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しあわせな新婚生活?

お妃様の日常

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 シャノンがエセルバートの『求婚』を受け入れてから。
 彼に甘い国王の命令にて国中のお針子や宝石商、他職人たちが呼ばれ、前代未聞の速さで、慌ただしく婚礼の支度がされた。
 王太子の婚儀がまだであるのに婚礼など……と眉を潜めるものもあったようだ。
 しかし、実家は大貴族であり国王の寵愛深き側妃と、その息子であるエセルバートに表だって盾突けるものはない。
 盛大な婚礼を挙げ、シャノンはエセルバートの妃となった。
 
 新婚生活と呼ばれるものが始まったけれど、寝室は当然ながら別にしてもらっている。
 妃は恥ずかしがり屋で、まだ心の準備が出来ていないらしいのだ……とあの似非王子笑顔で言われた時には少しばかり拳に力が籠った。
 いや、似非もなにも、本当の王子ではあるのだけれども……。似非貴公子というか、いや悪魔というか。
 笑顔が胡散臭いと感じた自分の勘は、間違ってはいなかったのだとシャノンは溜息をつく。
 あの衝撃の求婚は、王宮内では世紀のロマンスとして語られ始めているという。
 頭痛しかしない事態に頭を押さえながらも、気分を変えるべくシャノンは与えられた部屋を見回してみる。

 シャノンの新しい、そして仮初の住まいとなったのは、蒼玉宮と呼ばれる場所だ。
 王城は国王の住居であり政治の場所である主宮こと黎明宮、王の伴侶と認められる王妃と側妃に与えられる『妃二宮』紅玉宮・蒼玉宮。そしてその他の小規模の宮で成り立っている。
 元は翠玉宮という宮もあり『妃三宮』であったらしいが、何かあったらしく今そこは封鎖されているとか。
 側妃様は、本来であれば与えられたこの宮で暮らしている筈だが、陛下は寵愛深き妃と共に暮らしたいと願ったということで、今は黎明宮にいらっしゃる。
 現在、蒼玉宮の主はエセルバートである。
 王太子であるベネディクトが藍玉宮を与えられている事に対して、弟王子が格上の宮を許されて居る事に対しても物申したい者達はいるらしい。
 それでも、やはり権勢誇る相手に申せる人間などいないのであるが……。

 蒼玉宮の中でも側妃様がお使いだった部屋、つまりは女主人の部屋をエセルバートは躊躇う事なくシャノンに与えた。
 もう少し控えめな部屋でと抗議しても、自分はそれまで使っていた部屋から動きたくないし、他の部屋では示しが付かないと笑顔で宣う相手に押し切られてしまう。
 おかげで日々分不相応な、と思いながら生活している。調度一つとっても壊したらどうしようと怖々する毎日だ。
 過度な装飾ではなく洗練された美しさを持つ場所に身を置いて、借り物の妃の身分がますます重く感じる。
 エセルバートからは『共犯者』と呼ばれたものの、具体的にどうしろという指示はない。好きなように暮らしていいとだけ。
 彼としては、キャロラインからシャノンを切り離せただけでも満足なのだろう。
 それまでシャノンが携わってきたような仕事は全部使用人達のもの。
 朝から晩まで忙しなく動き回っていた身としては、する事が無さ過ぎる気がして落ち着かない。
 仕方ないので、持て余す時間を貴婦人の嗜みとされるものに全集中させてみる。
 如何に好きにしろと言われても性格的にエセルバートの評判を落すような真似は出来ない。どうせならと努力して見たくなる。
 手始めに、寄せられるお祝いの言葉や贈り物に対する返礼を認める。字が美しいと称えられ、内容を盛りすぎたかと心配したものの、機知にとんだ内容と受け取った方は褒めそやしているとか。
 刺繍をすればその腕前をたたえられ、仕上がったハンカチなどを侍女に贈れば感激される。
 菓子を作れば食べた皆が絶賛してくれる。エセルバートも相好を崩して食べてくれていたが、甘い物もいけるらしい。
 それまではキャロラインを淑女として輝かせるための尽力は、自分の為にしてみると意外なほどの反響があった。
 褒められ慣れていないので落ち着かず面映ゆいが、概ね『妃殿下』に対するお世辞だろうという事で納得する。

