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不思議な男性

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 工房の住人は職人であるセイとヨル、看板猫のつつじ。二人と一匹の、静かな環境だった。
 硝子作り体験をしているような工房と違うし、所在地も所在地なので、そうそう頻繁に人は訪れない。
 品物の納品も、直接先方が受け取りにくることは実は少ない。
 大体の場合は業者を介して納品し、やり取りは電話かメールである。
 祖父もあまり外に出たがる人ではなかったらしく、取引先から異論らしきものは今のところない。
 工房に訪れ、少しの間でも滞在することがあるのは二人だけ。
 一人は、祖父の頃から家族ぐるみの付き合いだったという近所の老婦人。
 そして、もう一人は。

「セイ、今日も元気そうで何よりだ!」
「……今日もテンション高いですね、時見さん……」

 玄関を開けた先に居た男性――時見の清々しい笑顔に、セイは思わず顔が引き攣りかけたのを必死に堪えていた。
 車が入ってきた音がしたので工房を出た辺りで、チャイムが鳴った。
 一応外に居るのが時見であるのを確認した上でドアを開けたところ、この眩しいまでの笑顔と高いテンションである。
 叶うならば、そのまま全力で回れ右をしたかったが、そんなことは出来ない。
 如何に引きこもりを極めて、社会とはやや断絶気味であるとはいえ、時見はれっきとした顧客である。しかも上得意の。
 しかし、それをわかっていても、人付き合いがそこまで得意ではない自分にとって、この人の勢いが辛いことがある。
 更に言うなら、この人は不意打ちを絡めつつ、嘘か本当かわからないが愛を囁くこともある。
 非常に色々な意味で対応に困ることがあるので出来ればやめて欲しいとおもうのだが、聞いてもらえた試しはない。
 立ち話も何なので、とセイは時見を中へと招き入れる。
 連れ立って居間へと足を踏み入れると、寝そべっていたつつじが顔をあげて小さく鳴いた。
 つつじに言葉をかけながら撫でてやっている時見を見つつ、セイは首を軽く傾げる。

「最近、結構な頻度で顔を出してくれていますけど、お仕事の方は大丈夫なんですか?」
「ある程度任せられる体制は築いているからね。まあ、ここに顔を出すのが息抜きとも言えるかな」 

 市内でいくつもの事業を手がけているという時見は実際のところとても忙しいのではないか、とセイは日頃から気になっていた。
 仕事がらみでやることが沢山あるのに、無理をしてここに顔を出しているのではないかと懸念していたのだ。
 だが事も無げにそういうと、時見は室内を見回した。

「ヨルはまた買い物かい?」

 首を傾げて問いかける時見に、一人と一匹はゆるゆると首を振る。

「ヨルは、もう少ししたら帰って来ると思います」
『由紀子さんの家の物置修理のお手伝いに行ったの』

 仮面の助手は、本日近所の老婦人宅を訪問しているのだ。
 何でも先日の暴風で物置が一部壊れてしまったので、応急処置ではあるが修理の手伝いに行ったのである。
 そんなにかからないと思います、と言って出ていったし、先程「作業はもう目途がついた」とメッセージがきていたので、そろそろ帰ってくるのではないかと思う。

「そうか。なら少し三時のおやつを過ぎてしまうが、お茶の時間はヨルの帰りを待つとしようか」

 セイへと手にしていた箱を渡しながら、時見は笑いながら言う。
 最早何時もの流れでそれを受け取ったセイは、箱に記された名前を見て目を輝かせる。

「今日のスイーツは、アンジェリック・ヴォヤージュのショコラヴォヤージュにしてみたよ」
「ありがとうございます!」

 西部地区にある有名なパティスリーの、生クリームとガナッシュで作られた小さなケーキと言えるお菓子。
 先日、話のついでにセイが食べたいと言っていたのを、この男性は聞き逃さなかったのだろう。 
 俄然目を輝かせて元気に礼をいうセイを見て、時見は実に嬉しそうに笑っている。

「クレープもありましたよね?」
「ああ、賞味期限が実に短命な。ここなら、ギリギリ間に合うかもしれないが」

 行列が出来ると評判のクレープは、何と賞味期限30分らしい。
 クレープを買って店から駐車場へ戻り、車でここへとやってくるのを賞味期限以内に出来るだろうか、と時見は真剣に思案し始めている。
 しかし、それをセイが止める。

