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裏方令嬢の大舞台

裏方には裏方の矜持がある

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「……大丈夫か?」
「……私より、蒼玉宮や藍玉宮の皆に、後で労わりの言葉を」

 正直言って、こうして礼装に身を包み佇んでいるのも限界を超えた状態だった。
 しかし、ここで倒れるわけにいかないと、シャノンは気力を振り絞り両の足に力を込めている。
 離れた場所に、今日の主役であるキャロラインが王太子と並んで人々の輪の中心にあるのが見える。
 それを見ながら満足げな息を吐くシャノンに、不意にエセルバートが問いかけた。

「……何故、ここまで尽力した?」

 もっともな問いである。
 シャノンはキャロラインの名誉を失墜させるために、エセルバートによって妹から引き離され、彼の妃となった。
 そして、先に起きた出来事は目的の為の恰好の機会とも言えた。
 それなのに、シャノンは持てる力と築き上げてきた全てを以て妹を助けた。
 かつてのように、妹を輝かせる影として、称賛なき裏方として力を尽くしたのだ。
 裏切りと言われても仕方のない事。 
 けれど。

「私は、やはり表舞台ではなく裏方の人間です。そして……」

 シャノンの言葉に、エセルバートの眉が顰められかけた。
 しかし続く言葉に、彼の蒼の瞳が見開かれた。

「裏方には、裏方の矜持がございます」

 向けられる蒼に、揺るがぬ光を宿す翠が向けられる。
 シャノンは、確かな声音で更に言葉を紡いだ。

「表舞台も裏方あって成り立つものならば。表舞台をより輝かしいものに。主役を主役としてより輝かせるのも、裏方の力量であり、甲斐というものです」

 それは卑屈な考えにも取られるかもしれない。
 けれどもシャノンは思う。
 表舞台にて称賛を浴びるだけが全てではないと。
 舞台は、主役だけでは成り立たず。そして役者だけでは成り立たない。
 光が直接自分に向く事がないとしても、自分の存在故に成り立つものがあるならば、そして自分故にあるそれが輝かしいものとなったならば。
 それもまた、一つの喜びとも思えるのではないかと。
 影ある故に光は光。
 強いられるではなく、自分は自分の意思で影を選んだ。
 今、会場に満ちる称賛はキャロラインに対するものだけれど、シャノンは不思議に満たされた気持ちだった。
 自分が、自分の今に至るまでは無駄ではなかったのだと、改めて思う事ができたから。
 
 エセルバートは静かにシャノンの言葉に耳を傾けている。 
 表情は穏やかで、瞳の光は優しい。

「それに」

 かつてシャノンが抱いたひとつの疑問を、口にする時が来た。
 今ならば、それを言える。
 この人の心根が、シャノンにある確信をもたらしてくれた。
 シャノンは一度言葉を切った後、真っ直ぐにエセルバートを見つめながら言った。

「これが、エセル様の望みだと思ったからです」

 エセルバートが目を大きく見開いた。
 何を馬鹿な、と言いたげな様子ではある。
 しかし、その表情にはどこか罰悪げな……まるで突かれたくないところを突かれたような、不貞腐れた子供のような色があった。
 シャノンは疑問が解かれていくのを感じながら、導き出した答えを口にする。

「エセル様は、本当は王太子様が面目を潰されることも……王太子になる事もお望みではないからです」

 エセルバートは、完全に言葉を失ってしまっていた。
 何時もの不遜な様子を取り繕うとしているようだが、うまくいっていない。
 もう見えてしまっている。
 傲慢にも思える様子で隠そうとしていた、不器用な少年のような素顔が。
 シャノンは、思わずといった感じで苦笑しながら応えを待つ。
 エセルバートが返す言葉に窮して小さく呻いていると、不意に穏やかな問いが二人の耳に飛び込んできた。

「……お前は、王太子になりたかったのか?」
「兄上!」
「王太子殿下!」

 何時の間にやら、キャロラインと共に人の輪の中心に居たベネディクトが二人の側に佇んでいた。
 視線をキャロラインの方向に向けると、一人でも卒のない受け答えをして微笑んでいる様子が見える。
 どうやら、一人にしても大丈夫だと思って、こちらに来ていたようだ。
 兄の出現に、更に追い詰められた様子のエセルバート。
 やましいからではないだろう。
 陰謀を企てていて、それが暴かれた事を呻いているのではない。
 陰謀が暴かれた知略家というより、どう見てもこの雰囲気は……。
 ――悪だくみがばれた子供、である。
 王太子の蒼の眼差しと、シャノンの翠の眼差しを受けて、言葉に窮するエセルバート。
 やがて……一応声は潜めているものの、遂にエセルバートは降参するように口を開いた。

「……兄上が、無理をしようとするから……!」

 やはり、エセルバートは知っていたのだ、とシャノンは心に呟いた。
 兄である王太子が病を患っていることを。けして良好な健康状態では無い事を。
 堰を切ったように、エセルバートは気まずそうな顔のまま、語り続ける。

「病が治ったわけではないのに……。無理をしなければ、穏やかに過ごせるというのに……」

 今は王太子であれど、何れは王になる。
 そして国王としての責務は非常に過酷なものだ。
 過去に、その重責に耐えきれずに身体を壊し、命を失った王は少なくない。
 エセルバートはそれを恐れていたのだ。

「王になって更に無理をして、万が一の事があったら……!」

 だから、自分が王太子になろうとした。
 地位を奪ったと謗られても、兄に憎まれても嫌われても、兄が生きていてくれたらいいと願って。
 特になりたいとも思わない重責ともなう地位を、兄の心身の安寧の為に求めていた。

