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第一章 第一節
美しい少年
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「そっち行ったぞー!絶対とれよー!」
「うん!いける!」
澄史は元気よく返事をすると、空高く飛んだ毬を追って駆けだした。毬は中の鈴をリンリンと軽やかに鳴らしながら池の方へと落ちていく。
(あぁ…!)
池に落ちるかも、という不安が一瞬頭をよぎったが、毬を落としてはならないという義務感のほうが勝って、澄史は勢いよく地面に滑り込み、毬を高く蹴り上げた。わぁっという歓声が聞こえてきたのと同時に、彼はそのままドボンと池に滑り落ちた。
「とっ、澄史!大丈夫か?!」
ゲホゲホと咳き込みながら浮き上がってきた澄史を、駆け寄ってきた少年たちが心配そうに見つめる。幸い、浅く小さな池だったので、余裕で足がついた。
「うん、大丈夫…。それより毬は?」
真剣な顔で聞く澄史を、ほかの少年たちは呆れた顔で見つめた。
「お前なぁ、そんなの今どうでも…」
と、遠くから誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーいっ!こっちこっち!」
声のほうを見ると、背の高い少年が毬を何度も蹴り上げて空中に保ったまま、大きく手を振っている。
「緑雨!落とさなかったんだ!ありがとう!」
「緑雨すげーな!」
「よし、続きしよーぜ!澄史、一人で上がれるか?」
「うん、いける。」
「よし、じゃ、先行って待ってるから!和尚に見つかるまえに早く上がれよ!」
少年たちは意気揚々と緑雨のほうへ駆けて行った。澄史はふぅ、と息をつくと、池のふちに手をついて身体を持ち上げた。着物はびしょ濡れなうえ、ぷぅんと独特な水の匂いがする。澄史はその匂いに一瞬顔をしかめたが、少し考えた後、そそくさと着物を脱ぎはじめた。
(どうせこの寺には男しかいないんだし、誰も見てないだろうしいいかな。)
たっぷりと水を含んだ重い着物を細く丸めてぎゅっと絞ると、滝のように勢いよく水が滴り落ちてくる。しばらく一心にこれを繰り返していたが、ふと目の端で何かが動いたような気がして顔を上げた。池の右側、松の木のすぐ後ろに、丸窓のついた書院がある。その窓の桟に、少年がゆったりと腰かけ静かに書物を読んでいた。窓にもたれた姿勢でも分かるすらりとした体躯と、凛々しい眉、細い鼻筋。少し冷たい印象を形づくるそれらを、あたたかな鳶色の瞳と長い睫毛がやわらげている。肩まで伸びた同じ色の髪がそよ風に優しく揺れ、陶器のように滑らかな肌を撫でていた。その様子はあまりに美しく静謐で、見る者にまるでこの世のものではない何かと出会ったかのような、えも言われぬ畏怖を抱かせた。
(空隆だ…!)
