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一番ヒヤリとした授業。
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朝6時半。
♪ドミソっ、ドミソっ ♪ドミソっ、ドミソっ
あぁーもう朝か。はい、起きます起きますって。もーうるさいな。
私はゴソゴソと頭上を探り、スマホをわしずかむと、すぐさまマナーモードに切り替えて音を消した。ルームメイトさんを起こさないために、いつも目覚ましはできるだけ瞬殺で消すようにしてる。壁とリビングと、もう一枚壁を隔てているからといって、こんな耳をつんざくような鈴の音、聞こえている可能性大だ。ほんまはもうちょっと寝てたいけど、仕事やからなぁ…。さっさと起きますか。
私はむくりと起き上がると、半分閉じた目でドアを探り、シャワーへ直行した。朝は眠くて仕方ないので、いつもシャワーで目を覚ますようにしている。パーマを当てた私の髪は、朝はいつも激しく荒ぶっているが、シャワーで全体を濡らしてドライヤーで乾かしさえすれば、すぐにきれいにまとまってくれる。私はクイッとシャワーカーテンを引いて、なるべく水の音がしないよう気を付けながら、慎重にタップを上げた。シャワーの音も結構響くからな、ルームメイトさん起こさんようにしないと。
もうトロントに来て4カ月くらいになる。今私は、カナダ国内でもかなり大手の語学学校で、日々さまざまな国から集まる生徒さんたちを相手に英語を教えている。純日本人の私がどうしてこうなったか?うーん。巡り合わせというか何というか…まあかいつまんで言えば、はじまりは父と母が結婚したころ…(そこまで遡るんかい!)
父はいわゆる超日本的な家庭の人だったけど、母方の家族は、まだ昭和の…何年やろ。知らんわ。とにかく、日本で『カナダ』っていうと『え?神奈川?』『いやカナダです。』『だから神奈川でしょ?』なんてやり取りをしなければならないほど知られていない頃から海外赴任で何年か住んでいたり、エクアドルに駐在したりなんかして色々と海外と接点を持つことが多い家庭だった。両親の別居で母方の祖父母と暮らすようになった私は、そんな家庭で育ったわけだから、小さい頃から海外へいくのが夢だった。それに加えて、私が小学生のころいつもディ○ニー・チャンネルを見ていて、キム・○ッシブルやフィニア○とファー○なんかを夢中になって見ていたので、当時はプロムやらチアリーディングやらにめちゃくちゃ憧れを持っていた。そういった影響で、おそらく一般的なあの時代の小学生よりかは英語に触れる機会が多かったと思うけど、フツーの公立小学校、中学校に通っていた私はその時分は全然英語なんて話せたもんじゃなかった。高校も、日本の私立女子高に行ったから、受験勉強ばかりで実際に使える英語の勉強なんてなーんにもしておらず。本気で英語を勉強し始めたのは、大学に入ってからだ。留学を目標に、それまでに英語ペラペラになっておこう!と毎夜英語のドラマやらアニメやらを見て勉強し、気づけば話せるようになっていた。そうして大学3年で掴んだ夢のイギリス留学。ここでしかーし!あの、世界を騒がした風が大流行する。こやつのせいで私の留学プログラムはあえなくキャンセルに。絶望した私は数週間のふて寝の末、他の留学方法を探り始めた。そうして見つけたのが、TESOLという、英語教師の国際資格を取るコースだ。もともと教職には興味があったし、カナダというずっと行きたかった国にある学校だし、よし行こう!と決意し大学卒業後、そのコースへ入学した。想像していた通りのハードな内容と己の不甲斐なさに打ちのめされる日々、そして自己嫌悪でふて寝するいくつもの週末を乗り越え、やっとやってきたコース最終週。お偉いさんの先生に呼ばれ、『ここで働いてみないか』とオファーを受けた。よっしゃ働きます!と、自信がほとほとなかったが返事をし、二か月後に働きだした。ざっとこれが概要だ。
実はカナダで、英語ネイティブでない人が英語教師になるのは決して珍しいことではない。私の学校でも、ロシア人、中国人、ブラジル人、イラン人、トルコ人、インド人…など、さまざま国籍の先生たちが英語を教えている。寧ろ、きちんとした英語教員の資格を持っているのに、ただネイティブでないというだけで雇わないのは差別的と考えられている。Racist(人種差別主義者)だと糾弾されかねない。昔はやはりネイティブじゃないと…みたいな風潮があったらしいが、今は変わった。いやはや、よい時代に生まれたわ。
カナダの企業ではどこも、はじめの3か月はprobationと呼ばれていて、その間に何かしでかすと企業は即刻クビに出来るという制度がある。このProbationが終われば無事正社員になれるというわけだ。で、私もめでたく2週間前にprobationを終え、無事に正社員になることができた。プラス、やっとこさ自分のクラスももらえて正直すごい嬉しい。今までは代理の先生として、メインの先生が病欠や急用でこれないときに代わりに授業するという役割だったが、これがまた大変で。授業がはじまる15分前なんかに急に『今日はこの教室でこのレベル教えてね!』とか言われるわけで。それで15分後にはじめて生徒とご対面。メインの先生がどんな教え方してるかは事前に教えてもらう時間がないこともしばしばだったし、とにか~くストレスフルな3か月だった!まあそんな期間ともお別れで、私は今Cクラスという、いわゆる中の下くらいのレベルのクラスを担当している。生徒はたったの6人。ほとんどの生徒さんが21~27くらいで年が近いせいか、話しやすいしみんなとってもいい人。一人40代のブラジル人の生徒さんがいるけど、その人もすっごくあったかい人で、娘の名前を腕にタトゥーで彫っちゃうような優しいお父さん。あとすごいムキムキ。あとはフランス人が2人、日本人が1人、それとコロンビアとメキシコの人が一人ずつ。
