大正石華恋蕾物語

響 蒼華

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雪花を想いて、藤は繚乱す

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『雪へ』
 暑気あたりを起こしたって聞いたが、大丈夫か?
 滋養になるものを幾つか届けさせるから、少し静養してくれ。
 お前の事だから、目を離すと稽古したがるんだろうなあ……。
 崎浜のじいさんに通ってもらうようにしたから、言う事を聞いてちゃんと大人しくしてろ。
 お前に会いに行って、お前がやつれていったなんて俺は嫌だぞ。
 俺も無理をしないように気を付けるから、お前もな。約束だ。


 高嶺男爵家にて、ひとつの夢が終わりを迎え、姉妹が言葉を交わす事も出来ずに離別した後。
 永椿たちから事件に纏わる真相を知らされる事となった歌那は、彼らの制止を振り切って駆けだした。
 その姿はあっという間に消え去ってしまう。
 此方は、それを追っていた男二人である。
 追いかけていたもののやがて足を止め、辺りを見回しながら、嘘だろ……と呟いたのは藤霞だ。

「嬢ちゃん、足早ええな……本当に人間か、あれ?」
「火事場の馬鹿力も度が過ぎるぞ、おい……」

 人通りのある通りから小路にさしかかり、茫然と呟くあやかし二人。
 逡巡の間が命取りとなった、既に歌那の姿は見える範囲にはない。

 此処は一応人間の街中で、何処に人目がある状態かわからない以上跳んで追えない。
 その一方で、歌那は彼女しかしらない最短距離の小路を限界を超えた全力で駆け抜けていった様だ、既に影も形もない。
 恐らく最短距離も本能的な勘で感じ取っていったのではなかろうか。
 七煌が揃って撒かれたとは何とも情けない話と仲間には嘆かれそうだが、今は置いておくとして。

「まあ、行先はわかってる。行くぞ」

 歌那の内に生じた疑念が想像通りであれば、行きつく先は一つだ。
 先回り出来ればと一歩踏み出しかけた、その動きが止まる。

 次の瞬間。
 藤霞達の前に黒い外套を被った人影が、その行く手を遮るように降り立った。

「……邪魔はさせない」

 外套を少し上げて、人影は顔を覗かせた。
 その顔は――紛れもなく、歌那の先輩看護婦である紅子のものである。
 しかし、その瞳には診療所で浮かべていたような温かさは欠片も見られない。
 暗く昏い、凍てつく焔のような憎悪だけが其処に存在していた。

 ゆらりとその輪郭が歪んだと思えば、先日倒された少女の鬼と同じ造作へと転じる。

 肩口で切り揃えられた髪に、目じりに朱を差した血色の瞳。
 紅の着物を着た十程の幼い少女の手には、先日と同じように其の小柄な身体に似合わぬ鋼の大鎌がある。
 何もかもが先に戦った時と同じ。
 しかし、一つだけ『違い』がある事に藤霞は気が付いた。

「角のある位置が違う……?」

 角は同じ片角であったけれど、その角の位置が先日の戦いの時とは反対側についている。
 まるで、二人で一対の角を分け合ったかのように。
 合点がいったと、藤霞は口の端を笑みの形に歪めた。

「成程、片角の双子鬼ってわけか……」

 鬼は……『紅子』は二人いたというわけか、とそれを聞いた永椿が呟いた。
 二人で一人の人間を演じていたというなら、同時に二つの場所に存在することも、一人が斃れても存在し続ける事も、可能である。

「ご名答。……私達は双子。お前が倒したのは、私の妹。……『あのひと』に協力しなきゃ、死ななかったのに」
「敵討ちに来たのかよ……」

 今はそれどころではないというのにと、永椿は舌打ちする。
 如何に友好的に見積もっても、目の前の片角の鬼に彼らを素通りさせるという意思は見られない。
 憎悪の焔宿った紅色の瞳を見据えた藤霞が、瞳を細めてその意図するところを探るように呟く。

「……お前、俺達の事を『あのひと』とやらに知らせてねえな……?」

 そうであれば『坑道の金糸雀』から齎される情報はもっと歪んだものになっていたか、或いは『金糸雀』が危うかっただろう。
 けれど『金糸雀』……歌那は特段変わりはなかったし、何か言われたりされたりという様子も無かった。
 『様子が少しおかしかった』先輩看護婦とは違って。
 幼い鬼の少女は、愛らしい顔を歪めて吐き捨てるように言う。

