大正石華恋蕾物語

響 蒼華

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雪花を想いて、藤は繚乱す

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 大きな災いがあった。
 数多の人々の命と哀しみを飲み込んで、多くの物をなぎ倒し、打ち倒して。
 それでも人は歩き出す。
 大きな敵があった。
 歴史の影に浮いては沈んで、数多の悲劇を齎した存在と相対した。
 彼らは、遂にそれを追い詰めた。
 翻弄されながらも、幾重にも絡みあった運命の愛に祈り、立ち向かう事を選んだ娘と。
 何時か巡り来る時を待ちながら秘された『箱の底の希望』により。
 遂に、呪われし者達の最後の一柱は、この世から姿を消したのだった……。


 処は、螢座と呼ばれる花街の、ある置屋。
 通りに面した二階の部屋には、二つの人影がある。
 一人は座して優しい紅色の眼差しを自らの膝に向ける、柔らかな白の髪をおふくと呼ばれる髪型に結った娘。
 一人はその膝を枕にする、長い髪に簪までさした伊達男。

 くしゃみを二つして目覚めた藤霞は、寝ていたかと苦笑い。
 そんな彼を、少女――雪は気づかわしげに見つめている。
 心配そうに顔を曇らせているのを感じとり、安心させるように笑ってみせたが、雪はおずおずと口を開く。

「……お疲れなのに、無理していらしたのではないかって」
「お前の顔を見ない方がつらい。お前が足りなくなくて飢える」

 そう言いながら藤霞が雪の滑らかな頬に指を伸ばすと、目に見えて少女の頬は赤みを帯びる。
 またそういう事を……と恥じらい口籠る様子を見て楽しそうに笑った藤霞は、明るい声音で続ける。

「まあ、忙しいといえば忙しいが。早々に片づけたいもんだな。何せそろそろお前の衿替えの支度もしないといけないからな」
「若旦那、気が早いです。それにご自分の事を第一に考えて頂きたいのに……」

 少女は現在修行中の雛妓である。
 けれども、そう遠くないうちに一人前と呼ばれる日が来る。
 その日の為の準備に早くも乗り気な藤霞を見て、雪が恐縮したように言う。
 指先に触れる感触に目を細めながら、藤霞は思いを馳せるような声音で告げる。

「お前が俺を呼んでくれれば、それだけで俺は大丈夫なんだ」

 彼の脳裏を巡るのは、望月の下における戦いの最中、味方と紅い壁にて分断された時の事。



 藤霞は白菊を下がらせ、壁に向かっていた。
 白菊のもの言いたげな眼差しを感じる。
 曲がりなりにも大凶異が編んだ、ある種の結界術といっても良い紅の壁。
 一人で破ろうとする事に対して危険が伴う。それを黄玉は言葉に依らずに訴えている。
 面倒には違いないが、無理とは思わない。多分、白菊が懸念しているのはそこではない。
 藤霞が全力を振るう事に対して、ある危惧を抱いているのだろう。
 彼は、他の仲間とは違ってある致命的にもなり得る『問題』を抱えている。それを分かっているのか、と白菊は問うような様子でもある。
 無論、彼はそれを忘れていない。その為に定期的に本拠地に戻り『処置』を受けているのだから。
 しかし、白菊には後の作戦において重要な役割を担わせる以上、力は可能な限り温存させたい。
 藤霞は、得物を手にすると集中する。
 ゆらゆらと空気が揺れ始めると共に、淡い緑の瞳には剣呑でありながら何処か愉しげな危うい光が宿る。
 昂揚を宿した瞳が、ゆるりと紅い壁を右に左に行き来して、ある一点にて止まる。
 藤霞の手にした光の鞭が、撓り唸り、螺旋を描きながらその一点へ向く。
 さながら、鎌首擡げた大蛇のように。ゆらり、力の本流が幾筋か立ち上れば。其れはさながら陽炎のように揺らめいた。
 何故か、唇は笑みの形が刻まれ、表情は獰猛な獣のようでもある。
 その瞬間、胸が一つ大きく鼓動を打つ。
 藤霞は、己の裡にもう一つの鼓動を感じる。
 理性を喰らい尽くしてしまいそうな程の昏い衝動で、内側にある『それ』が藤霞が纏う力が増す度に暗い喜びに脈打つ。
 大きく『其れ』がまた鼓動を打つ。
 白菊が鋭く藤霞の名を呼び、藤霞を支配せんとする澱みがその身体から一筋吹きあがりかけた、その時だった。