空隆は、澄史が修行する桐和宗忠清寺の同年の僧見習いだ。彼は、その能力も生い立ちも、すべてにおいてほかの僧見習いとは全く異なる特別な存在だった。
政と宗教が深く結びつくこの雅真ノ国で、忠清寺は古くから帝の右腕となる宰相を代々輩出している名門中の名門だ。通常は、名高い貴族の次男以下の男児が幼くして入門し、ゆくゆく宰相の座につくことを目指して修行する。要は、家を継ぐことのない年下の子供たちが、一族のためにできるせめてもの孝行として送られてくる先がこの寺なのだ。名家の三男として生まれた澄史も例外ではなく、三つのときにここへ入門した。
一方空隆は、まだ赤子のころに門の前で置き去りにされていた捨て子だった。早朝に灯を消しに来た僧見習いに見つけられ、そのまま寺で引き取られたのだ。名家の子息がひしめき合うなか、捨て子の彼はすでに異質な存在だったが、彼を異なる存在たらしめた最大の理由は、その才能だった。どれほど長い聖典でも、一度目を通しただけで完璧に記憶し、異国の言葉で書かれた難解な書物も驚くほど明瞭に講釈した。儀式で用いられる香の調合など、本来ならより年上の少年僧たちが行うはずの務めも八つという幼さで任され、年の瀬の祭りでは、高僧のみ上がることが許される大舞台で舞を披露する機会さえ与えられた。その舞の優美さに心酔わされ、彼に歌を送った大僧正がいるというのは寺で有名な逸話だ。
これほど華やかな成功を収め、周りから持て囃される空隆だったが、彼自身は非常に寡黙で誰とも馴れ合わず、修行の合間はいつも一人で書を読んでいるような少年だった。彼は既に澄史よりも数段高い位の少年僧だったため、二人がともに修行することは滅多になかったが、時折、澄史は今のように空隆が書を読んでいるところを見かけることがあった。その度、彼のしんとした美しさに思わず目を奪われるとともに、何故かそのまま消えてしまうような儚い弱々しさを感じて澄史は怖くなるのだった。
「おーいっ、澄史ー!何してんだよー、来ないのか…ってお前、裸じゃん!おいみんな!澄史が裸だぞー!!」
澄史がはっと我に返ってしわくちゃな着物で前を隠したのも虚しく、少年たちは澄史があれほど苦労して取った毬をほうりだし、にやにやしながら澄史のほうへ駆けてきた。
「うわっー、ほんとだ、見ろよみんな!澄史すっ裸じゃん!」
「うっ、うるさいな!俺の裸なんて風呂のときにもう見てるだろ!」
「隠すなって澄史~。ちんこ見せろよ~。」
「ちょっ、やめっ、おいちょっ、引っ張んなって!!」
澄史の必死の抵抗も5人の少年の前にあっけなく破れ、彼の着物は難なく取り上げられた。少年たちの不躾な視線と揶揄に、澄史は深々と溜め息をついた。と、ふと先ほどの丸窓が気になってそちらに目を向けると、空隆の姿はすでに跡形もなく消えていた。
(さっき俺がみた空隆って、幻だったりして…。)
そんなわけないか、と澄史は心の中で肩をすくめ、少年たちのほとぼりが冷めるのを諦めて待つことにした。
「うん!いける!」
澄史は元気よく返事をすると、空高く飛んだ毬を追って駆けだした。毬は中の鈴をリンリンと軽やかに鳴らしながら池の方へと落ちていく。
(あぁ…!)
池に落ちるかも、という不安が一瞬頭をよぎったが、毬を落としてはならないという義務感のほうが勝って、澄史は勢いよく地面に滑り込み、毬を高く蹴り上げた。わぁっという歓声が聞こえてきたのと同時に、彼はそのままドボンと池に滑り落ちた。
「とっ、澄史!大丈夫か?!」
ゲホゲホと咳き込みながら浮き上がってきた澄史を、駆け寄ってきた少年たちが心配そうに見つめる。幸い、浅く小さな池だったので、余裕で足がついた。
「うん、大丈夫…。それより毬は?」
真剣な顔で聞く澄史を、ほかの少年たちは呆れた顔で見つめた。
「お前なぁ、そんなの今どうでも…」
と、遠くから誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーいっ!こっちこっち!」
声のほうを見ると、背の高い少年が毬を何度も蹴り上げて空中に保ったまま、大きく手を振っている。
「緑雨!落とさなかったんだ!ありがとう!」
「緑雨すげーな!」
「よし、続きしよーぜ!澄史、一人で上がれるか?」
「うん、いける。」
「よし、じゃ、先行って待ってるから!和尚に見つかるまえに早く上がれよ!」
少年たちは意気揚々と緑雨のほうへ駆けて行った。澄史はふぅ、と息をつくと、池のふちに手をついて身体を持ち上げた。着物はびしょ濡れなうえ、ぷぅんと独特な水の匂いがする。澄史はその匂いに一瞬顔をしかめたが、少し考えた後、そそくさと着物を脱ぎはじめた。
(どうせこの寺には男しかいないんだし、誰も見てないだろうしいいかな。)
たっぷりと水を含んだ重い着物を細く丸めてぎゅっと絞ると、滝のように勢いよく水が滴り落ちてくる。しばらく一心にこれを繰り返していたが、ふと目の端で何かが動いたような気がして顔を上げた。池の右側、松の木のすぐ後ろに、丸窓のついた書院がある。その窓の桟に、少年がゆったりと腰かけ静かに書物を読んでいた。窓にもたれた姿勢でも分かるすらりとした体躯と、凛々しい眉、細い鼻筋。少し冷たい印象を形づくるそれらを、あたたかな鳶色の瞳と長い睫毛がやわらげている。肩まで伸びた同じ色の髪がそよ風に優しく揺れ、陶器のように滑らかな肌を撫でていた。その様子はあまりに美しく静謐で、見る者にまるでこの世のものではない何かと出会ったかのような、えも言われぬ畏怖を抱かせた。
(空隆だ…!)
