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第一章 陰謀が引き裂く禁断の恋

三(改)

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                                    (三)
 聚第二公子・皇潤謀叛――、事件は瞬く間に皇都を駆け巡った。皇帝と、次期皇帝候補・太子の暗殺――例え王族であろうと大罪である。
 そんな皇都から南、ひっそりと立つ屋敷がある。庭は広く、大貴族の屋敷によくある大きな池と、池を眺める為の橋、休息のための四阿がある。
 そんな池の畔で、その人物は立っていた。年は五十後半だろうか、髪は後ろで束ねただけだが着ている袍は、かなりの上質である。
「――皇潤が、失踪したそうだな」
「もう、お耳に入りましたか?」
「皇城を離れていても、気になるものよ。さぞかし、あの方はお笑いであろうな。そなたに全てを託して、逃げ出した愚かな皇帝よと」
「父上」
 聚国四代皇帝・夏蒼劉(か そうりゅう)は、皇帝としては温厚にて気弱な所がある。皇城には、彼が皇位に就く前から一部貴族の対立があった。特に皇都一の大貴族・周(しゅう)家と、皇帝の外戚となった夏(か)家の対立は、その後収束したとは言え、周家は今も皇位継承に何かと絡んで来る。
 何しろ、周家現当主は皇帝・蒼劉の異母兄である。皇帝の長子として生まれ、名門の血を引き、それでも皇帝になれなかったその異母兄は、夏家の人間を良く思っていなかった。
「父上は今回の件、周家が裏で企んでいると?」
そんな皇帝の後ろには、焔鷲がいた。以前の端正な顔は飲んだ毒の影響で醜く崩れたと云われ、黒い巾が目から下を覆っている。
「さぁな。だが、あの方にとっては、都合が良すぎる。余とそなたを殺し、その罪を皇潤に着せる。夏家の血を引く男は、完全に消える」
「ですが、父上」
「焔鷲、余に言うことはない。余は、あの方の言う通り逃げたのだ。争いをただ見ていただけの皇帝、絶えられず逃げたのだ、余は」
「父上」
「だが、もう終わらせばならぬ。この黄大陸が再び戦乱の地に塗れる事になってはならぬ。争いの世は、もう終わらせばならぬのだ」
 焔鷲には、父が何を言おうとしているのか理解る。もし、皇潤が己の欲で、謀反を起こしたのだとしたら、その命を絶たねばならぬと。
 皇都は皇潤捜索の兵が駆け抜け、皇潤を次期皇帝にと担いでいた貴族たちの屋敷も兵が雪崩れ込んだ。
 そして事件の事は、鳳嶺国にも伝わったのである。
「皇潤さまが、謀反……?」
 鳳嶺国王宮、聚皇都へ買い物に出ていた侍女が噂をありのままに白蓮に伝えた。皇潤が太子暗殺を企て、彼は失踪し、関係者は次々と取り調べの兵に捕まったと言う。
「殿下、お逃げくださいませ。兵は、ここにもやって参りましょう。さぁ」
「私は逃げない」
「白蓮殿下!」
「皇潤さまも、私も無実だ。あの方は、謀反などされぬ!」
「ですが……」
「父上を置いてなど……」
あれから異母兄・珠芽は王宮から逃げ出して、何処にいるか理解らなかった。
そんな中、バタバタと数人の足音が近づいてくる。
「鳳嶺国第二公子、劉白蓮殿下とお見受け致す! 聚皇城へ同行されよ!」
「無礼な……!まるで、罪人ではございませんか!?」
 侍女の叫びに、兵は態度は変えなかった。
「理解った」
「殿下!?」
「大丈夫だ。皇帝陛下に直接お願いすれば、皇潤さまが無実だと調べてくれる」
 父、皇帝は優しい方だと皇潤から聞いていた白蓮は、素直に俥に乗った。
 聚皇都・聚陽は大国らしくどの屋敷も見事である。鳳嶺の王宮は取り囲む壁は修繕されぬままに朽ちかけ、金や瑠璃、珊瑚の装飾もない。
 「――ここが皇城」
 高く聳える朱の瓦屋根、黄金の龍を抱く正殿の門、磨き上げられた外回廊。白蓮にはどれも初めて見る聚皇城であった。
だが、案内されたのは玉座がある正殿ではなかった。