 ――若旦那。

 藤霞の動きが止まり、翠の瞳が見開かれる。
 その場には、白菊以外に誰の姿もない。
 けれども、彼には確かに愛しい声が彼の名を呼ぶのが聞こえた。

 ――若旦那、待っています。

 透けるような笑みを浮かべる、白い少女の姿が脳裏に浮かぶ。
 彼女は待っている。あの街で、彼が再び訪れる日を。
 何よりも愛しいものが、彼が帰るのを待ってくれている。
 あの日見出した、小さな少女。
 人を嫌悪し続けた彼を、引き戻してくれた娘。
 逆風にもめげる事なくひたむきに咲き続ける、大切な大切な女。
 彼女は、彼が再び訪れる日を待っている。
 だから、藤霞は帰らなければならない。
 藤霞であるままで、彼女の元に。
 
 唸るような叫びと共に瞬時に膨れ上がった力に、澱みは一瞬にして霧散し、溢れるような力の奔流は紅い蔦の壁へと叩きつけられる。
 そして次の瞬間、呆気にとられたような白菊の視線を受けながら、味方を分断する障害に亀裂が入るのを彼は目にした……。



「ありがとな、雪」
「……若旦那?」

 愛しい声が、戸惑いを含んで彼を呼ぶ。
 感覚がふわりふわりと浮き上がるような心地がする。
 そろりそろりと下がり始めた彼の手を、柔らかな感触が支えてくれる。
 視界は既に曖昧なものになっているけれど、きっとあの赤い眼差しは優しい光を湛えている気がした。
 お前が居るから、俺は俺で居られる。
 叶う限り長く、雪を見守っていたい。いつか、彼女が彼の手を離す日が来るとしても。
 自分がいつか、変わってしまう日が来るとしても……。
 心の裡でそう呟きながら、彼は何時しか穏やかな幸せに微睡んでいた……。
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感想 3

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みんなの感想(3件)

虹色すかい
2022.03.07 虹色すかい

蒼華さん、こんばんは。
こちらで拝読いたしました。

蒼華さんの文章は、柔らかくて優しいのに一つ一つが力強い。人物の気持ちが、その所作からも伝わってきます。すっかり現世を離れて、こちらの世界に入りこんでいました。
不幸の菫子さまはもう居ない。結びの言葉の威力たるや。読了の余韻に、心がじ~んとしています。
素敵な物語をありがとうございます。
久しぶりに生きている文章を読んだ気がしています。美しい、感性を揺する物語でした。

2022.03.08 響 蒼華

すかいさん、読了有難うございます!
素敵なお褒めの言葉を頂いて、此方がすかいさんの表現にじーんとなってしまいました。
結びの言葉は師匠のアドバイスを受けましてのものです、おかげで最後の一文に全てを集約させることが出来た気がします。
最後まで頑張って本当に良かったと、今とても実感しています。
本当に有難うございます!

解除
crazy’s7@体調不良不定期更新中

【物語について】
自分のせいで不幸が起きたと自責の念に駆られてはいるものの、どんなことが起きたのかについては段々と明かされていく。そんな”噂”をされている主人公は、そのせいで縁に恵まれることはないと思っていた。
しかしそんな噂をものともせず、彼女を心から愛する者がいたのである。屋敷ではイジメにもあっていたようだが、婚約パーティーが行われることとなった日、ある事件が起きてしまう。彼女は一体どうなってしまうのだろうか?

