大正石華恋蕾物語

響 蒼華

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雪花を想いて、藤は繚乱す

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『雪へ』

 元気にしているか?
 街中で踊りのお師匠さんにあったが、また上達したと褒めていた。
 ただ思いつめているような様子が気がかりだとも言っていた。
 頑張っているのはいいが、無理だけはするな。
 俺については心配しなくてもいい。変わりなく過ごしている。
 そういえば、面白い事があった。
 永椿のやつに春が来たかもしれないぜ。まあ、今はまだ色めいた雰囲気どころか、ぎゃんぎゃん子供みたいに喧嘩してるだけだがな。
 看護婦をしている面白い嬢ちゃんだ。そのうち永椿と一緒にそっちに連れていくかもしれん。
 なるべく早く顔を出せるようにするから、その時はいつもの笑顔で出迎えてくれ。



 藤霞達が、図らずも望んでいた『内部の人間』である情報源を手に入れてから暫しした頃。
 夏の日差しを受けながら、藤霞と白菊は街中を並んで歩いていた。

「あの永椿がなあ……」
「……あの永椿がねえ……」

 しみじみと語るその声音は、まるで年下の弟の成長を噛みしめるかのようなものである。
 先程あった騒動を脳裏に巡らせながら、二人は仲間の名を呟く。

 遡って、とある黄昏時。
 藤霞達が『血花鬼』――全身の血を失い花に覆われてなお蠢く化け物となり得る可能性を持った遺体が消えたのを追っていった先でのこと。
 目につく者を手当たり次第に襲う性質のあるそれと共に人影を認めた時彼らは焦りを覚えた。
 だが、直後に思いもよらぬ出来事が起きた。
 血花鬼に襲われた相手が、事もあろうか化け物を背負い投げする、という光景が展開されたのである。
 流石の藤霞と白菊も一瞬唖然としたが、すぐに我に返ってその相手――東雲歌那という娘を助けた。
 人ならざる怪異が、歌那に対して見せた不思議な反応が気になって、取るものもとりあえず連れ帰ってみれば。
 永椿とも関わりらしきものがあり、そればかりか何と見城診療所勤めの看護婦であるという。
 流れとしては出来すぎかと思えども、転がりこんできた貴重な情報源である。それなりに手なづける価値はあるかと思っていた。
 渋る永椿にそれとなく探りを入れさせていたが、そこでも予想外の事が起きた。
 永椿は最初から歌那を利用する事に難色を示していたが、それが顕著になっていく。それと同時に、二人は打ち解けて話すようになっていった。
 すっかり彼に気を許したらしい歌那から情報を得る事に、永椿が罪悪感に苛まれる様子を見せるようになって、暫し。
 先だって、騒動が起きた。
 異国からの客を出迎える為に三人で出た銀座で、彼らは歌那と出会った。何でも半ドンなので先輩と共に銀座に出てきたのだという。
 その『先輩』という女が彼らの予想を裏付ける物を所持し、行動をとった事に彼らが密かに思案している前で、歌那が倒れた。
 恐らく見立てとしては貧血であろうが、人を遣って医者を呼ばせて、永椿に若月屋へ運ぶように告げる。
 てっきり反発が来るかと思えばあっさりとそれを受け入れた永椿は、歌那を抱えて足早に立ち去って行った。

 そして、二人がしみじみと呟く場面へと戻る。
 
 人に紛れて暮らしている自分達は、仲間内では比較的人に近い感覚を持っていると思っている。
 其の中でも、一番人間に近いところに価値観があるのが永椿であるとも。
 それでも、あやかしはあやかし人は人。人の感情については「知ったつもり」が大きいのが事実。
 手探りでそれを得て、自分の物とはしていない。無論それについては個々の差はある。
 全く知ろうとしなかった者もいれば、人の心の機微に敏いものもあり。
 今、永椿はある感情を探り当て自分のものとしようとしている。それは、二人からみればとても微笑ましく映るものである……。

