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裏方令嬢の大舞台

跪き、希う

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「……シャノンは、昔。母親が生きていた頃、よく王宮に来ていたよな?」
「はい、お母様に連れられて……」

 それについては、少しだけ話した事が有った気がする。
 シャノンの母は王妃の親しい友人で、よく話し相手として王宮に招かれていた。
 その際に、小さなシャノンを良く伴ってくれていたのだ。
 今、この状況でその話題が出た事を不思議に思いつつも、シャノンはエセルバートの言葉の続きを待つ。

「それで、一目散に大書院に駆けていっていた」
「……よくご存じで」

 その通りである。
 シャノンは大人たちの会話に交ざるよりも、王妃様への挨拶を済ませると、頃合いを見て抜け出して大書院へと走った。
 大好きな本を、読めるだけ読みたいと、走る足取りは軽かった。
 もしかして、それを見られていたのだろうか。
 だから、自分が本を喜ぶ事を……根っからの本の虫である事を知っていたのか、とシャノンは腑に落ちた。
 エセルバートの言葉は、更に続く。
 
「……大書院で、仲良くなった子供たちがいただろう」
「はい、姉弟だといっていた二人と……」

 そこに至って、シャノンは思わず目を瞬いた。
 あの姉弟との関わりだけは、実際に大書院にいて、それを見ていたものしか知らない筈だ。
 流石に、何故、という疑問が消せない。
 そんなシャノンを見て、まだ気付かないのかと呟くと、エセルバートは特大の爆弾となる情報を口にした。

「それが、アナベルと俺だ」
「……え?」

 もたらされた情報に、一瞬真っ白になるシャノンの脳裏。
 確かに、とても美しい少女と少年だった。
 まるで、おとぎ話から抜け出てきたような、美しくて眩いきょうだいだった。

「あの姉弟の、弟さんが……」

 シャノンの口から思わず零れる声は、震えてしまう。
 確かに、シャノンが物語を語るのを嬉しそうに見つめてくれていた少年は。
 光を受けて輝く金色の髪と、今日の晴れ渡る空のような蒼い瞳を持っていて。
 そう、目の前にいるこの人と同じ……。

「あの子が、エセル様、だった……?」
「……忘れられていて悲しいな」

 呆然とシャノンが呟くのを聞いて、エセルバートは更に溜息を一つ追加する。
 それどころじゃなかったから仕方ないが、と言ってはいるけれど明らかに哀しげである。
 確かに母が亡くなってからは王宮に上がる事もなくなり、継母にひたすら虐げられる日々を送る事になった。
 泥のように疲れて寝るだけの日々の中で、何時しか笑顔以外の情報が薄れていってしまったのだ。
 思い出の中の輝くような笑顔と、エセルバートが嬉しそうに笑った時の笑顔が、一致した。

 本当は身分も名前も明かして声をかけたかった。
 けれども、かつては今ほど勢力図が安定していない時代だった。
 シャノンの母は王妃の友人であり、エセルバートは王妃と王の寵愛を競っていた側妃の王子であって。
 子供同士なのだから気にする事ではないと思っても、踏み切るにはエセルバートは王子であり過ぎた。
 そんなエセルバートを見かねた従姉が、自分の弟という事でシャノンと話すきっかけを作ってくれたのだという。

 金色の髪のおとぎ話の王子様は、こう語る。
 そして少年は、本の虫である少女にいつしか恋をした。
 想いを告げられないうちに別れは訪れてしまって、彼は大層後悔した。
 何故か消息を辿ることもできなくなってしまって、今どうしているかすらもわからなくて心配で。
 だから少年は決意した。
 彼女をいつか必ず見つけ出して、妻に迎えるのだと…‥。
 少年は、その後初恋を貫き通し続けたのだ――今日この時に至るまで。

「つまり、それじゃあ……」

 シャノンは頬に熱が生じたのがわかる。頬に始まり、見る見るうちに耳まで熱は伝わっていく。
 今の話が本当ならば、あの会話での『初恋』とは。
 エセルバートが嘘を言う筈がない。この人がそんな人では無い事を、シャノンはもう良く知っている。
 事実は確かな形で、真摯な言葉でそこに示されている。 
 それなのに、口にするのは躊躇われて。
 間違っていたら、あまりにも恥ずかしい思い上がりではないかと思ってしまって。
 戸惑いと羞恥と、それを上回る喜びに胸が埋めつくされ、言葉にならない。
 そんなシャノンの前に、エセルバートは静かに跪く。
 あの日、侍女の姿をした彼女の前でしたように。
 シャノンの手を取りその甲に口付けると、蒼い瞳に真摯な光を宿して見上げた。

