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31. 秘密の花園
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「レオナルド殿下を見送りがてら、少し風に当たってきます」
そう言って、私は殿下と玄関を出た。
秋の気配がすっかり辺りを包んでいる。空を見上げると、綺麗なトパーズ色の満月が澄んだ夜空にぽっかりと浮かんでいた。
執事のスチュワートに手渡されたショールを肩に、明るい月明かりのもと馬車寄せに向かう。だがレオナルド殿下の「少し話がしたい」という言葉に、私は小さく頷いてそのまま庭へと足を向けた。
決して高価なネックレスに釣られた訳ではないが、殿下の本気を見せつけられたのは確かだ。アレは、将来を誓い合った婚約中であればまだしも、婚約前の女性に贈っていい代物ではない。もし断られたら、ドブに捨てるようなものだからだ。
「今夜は月が綺麗ですわね」
誠意ある求婚に、いつまでも返事をしないのは失礼にあたる。それは十分承知しているが、どう切り出せばいいのか悩んだ。
「あの、今日は本当にありがとうございました……来て下さって、その、嬉しかったです」
公爵家の娘としては、諾の返事しかない。
「……困っているね」
レオナルド殿下は小さく笑って、私の手を取った。ギュッと握り込まれて、その温もりが伝わってくる。
「夜会の夜にも言ったけど、けっして無理強いをしたい訳ではないんだ」
「……はい」
「ただ、答えだけは聞きたくて」
「……結婚のですか?」
今更……と思いながら聞き返す。ここまで周到に外堀を埋めたくせに、今さら私の返事を気にするなんて。
レオナルド殿下は「それもあるけど」と苦笑して、私をそっと抱きしめた。
「今この時ばかりは、王太子とか、王族に嫁ぐとか、そういう難しいことは考えないで欲しい。ただ、知りたいんだ。君の本当の気持ちを。アメリアは、私のことをどう思っている……?」
「……」
とても真摯な、それでいて恐れを含んだ声だった。
前にも彼の執務室で、「私のことが嫌いか」と聞かれたことを思い出す。あの時もそうだったけれど。
私の気持ちを気にして、いつもは自信に溢れたレオナルド殿下の目が不安そうに揺れているのが分かってしまった。
昔から、人を揶揄うことはあっても、本当に嫌がることをする人ではないと知っていたのに。
幼い頃はこの頼りになる3歳上の兄に手を引かれ、王宮内を冒険した。王宮の厨房に立ち寄るのは日常茶飯事で、こっそり失敬したパンや焼き菓子を持ってよく物見の塔に登った。眼下に広がる広大な城下町を見下ろしては、そこに住む人々の生活を面白おかしく想像したものだ。自分達のご先祖様が築いてきた綺麗な街並みは、長時間見ていても決して飽きなかった。
その塔の下にある古びた地下牢を肝試しで探索した時には、その薄気味悪さに最後は2人して先を競うように逃げた。
一番のお気に入りは、王宮の離宮近くに設けられた秘密の花園に忍び込むことだった。その奥に隠されるようにひっそりとある、私のお祖母様のお墓に季節のお花を届けに行くのだ。殿下の右手には、私が道すがら摘んだ綺麗な花が。そして左手は、私の小さな手の定位置。
雨の日には図書室に篭って、殿下の大好きな勇者やら騎士やらの冒険談が書かれた本を一緒に広げるのも楽しかった。皆で助け合って、架空のモンスターを退治しに行く御伽噺だ。
まだ男女の違いを理解出来ない幼い頃は良かった。だがレオナルド殿下に課せられた帝王学と剣術の授業が本格化し始めた頃から、徐々に会う機会は減っていった。自分も一緒に授業を受けると願い出ても、女には必要のないことだからと却下された。
