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第一章 亡国の公主

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 聚の皇城――。集う臣下の中、皇帝がゆっくりと玉座に腰を下ろす。
「一体、何の騒ぎだ?これは」
「皇帝陛下に申し上げます。皇后陛下をお迎えになる意志を述べられたと言うのは、誠にございましょうや」
 丞相・汀頌嗄てい しょうかが、拱手して頭を上げる。
「ふん、随分話が飛躍して伝わったものだな。誰が噂を流したか知らんが、妃を迎えたいとは思っているのは、確かだ。丞相」
 皇帝・龍靖は、いつもの楽な胡服ではなく、見事な黄金の龍が縫い取りされた袍に下裳、肩に散らした髪はそのままに金冠を頭上に抱く正装である。
「おお……」
 丞相・汀頌嗄は、歓喜に震えている。
 龍靖が聚三大皇帝に登極したのは、三年前の事である。妃候補に難航したのは現在後宮には先の皇帝の正室、つまり皇太后しかいなかった事だ。
 皇后は後宮の主である共に、生まれた子供は即、次期皇帝と約束される。しかし、皇后となっても、その子供が即位出来ない事もある。皇帝の二番目の皇后となった時だ。それが、前皇后にして今は皇太后の菜杷妃である。後宮に皇后を迎える為には、彼女の承認がいる。現在の後宮の主に。
 龍靖が誰を妃と望んでいるか丞相をはじめ臣下たちは知る由もないが、龍靖はどう切り抜けるか思案のしどころであった。
「――皇帝陛下」
執務室へ向かう外回廊で、すっと膝を折る護衛武官がいた。
「飛影、落慶に行くぞ」
「……」
「あの場所には行くなと言いたそうだな?」
「陛下、本気で李王家の姫を妃とされるおつもりですか?」
「本気だ」
「――男でございます」
ピタッと、龍靖の歩が止まる。
「飛影、俺は銀蓮こそ俺の妃と確信している。丞相は世継を期待しているようだが」
「彼の姫は、男子。李王家の地を引いているだけではございません。天女の血を引いております。それ故、李蘇芳さまは銀蓮さまを隠された」
「もう遅い。俺は、銀蓮を忘れられぬ」

 銀蓮は、落慶の李王家別邸で昊を見上げていた。
「銀蓮――」
「お父様……」
 銀蓮の父・李蘇芳は、銀蓮の龍靖の関係を知った後、銀蓮を後宮に入れると言う龍靖の言葉に反対した。既に王族の籍を離れてはいた蘇芳だが、我が子・銀蓮は男である。辱めを受けた上に、後宮に入れられるのだ。父親として認められないのは当然と言えよう。
「聚の皇帝は、本気だ。そなたを李王家の姫として、後宮に迎えたいと言われた」
「私を……後宮に……」
「銀蓮、ここにいる以上にそなたは危険に晒される事になる。そなたは男。李王家の血が存続するのを良しとはせぬ者が、あの王宮にはいるかも知れぬ。しかも、天女の血も引いている。天帝は、もうお怒りであろう」
「お父様……私は……」
「……愛してしまったのだな?聚の皇帝を」
 銀蓮は、もう父の顔を見れなかった。誰にも見つかってはならぬと言う約束を破り、何度も逢瀬を重ね、遂に貞操を奪われた銀蓮は、龍靖を愛していた。赦されぬと、理解っていた。自分は本当は女性ではない。妃となるのを認める国が何処にあるだろう。
 だが――、
「銀蓮……」
「ぁ……」
 ふわりと、海棠の花弁が宙を舞う。
 再び銀蓮の元を訪れた龍靖は銀蓮を抱き締め、唇を奪う。もう、誰もこの恋を止められない。天上の神さえも。
 天上の血を引く銀蓮、禁断の恋に身を投じようとしている彼を、天上の神は千年前同じように銀蓮を地から消してしまうのであろうか。                   
                  ◆

 皇帝・龍靖が、妃を迎える。この情報は、皇城に忽ち広がった。
「皇帝陛下が自ら探され、見初められたとか」
「何と喜ばしい事よ。お世継ぎも近い事であろう」
 擦れ違う官吏たちに、宦官・慈慧が拱手して頭を下げる。
「残念であったな?」
 意味深に嗤う彼らに、慈慧の表情は変わらない。この報せに焦ったのは、皇太后・菜把妃である。
 現在の後宮は、閑散としていた。五人いた妃は実家の不祥事や、自身の病などによって減り、妃と名の付く者は彼女だけである。
「――異母兄上あにうえが、妃を迎える?」
「笑っている場合ではないぞ、佑殉ゆうじゅん。そなたが皇帝になれぬ」
「母上、余り欲を出されますと怪我をなさいますよ」
「妾に説教かえ?」
「忠告ですよ。貴女が失脚すれば、実子の吾も立場を追われますからね」
 皇弟こうてい・佑殉は、母親と違って温厚な人物として知られる。書や画、詩歌などの芸術を好み、人望もあった。
「次の皇帝は、そなたじゃ。現皇帝の子は生ませぬ」
「以前のようにしていたら切りがありませんよ。母上」
 御簾の奥にいる実母・菜把妃に向かい、佑殉は嗤う。彼は全てを知っていた。これまで母が何をしてきたのか。だが、止める事はしない。
「――もう御用は、お済みにございますか? 皇弟殿下」
 菜把妃の元を辞した佑殉は、慈慧と鉢合わせになった。
「慈慧、そなた相当悪い男だな?」
「吾わたしは唯の宦官にございます。殿下」
「そなたの動きがなくば、男子禁制の後宮に吾も入れぬ。あの抜け道、よく出来ている。安心しろ、誰にも言わぬ。これから先、面白くなくなるからね」
「吾は、殿下を甘く見ていた様子。悪いのは吾や皇太后さまではなく、案外貴方かも知れませぬ」
 慈慧の言葉に、佑殉は酷薄に嗤ったのであった。
「――大鑑さま」
「何か、理解ったのか」
 龍靖の監視をさせていた小者が、すっと茂みに現れる。
「はい。陛下が妃と望まれましたのは、李王家の姫でございました」
「子を残す事が、先帝陛下に禁じられていたのでは」
「問題は、彼の姫が天女の血を引いている事」
 慈慧の中で、新たな策略が生まれる。 
「その姫、使えるな」
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