私はシャワーから出て髪を乾かしはじめた。もちろん、風量は小。やっぱこういう事もルームメイトがいると気ぃ遣うよね。
私のルームメイトさんは美容師で、ご自分の美容室も持っている。たぶん年齢的にはうちの両親と同じくらい。フライデー・チャイナタウンとか松田聖子とかよく聞いてるから。とっーても親日のカントニーズで、このマンションの空いている部屋を私に貸してくれている状態だ(ダウンタウンのど真ん中とは思えない値段で!)。私も最初は知らないおじさんとルームシェアなんて大丈夫かジブン⁈と我ながら正気を疑ったけれども、なーんの問題もなくやっている。そもそも生活パターンが全然違う(こっちは9時5時に近いスケジュール、あっちは12時22時くらい)からそんなに顔を合わせもしない。たまにご飯の時間がかぶると夕食を分けてくれるし(しかもめっちゃ料理上手い!彼の前で料理したくなくなる…笑)、距離感のちょうどいい、最適なルームメイトさんって感じだ。
私は乾いた髪を適当に手ぐしでほぐすと、眉毛だけ描いて眼鏡を装着し身支度を終えた。こっちの人って、仕事場でぜんっぜんおしゃれしない。メイクもしない。してる人はたま~にいるけど、アイライナーだけとか。この前は先輩の先生でパジャマみたいな上下同色のスウェットで、すっぴんで来てる人いてさすがにびっくりした。そんなんだから、寧ろきっちりおしゃれしてメイクして仕事に行く方が浮いてしまうわけで。カナディアン感を演出するためにも、ムダ毛処理しない・メイクしない・眼鏡着用の三種の神器(?)で今日も出勤しますよ~。日本では「外出するならきちっとメイクしないと女じゃない!」みたいなプレッシャーを何となく感じてたから、このゆる~い空気がとっても楽ですワ。
朝7時半。いつも笑顔で挨拶してくれるフロントのおじさんに今日も挨拶。てっぺんが薄くなったブロンド、ブルーアイズの優しそうな人。この前立ってるところたまたま見たけど、190cmくらいあるんじゃないかってくらい背が高かった。カナディアンかな?多様性の街・トロントでは、世界中から来た人がひしめき合ってるもんだから、ここで生まれ育ちましたっていう人を見つけるほうが難しかったりする。英語がめちゃくちゃうまくても、違う国で生まれ育ちましたって人はたくさんいるし、反対に英語にかなりアクセント(訛り)があるけど両親が違う国から来ただけで自分はカナダ生まれカナダ育ちって人もいるから、見た目だけで生粋のカナディアンかどうか判断するのはほぼ不可能だ。だから人の出自をきくのは結構気を遣う。アジア系の見た目だからって、『どこの国で生まれたの?』なんてきいたら、『ここじゃボケェ!何なん?カナダには白人しかおらんと思っとんのかコラァッ!』って怒らせてしまうこともある。一番無難なのは、『Where are you from?』ときいて、『I'm from ○○(どっかカナダ以外の国)』って答えられるとへぇ~そうかそうかと反応し、『What? I'm from HERE.(は?ここやねんけど。)』ってちょっとムッとさせちゃった場合は、『No, I mean, where in Canada.(いや、ちゃうくて、カナダのどこかって意味。)』と言ってさも最初っからあなたのことを生粋のカナディアンだと想定してました感を出すことだ。
地下鉄の最寄り駅まで徒歩5分。ほんま、最高の立地の家やわ。毎日ありがてぇと思いながら歩く、家から駅までの薄汚れた歩道。いくら天気の良い気持ちいい日でも、朝の清々しい空気を吸いこもうと深呼吸なんてしない方がいい。そんなことをしたが最後、肺は街の隅々から漂ってくる尿とマリファナ(こっちでは合法。まじでゲロみたいなにおいする)の汚臭で満たされる。朝から吐きそうな気分になるのは御免なので、私は浅く呼吸をしながら吸い殻と鳩の糞まみれの通勤路を歩いていく。しばらくすると、地下鉄へ降りる階段が見えてきた。その手前にはいつも、まだ20代後半くらいのホームレスのお兄さんが座っている。手にした段ボールの板には、『I'm not a bad person. I'm just hungry.(俺は悪い人間なんじゃなくて、ただお腹が空いているんだ。)』と書いてあって、すごく痛々しい。何かしたいと思うけれども、いつもカードで支払いするから小銭持ってないし、持ってたとしても外でお金を見せて誰かにターゲットにされたりしても嫌だ。まして私自身生活費をできるだけ抑えるために昼はゆで卵1個とバナナ1本とかでしのいでるからな…。ごめんなさい。いつも見て見ぬふりで。でもこの人、冬になったらどうしはるんやろ…。
罪悪感を感じながら、お兄さんの横を通り過ぎ、地下鉄の階段を下りる。微かに尿のにおいがする生温かい風が頬を撫でていく。トロントの地下鉄では、時刻表というものを見たことがない。アプリとかダウンロードすると見れるって聞いたことがあるようなないような気がするが、どうぜ時刻表があっても時間通りにこーへんし一緒やろ、と思って気にしていない。だいたい7時53分くらいに来る電車に乗って、職場まで20分、スマホで本を読むのが日課だ。こっちは車社会だからか、こんな時間でも地下鉄はすきすきで、余裕で座ることができる。私は、横に三列並んだ席の端、いつもの席に腰掛けてkindleを開いた。今読んでるのはC.S.Pacatというオーストラリアの作家さんのBL小説。言ってなかったけど、私は大のBLファンだ。今まで恋愛モノは苦手だったけど、BLなら読める!むしろ読みたい!こ○なの自粛期間中に、中村春菊というBL漫画家の作品にはまってからというもの、私はずぶずぶとその沼に引き込まれ、今では海外のBL作家さんの小説まで読むようになった。いいよいいよ~ボーイズたち!もっとやれ~どんどんやれ~。少年よ男子を抱け!(クラーク博士ごめんなさい。)
