大正石華恋蕾物語

響 蒼華

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それぞれの後日談

膝枕に揺蕩う

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 家屋の修繕も進み平素通りの落ち着きを取り戻した若月屋の廊下を、女中頭が探し人をしながら小走りに駆けている。
 あやかしのご加護の賜物で比較的被害は少なく済んだとは言え、あちこちに生じていた被害は修復され、真新しい木の香りがそこかしこに漂っている。
 店を訪れる客足もまた元に戻りつつあり、日常は此処にも確かに戻り来ていた。

「若旦那ー!? 若旦那、どちらですか!?」
 
 あちらを見ては呼び、こちらを見ては呼び、女中頭は歩み続ける。
 其の声を聞きつけた番頭が、彼女を呼び止めて告げるには。

「ああ、若旦那なら置屋だよ」
「あれまあ、居ないと思ったら」

 若旦那の不在とその行先を告げると、きょとりとした表情で年嵩の女はひとつ息をつく。
 道理で先程から店の中を呼んで歩いても応えがないはずだと納得した風に。
 息ひとつついた後に、肩を竦めて女中頭は呟いた。

「今日も珂雪さんのところに行かれたのね……」

 今日もという事は、今日以外もという事。
 実にこの会話が為されたのは昨日ぶりなのである。
 少し気休めしてくる、問いって若い主がふらりと姿を消したのは午前中の事。
 同じことを女中頭に伝えて若旦那が姿を消したのも、昨日の午前中の事。

 本来であれば、昼日中から主が花街に入り浸りというのは顔を顰められる話であるのだが。
 若月屋の古株たちの反応と言えば……。

「まあまあ、地震の大騒ぎの時も、その前も大分会えなかったんだから、大目に見ようぜ」
「そうねえ、頑張っていらしたんだもの。それぐらいご褒美がなくちゃ!」

 実に大らかなものだった。
 恐らく、向った先の置屋の面々の反応も同じだろうと彼らは思う。
 本来であれば男出入りが顔を顰められる置屋に、事情があって藤霞は出入り自由であることだし。
 寝る間も惜しみ店を始めとして関係各所や近所の復興の為に駆け回っていた若旦那に、それぐらいの休息は必要だと揃って頷く。
 若旦那が務めを果たす為と『可愛い妹分』の顔を見に行く事も戒めて尽くしていた事は皆知っているのだからと。
 相手の毅然とした言葉があったのも確かであろうが、あれだけ可愛がっている相手によく其れだけ会わずに我慢出来たものだと皆は言う。

 そう、可愛がっているのだ。若旦那は『可愛い妹分』を、とてもとても。不思議に思う者達が居れども気にもせず。
 なのに……。

 それにしても、と女中頭が溜息をつく。

「何時まで『可愛い妹分』なのかしらねえ……」
「それだよな。もう一本になろうかって年頃だし、良い頃合いだと思うんだが……」

 藤霞が相手を芸妓を愛でるようにではなく、妹を溺愛する兄の様に可愛がって接しているのは周知の事実。
 実のところ、周囲の者にとっては其れこそが歯がゆいことこの上ない。
 若旦那はもう身を固めて然るべき年頃である。若旦那の元に、早く若女将も欲しい。
 だが、当の本人はその話題になると飄々とした笑いを浮かべて煙に巻く。
 その妻の座を狙う娘たちが数多いるというのに、至って涼しい顔のままである。

「外から口を挟むのは野暮なのは分かってるんだがなあ……」
「若旦那にも考えがお有りなのはわかるんだけどねえ……」

 置屋にて。
 可愛い妹分と呼ぶ雛妓の膝枕で微睡みかけていた若旦那は、二つ続けてくしゃみをしたそうな。
 風邪かと心配した相手に、大丈夫だと優しく笑う色男は幸せそうな様子であったという。
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