 ある日宮殿内を歩いてきたシャノンは、ふと室内庭園にて足を止める。
 設けられた噴水と水路が涼やかな音を運ぶ中、手入れされた花々は今を盛りと咲き誇る。
 蒼の色硝子を使って彩られた大きな飾り窓から差し込む日の光を浴びて、その場の全てが幻想的な空間を醸し出していた。
 シャノンは暫し佇み、言葉なくそれに見入っていた。侍女達は少し離れた場所に控え、シャノンの物思いを見守っている。
 暫し穏やかな静寂にあったシャノンだったが、不意に背後から何者かの腕が回され、戒められる。
 何者か、などではない。
 侍女達の悲鳴は上がらない。つまり、これは不埒な侵入者でも暴漢でもない。
 この蒼玉宮で、王子の妃であるシャノンにこのような真似を堂々と働けるのは唯一人だ――。

「で、殿下っ……!」
「……随分と無防備だったな?」

 シャノンを背後から抱き締めているのは、この宮の主であり国王の第二王子であるエセルバートその人だった。
 背後をとられるとは、と武人のような後悔をしてみるものの既に時は遅く。
 少しばかりもがいても、エセルバートの腕はシャノンをとらえたままだ。
 離れた場所から、侍従のヒューが「また始まった」と言わんばかりの何とも言えない表情でこちらを見ている。

「お戯れはお止め下さいと……!」
「夫が愛しい妻を抱き締めただけだろう?」

 そう、エセルバートはシャノンの夫である。確かにこれは微笑ましい夫婦の戯れに見えるかもしれない。
 しかし、それは本当に夫婦であれば、の話だ。
 シャノンはあくまでエセルバートの『共犯者』である。立てた誓いは仮初のもので、本当に夫婦になったわけではない。
 それなのに、この人は事あるごとにこうなのだ。
 何かと言うと、本当の伴侶を愛するようにシャノンに接してくる。
 自然に抱き寄せるし、甘やかすし、甘えるし。構わないでいると拗ねてみせる。
 契約においてそれらをしてはいけない、と明記していないからというのが相手の言い分。
 確かに、しないと決めたのは口付けと夫婦の営みについて。少しばかりシャノンはそれについて後悔している。
 仮面夫婦などと囁かれてはたまらない、仲睦まじい様子を演じる必要があるのは分かる。
 何処に人の目があるかわからぬ以上、気は抜けないと言う事なのだろうけれど、こうも毎度距離が近くては心臓がもたない。
 首筋に感じる吐息が、熱く感じてたまらない。
 それに。

「……仲がよろしいのは結構でございますが、人の目がありますところでは程々にお願いいたします」

(ほら、やっぱりきた……)

 何時の間にかそこに居て、少しばかり嫌味にも聞こえる冷静な声音で告げたのは、この蒼玉宮の侍女長グレンダだった。
 影の支配者とも囁かれるこの女性は、蒼玉宮の采配を一手に担っている。
 宮を規律正しく保つ為、気高き宮としての威厳を保つ為、日々人々に恐れられながら目を光らせているという。
 そして、貴族の家では女主人が握っている予算管理の権限や、使用人の采配についての権限。何と、ここ蒼玉宮で握っているのは、この侍女長らしい。
 これだけの規模の宮である。
 かつて女主人であった側妃様は妃としての社交ばかりではなく、国王陛下の補佐もされている。
 相当に忙しいだろう事を考えれば、宮の采配に割く余裕は少ないのは想像がつく。それを補佐する人間が別にいても不思議ではない。
 そして、エセルバートが先日まで妃を持たず、女主人が不在の状態だったならそのまま権限を保持していた事も頷ける。
 ただ、最終的な認可の権限すら握っているとは驚きである。
 エセルバートが最後の印こそ押すが、その段階では実質的にもう『決定』の状態で上奏されてくるのだという。
 彼も余程の瑕疵がない限り却下はしない。
 実はエセルバートも微妙にグレンダを苦手としているらしい。