8時10分。職場に到着。私の生徒さんはほとんどがギリギリか遅れてくる。いつも時間より早く来るのは娘のタトゥーが入ったあのブラジル人の生徒さんだけだ。教室についてみると、やはり彼だけがぽつりと一人で座っていた。
英語教師にとにかく必要なのは高めのテンションだ。教師はある意味エンターテイナーでもあるため、授業中にゲームやジョークを交えて生徒たちを楽しませなければならない。それを自然に行うためには、どうしても高めのテンションが必要になってくるのだ。小学校とかで英語の授業だけくるJTEやALTの先生たちがいつもテンション高めなのはそのせいだ。高すぎるテンションはうざいだけだが、低すぎても授業中寝られてしまう。私はうざくない程度(当社比)に高揚した声で彼に声をかけた。
「Morning, Adriano! (アドリアーノ、おはよう!)」
「Good morning, teacher.(先生おはよう。)」
未だに私は『teacher』と呼ばれると内心照れてしまう。あ、私ほんまにteacherなんや、きゃはっ☆みたいな気分になる。
ともあれ、今日は天気がいいね、とか、今日の文法はちょっと難しいかもね~なんて話をしながら、教室のパソコンを起動しはじめた。この学校ではどのクラスでも、教室ではいつもプロジェクターを使って授業する。使わない先生もいるにはいるが、かなり少数派だ。私は、パワーポイントなんかは作るのがメンドクサイので使わないが、ワードにディスカッションで使う質問や文法の例文を起こして使っている。朝一は生徒さんたちを目覚めさせる目的で、グループディスカッションを行い、その後にリスニングやらリーディングやらの本題に入るのが私の授業スタイルだ。パソコンが立ち上がると、私は今日の分のワードファイルを開け、授業の流れを確認する作業に入った。
8時30分、授業開始時刻。ぞろぞろと3人の生徒さんが教室に入ってきた。日本人のナオト、フランス人のルイとリディアだ。
「Morning, guys. How are you today?(みんなおはよう。今日はどんな気分?)」
「Good morning.(おはよう~。)」
「I'm soooo sleepy, teacher!(せんせーめっちゃ眠いわぁー。)」
「Oh what happened, Louie? Did you go to a party or something?(ルイどしたん?パーティかなんか行ったん?)」
「Yes, yesterday, I went to a party, Umm, the club. Mementos?Do you know, teacher?....(うん、そう。昨日パーティに行ってきたんだ。えっーと、あのクラブだよ。メメントス。先生知ってる?…)」
私は、こんな感じで生徒さんが昨日会ったことを一生懸命私にシェアしようとしてくれるのがとても好きだ。打ち解けてくれているんだなと思うし、苦心しつつも母語以外の言葉で何とか私に分かるように必死に表現しようとしてくれているところに、毎度心打たれる。まあそんな感じで昨日の話をするところからゆる~く授業がスタートした。
9時30分。リーディングの最中で、ガチャリとドアが開き、コロンビア人のサミアが入ってきた。
(げっ…。)
彼女は遅刻魔かつ無断欠席の常習犯で、授業に来てもほぼいつも船をこいでいる。しかし目が覚めているときにクラス全体のディスカッションに参加しては、一人長々と意見を述べて、他の生徒の出番を奪ってしまうという、教師にとっては少々やっかいな生徒さんだ。
(来んくてよかってんで~。眠そうやし、帰ってもええねんで~。)
よく教師は贔屓してはならないという。もちろん生徒に対する個人的な感情を表に出すのはよくないと思うが、教師だって人間。心の中でどう思うかは私の勝手やわ。
ひきつった笑顔で迎える私に、彼女はジェスチャーを交えて早速言い訳をはじめた。
「Teacher, I'm so, so sorry. Yesterday, I was talking with my boyfriend on the phone, and ...(先生ほんまごめんぴよ☆昨日彼ピと電話しててさ~…)」
正直、こんなバレバレの言い訳は聞くだけ無駄だし、何がどなっても遅刻は遅刻なのだ。言い訳をしようがしまいがきっちり減点させてもらいますゥ~。
他の生徒さんたちにとっても彼女の遅刻&言い訳は毎日の恒例行事と化しているせいか、みんな顔も上げず、ただリーディングに集中している。うん、えらいぞみんな。
私は激しく言い訳しているサミアをなだめると、今度は首を伸ばしてナオトの様子を見た。彼はひょろりと細く背が高くて、いつもオーバーサイズの服を着ている。いかにも日本人の大学生といった風貌の男の子だ。大変大人しいが、授業はよく聞いているし課題もきちんとやってくるし、この人見知り(?)を乗り越えてもっと人と話すようになれば、確実に英語が上達すると思う。日本などアジア圏の教育を受けてきた者にとって、授業中に周りを気にせず発言したり、積極的に周囲と交わりに行くのはなかなか勇気のいることだと思う。その壁の厚さが分かる私は、こういう、頑張ってるけど超シャイな生徒さんにはつい老婆心のようなものが湧いてきてしまう。湧いてきたところで別に何か特別扱いするわけでもなんでもないのだが、折に触れて様子を伺い、出来るだけディスカッションなんかで出番を増やすようには気を付けている。彼はスマホを使って分からない単語を調べながら、テキストを一生懸命読み進めていた。目線の角度からして、もう最後のパラグラフにたどり着いているようだ。