 今一度、二人は揃ったような仕草で息をつく。はてさて、彼は一体どうなるやらと。

 二人は無言のままその歩みを勧めていくが 何を思ったか、込み入った小路へと入っていく。
 入り組んだ小路を暫し歩けば、人の姿は徐々にまばらになり、一人として見えなくなり。
 二人の歩みは、がらんと寂しい風景の広がる小路の行き止まりで止まる。

「まあ、この辺りで良かろうよ」
「そうね、いい具合に人目もないし」

 藤霞が問いかけるように白菊を伺えば、白菊は腕を組んで頷いて見せる。
 それを確認して、藤霞は挑発の色混じる声音で虚空へと叫んだ。

「さて、そろそろこそこそ後をつけるのは止めて出て来てくれないもんかね?」

 振り返った先には、誰も居ないはず……だった。
 けれど一陣の突風が駆け抜けたかと思えば、その場には居なかったはずの人影がある。
 まだ夏の暑さも去りゆかぬというのに、黒い外套を目深に着込んだその姿。
 上背があるのはわかるが、それだけではまだ男か女かもわからない。

 人影は無言で手にしたものを二人へと向ける。
 それは、磨き込まれてはいるが年を経た鈍い輝きを放つ鋼により作られた銃。
 形式としては、随分と古めかしいものではあるが、その手入れされている様子からすれば恐らく現役であろう。
 銃口は、藤霞へと定められた。

「夏だっていうのに、随分着込んだもんだなあ」

 夏の装いの奇人でる藤霞が呆れたように肩を竦めながら、黒い外套を着込んだ人影に揶揄うように言葉をかける。
 手にした銃の銃口が自分に向いている事など気に留めてもいない。

 藤霞はいうなり、その色彩を鮮やかな藤色と翠に変える。
 一瞬驚いた様子の白菊だが、そういう事と呟くと同じくこちらも色彩を本来の、輝く白と黄金色に転じてる。
 押し黙ったままの外套の人影に、首を傾げて見せながら藤霞は余裕崩さずに言葉を紡ぐ。

「俺達については、そちらさんもある程度探りを入れてるんだろ……?」

 驚いちゃいないんだろ?と問いかける口調は軽い。
 その手は自然な仕草で簪へと添えられ、次の瞬間には光で編まれた美しい光の鞭が藤霞の手に生じる。
 生じたかと思えば、光は人影へ向って恐るべき早さで振るわれる。
 光の鞭は宙を割き、残像の軌跡を残して人影へ迫る。けれど人影に迫る前に何かに弾かれ軌道を変えた。
 見れば、人影を守るように淡い光が半円状に展開されている。
 何時の間にやら、その手には藤霞達が知らぬ形ではあるが何かの『印』が結ばれている。

 無言のまま白菊がその手に光の円刃を二つ生じさせたかと思えば、その円刃は半円状の守りを狙い繰り出され。
 円刃二つが重なって守りの壁を打ったならば、玻璃が割れるような澄んだ音を立てて壁が欠片と化していく。
 欠片が光の塵と化しながら落ちていく中、外套の人影は消えていた。
 否、地を蹴って藤霞へと肉薄していた。
 次々に繰り出される藤霞の鞭を躱して、人影は藤霞へと近づき……。

 藤霞の鞭が人影の外套の頭部を撥ね上げたと思えば、次の瞬間には人影が持つ銃が藤霞の着物の合わせから覗く胸へと突きつけられる。

 露わになった外套の頭部から零れたのは黄金の輝き……。
 外套の下にあったのは、麗しいと評して可笑しくない陶磁の白を肌に持つ……青年。
 閉じた瞼が徐々に開かれゆけば、其処から覗く色彩は青玉を思わせる済んだ蒼色。
 日本にも、基督教の信仰はある。信者達が彼を見たらこう評するだろう――天使と。
 西洋の宗教画に神の使いとして描かれる存在を思わせる、高潔な雰囲気まとった青年だった。
 その顔に浮かぶのは、実に愉しげな微笑み。