『母上が嫁ぐ時に実家から連れてきた、お目付け役の侍女だった』

 この宮で暮らす事になってすぐの事だった。
 侍女長と名乗った女性が、何かやたらに慇懃無礼というか、どうにも高圧的な女性だなと思っていたら溜息と共にエセルバートが呟いた。
 グレンダは、エセルバートの母上である側妃様の実家である公爵家に縁の女性であるらしい。
 側妃様とは幼少時からの付き合いであり、側妃様も実家の手前相応の役目を与えない訳にはいかなかったらしい。
 それ故に、この女性は宮の権限を一手に握る役職についた。そして……。

『……煙たがって、この宮を離れる時に置いていきやがった』

 側妃様は、現在国王陛下と共に暮らしている。
 その為、成人したエセルバートがこの宮を受け継いだ……煙たい古株と共に。

 ああ、なるほど。
 邪険にする事はできないものの、側妃様も理由をつけて側から遠ざけたがっておられたと。
 昔は側妃様のお目付け役だったのが、今はエセルバートのお目付け役ということか。
 侍女長について語るエセルバートは心底煩わしいと思っているのを隠そうともしていない。
 それについてはシャノンも実は密かに同意する。
 どうにも好きになれない種類の人だ、というのが先に立つ。ここで暮らしていく以上はうまく折り合いをつけて付き合っていかなければいけないだろうが。
 そんな内心を見透かしたようにエセルバートは笑みを噛み殺しながら首を緩く傾ける。

『あれを何とかしたいというならしてもいい。……ただし、それ相応の理由は必要になるが』

 特に正面切って敵対したいわけではない。無駄に敵を作りたいとも思わないし、事を荒立てたいわけでもない。
 多少の煙たいと思っても、波風立てずにやっていきたいと思っている。
 とんでもない、というような非難を軽くこめてエセルバートを見ると、更に楽しそうに笑ってみせたものだ……。

 尚も小言を言い募るグレンダを制して、人目が無ければいいのだろう、とエセルバートはシャノンの手を取りその場を後にする。
 エスコートするその様子が、優雅で、そしてあまりに優しくて。少しだけ恨めしく思いながらシャノンは見つめる。
 その眼差しに気付いたエセルバートは、どうしたと言いたげな眼差しを向けてくる。
 シャノンは、一つ息を吐くと渋々口を開いた。

「……勘違いさせるような真似は、しないで頂ければと」
「しても構わんぞ? 勘違い」
「殿下!」

 瞳に悪戯な光を宿して楽しそうに告げるエセルバートに、シャノンの咎めるような声が重なる。
 それを聞いたエセルバートの瞳に、一瞬だけ寂しげな翳りが過る。
 シャノンが疑問を抱きかけた瞬間、不貞腐れたようなエセルバートの声が耳に降りてくる。

「……エセルだ」

 一瞬、何のことか分からずきょとんとした表情になってしまうシャノン。
 そんな彼女に、エセルバートはまるで面白くないと拗ねているような雰囲気で更に続けた。

「……何時まで夫を『殿下』なんて他人行儀な呼び方で呼ぶつもりだ」
「……気安くお呼びして良い方ではありませんから……」

 これは仮初の関係だ。
 いずれ終わりが来る。名前を呼ぶ事など恐れ多い立ち位置にシャノンは戻るのだ。
 だから、勘違いしてはいけない。慣れては、いけない。これはけじめであり、戒めだ。
 頑ななまでの様子を見て、エセルバートの表情に僅かに苛立ちが滲む。
 何か言いかけたのを飲み込み、低い声で続く言葉を絞り出す。

「……エセルと呼べ。これは命令だ」
「……わかりました。……エセル様」

 命令ならば、とシャノンは恭しく応え、頭を垂れる。
 それを聞いたエセルバートが、どんな顔をしていたのか、シャノンには見えない。
 言うだけ言うと、エセルバートは無言のままシャノンを連れて夫婦の居間へと歩んでいく。
 導かれるままのシャノンにも言葉はない。
 ただ、傲岸不遜に命じた人の横顔が、酷く傷ついているように見えたのは。
 多分気のせいだ、とシャノンは思った……。
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