「皇帝陛下は、太子・焔鷲殿下に全てを託された。貴方の取り調べは、太子殿下がされる」
 重い扉が開かれ、その中に男はいた。長い黒髪に、金彩の上衣、その後ろ姿は皇潤とそっくりであった。
 「――皇潤……さま?」
 だが、振り向いた顔は皇潤ではなかった。
「よく来た、劉白蓮」
 目から下を黒い巾で覆った男が、ゾッとするほど冷たい視線を向ける。この男こそ、聚太子にして皇潤の兄・焔鷲であった。
                                      ◆
 聚国太子・夏焔鷲――、冷酷な性格で気に入らぬ者は誰であろうと粛正する。それが、白蓮が聞いていた焔鷲についての話だ。
 彼が皇位に就けば恐怖政治が始まる――、それ故に皇潤は謀反を企てのではないかと云う者、皇位を奪う単なる簒奪者と非難する者、どの噂も皇潤が間違いなく行動を起こしたと云うものばかり。
「何か、言いたい事があるそうだな?」
 焔鷲の冷ややかな声に、白蓮は拳をぎゅっと握り顔を上げた。
「恐れながら、太子殿下にお願いがございます。皇潤殿下は、決して謀反など起こされる方ではございません。もう一度、お調べください」
「私は殺されかけたのだぞ?捕らえた者は、皇潤に命令され私の茶に毒を盛ったと吐いた。お陰で、こんな顔になった。皇帝となっても、子は残せぬかも知れぬまで侍医は申した」
「何かの間違いです……、皇潤さまは誰かに罠に掛けられたのです!」
「随分アレに、思い入れいているようだな? 噂は真実か?」
「噂……?」
「皇潤とそなたが、肌を重ねる程の関係だと云う噂だ」
 男女の交わりなどまだ知らぬ白蓮だが、経験はなくとも知っていた。
「皇潤とは、そのような関係ではございませぬ。私は、男子にございます」
「女でなくとも、男の相手は出来る。これまでの王朝の中には、皇帝の相手をした者もいたそうだ」
 焔鷲は、手にして扇で膝を折る白蓮の顔を上向かせた。
「……っ」
「それに、鳳嶺国は、壮国と我が聚を倒そうとしていたと聞いたが?」
「それは……」
「否定せぬのだな」
 そう、鳳嶺国王は知らない。全ては壮国から送り込まれた宦官たちに異母兄・珠芽が操られてやった事だ。国王・劉柊明の躯ではは牢の中では保たぬ。
「どうか……父だけはお許し下さい。父は何も知らないのです」
「良かろう。鳳嶺国と皇潤が無実か否かもう一度調べさせよう。ただし――、唯では動けぬ。そなたは我が妾妃になって貰おうか?」
「――え……?」
 今度こそ、意味が理解らぬ白蓮である。この身は男子、しかも鳳嶺国の公子である。
「褥で脚を開き、私に抱かれるのだ」
「……出来ませぬ。私は鳳嶺の公子にございます……それだけは……」
「ならば仕方あるまい。罪は鳳嶺国王にも償って貰う。皇潤は見つけ次第処刑し、鳳嶺国は消える事になる」
 踵を返し、部屋の外向かう焔鷲に白蓮は叫んでいた。
「待って下さい……!言うとおりにすれば――本当に調べて頂けると……」
 震える白蓮を、焔鷲は冷たく嗤った。
「誰か、この者に湯浴みをさせよ」
「はい、太子殿下」
 白蓮は、入ってきた官女に連れて行かれた。

「太子が……、妃となる者を今宵寝所に召したと……?」
 皇城・睡蓮宮――、一段高い座所で貴人の手が震える。
 複雑に結い上げられた黒髪、金や瑠璃、珊瑚の髪飾り、上質な絹の袍、既に四十後半と言う現皇帝妃・玉泉妃は、まだ充分に美しく、豊満な胸はこぼれ落ちそうである。
「はい、帝妃さま。きゃっ!!」
 玉泉妃が投げつけた扇が、侍女を直撃する。玉泉妃の怒りは、無理はない。彼女は、焔鷲を《男》と見ている。嫁ぐべき時期と、相手を間違えたと後悔するほどに。
 これまでどんな美女が皇城に来ても見向きもせず、玉泉妃でさえ冷たくあしらった焔鷲だけに、玉泉妃は屈辱と嫉妬に震えた。
「何とかせねば……」
 玉泉妃の心の中は、黒い闇に染まっていった。
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