「Are you guys pretty much done?(みんなだいたい終わった?)」
「Oh, no, no, no. More time, teacher.(え、まだまだまだ。もうちょい時間ちょーだい。)」
焦る生徒さんたちに私は少し笑いながら、じゃああともう3分、と返事をした。
10時30分。午前中の授業もあと残り40分。教師も生徒も波に乗ってきて、文法という一番集中力を使うトピックを扱うのに適した時間だ(やはり当社比)。今日のトピックはifを使った仮定法だ。さすがにifは生徒さんにもなじみがあったのか、すんなりと理解してくれた。文法の演習の後は、実際にそれをディスカッションの中で使ってみる
アクティビティをする。私はいくつかifを使った仮定的な問いを生徒さんに尋ね、答えてもらい、今度は生徒さん自身に問いを作ってもらってペアで質問し合うというアクティビティを行った。こちらも大変スムースに進み、かなり時間が余ってしまった。
(うーん、まだまあまあ時間あるな。どうしよ…。ちょっと質問ググって使うか。)
そう思った私は、生徒さんが最後の質問に取り掛かっている間に素早くifを含む例文をググり、使えそうな質問を作っていった。
(よし、これでええやろ。)
私が追加で用意した質問は以下の2つ。
・If you were the opposite sex (man-->woman, woman-->man), what would do?(もしあなたが反対の 性別なら、どうしますか?)
・If you had a million dollars, what would you do?(もし100万ドルあったらどうしますか?)
いや、後から考えれば、一つ目は危険な質問だったと思う。いや、でも!昔、『君の○は。』がやってたとき、神○隆之介とその相手の女の子役の声優さんがインタビューで同じ質問受けて、「僕は女性ボーカルの歌を歌ってみたいです。やっぱり男性だと高い声でないので。」「私は背高くなってバスケでゴール決めたいです!」って言ってるのみてんもん!そういう答えが出てくると思って、純粋に、ただただきいただけやねん!
しかし大の大人がそんな作られたような美しい答えを言うはずもなく。ルイが、ニヤニヤしながらリディアを指さして言った。
「Lydia is thinking about something bad...(リディアが悪いこと考えてる…)」
まだ神○隆之介のような答えが返ってくると思っていたナイーブな当時の私は、
「What? What bad thing?(え、何?どんな悪いこと?)」
「No, no, no, no, no, teacher, it's nothing. Shut up, Louie!(や、やややや、何もないってせんせ。ほんま。まじうっさいねんルイ!)」
顔を真っ赤にしたリディアは、ルイを睨みつけた。相変わらずニヤニヤとリディアを見つめるルイと、何となく答えが分かっているようなアドリアーノ、相変わらず無表情で話についていっているのかいないのか分からないナオト、舟をこぐサミア、リディアが何を言ったのか知りたくて好奇心むき出しの私。リディアはついに諦めたように口を開いた。
「I mean, that... that... thing...(いや、その…あれやん、あれ、あれ…)」
彼女は言いながら片手をゆるく握って空で上下させた。一斉に吹き出すルイとアドリアーノ、ナオト。そこではじめて彼女が何を言わんとしたか察した私は彼らと一緒に思わず吹き出したが、授業中に何と不適切な問いかけをしていたんだと冷や汗が垂れた。たまたまボスが通りかかったりしなくてよかったよ…!しかし彼らの追撃は止まらない。
「Teacher, how do you say this in English?(英語でこれのこと何ていうん?)」
(ひぃぃっ!それ今一番きかれたくないと思ってたシツモンっ!)
「Oh, no, please. I... No, I can't tell you that. It's too inappropriate.(え、や、ちょっと…そんなん教えられへんわ。不適切すぎるって。)」
「Oh, teacher, please! It's important!(なぁせんせお願いやって~!こういうこと大事やん!)」
「How is it important?! Come on, guys! Just google it! I don't wanna get fired!(どこが大事やねん!もうみんなほら、ググって!こんなんでクビなるとか嫌やで私!)」
仕方ない、と諦めてくれた生徒さんたちは、今度はググりはじめた。
「Oh, found it. Is it this, teacher?(お、出てきた。せんせこれであってる?)」
アドリアーノがグーグル翻訳の画面を見せてきた。そこには"wank"と出ている。
(くっ、それが来たか!それはイギリス英語で、北米では"jerk off"の方が使われてる…けどそんなん説明したない…いやでもこういう実地の内容こそ教科書では学べへんし教えるべきか?)