空隆は、澄史が修行する桐和宗忠清寺の同年の僧見習いだ。彼は、その能力も生い立ちも、すべてにおいてほかの僧見習いとは全く異なる特別な存在だった。
政と宗教が深く結びつくこの雅真ノ国で、忠清寺は古くから帝の右腕となる宰相を代々輩出している名門中の名門だ。通常は、名高い貴族の次男以下の男児が幼くして入門し、ゆくゆく宰相の座につくことを目指して修行する。要は、家を継ぐことのない年下の子供たちが、一族のためにできるせめてもの孝行として送られてくる先がこの寺なのだ。名家の三男として生まれた澄史も例外ではなく、三つのときにここへ入門した。
一方空隆は、まだ赤子のころに門の前で置き去りにされていた捨て子だった。早朝に灯を消しに来た僧見習いに見つけられ、そのまま寺で引き取られたのだ。名家の子息がひしめき合うなか、捨て子の彼はすでに異質な存在だったが、彼を異なる存在たらしめた最大の理由は、その才能だった。どれほど長い聖典でも、一度目を通しただけで完璧に記憶し、異国の言葉で書かれた難解な書物も驚くほど明瞭に講釈した。儀式で用いられる香の調合など、本来ならより年上の少年僧たちが行うはずの務めも八つという幼さで任され、年の瀬の祭りでは、高僧のみ上がることが許される大舞台で舞を披露する機会さえ与えられた。その舞の優美さに心酔わされ、彼に歌を送った大僧正がいるというのは寺で有名な逸話だ。
これほど華やかな成功を収め、周りから持て囃される空隆だったが、彼自身は非常に寡黙で誰とも馴れ合わず、修行の合間はいつも一人で書を読んでいるような少年だった。彼は既に澄史よりも数段高い位の少年僧だったため、二人がともに修行することは滅多になかったが、時折、澄史は今のように空隆が書を読んでいるところを見かけることがあった。その度、彼のしんとした美しさに思わず目を奪われるとともに、何故かそのまま消えてしまうような儚い弱々しさを感じて澄史は怖くなるのだった。
「おーいっ、澄史ー!何してんだよー、来ないのか…ってお前、裸じゃん!おいみんな!澄史が裸だぞー!!」
澄史がはっと我に返ってしわくちゃな着物で前を隠したのも虚しく、少年たちは澄史があれほど苦労して取った毬をほうりだし、にやにやしながら澄史のほうへ駆けてきた。
「うわっー、ほんとだ、見ろよみんな!澄史すっ裸じゃん!」
「うっ、うるさいな!俺の裸なんて風呂のときにもう見てるだろ!」
「隠すなって澄史~。ちんこ見せろよ~。」
「ちょっ、やめっ、おいちょっ、引っ張んなって!!」
澄史の必死の抵抗も5人の少年の前にあっけなく破れ、彼の着物は難なく取り上げられた。少年たちの不躾な視線と揶揄に、澄史は深々と溜め息をついた。と、ふと先ほどの丸窓が気になってそちらに目を向けると、空隆の姿はすでに跡形もなく消えていた。
(さっき俺がみた空隆って、幻だったりして…。)
そんなわけないか、と澄史は心の中で肩をすくめ、少年たちのほとぼりが冷めるのを諦めて待つことにした。
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