「いいです。事故を起こしてほしないし、スピード違反で切符を切られたりもしてほしくないですし」

 セイが食べたいです、などと言おうものなら、この男性は本気でタイムアタックに挑戦しかねない。
 街中の道路にて全力でスピードを出したら事故の危険もあるし、警察に見つかれば違反切符待ったなしだ。場合によっては一発免停もあり得るのでは。
 真剣な顔で頭を左右にふって制するセイを見て、時見は一瞬目を瞬いたけれど、すぐに表情を和らげる。

「心配してくれているのだね」
「……大事なお客様ですので、一応」

 何故か顔を合わせているのが気まずくて、ふい、と視線を下気味に逸らしてしまうセイ。
 対する時見は、しみじみと噛みしめるような様子で穏やかに続ける。

「てっきり嫌われているのではないかと思ったから」

 声音に少しだけ寂しそうなものが滲んでいる気がして、思わずセイは顔をあげた。
 目を軽く見張って見つめた先には、時見が複雑な面持ちで自分を見つめている様子がある。
 セイは、ゆるく首を左右に振ると一つ息を吐いた。

「嫌いとか、そういうのじゃないんです」

 確かに、勢いを苦手と思う事はあるが、嫌いではないのだ。
 その誤解だけは解いておきたいと思うセイは、心の中で自分に問う――それなら、この人をどう思っているのだろうと。
 しかし、答えは出ない。
 分からないのだ。彼の言葉の何が真実で、何が偽りか。
 いや、彼の言葉だけではない。
 彼自身が、一体何であるのかが分からなくなる時がある。

「どちらかというと、好きだとは思います。でも、何か違うんです」

 その『好き』は、どういう種類のものかは説明できない。
 上手く言葉として自分の心にあるものを説明できずにもどかしくおもうけれど、時見は静かにセイの言葉の続きを待っているようだ。
 一言一言ゆっくり、裡から押し出すようにして紡ぐセイは更に続ける。

「時見さんと、まだそう長く付き合いがあるわけではないし。まだ、知らないことが多いし」

 彼と付き合いが始まったのは、セイが工房を任されるようになった後。それほど時は経っていない。
 祖父が突然旅に出たと知って驚いてやってきた時見と、その時初めて会ったのだ。
 朗らかできさくな年上の男性は、変わらぬご愛顧を工房にくれると共にセイへと愛を告げてくれているが。
 それを正面から受け止められる程、セイは彼について知らないのだ。

「私が知っているのは、お祖父ちゃんの頃からの工房のお客様だってこと。幾つも会社を持っていること。ステンドグラスを集めていること、かな……」

 少し俯き気味になりながらセイが言葉を紡いでいると、不意に深い響きを帯びた声が耳に触れた。

「集めているのは、ステンドグラスだけではないよ」

 目を見張って再び時見を見つめ直すと、そこに時見は変わらず立っていた。
 先程までと違う、思慮深さと老成した不思議な雰囲気を漂わせる表情で。
 慈しむような眼差しをセイに向けながら。

「私が集めているのは……『物語』かな」
「ものがたり……?」

 物語というと、本でも集めているのだろうか、とセイは首を傾げる。
 けれど、何故か違う気がする。
 時見がいう『物語』は、セイが心に想い描くものとは多分違う。
 どういうことか気になりつつも問いを口にできずに居るセイを見て、時見は微笑む。

「私が今気になって仕方ないのは、君とヨルと、つつじの『物語』だ」
「え……?」

 セイは思わずといった風に疑問を含んだ声をあげてしまい、つつじは小さく鳴く。
 自分とヨルとつつじの『物語」。
 自分達は本に書かれた覚えもないし、お題になるような大層な存在でもないのに。
 呆気にとられたように続く言葉がみつからないセイを見ていた時見だが、ふと雰囲気が再び変わる。
 先程までと同じような朗らかさを取り戻し、悪戯っぽく笑って見せながら時見は首を傾げた。

「勿論、君の心を得られるかも、とても気になっているがね」
「……また、そういうことを言う」

 片目を閉じながら言われた言葉に、セイは不貞腐れたように顔を背けた。
 抱いた問いは消えないし、分からないことはやはり多い。
 けれど、と彼の笑みを見ながら思う。
 こういう風に、不意打ちを入れてくるところは苦手だけれど。
 結局のところ、本当にこの人が嫌いなわけでも、不快なわけでもないのだと、セイは心の中で呟いていた。
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