しばしの間、頭の中で天使と悪魔(?)の戦いが繰り広げられたが、結局猥談教師のあだ名がついたら嫌だという思いが勝って何も言わなかった。
いや~後にも先にも、こういう意味で冷や冷やして授業はこれしかなかった。あのころの私はナイーブだったなぁ…。
♪ドミソっ、ドミソっ ♪ドミソっ、ドミソっ
あぁーもう朝か。はい、起きます起きますって。もーうるさいな。
私はゴソゴソと頭上を探り、スマホをわしずかむと、すぐさまマナーモードに切り替えて音を消した。ルームメイトさんを起こさないために、いつも目覚ましはできるだけ瞬殺で消すようにしてる。壁とリビングと、もう一枚壁を隔てているからといって、こんな耳をつんざくような鈴の音、聞こえている可能性大だ。ほんまはもうちょっと寝てたいけど、仕事やからなぁ…。さっさと起きますか。
私はむくりと起き上がると、半分閉じた目でドアを探り、シャワーへ直行した。朝は眠くて仕方ないので、いつもシャワーで目を覚ますようにしている。パーマを当てた私の髪は、朝はいつも激しく荒ぶっているが、シャワーで全体を濡らしてドライヤーで乾かしさえすれば、すぐにきれいにまとまってくれる。私はクイッとシャワーカーテンを引いて、なるべく水の音がしないよう気を付けながら、慎重にタップを上げた。シャワーの音も結構響くからな、ルームメイトさん起こさんようにしないと。
もうトロントに来て4カ月くらいになる。今私は、カナダ国内でもかなり大手の語学学校で、日々さまざまな国から集まる生徒さんたちを相手に英語を教えている。純日本人の私がどうしてこうなったか?うーん。巡り合わせというか何というか…まあかいつまんで言えば、はじまりは父と母が結婚したころ…(そこまで遡るんかい!)
父はいわゆる超日本的な家庭の人だったけど、母方の家族は、まだ昭和の…何年やろ。知らんわ。とにかく、日本で『カナダ』っていうと『え?神奈川?』『いやカナダです。』『だから神奈川でしょ?』なんてやり取りをしなければならないほど知られていない頃から海外赴任で何年か住んでいたり、エクアドルに駐在したりなんかして色々と海外と接点を持つことが多い家庭だった。両親の別居で母方の祖父母と暮らすようになった私は、そんな家庭で育ったわけだから、小さい頃から海外へいくのが夢だった。それに加えて、私が小学生のころいつもディ○ニー・チャンネルを見ていて、キム・○ッシブルやフィニア○とファー○なんかを夢中になって見ていたので、当時はプロムやらチアリーディングやらにめちゃくちゃ憧れを持っていた。そういった影響で、おそらく一般的なあの時代の小学生よりかは英語に触れる機会が多かったと思うけど、フツーの公立小学校、中学校に通っていた私はその時分は全然英語なんて話せたもんじゃなかった。高校も、日本の私立女子高に行ったから、受験勉強ばかりで実際に使える英語の勉強なんてなーんにもしておらず。本気で英語を勉強し始めたのは、大学に入ってからだ。留学を目標に、それまでに英語ペラペラになっておこう!と毎夜英語のドラマやらアニメやらを見て勉強し、気づけば話せるようになっていた。そうして大学3年で掴んだ夢のイギリス留学。ここでしかーし!あの、世界を騒がした風が大流行する。こやつのせいで私の留学プログラムはあえなくキャンセルに。絶望した私は数週間のふて寝の末、他の留学方法を探り始めた。そうして見つけたのが、TESOLという、英語教師の国際資格を取るコースだ。もともと教職には興味があったし、カナダというずっと行きたかった国にある学校だし、よし行こう!と決意し大学卒業後、そのコースへ入学した。想像していた通りのハードな内容と己の不甲斐なさに打ちのめされる日々、そして自己嫌悪でふて寝するいくつもの週末を乗り越え、やっとやってきたコース最終週。お偉いさんの先生に呼ばれ、『ここで働いてみないか』とオファーを受けた。よっしゃ働きます!と、自信がほとほとなかったが返事をし、二か月後に働きだした。ざっとこれが概要だ。
実はカナダで、英語ネイティブでない人が英語教師になるのは決して珍しいことではない。私の学校でも、ロシア人、中国人、ブラジル人、イラン人、トルコ人、インド人…など、さまざま国籍の先生たちが英語を教えている。寧ろ、きちんとした英語教員の資格を持っているのに、ただネイティブでないというだけで雇わないのは差別的と考えられている。Racist(人種差別主義者)だと糾弾されかねない。昔はやはりネイティブじゃないと…みたいな風潮があったらしいが、今は変わった。いやはや、よい時代に生まれたわ。
カナダの企業ではどこも、はじめの3か月はprobationと呼ばれていて、その間に何かしでかすと企業は即刻クビに出来るという制度がある。このProbationが終われば無事正社員になれるというわけだ。で、私もめでたく2週間前にprobationを終え、無事に正社員になることができた。プラス、やっとこさ自分のクラスももらえて正直すごい嬉しい。今までは代理の先生として、メインの先生が病欠や急用でこれないときに代わりに授業するという役割だったが、これがまた大変で。授業がはじまる15分前なんかに急に『今日はこの教室でこのレベル教えてね!』とか言われるわけで。それで15分後にはじめて生徒とご対面。メインの先生がどんな教え方してるかは事前に教えてもらう時間がないこともしばしばだったし、とにか~くストレスフルな3か月だった!まあそんな期間ともお別れで、私は今Cクラスという、いわゆる中の下くらいのレベルのクラスを担当している。生徒はたったの6人。ほとんどの生徒さんが21~27くらいで年が近いせいか、話しやすいしみんなとってもいい人。一人40代のブラジル人の生徒さんがいるけど、その人もすっごくあったかい人で、娘の名前を腕にタトゥーで彫っちゃうような優しいお父さん。あとすごいムキムキ。あとはフランス人が2人、日本人が1人、それとコロンビアとメキシコの人が一人ずつ。
