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それは何を導く

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 その日の夕食も、ヨルが腕を振るった美味しい温かいご飯が並んだ。
 いつも通りの食欲はあるとは言えない状態だったが、せっかくのヨルの手料理を残したくなどない。
 綺麗に完食した後、後片付けをするヨルに一言残し、セイは再び工房へと足を踏み入れた。
 そして、作業台の前に座るけれど、手は止まったままだ。
 作業をするわけでもなく、ただ大きく溜息をつく。

 ヨルには、まだ願いを受け入れると伝えていない。
 もう少し詳しく教えて欲しいとも、何故とも聞けていない。
 裡をぐるぐると巡る問いと、形容できない感覚に溜息を吐いていたかと思えば、小さく呻く。
 星……つまり星をモチーフにした何かをステンドグラスで作るのは、無理難題ではない。もう少し詳細がわかれば、作れるはずだ。
 でも、どうすればいいのか分からない。
 彼が何を思っているのか。自分は何を作らなければいけないのか。
 彼の願う『星』を作った先に、何があるのか……。

 唇を噛みしめたままのセイは、思わず自分の身体を軽く抱くようにして俯いた。
 触れたくない、触れてはならない何かがそこにある。
 目を背けたい、見ないままで居たい何かがそこにある。
 分からないことは、ただ恐怖であるけれど。

「……あんな風に言われて、嫌なんて言えるわけがない」

 セイに真っ直ぐに向き合って頭を下げたヨルの声は、今まで聞いたことのないほど切実なものに感じた。
 ヨルが意味のないことを願うとは思えない。
 ヨルはいつもセイのことを案じ、考えていてくれるのを知っている。
 だから、きっとこれはセイにとっても大事で、必要なことなのだ。
 先に何があるのか不安で、正直怖いけれど。
 それでも、自分はヨルの為に……。

「どうしたのだね。そんなに深刻な顔をして」
「うわああ⁉」

 突然背後に聞こえた男性の声に、セイは思わず椅子から転がり落ちかけた。
 だが、バランスを崩した身体は背を支える頼もしい手によって、あわや転落の危機を免れる。
 セイは、自分を救った手の主を見上げると目を見張った。

「と、時見さん⁉」
「何度か声をかけたのだが、聞こえていなかったのか……」

 工房内には、いつの間にか見慣れたスーツの男性の姿があった。
 確かに、もう時間的には時見がついてもおかしくない時間になっている。
 だが、車の音にも気づかない程に考え事に自分は考えるのに没頭していたらしい。
 大きく深呼吸しながら自らを落ち着けようとしているセイを見て、時見は苦笑しつつ背に添えていた腕を静かに離す。
 礼を言って椅子に座りなおすと、何時到着したのかを気まずそうに問う。
 時見が肩を竦めつつ説明してくれた話によると、到着したのはつい今しがた。喜ぶ顔を想像しながらセイに団子を手渡そうとしたが、当の本人が出てこない。
 頼んでいたランプは受け取れる状態であり、渡してくれたヨルにセイはどうしたのかと聞いてみたところ。

「セイは工房で唸っていると聞いてね。何があったんだい?」

 いつもなら車の音で来訪に気付くセイが考えごとをしていて気づかなかった、というのが気がかりらしい。
 少しばかり心配そうな様子で問う時見に、一瞬躊躇ったものの、セイは自分の裡をしめる問いについて話すことにした。

「ヨルが『星』を作って欲しいって」
「ヨルが……?」

 口にしてから時見を見たセイは、思わず息を飲んでしまう。
 セイとしては、ちょっと困った悩みごとを打ち明けた程度のものだった。
 だが、その言葉は想像していた異常の変化を齎していた。
 時見の表情が、目に見えて真剣な色を帯びたのだ。
 セイの内なるところまでを探るような、鋭い眼差し。
 飄々としたところがあって、いつも朗らかで余裕のある人物の思わぬ反応にセイは更なる戸惑いを覚えることになる。
 ヨルが『星』を作って欲しいと言って。
 それを聞いた時見が、いつもと違う表情を見せて。
 一体、何がどうして。
 自分は、何を作ろうとしているのか。ヨルは、何を作って欲しいというのか。
 深まる謎と戸惑いを誤魔化すように、セイは「それだけでは詳細が分からなくて困っている」と続けた。
 一瞬にしていつもの笑顔に戻ると、それは確かにねと時見は頷いて同意を口にする。
 もう少し考えたいと伝えると、時見はセイの頭を軽く撫でてから身を翻した。

「あまり、根を詰めないように。気が済んだら居間においで。だんごが待っているよ」

 子供じゃないんだから……と思わず呻くように呟くセイの視線の先で、時見の姿は工房の扉の向こうへ消えていく。
 調子を整えるように息を一つ吐いて、セイは一人になった工房の中を見回した。
 あの硝子窓の『扉』の向こうには、今日も少女の姿が見える。
 少女は、自分と同じ様に何かを考え込んでいる。
 セイは、何故か今の自分達はとても似ているような気がした……。

 ◇ ◇ ◇

「どういう心算だね」

 お茶の時間の支度を整えているヨルの背に、工房から戻って開口一番に時見が発した言葉がそれだった。
 ヨルは準備の手を止めて、時見の方へと振り向いた。
 ソファの上でつつじが、心配そうな視線をヨルと時見の両方に交互に向けていた。

「もう『限界』なんです」

 決意を口にするように息を整えて、ヨルは静かに告げた。
 腕を組んだ状態で、セイに対する朗らかさとは別人のような、鋭利とも言える様子で時見は口を閉ざしている。
 先を促すような沈黙を、悔しさを滲ませる声音が続く。

「今はまだもたせられている。でも、確実に限界がきている」

 ヨルは、顔だけを工房のほうへ向けながら告げた。
 仮面の瞳の部分に開いた暗い穴の奥は、工房にて思索に耽る女性を見つめているのだろう。
 きっとこの場にある全ての心は、今彼女を思っている。
 そして気付いている。ヨルの言葉が真実であるということを。

「それは、貴方にも分かるはずです」
「……一度、綻びた痕跡があったな」

 首を軽く傾げつつ言われた言葉に、深い溜息と共に時見は答えた。
 いつ、と問う眼差しを察して、つい先日とヨルは頷く。

「彼女まで犠牲にならない為に……『星』が必要なんです」
「作ってくれるといいがね」

 星を作るということは、取りも直さずひとつの『終わり』を導く。
 それを彼女自身が選べるかどうか。時見は、また一つ溜息を零した。
 セイが何時までも笑っていてくれるなら、と思う。
 だからこそ、このままではいけないこともわかっている。
 時見が、唇を軽く噛みしめて再び沈黙すると、ヨルは言った。
 仮面の下の顔には、きっと穏やかな笑みがあるのだろうと感じさせる声音で。

「セイさんなら、必ず作ってくれます」

 それからしばらくして、セイは工房から出てきた。 
 そして、時見とつつじの見守る前で、ヨルをまっすぐに見据えてはっきりと告げた。
 ヨルの為に『星』を作る、と――。
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