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《幕間・肆》

疑問

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 低く落ち着いた声が物語の終わりを紡いだならば、余韻の沈黙が満ちる。
 鬼と人との物語は、不思議な感慨を与えてくれた。今回も例外ではない。
 しかし、あやめはやや深刻な面持ちで何かを思案している。
 玄鳥はそれに気付けば、静かに首を傾けて問いかけた。

「あやめさん、難しい顔ですがどうしました」
「いえ、主人公の名前が友人と一緒だったので、少し……」

 今までも確かに、あやめの聞いた事のある話と物語との間に不可思議な共通点があった。
 今回もそうであるのは、予測できた事である。
 けれども……とあやめは騒めく心を抑える事が出来ず眉を寄せてしまっている。

 ――あやめの女学校時代の知己にも『璃子』という名の少女が居た。
 密かに見つめる控えめな眼差しを感じるようになって暫く後、彼女は特別誂えの蒼い薔薇の便箋にしたためた手紙をくれた。
 女学校においてエスと呼ばれる特別な友情については話として聞いていたし、そういう間柄になった少女達も見ていた。
 けれども何処か自分にとっては遠い話に思えていたところに、彼女は勇気を出して歩み寄ってくれたのだ。
 言の葉を幾らか交わしたなら気心も知れて、何時しか璃子はあやめをお姉様と呼んでくれるようになっていた。
 璃子の家はとても厳しくて買い物に出たりなど共に出かける事はできなかったけれど、女学校で共に過ごす時間や交わす手紙はとても素敵な気持ちをくれたのを覚えている。
 けれど、とあやめは思い出して表情を曇らせる。
 ある日、彼女の保護者という男性と顔を合わせる事があった。璃子が紹介してくれたのでご挨拶をさせて頂いたのだが……。
 温厚そうな紳士であったその人は、年端も行かない相手にも礼儀正しく接してくれて、璃子を宜しくと言っていた。
 けれど、去り際の眼差しが気になって仕方なかった。一瞬だけ垣間見えた暗い光が脳裏に焼き付いて離れなかったのだ。
 あれは、嫉妬とも憎悪とも言える負の感情だった。
 どうして初めて顔を合わせた、しかも小娘相手にそこまで強い感情を向ける事が出来たのかと不思議でならなかった。
 あやめの父が事業に失敗したのは、その直後の事だった。父が、騙されたなど遠くで叫んでいたのが今でも耳に残っている。
 女学校も退学することになってしまい、薔薇屋敷と呼ばれる屋敷に住んでいた璃子とも、それ以来連絡が取れていない。
 手紙は送ったものの、返事はなかった。もしかしたら届いていないのかもしれない、とは思っていても訪うことなど出来なくて。
 あの屋敷は近隣ではそれなりに有名である、持ち主の移り替わりの事も含めて様々な逸話を生んでいる。玄鳥が物語の舞台として使ったとしても不思議はない。
 僅かな逡巡の後、あやめは心に浮かんだ問いを口にする。

「先生は、どうして鬼と人との物語を考えたのですか……?」
「私が考えた、のではありません」

 あやめは思わず目を瞬く。
 てっきり玄鳥が考えた物語だと思っていた、だから何故小説として世に出さないのかと不思議に思っていた。
 きょとんとした表情のあやめを見つめながら、玄鳥は瞳を伏せながら続ける。

「今までお聞かせした物語において、私はあくまで語り手です」 

 様々な形のこころを交わした鬼と人、己が語った物語はあくまで彼らと彼女らの辿った軌跡。玄鳥はそう言って淡い微笑浮かべる。
 今までの話は、玄鳥の中で生まれた……作られた物語ではないと言う。
 それでは……とあやめは思う。
 今まで聞かせてもらった物語は『本当にあった出来事』なのではないかという疑問が生じたのだ。
 それならば、過去の出来事や人物が物語に登場していたことも頷ける。些か、あやめの知る過去の逸話に寄りすぎてはいたけれど。
 けれども、その場合一つ気がかりな事がある。

 物語が現実に起きた事であれば、鬼もまた現実に存在している、という事だ。

 国が開かれ政治が代わり、近代化著しいこのご時世に、と笑おうとしてもそれが出来ない。
 彼らを否定したくない、という気持ちが漠然とした気持ちの中に確かに存在している。
 確かに其処に居たのだと、其処に存在しているのだと。彩り為すそのこころに、確かに触れたのだと……。