物語は婚約発表のパーティーの日に起きた事件より、新たな展開を迎えていく。主人公の出生の秘密や母の視線の意味。そして彼女の所有する石に纏わる話など、徐々に謎の部分が明かされていく。

【良い点(箇条書き)】
・言葉遣いや表現などにより時代らしさが出ている。
・主人公が孤独であるというのが伝わって来る。
・人間らしさを感じる物語である。
・服装など細かく描写されており、色彩や華やかさも感じることができる。
・謎の部分があり、ミステリーを読んだ時のようなハラハラドキドキ感がある。
・あやかしものである設定が活きている。
・あやかしと主人公が出逢った後の展開に面白味を感じる。
・登場人物それぞれに個性を感じる。
・ラストの想像がつかない。

【備考(補足)】9話まで拝読(10ページ)
【見どころ】
この物語は、はじめは主人公の置かれている立場や境遇から始まっていく。そこから徐々に主人公の周りで起きていることが明かされていくのである。言葉遣いや服装、表現などによりその時代らしさを表現している物語であり、華やかさもある。主人公が過去と繋がる伏線は多数散りばめられており、ミステリーを読む時のような、好奇心を刺激する要素もある。
あやかしという要素が活かされており、びっくりするような展開も待ち受けている。そして特記すべき点として、全ての人があやかしの術にかかっているわけではないということだ。これが意図的ならば、そのこと自体が、物語の結末に深く関わっているのでないか? という想像もできる。あらすじには”真実へと至る悲哀の終焉”とあるので、バッドエンドなのが予想できるのだが果たしてどんな結末となるのであろうか? 
あなたもお手に取られてみてはいかがでしょうか? 主人公の行く先を是非その目で確かめてみてくださいね。 お奨めです。

解除
crazy’s7@体調不良不定期更新中

【簡単なあらすじ】
ジャンル:時代小説
舞台は、大正。
主人公は『不幸の菫子様』と呼ばれていた。家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立していた、珂祥伯爵家の長女でありながら。しかし噂を物ともせず、彼女に求婚してくれるものがいた。それは彼女に差した一筋の光であり、望めなった幸せを得るチャンスでもあった。だがその求婚者との婚約パーティで事件が起こる。その事により主人公は命の危機に晒さ、それを救ったのがあやかしだったのだ。果たして彼と主人公との繋がりとは──?

【物語の始まりは】
ある一場面から始まっていく。これにはどんな意味があるのだろうか?それとも彼女の夢なのだろうか? 主人公は伯爵家の長女であり通常ならば、家柄などから幸せな家庭なはずが、”不幸の董子さま”と呼ばれていた。
彼女に関わる者が偶然にも不幸に見舞われるのである。初めは偶然で済まされていたことも、度重なると必然となる。たとえそれが根拠のあるものだと証明されなかったとしても。
まもなくして彼女は”不幸の董子さま”と噂されることとなる。その噂は簡単に広まっていったのだろう。生涯独り身でいることを覚悟しなければならないほど、彼女に近づく者はいなくなったのである。だがそれで終わりではなかった。ある高貴な者が彼女に求婚したのだ。その者との婚約パーティーの日、また事件は起きてしまった。果たして、主人公の運命は?

【舞台や世界観、方向性】
大正を舞台にした作品。あやかしが存在する。
主人公に近づく者に不幸が起きることになった発端は徐々に明かされていく。そしてそれに纏わる物語も存在する。主人公があやかしと出逢うことにより、物語は今までとは違う方向へ進んでいく。

【主人公と登場人物について】
将来を諦めていた主人公に唯一求婚したのは、誰もが憧れる美貌を持った宮家の者だった。自分のせいで他人を不幸にしてしまう主人公は、喜びと同時に憂いも感じていた。何故なら、彼が不幸になってしまうのではと心配していたからである。しかし、帝の許可を得、いよいよ二人は正式に婚約することになったのだ。常に主人公に対し冷たい視線を向ける継母、とても気になる存在である。

続く

解除

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