 青年と藤霞の違う彩の瞳に宿るのは、闘いの気配を楽しんで已まぬ心。
 張り詰めた糸のように緊迫した空気、刹那の判断の躊躇が命取りとなりかねないような危さがその場に満ちて。

 ぱん。
 手を軽やかに打ち鳴らす音で、それは断ち切られる。

「はい、二人ともそこまでよ」

 緊迫した空気を破ったのは、肩を竦めながら紡がれた白菊の呆れ交じりの言葉だった。
 次の瞬間二人の男が吹き出して、直に愉快そうな笑い声が続き、張り詰めた空気は綺麗に霧散する。
 楽しげな笑い声と共に藤霞は手にした武器を虚空に還し、青年は突きつけていた銃を下げる。
 その様子をくつくつ喉を鳴らしながら見ていた藤霞は、肩を竦めて呟く。

「俺らも大概だが……あんた『ら』もかなりお遊びが好きと見えるな」

 私をその中に入れないでという白菊の苦情は軽く聞き流して、藤霞はにやりと笑う。
 目の前に見えるのは、金色の髪の青年一人。けれど藤霞はいう、あんた『ら』と。
 晴れやかなまでの笑顔で二人を見つめる青年は、やや物足りないと言った風情の表情を浮かべながら言葉を返した。

「やれやれ、もう少し謎の人物になりきって遊んでも良かったのですが仕方ない」
「冗談で済むうちに止めてください、ナサニエル」

 ふと、その場にいる者ではない声が響いた。青年の声とも違う、やや高く済んだ少年の声。
 金髪の青年が手にしていた銃が、その手から消えたかと思えば。

「貴方はそういう遊び好きな処がなければ良い主なんですが……」

 僕まで遊び好きとは思われたくないんですけど、と涼やかな声で紡がれる溜息交じりの言葉。
 それと共に銀色の肩までの波打つ髪に同じ色の円らな瞳を持つ少年の姿がその場に生じる。
 衣装は小さな紳士と言えるきちんとした身形で、青年の従者に見える。
 その整った顔に浮かぶのは呆れ交じりの色、大きく嘆息して青年を見遣ったと思えば藤霞と白菊に向き直り丁寧な礼をとる。

「遊びが過ぎる我が主が大変ご無礼を、東のマエストロの傑作達」

 この方は冗談が過ぎるのが良いところを損なって余りある重大な欠点でと容赦なく主をこき下ろしながら、銃の姿から転じた少年――藤霞達と同じ『付喪神』である彼は謝罪を続ける。
 お前はそういう遊び心を介さない処が欠点です、と少年に向かって嘆く青年だったが、少年に小突かれて改めて藤霞と白菊に向き直った。

「では改めて」

 青年は、胸に手を当てて滑らかな動作で二人へと頭を下げた。
 その表情には微笑み浮かんでいるものの、纏う雰囲気は先程までとは違い真剣なもの。
 その所作は公のどの様な場に在っても不思議な無いほどに優雅で上品なもの。

「ナサニエル・ノエル・フィオリトゥーラと申します。彼の名はゾーイ」

 青年――ナサニエルの傍らで名を呼ばれた少年――ゾーイが主に倣いこれまた優雅に礼をとる。
 ナサニエルはその青玉の瞳に不敵なまでの光と揺るぎなき決意を宿して静かに続く言葉を紡いだ。

「我らは最後のフィオリトゥーラ伯ロザリンドの遺志を継ぐもの。お招きに預かり、東の島国へ『指輪』を討ちに参りました」

 待ち合わせていた『取引相手』こと、異国からきた客人を見据える藤霞の翠と、ナサニエルの蒼がぶつかる。
 『大凶異』を倒す為に伝手を使い呼び寄せるに至った『援軍』の到来に、藤霞の口元に笑みが浮かんだ。
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