言った事が信じられないという様子だった。あまりの事に、言葉が一つとして形を為さない。
茫然とした面持ちで、それでも必死に絞り出した言の葉は呻き声だった。
「戦に行く、だと……?」
「ああ、戦争に行く。現役に復帰する事に決めた」
返す周の言葉には迷いがない。揺らがぬ決意と覚悟がそこにあるだけ。
それを感じ取れば、花霞はますます顔色を無くすが、首を左右に勢いよく振ると怒りの形相で叫んだ。
「馬鹿な事を申すな! そなたは戦場に出て耐えられる身体であるのか!?」
かつて病に倒れ、軍人としての未来はないとされ退いた彼が、何故今更戦地に赴かねばならぬのか。
診察した医者は言っていた、無理をせず穏やかに暮らしさえすれば少しでも永らえる事はできようと。
それ故に、彼は裏庭の離れにて暮らしていたのだ。
戦場が実際にはどれ程の過酷さであるのかは、繰り返されてきた人の世の戦を振り返れば想像がつくというもの。
ましてや、近代の知恵をつけた人の戦はどれ程恐ろしいのか。
そこに無理をして周が行くなど、考えたくもないと花霞は拒絶するように首を振ると周に縋る。
「無理をすれば死んでしまう……! 行ってはならぬ、周!」
「もう決めたのだ、済まない」
幼子にするように頭を撫でる周の手に、花霞は泣き出しそうだった。
幼い日から周と過ごしてきた桜は知っていた。
この顔をした時の、この声音で言葉を紡ぐ周は、他者に何を言われようと己の節を曲げないのだという事を。
無駄と知っても、花霞は行かないでくれと縋り続けた。
失ってしまう、と感じたのだ。
このまま行かせてしまえば、自分は間違いなく周を失う。周は死んでしまうという確信めいた予感があった。
先見の力は持ち合わせていないけれど、自分の中でそれは酷く確かなもの。
花霞を置いて死地に赴こうとする理由を、せめて何故そうなったのかを教えて欲しいと願っても、周は頑なに口を割らない。
ただ、戦争に行くという決意だけを繰り返し伝え続けるばかり。
あまりに固く揺らがぬ決意と、理解できない事の理不尽に、花霞はついに怒りに叫んだ。
「愚か者! もうわらわは知らぬ!」
涙が滲んだ瞳を見られないように顔を逸らして、突き飛ばすようにして身体を離す。
そして、そのまま宙に走り出したかと思えば、その姿は消えた。
周は哀しそうに一つ息をついて、静かにその場に立ち尽くしていた……。
やがてきた出征の日。
軍服に身を包んだ周は、いつものように裏庭にて花霞を探した。
けれどもどれだけ呼びかけても花霞は答える事もなく、姿を見せなかった。
出立の時間がきて諦めた周は、一度だけ哀しげに枝垂桜を振り返り出発していった。
夜闇が満ちても、主のない離れに灯りがつく事はない。
儚い月が照らす天の下、花霞はただ言葉なく舞っていた。
何時ものように悪いものを寄せ付けぬように、この場所が静かに穏やかにあるように。
ここは、周が帰って来る場所だ。
だから、いつ帰ってきても良いように守り続けるのだ。
帰ってきた周を、憎まれ口のひとつでも叩きながら、出迎えてやるのだ……。
――見るものの居ない舞は、酷く味気なく寂しいと感じた。
それは、北方の大国と日本の間が争い始めてから暫しした頃の事。
戦況について聞こえ来る中、課せられる重さに世に不穏が満ち始めていた。
花霞は元より白いかんばせをこれ以上ない程に蒼褪めさせて、唇を震わせている。
周が言った事が信じられないという様子だった。あまりの事に、言葉が一つとして形を為さない。
茫然とした面持ちで、それでも必死に絞り出した言の葉は呻き声だった。
「戦に行く、だと……?」
「ああ、戦争に行く。現役に復帰する事に決めた」
返す周の言葉には迷いがない。揺らがぬ決意と覚悟がそこにあるだけ。
それを感じ取れば、花霞はますます顔色を無くすが、首を左右に勢いよく振ると怒りの形相で叫んだ。
「馬鹿な事を申すな! そなたは戦場に出て耐えられる身体であるのか!?」
かつて病に倒れ、軍人としての未来はないとされ退いた彼が、何故今更戦地に赴かねばならぬのか。
診察した医者は言っていた、無理をせず穏やかに暮らしさえすれば少しでも永らえる事はできようと。
それ故に、彼は裏庭の離れにて暮らしていたのだ。
戦場が実際にはどれ程の過酷さであるのかは、繰り返されてきた人の世の戦を振り返れば想像がつくというもの。
ましてや、近代の知恵をつけた人の戦はどれ程恐ろしいのか。
そこに無理をして周が行くなど、考えたくもないと花霞は拒絶するように首を振ると周に縋る。
「無理をすれば死んでしまう……! 行ってはならぬ、周!」
「もう決めたのだ、済まない」
幼子にするように頭を撫でる周の手に、花霞は泣き出しそうだった。
幼い日から周と過ごしてきた桜は知っていた。
この顔をした時の、この声音で言葉を紡ぐ周は、他者に何を言われようと己の節を曲げないのだという事を。
無駄と知っても、花霞は行かないでくれと縋り続けた。
失ってしまう、と感じたのだ。
このまま行かせてしまえば、自分は間違いなく周を失う。周は死んでしまうという確信めいた予感があった。
先見の力は持ち合わせていないけれど、自分の中でそれは酷く確かなもの。
花霞を置いて死地に赴こうとする理由を、せめて何故そうなったのかを教えて欲しいと願っても、周は頑なに口を割らない。
ただ、戦争に行くという決意だけを繰り返し伝え続けるばかり。
あまりに固く揺らがぬ決意と、理解できない事の理不尽に、花霞はついに怒りに叫んだ。
「愚か者! もうわらわは知らぬ!」
涙が滲んだ瞳を見られないように顔を逸らして、突き飛ばすようにして身体を離す。
そして、そのまま宙に走り出したかと思えば、その姿は消えた。
周は哀しそうに一つ息をついて、静かにその場に立ち尽くしていた……。
やがてきた出征の日。
軍服に身を包んだ周は、いつものように裏庭にて花霞を探した。
けれどもどれだけ呼びかけても花霞は答える事もなく、姿を見せなかった。
出立の時間がきて諦めた周は、一度だけ哀しげに枝垂桜を振り返り出発していった。
夜闇が満ちても、主のない離れに灯りがつく事はない。
儚い月が照らす天の下、花霞はただ言葉なく舞っていた。
何時ものように悪いものを寄せ付けぬように、この場所が静かに穏やかにあるように。
ここは、周が帰って来る場所だ。
だから、いつ帰ってきても良いように守り続けるのだ。
帰ってきた周を、憎まれ口のひとつでも叩きながら、出迎えてやるのだ……。
――見るものの居ない舞は、酷く味気なく寂しいと感じた。
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