「石華七煌、あのこを殺した仇。……『あのひと』に正体を知らせたら『あのひと』がお前を殺してしまう」

 少女の持つ鋼の切っ先は、藤霞へと向けられる。少女は、告げた。

「お前を殺すのは、私じゃなきゃ嫌だ」
「……熱烈なことで」

 藤霞は、一瞬光を纏ったかと思えばその色彩を本来のものへと変えていた。
 簪に触れ、手に獲物である鞭を喚んだと思えば、永椿へと叫ぶ。

「永椿、行け!」
「……任せた!」

 少女に、二人を通す意思はない。
 けれど、ここを抜けていかなければ歌那が危うい。
 逡巡は一瞬。永椿が地を蹴ったのと、藤霞の鞭の一閃が振るわれた鎌の切っ先を捉えたのはほぼ同時のこと。
 仲間への信頼を以て叫ばれた言葉を残して、永椿の姿はその場から消えていた。
 
 消えた姿に舌打ちした少女へと、続く打撃。
 それらを危なげなく交わして見せた鬼の子へ、藤霞は不敵な笑みを浮かべて告げた。

「さて、お前さんは俺と遊ぼうな?」

 向かう意思と意思は幾度も交錯し、暫し続いた。
 月下にてひとつの秘術がなされた頃、拮抗していたかに思えたやり取りに変化が生じる。
 少女が圧され始めたかと思えば、明確に旗色が悪くなっていく。
 藤霞が無造作に振るった鞭が宙を裂いて飛んだかと思えば、小さな身体が吹き飛ばされ宙を舞い、勢いよく小路の壁に激突する。
 衝撃で起きた土煙の向こうには、酷薄な光を翠玉の瞳に宿す男が得物を油断なく構えて立っている。
 飄々とした平素の姿を伺わせぬ程に怜悧な雰囲気を纏う藤霞は、うめき声を上げる片角の鬼の腹を容赦なく踏みつけると告げた。

「悪いが、俺は永椿や白菊とは違うからな。お前の見た目が幼かろうが女だろうが、知ったこっちゃねえ」

 藤霞が足に力をこめると、少女は更に苦痛の呻き声を上げる。
 けれど、そんな事など意に介さない様子で鋭い声音で男は続ける。

「情報を吐くか死ぬか、好きな方を選べ」

 その時、背後で息をのむ音がした。
 それは少女ではなく、いつの間にか小路に現れていた女のものだ。
 人ならざる色彩を持つ男が、角を持つ娘を踏みつけにしているという光景に女は恐怖の形相で固まっていた。
 如何やら、物音を聞きつけて様子を伺いに来たようだ。迂闊だったな、と藤霞は舌打ちする。

 注意が逸れたのはほんの一瞬。
 しかし、鬼の少女に充分な時間だった。

 足の重みが僅かに緩んだ瞬間を狙って、少女は戒めから抜け出し、藤霞から距離を取っていた。
 見た目の年には似合わぬ重く昏い光を宿した瞳で藤霞を見据えながら、低く呟く。

「いつか、お前の大事なものを奪う。……同じ思い、味わうがいい」
「捨て台詞だけは一人前だな」

 やれやれと肩を竦める藤霞の眼差しの先で、少女の姿は掻き消えていた。
 追うかとも考えたが、直に思い直す。
 流石にこのまま――驚愕に震える女をそのままにはしておけない。
 自分がそれなりに名が知れている自覚はある、女の口から今の出来事が漏れてしまってはこの先障りが生じるのは明らか。

 手刀一つで今にも悲鳴を上げそうだった女はその場に崩れ落ちる。
 女を受け止めてやりながら、藤霞は渋面でひとつ息をついた。
 少しばかり記憶を弄って、安全なところに連れていくとするかと裡にて呟いて女を横抱きに抱える。

 何時かと言った鬼の娘の、昏く燃える瞳は記憶に焼き付いた。
 何れ再びあの娘は彼の目の前に現れるのだろう。それは、確信であり。

 苦笑いの形に口の端を歪めながら、女を抱えたあやかしはその場を後にした。

 ――それが、藤霞と片角の鬼との因縁の始まりとなった。

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