 あやめはふと我に返る。一体何をそんなにも必死に訴えようとしていたのかと、思わず溜息をつく。
 そして、玄鳥へと眼差し向けたなら少し苦笑して告げる。

「やっぱり、まだ本調子じゃないのかもしれないです。……気にしすぎかも」
「すいません、無理をさせてしかったようです……。ここらで私は退散します、おやすみなさい」

 表情を曇らせて謝罪を口にしたと思えば、玄鳥はお大事にと残して足早に部屋を去っていく。
 むしろ気を使わせてしまった気がして、あやめが些か気まずいと思いながら一度二度寝返りを打った時、視界にきらりと光るものがあった。
 ぴたりと動きを止めてそちらを見たならば、枕元にあの万華鏡が置かれている。螺鈿細工が電灯の灯りを反射して再びあやめの目を捉える。
 玄鳥が忘れていったのだろうか、それとも、敢えて置いていったのか。
 あやめは、確信に近い予感を感じながら、無言の内に覗き込んで筒を回す。

 万華鏡の中には、やはり予想通りに新たな色が……瑠璃のような蒼が生じている。

 新しい色を取り戻した筒の中、鏡に反射する彩り達が散じて集い、像を次々と紡ぎ続ける。
 その中に、ふわりと浮き上がって見えるような、美しい情景や場面。泣きたい程に懐かしいそれ。
 魅せられ、暫し無言で筒を覗いていたあやめだが、手を止めて思案する。

 作り物ではない、鬼と人との物語。その語り手であるという玄鳥。
 物語と共に色を取り戻す不可思議な万華鏡。それを贈られた玄鳥の亡き妻。
 大きく息を吐き出す。心の中では、様々な考えや思いや疑問が絡まりあいながら電気飴のように膨れ上がっている。

 今までに語られた『物語』を振り返ってみる。
 鬼と人との物語であり、あやめの知る過去の出来事と何らかの類似がある。
 それは玄鳥が紡いだ物語ではなく、物語の主達の交わした心の軌跡であるのだと言う。

 そしてもう一つ。
 どの物語にも『始まりの鬼』という言葉が登場している……。さり気なく、けれど確かに。
 一体どんな存在であるのかは、人であるあやめには分からない。偉大な存在であるのだけは推測できるけれど。
 名前を語られたわけではない存在は、あやめの心に不思議な感触を残す。
 不快ではない、むしろ奇妙な懐かしさと切なさを覚える言葉である。

 ぱたり、と筒を手にした手が布団の上に落ちる。
 幾ら考えてもわからない、答えはそこにあると思うのに手が届かない、触れられない。
 けれど、確実に『その時』は近づいてきている。そんな確信だけがあやめの中にはあった。
 緩やかに訪れる優しい眠気に身をゆだねて、あやめは万華鏡を手にしたまま何時しか眠りに落ちていった。



 その夢の中で、誰かの腕によって抱き起されていた。
 身体から大切なものが失われていくのを感じる。遠からず自分は命を終えるという確信がある。
 痛みはない、それは夢だから当然と思うけれど、もうそういった類の感覚自体が無いのだと思う。
 視界が滲み、目の前すらも暗くなり、はっきりと目の前を見る事が出来ない。
 愛しい人が遠くに叫んでいる気がする。可愛い子が遠くに泣いている気がする。
 せめて最期にはっきりと声を聞きたいと思うけれど、感覚は徐々に靄がかかったようにおぼろげになって行くのがつらい。
 ああ、そんなに哀しい顔をしないで下さい。
 出来れば何時もの笑顔で見送って欲しいのに、多分それは無理なのでしょう。
 痛い程の怒りと哀しみを感じる、それを今必死に抑えてくれている。
 伝えたい事は山ほどあるのに、言葉は切れ切れになり、思うように紡ぐ事すら侭ならない。
 必ず戻ってきます、貴方の元に。いつか、必ず。
 約束します、だから、どうか……――。



 そして夢は何時ものように途切れ、あやめは目を覚ます。
 胸に残る痛い程の想いに、両目から零れる雫が止められない。
 何時かあった出来事の夢だという確信がある、あやめのものではない、あやめの夢。
 こころが痛くてつらい、哀しい。
 起きなければならないのに、あやめの日常を始めなければいけないのに。夢が現と入り交じり、ただ涙する事しか今は出来ない。
 何時か必ず戻る、その約束の成就がそこに在るのにというもどかしさに胸が締め付けられる。
 あと一歩、あともう少し……。
 声も立てずに泣き続けたあやめが床から起き上がれたのは暫く後の事。朝餉の時間などとうに過ぎて昼に近くなった頃の事。
 心配して訪ねてきた御影によって起こされたという玄鳥は、あやめの赤い目を見て少しだけ目を伏せたけれど気付かぬ振りをしてくれた。

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