年齢差もあり、日に日に目に見えて広がっていく体格の差。いずれ国王になる殿下には、無力な女の自分では価値がないと思い知らされた。2人で夢中になって読んだ騎士団の話みたいに、大切な兄の背中を守れない。ならば、女の私でも出来ることをーー
レオナルド殿下の逞しい胸を押し戻し、その温かい腕の中から抜け出す。2人の間に隙間が出来たことに、寂しさを覚えたのは殿下だったのかーーそれとも私だったのか。
我が公爵邸の庭も、王宮の庭に負けず劣らず色々な花が植えられている。庭の景観のため、時期をずらして春に蒔いた矢車菊の可憐な花が、冬を前に健気に咲いていた。
それを一輪手折って、そっとレオナルド殿下の耳に掛け挿した。
花を抱いた、美しい人。
「アメリア?」
不思議そうに首を傾げながらも、殿下は私になされるがままだった。
「ふふ、お花が一杯ですわね。昔と変わらず、可愛らしいですわ」
「……可愛いのはアメリアだよ。ねえ、私は君を愛しているよ。昔から」
殿下の腕が、再び私の腰に回ってくる。グッと引き寄せられて、恥ずかしさに俯きがちになる顎を指で優しく持ち上げられた。
「昔から……」
「うん」
「昔から……私の一番はずっとレオお兄様でしたわ。公爵家の跡取りになれば、女の私でも、直接お兄様の治世をお助けできると……」
ポロリと一粒、私の目から涙が零れ落ちる。悲しいわけではない。悲しくはないけれど……
今まで必死になって目指してきた、『女公爵』の地位を諦めなければいけない悔しさか。
レオナルド殿下はそれを優しく指で拭い取って、申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに笑った。
「アメリアの頑張りは、私が一番よく分かっているよ」
「ずっと、大好きなお兄様が困らないように、陰ながらお助けしたいと……」
「うん、これからもよろしくね。どうかこれからは、私の妃として、私の一番側で私を支えて欲しい」
「……………はい」
とても小さな返事。
レオナルド殿下は花のように笑って、婚約者になった私に恋人の口づけをした。
そう言って、私は殿下と玄関を出た。
秋の気配がすっかり辺りを包んでいる。空を見上げると、綺麗なトパーズ色の満月が澄んだ夜空にぽっかりと浮かんでいた。
執事のスチュワートに手渡されたショールを肩に、明るい月明かりのもと馬車寄せに向かう。だがレオナルド殿下の「少し話がしたい」という言葉に、私は小さく頷いてそのまま庭へと足を向けた。
決して高価なネックレスに釣られた訳ではないが、殿下の本気を見せつけられたのは確かだ。アレは、将来を誓い合った婚約中であればまだしも、婚約前の女性に贈っていい代物ではない。もし断られたら、ドブに捨てるようなものだからだ。
「今夜は月が綺麗ですわね」
誠意ある求婚に、いつまでも返事をしないのは失礼にあたる。それは十分承知しているが、どう切り出せばいいのか悩んだ。
「あの、今日は本当にありがとうございました……来て下さって、その、嬉しかったです」
公爵家の娘としては、諾の返事しかない。
「……困っているね」
レオナルド殿下は小さく笑って、私の手を取った。ギュッと握り込まれて、その温もりが伝わってくる。
「夜会の夜にも言ったけど、けっして無理強いをしたい訳ではないんだ」
「……はい」
「ただ、答えだけは聞きたくて」
「……結婚のですか?」
今更……と思いながら聞き返す。ここまで周到に外堀を埋めたくせに、今さら私の返事を気にするなんて。
レオナルド殿下は「それもあるけど」と苦笑して、私をそっと抱きしめた。
「今この時ばかりは、王太子とか、王族に嫁ぐとか、そういう難しいことは考えないで欲しい。ただ、知りたいんだ。君の本当の気持ちを。アメリアは、私のことをどう思っている……?」
「……」
とても真摯な、それでいて恐れを含んだ声だった。