私はシャワーから出て髪を乾かしはじめた。もちろん、風量は小。やっぱこういう事もルームメイトがいると気ぃ遣うよね。
私のルームメイトさんは美容師で、ご自分の美容室も持っている。たぶん年齢的にはうちの両親と同じくらい。フライデー・チャイナタウンとか松田聖子とかよく聞いてるから。とっーても親日のカントニーズで、このマンションの空いている部屋を私に貸してくれている状態だ(ダウンタウンのど真ん中とは思えない値段で!)。私も最初は知らないおじさんとルームシェアなんて大丈夫かジブン⁈と我ながら正気を疑ったけれども、なーんの問題もなくやっている。そもそも生活パターンが全然違う(こっちは9時5時に近いスケジュール、あっちは12時22時くらい)からそんなに顔を合わせもしない。たまにご飯の時間がかぶると夕食を分けてくれるし(しかもめっちゃ料理上手い!彼の前で料理したくなくなる…笑)、距離感のちょうどいい、最適なルームメイトさんって感じだ。
私は乾いた髪を適当に手ぐしでほぐすと、眉毛だけ描いて眼鏡を装着し身支度を終えた。こっちの人って、仕事場でぜんっぜんおしゃれしない。メイクもしない。してる人はたま~にいるけど、アイライナーだけとか。この前は先輩の先生でパジャマみたいな上下同色のスウェットで、すっぴんで来てる人いてさすがにびっくりした。そんなんだから、寧ろきっちりおしゃれしてメイクして仕事に行く方が浮いてしまうわけで。カナディアン感を演出するためにも、ムダ毛処理しない・メイクしない・眼鏡着用の三種の神器(?)で今日も出勤しますよ~。日本では「外出するならきちっとメイクしないと女じゃない!」みたいなプレッシャーを何となく感じてたから、このゆる~い空気がとっても楽ですワ。
朝7時半。いつも笑顔で挨拶してくれるフロントのおじさんに今日も挨拶。てっぺんが薄くなったブロンド、ブルーアイズの優しそうな人。この前立ってるところたまたま見たけど、190cmくらいあるんじゃないかってくらい背が高かった。カナディアンかな?多様性の街・トロントでは、世界中から来た人がひしめき合ってるもんだから、ここで生まれ育ちましたっていう人を見つけるほうが難しかったりする。英語がめちゃくちゃうまくても、違う国で生まれ育ちましたって人はたくさんいるし、反対に英語にかなりアクセント(訛り)があるけど両親が違う国から来ただけで自分はカナダ生まれカナダ育ちって人もいるから、見た目だけで生粋のカナディアンかどうか判断するのはほぼ不可能だ。だから人の出自をきくのは結構気を遣う。アジア系の見た目だからって、『どこの国で生まれたの?』なんてきいたら、『ここじゃボケェ!何なん?カナダには白人しかおらんと思っとんのかコラァッ!』って怒らせてしまうこともある。一番無難なのは、『Where are you from?』ときいて、『I'm from ○○(どっかカナダ以外の国)』って答えられるとへぇ~そうかそうかと反応し、『What? I'm from HERE.(は?ここやねんけど。)』ってちょっとムッとさせちゃった場合は、『No, I mean, where in Canada.(いや、ちゃうくて、カナダのどこかって意味。)』と言ってさも最初っからあなたのことを生粋のカナディアンだと想定してました感を出すことだ。
地下鉄の最寄り駅まで徒歩5分。ほんま、最高の立地の家やわ。毎日ありがてぇと思いながら歩く、家から駅までの薄汚れた歩道。いくら天気の良い気持ちいい日でも、朝の清々しい空気を吸いこもうと深呼吸なんてしない方がいい。そんなことをしたが最後、肺は街の隅々から漂ってくる尿とマリファナ(こっちでは合法。まじでゲロみたいなにおいする)の汚臭で満たされる。朝から吐きそうな気分になるのは御免なので、私は浅く呼吸をしながら吸い殻と鳩の糞まみれの通勤路を歩いていく。しばらくすると、地下鉄へ降りる階段が見えてきた。その手前にはいつも、まだ20代後半くらいのホームレスのお兄さんが座っている。手にした段ボールの板には、『I'm not a bad person. I'm just hungry.(俺は悪い人間なんじゃなくて、ただお腹が空いているんだ。)』と書いてあって、すごく痛々しい。何かしたいと思うけれども、いつもカードで支払いするから小銭持ってないし、持ってたとしても外でお金を見せて誰かにターゲットにされたりしても嫌だ。まして私自身生活費をできるだけ抑えるために昼はゆで卵1個とバナナ1本とかでしのいでるからな…。ごめんなさい。いつも見て見ぬふりで。でもこの人、冬になったらどうしはるんやろ…。
罪悪感を感じながら、お兄さんの横を通り過ぎ、地下鉄の階段を下りる。微かに尿のにおいがする生温かい風が頬を撫でていく。トロントの地下鉄では、時刻表というものを見たことがない。アプリとかダウンロードすると見れるって聞いたことがあるようなないような気がするが、どうぜ時刻表があっても時間通りにこーへんし一緒やろ、と思って気にしていない。だいたい7時53分くらいに来る電車に乗って、職場まで20分、スマホで本を読むのが日課だ。こっちは車社会だからか、こんな時間でも地下鉄はすきすきで、余裕で座ることができる。私は、横に三列並んだ席の端、いつもの席に腰掛けてkindleを開いた。今読んでるのはC.S.Pacatというオーストラリアの作家さんのBL小説。言ってなかったけど、私は大のBLファンだ。今まで恋愛モノは苦手だったけど、BLなら読める!むしろ読みたい!こ○なの自粛期間中に、中村春菊というBL漫画家の作品にはまってからというもの、私はずぶずぶとその沼に引き込まれ、今では海外のBL作家さんの小説まで読むようになった。いいよいいよ~ボーイズたち!もっとやれ~どんどんやれ~。少年よ男子を抱け!(クラーク博士ごめんなさい。)