 分かった事がある。
 エセルバートは、散々兄を王太子の座から追い落としたいと、兄の面目を潰したいと言っていたが。
 風下に立たされて云々も、単なる建前。
 本当は、この人はとっても兄が大好きなのだ。
 大好き過ぎて、心配し過ぎてしまう程に。

 さあ、もうどうにでもしろ、というように耳まで顔を赤くしたエセルバートが唇を噛みしめて俯く。
 シャノンとベネディクトが見つめる先、そこに居るのは完全に不貞腐れた子供だ。
 思わず吹き出さないようにするのに、シャノンは全神経を集中する羽目になっている。
 空気が動いて、気が付いたなら。
 ベネディクトが、エセルバートの頭に手をやっていた。
 驚いて目を見張るエセルバートを覗き込む顔は、優しい兄の顔だった。

「無理はしない。私は一人ではない。キャロラインもいる……それに、私にはお前がいるだろう?」

 ベネディクトは幸せそうに笑う。
 始まりはどうであれ、今の彼には信頼を預けるに足る伴侶が居る。
 そして、彼を大事に思ってくれる優秀な弟が居る。
 王太子は、更に口元に笑みを刻んで、首を傾げながら問うように言う。

「お前が力を貸してくれるなら、無理はしないで済む筈では?」

 それは、兄から弟への、王太子から補佐となる者への、絶対の信頼を示す言葉だった。
 お前が居るなら頑張れると伝えてくるベネディクトに、エセルバートの表情が一瞬だけ歪みかけた。
 泣き出しそうになったのを堪えるようでもあり、いつもの不敵な表情を作ろうとして失敗したようでもあって。
 シャノンの視線を受けながら、エセルバートが何かを言いかけた。
 その時。

「……ただ」

 ぴたり、とシャノンとエセルバートの動きが止まる。
 二人が疑問を浮かべながら見つめる先で、王太子殿下はとても『いい笑顔』を浮かべていた。

「私に対抗するのにキャロラインを陥れようとしたのだけは、許していないぞ?」

 ぎくり、とエセルバートの肩が跳ねる。
 ああ、それは言われても仕方ないな、とシャノンは心の中で呟く。
 エセルバートは兄の面目を潰す為だけに、キャロラインの名誉を失墜させようとしたのだ。
 自分の謀のために、罪のない一人を陥れようとしたのだから。しかも、その一人を、王太子殿下は今とても大事に思っているわけであって。
 更にいうなら、シャノンもそれに巻き込まれた形である。擁護しようにも何となく言葉が出てこない。

「思い切りこき使ってやるから、覚悟をしておくように」
「……わかったよ!」

 輝くいい笑顔のまま言う兄に、完全に不貞腐れた少年の様子で小さく返すエセルバート。
 それを見てシャノンは思った。
 何のことはない。
 この兄弟、至極仲が良いらしい。
 あと、根幹のところではとても似たもの兄弟である気がする、と。
 弟の頭をぽんぽんと子供にするように撫でた後、ベネディクトはシャノンに改めて向き直る。

「シャノン殿。あなたには言葉を尽くしても感謝しきれない。めでたしと終われるのは貴方のお蔭だ」
「恐れ多いお言葉です、殿下」

 深く頭を下げて感謝を伝えてくる王太子に、シャノンは恐縮してしまう。
 貴い方にそこまでしてもらうのは恐れ多いし、何よりも実際に全力で駆けまわったのは蒼玉宮の皆であり、藍玉宮の人々だ。
 礼なら彼らにと願うと、ベネディクトもエセルバートも優しい苦笑いで受け入れてくれた。
 それを見て微笑みかけたシャノンだったが、ふとある事に気付いて声が低くなる。

「……二人ほど、めでたしめでたしで終わらせるわけにいかない人間がおりますが」
「……処遇については、相応の沙汰を」

 此度の大混乱を直接招いた不心得者と、それを糸引いた不心得者だけは罰せられなければならない。
 グレンダについては、恐らく側妃様ももう何も言うまい。
 ただ、ジョアンナについては慎重に事を運ぶ必要がある。仮にも王太子妃となるキャロラインにとっては実母だ。そして、一応弟王子の妃にとっても継母である。
 キャロラインも母を庇う事はないだろうが、母の処遇次第ではキャロラインの名誉に傷が生じる可能性がある。
 しかし、無罪放免など以ての外。シャノンも許してやれ、と言える程聖人君子ではない。
 相応しい処遇が定まるのを願い、無言のまま頷いて見せるシャノン。

 王太子を呼ぶ声が聞こえたような気がして振り返ると、キャロラインがベネディクトの名を呼びながら歩んでくる様子が見えた。
 それに応えるように手を軽く挙げると、ベネディクトは二人に一言二言かけて、そちらへと向かおうとする。
 去り際、何かを思い出したような表情をした後に、悪戯な声音で兄は弟に声をかけた。

「……想い人と再会出来てよかったな」
「なっ……! 何で兄上が、それを……!」

 途端に狼狽するエセルバート。
 しかし、シャノンは何の事か分からずきょとんとした表情のまま、僅かに首を傾げてしまう。
 エセルバートに想い人が居た事は知っていた。多分、あの庭園の女性のことだ。
 だが、それならば何故意味ありげな王太子の視線がシャノンに向けられていて、エセルバートはああも赤くなって動揺しているのか。

「秘密にしておきたいなら、アナベルにしっかり口止めをしておけ」
「あいつ……!」

 アナベルとはどなただろうか、そんな疑問をぼんやり心に浮かべるシャノン。
 楽しげな言葉を残して、王太子は今度こそ二人の側から去っていく。
 残されたのは紅潮した頬のまま、怒りや羞恥らしき感情に震えるエセルバートと。
 何が何やら理解がてんで追いつかないシャノンだけが残された。
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