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それぞれの後日談
微笑み、語る
しおりを挟む私は、旦那様……高嶺男爵の事を、嫌いではありませんでした。
『こんな形の結婚となってしまって、君には済まないと思っている』
それが、夫となる男性と二人となった時に私に対して発した第一声です。
お父様よりも年の離れた男性。でも、父よりも余程好ましく思える壮年の方。
落ちついた物腰の静かな雰囲気の方、でも何処か哀しげに思えて仕方なくて……。
『此処を君の家と思ってもらえるように、私なりに努力をするよ』
手を握ってくれた優しい大きな手の温もりを、忘れた事はありません。
覗き込んで視線を合わせてくれた、優しいけれど何処か寂しげなその眼差しも、今も覚えています。
精一杯美夜を気遣ってくれているのが、素直に感じ取れて。
あの日、捨て鉢だった私の心に小さな灯火が宿ったのです――。
高嶺家は、刀祇宮家という特別な宮家の為に存在する血筋であったと聞いています。
当然ながら、旦那様にはご自分で結婚相手を選ぶ自由などありません。
それでも、旦那様はある日の女性で、運命と呼べる方と出会ったと言います。
英国人の女性でした。外交に携わっていた英国の要人のご令嬢だったようです。
退屈そうに壁の花をしてらしたその方は、帰国したら結婚市場と言われる社交界に売り出されるのだ、と愚痴を零していた、と旦那様は笑っておられました。
旦那様とその方は、夜会で顔を合わせるようになり、話すようになり。
やがて、夜会以外でも会うようになり、恋に落ちたのです。
幸せだった、と語ってらっしゃいました。いつも寂しげなお顔をされている旦那様が、その時だけは優しい温かなお顔をされていました。
けれども、お二人の仲が人の噂に語られるようになり、焦った双方のご両親によって二人は引き裂かれ、ご令嬢は無理やり帰国させられることに。
気力を無くしてしまった旦那様の元に、半年後に知らせが届いたそうです。
それは、ご令嬢の訃報でした。
ご令嬢は身籠っていらっしゃったのです。しかし、堕胎を拒み、一族から絶縁され。ついには倫敦から離れた土地にて、お腹のお子様と共に亡くなられてしまいました。
旦那様は仰いました。その時から、自分の世界から一切の色が消え失せたと。
やがて旦那様は、一族が決めたお相手を妻として迎えられました。
お子様も生まれました。ですが、旦那様は奥様のお顔を思い出せないのだと言います。
妻として良く尽くしてくれたのは確かだろうに、どんな人間だったか思い出せないと……。
旦那様は、呪われていると曰くのあるものを集め、異国では悪魔と呼ばれる悪しきものを祀り。
ただ、世界が終わる日が一日も早い事を願っていました。
そこに現れたのが『あの女性』だったのです……。
私は、少し悲しかったのです。
政略だと諦めて嫁いできた身であっても、夫である男性は過去にて止まったまま。
旦那様の心は永劫、愛する方と共に過ごした時に存在し続ける。誰もその心の在処に入り込めないのですから。
……私は、もしかしたらあの方をお慕いしていたのかもしれません。自分でも、いまだにはっきり「そう」とはわからないのですが。
けれども、旦那様はお忙しくて、屋敷を空けられる事も多くて。
私はやはりあの部屋に一人で。心を許せる相手もなく、ただぼんやりと日々を過ごしていました。
そんなある日、あの方がやってきたのです。
最初、私を見てとても驚かれていたのを覚えています。
当然です。男爵家の主の妻が、私のようなやせ衰えた小娘なのですから。
でも、歌那さんはすぐに明るい笑顔を取り戻して、私に接して下さるようになりました。
時折、酷く哀しげな様子が垣間見えるのが気になってはいました。
今思えば、あれは知っていたからだと思います。
私と、歌那さんが姉妹だと。けれど、それを言うに言えなかったからだと。
歌那さんは、いえ、歌那姉様はお日様のような方でした。聞いていた通りの方でした。
明るくてひたむきで、何時も顔を上げて前を向いてらっしゃいました。
私に良い事があると、まるで自分の事のように喜んでくださって。私が少しでも沈んでいると、静かに寄り添って下さいました。
通うまごころがある幸せに、私はしみじみと浸る事ができました。
でも、あの日お父様が現れて、私たちの時間は終わってしまって。
そして、あの女性が現れて……。
自らが引き裂かれ、千切れていくような感覚の中、私は自分が死ぬのだと悟りました。
でも、このまま死んでしまうのは嫌だと……せめて、最後に一目会いたいと願いました。
気が付いた時には、仮初の身体で現世に留まっておりました。
沢山の女性に助けられた気がしています。あれは、はっきりとは言えないのですが、血花の犠牲となった方々ではないでしょうか。
旦那様の声も、聞こえた気がします……。ほんの微かで、気のせいかもしれませんが……。
君の声には力があると、旦那様は仰っていた気がします。
留まれたのは少しの間でした。でも、私にとって、その刹那は幸せとすら思えるものでした。
歌那姉様と共に過ごせた時間は、私にとって最も輝いた日々でした。
あの方は、私にとって大切な光でした。
頂いた沢山の輝きに、何時かお返しが出来たならと願っていたのに。あの日お父様のせいで、言いたい事も伝えられぬままに別れてしまって。
だから、最後の最後に、お役に立てて良かったと思っています。
歌那姉様と協力して、何かに立ち向かえたこと。手を取り合えたことが、本当に、本当に嬉しかったのです……。
実は、長らくとても羨ましかったのです。
帰ってこられた時に、お嬢様についてお話してくれる時にも少し焼きもちを焼いておりましたが、別宅へ行かれた時のお話を聞いた時も、同じです。
お会いして見たかったのです。顔も見た事のなかった、私のもう一人のお姉様に……。
さて、私は大分話し続けてしまいました。
次は、私が聞き手に回る番です。
私だって、沢山聞かせて頂きたい事があるんです。
さあ、お話して下さいな、沙夜姉様……。
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