8時10分。職場に到着。私の生徒さんはほとんどがギリギリか遅れてくる。いつも時間より早く来るのは娘のタトゥーが入ったあのブラジル人の生徒さんだけだ。教室についてみると、やはり彼だけがぽつりと一人で座っていた。
英語教師にとにかく必要なのは高めのテンションだ。教師はある意味エンターテイナーでもあるため、授業中にゲームやジョークを交えて生徒たちを楽しませなければならない。それを自然に行うためには、どうしても高めのテンションが必要になってくるのだ。小学校とかで英語の授業だけくるJTEやALTの先生たちがいつもテンション高めなのはそのせいだ。高すぎるテンションはうざいだけだが、低すぎても授業中寝られてしまう。私はうざくない程度(当社比)に高揚した声で彼に声をかけた。
「Morning, Adriano! (アドリアーノ、おはよう!)」
「Good morning, teacher.(先生おはよう。)」
未だに私は『teacher』と呼ばれると内心照れてしまう。あ、私ほんまにteacherなんや、きゃはっ☆みたいな気分になる。
ともあれ、今日は天気がいいね、とか、今日の文法はちょっと難しいかもね~なんて話をしながら、教室のパソコンを起動しはじめた。この学校ではどのクラスでも、教室ではいつもプロジェクターを使って授業する。使わない先生もいるにはいるが、かなり少数派だ。私は、パワーポイントなんかは作るのがメンドクサイので使わないが、ワードにディスカッションで使う質問や文法の例文を起こして使っている。朝一は生徒さんたちを目覚めさせる目的で、グループディスカッションを行い、その後にリスニングやらリーディングやらの本題に入るのが私の授業スタイルだ。パソコンが立ち上がると、私は今日の分のワードファイルを開け、授業の流れを確認する作業に入った。
8時30分、授業開始時刻。ぞろぞろと3人の生徒さんが教室に入ってきた。日本人のナオト、フランス人のルイとリディアだ。
「Morning, guys. How are you today?(みんなおはよう。今日はどんな気分?)」
「Good morning.(おはよう~。)」
「I'm soooo sleepy, teacher!(せんせーめっちゃ眠いわぁー。)」
「Oh what happened, Louie? Did you go to a party or something?(ルイどしたん?パーティかなんか行ったん?)」
「Yes, yesterday, I went to a party, Umm, the club. Mementos?Do you know, teacher?....(うん、そう。昨日パーティに行ってきたんだ。えっーと、あのクラブだよ。メメントス。先生知ってる?…)」
私は、こんな感じで生徒さんが昨日会ったことを一生懸命私にシェアしようとしてくれるのがとても好きだ。打ち解けてくれているんだなと思うし、苦心しつつも母語以外の言葉で何とか私に分かるように必死に表現しようとしてくれているところに、毎度心打たれる。まあそんな感じで昨日の話をするところからゆる~く授業がスタートした。
9時30分。リーディングの最中で、ガチャリとドアが開き、コロンビア人のサミアが入ってきた。
(げっ…。)
彼女は遅刻魔かつ無断欠席の常習犯で、授業に来てもほぼいつも船をこいでいる。しかし目が覚めているときにクラス全体のディスカッションに参加しては、一人長々と意見を述べて、他の生徒の出番を奪ってしまうという、教師にとっては少々やっかいな生徒さんだ。
(来んくてよかってんで~。眠そうやし、帰ってもええねんで~。)
よく教師は贔屓してはならないという。もちろん生徒に対する個人的な感情を表に出すのはよくないと思うが、教師だって人間。心の中でどう思うかは私の勝手やわ。
ひきつった笑顔で迎える私に、彼女はジェスチャーを交えて早速言い訳をはじめた。
「Teacher, I'm so, so sorry. Yesterday, I was talking with my boyfriend on the phone, and ...(先生ほんまごめんぴよ☆昨日彼ピと電話しててさ~…)」
正直、こんなバレバレの言い訳は聞くだけ無駄だし、何がどなっても遅刻は遅刻なのだ。言い訳をしようがしまいがきっちり減点させてもらいますゥ~。
他の生徒さんたちにとっても彼女の遅刻&言い訳は毎日の恒例行事と化しているせいか、みんな顔も上げず、ただリーディングに集中している。うん、えらいぞみんな。
私は激しく言い訳しているサミアをなだめると、今度は首を伸ばしてナオトの様子を見た。彼はひょろりと細く背が高くて、いつもオーバーサイズの服を着ている。いかにも日本人の大学生といった風貌の男の子だ。大変大人しいが、授業はよく聞いているし課題もきちんとやってくるし、この人見知り(?)を乗り越えてもっと人と話すようになれば、確実に英語が上達すると思う。日本などアジア圏の教育を受けてきた者にとって、授業中に周りを気にせず発言したり、積極的に周囲と交わりに行くのはなかなか勇気のいることだと思う。その壁の厚さが分かる私は、こういう、頑張ってるけど超シャイな生徒さんにはつい老婆心のようなものが湧いてきてしまう。湧いてきたところで別に何か特別扱いするわけでもなんでもないのだが、折に触れて様子を伺い、出来るだけディスカッションなんかで出番を増やすようには気を付けている。彼はスマホを使って分からない単語を調べながら、テキストを一生懸命読み進めていた。目線の角度からして、もう最後のパラグラフにたどり着いているようだ。