前にも彼の執務室で、「私のことが嫌いか」と聞かれたことを思い出す。あの時もそうだったけれど。
私の気持ちを気にして、いつもは自信に溢れたレオナルド殿下の目が不安そうに揺れているのが分かってしまった。
昔から、人を揶揄うことはあっても、本当に嫌がることをする人ではないと知っていたのに。
幼い頃はこの頼りになる3歳上の兄に手を引かれ、王宮内を冒険した。王宮の厨房に立ち寄るのは日常茶飯事で、こっそり失敬したパンや焼き菓子を持ってよく物見の塔に登った。眼下に広がる広大な城下町を見下ろしては、そこに住む人々の生活を面白おかしく想像したものだ。自分達のご先祖様が築いてきた綺麗な街並みは、長時間見ていても決して飽きなかった。
その塔の下にある古びた地下牢を肝試しで探索した時には、その薄気味悪さに最後は2人して先を競うように逃げた。
一番のお気に入りは、王宮の離宮近くに設けられた秘密の花園に忍び込むことだった。その奥に隠されるようにひっそりとある、私のお祖母様のお墓に季節のお花を届けに行くのだ。殿下の右手には、私が道すがら摘んだ綺麗な花が。そして左手は、私の小さな手の定位置。
雨の日には図書室に篭って、殿下の大好きな勇者やら騎士やらの冒険談が書かれた本を一緒に広げるのも楽しかった。皆で助け合って、架空のモンスターを退治しに行く御伽噺だ。
まだ男女の違いを理解出来ない幼い頃は良かった。だがレオナルド殿下に課せられた帝王学と剣術の授業が本格化し始めた頃から、徐々に会う機会は減っていった。自分も一緒に授業を受けると願い出ても、女には必要のないことだからと却下された。
年齢差もあり、日に日に目に見えて広がっていく体格の差。いずれ国王になる殿下には、無力な女の自分では価値がないと思い知らされた。2人で夢中になって読んだ騎士団の話みたいに、大切な兄の背中を守れない。ならば、女の私でも出来ることをーー
レオナルド殿下の逞しい胸を押し戻し、その温かい腕の中から抜け出す。2人の間に隙間が出来たことに、寂しさを覚えたのは殿下だったのかーーそれとも私だったのか。
我が公爵邸の庭も、王宮の庭に負けず劣らず色々な花が植えられている。庭の景観のため、時期をずらして春に蒔いた矢車菊の可憐な花が、冬を前に健気に咲いていた。
それを一輪手折って、そっとレオナルド殿下の耳に掛け挿した。
花を抱いた、美しい人。
「アメリア?」
不思議そうに首を傾げながらも、殿下は私になされるがままだった。
「ふふ、お花が一杯ですわね。昔と変わらず、可愛らしいですわ」
「……可愛いのはアメリアだよ。ねえ、私は君を愛しているよ。昔から」
殿下の腕が、再び私の腰に回ってくる。グッと引き寄せられて、恥ずかしさに俯きがちになる顎を指で優しく持ち上げられた。
「昔から……」
「うん」
「昔から……私の一番はずっとレオお兄様でしたわ。公爵家の跡取りになれば、女の私でも、直接お兄様の治世をお助けできると……」
ポロリと一粒、私の目から涙が零れ落ちる。悲しいわけではない。悲しくはないけれど……
今まで必死になって目指してきた、『女公爵』の地位を諦めなければいけない悔しさか。
レオナルド殿下はそれを優しく指で拭い取って、申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに笑った。
「アメリアの頑張りは、私が一番よく分かっているよ」
「ずっと、大好きなお兄様が困らないように、陰ながらお助けしたいと……」
「うん、これからもよろしくね。どうかこれからは、私の妃として、私の一番側で私を支えて欲しい」
「……………はい」
とても小さな返事。
レオナルド殿下は花のように笑って、婚約者になった私に恋人の口づけをした。
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