「ずっと、好きだった」

 初めての恋は、少年の胸に光として灯り続けた。
 彼は少年から青年になってもなおその想いを胸に、彼女を探し続けた。
 そして、舞台裏にて身を潜めるように暮らしていた彼女を見出した。

「あんな形で手に入れる事になって、申し訳ないとは思った。けれど、どうしてもシャノンが欲しくて。……傍に、居て欲しいと思って」

 過ぎた苦しみの中に自分の事を忘れてしまっているシャノンに選んでもらえる自信がなくて。
 シャノンを、辛い日々から正当な理由を以て救い出したくて。
 そして、シャノンをどうしても自分のものにしたくて。
 その為に、都合のいい現実と口実がそこに在るから利用した。
 とても卑怯で、褒められたものではないと分かっていても。事実を知ったら、シャノンはきっと怒り、呆れてしまうだろうけれど。
 いや、一方的に勝手で醜い嫉妬を押し付けてしまったあの夜に、もう見放されていてもおかしくないけれど。
 それでもシャノンを求めてしまった……今も、求め続けていると、エセルバートは静かに語り続けた。
 傲岸不遜なまでの何時もの空気はない。
 今は、ただ不安そうに、苦しげに胸の裡を紡ぎ続けるあの日の少年がそこに居る。

「改めて願う。……俺の妻になってくれ、シャノン」

 妃である前に、妻として。契約や思惑の絡む地位はではなく、一人の人間として、人生の真なる伴侶として。
 共に在って欲しいと、シャノンの翠の瞳を覗き込みながら、エセルバートは確かな口調で乞うた。
 シャノンは唇を引き結び沈黙したまま、その場に沈黙が満ちる。
 エセルバートは答えを急かそうとはしない。
 ただ静かにシャノンの次なる言葉を待っている。
 やがて、沈黙を破ったのはシャノンの静かな問いかけだった。

「エセル様の目的は。……私を妃にするにあたっての目的は、果たされましたか?」

 エセルバートの瞳に小さな困惑が浮かぶ。
 シャノンが何を問おうとしているのか、何を言いたいのかを問うような眼差しだった。
 ああ、と小さく肯定を返したエセルバートに、シャノンは一度目を伏せて続けた。

「契約の最後の条件では、目的が果たされたら私は好きなところにいける、となっていました」
「ああ……」

 シャノンがエセルバートの『共犯者』となるために出した三つの条件、その最後の一つ。
 エセルバートの目的が果たされた暁には、シャノンは好きな場所で不自由なく暮らしていけるように取り計らうと約束してもらったのだ。
 それは文面として保存されているし、何よりエセルバートはシャノンとの約束をきっと違えない。
 その言葉を聞いたエセルバートの表情が急に曇る。
 恐らく、シャノンが彼に愛想をつかして、離れたがっていると考えたのだろう。
 けれど、それでもエセルバートはシャノンが行きたいという場所に行く事を認めてくれるだろう。それが、シャノンを手放すことになったとしても、彼女の意思を尊重してくれる。
 彼は、シャノンが在りたいと思う場所にある事を、絶対に許してくれる。
 だから。

「だから、私は私の好きなところ……私の意思で、唯一人の方と想うあなたのお側に、ずっと」

 シャノンは、素直に今自分の中にあるこころをエセルバートに向けて紡いだ。
 シャノンは彼の側に居たいのだ。
 何時か終わる夢ではなくて、確かに続く現実を二人で歩いていきたい。
 想いあい、支え合って、二人離れる事なく、ずっと。
 気恥ずかしさを覚えながらも必死に紡いだシャノンの言葉を理解した瞬間、エセルバートの顔に弾けるような笑顔が浮かぶ。
 あの日、シャノンの心に焼き付いた少年の笑顔。
 あれから随分、自分も彼も大人になって、複雑な道のりを経てきたけれど。
 優しく自分を抱く腕の確かな温かさに、ただしあわせだ、と心に呟いた――。
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