「Are you guys pretty much done?(みんなだいたい終わった?)」
「Oh, no, no, no. More time, teacher.(え、まだまだまだ。もうちょい時間ちょーだい。)」
焦る生徒さんたちに私は少し笑いながら、じゃああともう3分、と返事をした。
10時30分。午前中の授業もあと残り40分。教師も生徒も波に乗ってきて、文法という一番集中力を使うトピックを扱うのに適した時間だ(やはり当社比)。今日のトピックはifを使った仮定法だ。さすがにifは生徒さんにもなじみがあったのか、すんなりと理解してくれた。文法の演習の後は、実際にそれをディスカッションの中で使ってみる
アクティビティをする。私はいくつかifを使った仮定的な問いを生徒さんに尋ね、答えてもらい、今度は生徒さん自身に問いを作ってもらってペアで質問し合うというアクティビティを行った。こちらも大変スムースに進み、かなり時間が余ってしまった。
(うーん、まだまあまあ時間あるな。どうしよ…。ちょっと質問ググって使うか。)
そう思った私は、生徒さんが最後の質問に取り掛かっている間に素早くifを含む例文をググり、使えそうな質問を作っていった。
(よし、これでええやろ。)
私が追加で用意した質問は以下の2つ。
・If you were the opposite sex (man-->woman, woman-->man), what would do?(もしあなたが反対の 性別なら、どうしますか?)
・If you had a million dollars, what would you do?(もし100万ドルあったらどうしますか?)
いや、後から考えれば、一つ目は危険な質問だったと思う。いや、でも!昔、『君の○は。』がやってたとき、神○隆之介とその相手の女の子役の声優さんがインタビューで同じ質問受けて、「僕は女性ボーカルの歌を歌ってみたいです。やっぱり男性だと高い声でないので。」「私は背高くなってバスケでゴール決めたいです!」って言ってるのみてんもん!そういう答えが出てくると思って、純粋に、ただただきいただけやねん!
しかし大の大人がそんな作られたような美しい答えを言うはずもなく。ルイが、ニヤニヤしながらリディアを指さして言った。
「Lydia is thinking about something bad...(リディアが悪いこと考えてる…)」
まだ神○隆之介のような答えが返ってくると思っていたナイーブな当時の私は、
「What? What bad thing?(え、何?どんな悪いこと?)」
「No, no, no, no, no, teacher, it's nothing. Shut up, Louie!(や、やややや、何もないってせんせ。ほんま。まじうっさいねんルイ!)」
顔を真っ赤にしたリディアは、ルイを睨みつけた。相変わらずニヤニヤとリディアを見つめるルイと、何となく答えが分かっているようなアドリアーノ、相変わらず無表情で話についていっているのかいないのか分からないナオト、舟をこぐサミア、リディアが何を言ったのか知りたくて好奇心むき出しの私。リディアはついに諦めたように口を開いた。
「I mean, that... that... thing...(いや、その…あれやん、あれ、あれ…)」
彼女は言いながら片手をゆるく握って空で上下させた。一斉に吹き出すルイとアドリアーノ、ナオト。そこではじめて彼女が何を言わんとしたか察した私は彼らと一緒に思わず吹き出したが、授業中に何と不適切な問いかけをしていたんだと冷や汗が垂れた。たまたまボスが通りかかったりしなくてよかったよ…!しかし彼らの追撃は止まらない。
「Teacher, how do you say this in English?(英語でこれのこと何ていうん?)」
(ひぃぃっ!それ今一番きかれたくないと思ってたシツモンっ!)
「Oh, no, please. I... No, I can't tell you that. It's too inappropriate.(え、や、ちょっと…そんなん教えられへんわ。不適切すぎるって。)」
「Oh, teacher, please! It's important!(なぁせんせお願いやって~!こういうこと大事やん!)」
「How is it important?! Come on, guys! Just google it! I don't wanna get fired!(どこが大事やねん!もうみんなほら、ググって!こんなんでクビなるとか嫌やで私!)」
仕方ない、と諦めてくれた生徒さんたちは、今度はググりはじめた。
「Oh, found it. Is it this, teacher?(お、出てきた。せんせこれであってる?)」
アドリアーノがグーグル翻訳の画面を見せてきた。そこには"wank"と出ている。
(くっ、それが来たか!それはイギリス英語で、北米では"jerk off"の方が使われてる…けどそんなん説明したない…いやでもこういう実地の内容こそ教科書では学べへんし教えるべきか?)
しばしの間、頭の中で天使と悪魔(?)の戦いが繰り広げられたが、結局猥談教師のあだ名がついたら嫌だという思いが勝って何も言わなかった。
いや~後にも先にも、こういう意味で冷や冷やして授業はこれしかなかった。あのころの私はナイーブだったなぁ…。
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