刻み人

春光 皓

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刻み人

後編

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 駐車場から車の頭を路上に少し出したところで、広人は助手席へと乗り込む。

 広人がシートベルトを装着するのを確認した後、守はゆっくり車を走らせた。

 二人きりで車に乗った記憶はなく、どこか落ち着かない。

 チラチラと守の方を見ていると、そんな心境すら見越したように、守は前を見たままに話し出した。


「『刻み人』は代々受け継がれていく『職業』なんだ。だから広人が二十歳の誕生日を迎えた時に話すと決めていた。お前も就職について真剣に考え始める時期だと思ってな。お前はもう、何かやりたいことは見つかったのか?」

「いや、まだ何も」と広人は左右に首を振り、「でも」と続けた。


「――まだよくわからないけど、父さんの言葉通りの仕事だとしたら、もっと早いうちから話しておくべきことなんじゃないの?」


 守は一瞬、広人へ視線を送ったが、向き合うことなくすぐに前を向き、堅い表情のまま言った。


「代々受け継ぐとはいったが、決して強制するものじゃない。やりたいことがあるのなら、それを優先してくれても構わない。むやみに選択肢を狭めることをしてはいけない決まりになっているくらいだからな。だからお前の考える時間を鑑みて引き伸ばせるボーダーライン、二十歳まで話さなかった」


 有無を言わせぬ真剣な眼差しは、守の決意の表れのようだった。

 あまりにも現実離れをした話が少しずつ現実味を帯びてくると、広人はそれ以上、言葉を口にすることは出来なかった。


 百聞は一見に如かず。


 ――父さんの言う通り、まずは自分の目で確かめてから話をしよう……


 そう胸の内で呟き、広人は夜の道へと視線を運んだ。



 車に乗ること凡そ一時間三十分。

 広人を乗せた車は、とある大きな一軒家の前で停車した。

 守が車のセンターコンソールに置かれたリモコンを操作すると、敷地内の駐車場へと続く大きな門が開錠され、そのまま中へと入っていく。

 車をパレットの上に止めると、自動で駐車場の扉は閉じ、暗闇の中をパレットは下へ下へと降りていく。

 暫くしてパレットが止まると再び扉が開き、社内に淡い光が差し込んだ。


「降りるぞ」


 守の言葉に広人はハッと我に返り、慌てて助手席を降りた。

 前から一人の男性が会釈をしながら近づいてくる。


「守さん、この子が……」


 男がそう言うと、「息子だ」と守は答えた。

 そして男性は広人に向かって一礼し、「はじめまして。影正かげまさです」と右手を差し出した。

 広人も反射的に会釈をして「広人です」と手を出し、影正と握手をした。


「では、こちらへ」


 挨拶もそこそこに、影正はきびすを返し、スタスタと歩き始めた。

 広人が守のことを確認すると、守は顎を軽く上げ、影正についていくよう促す。


「父さん、ここは一体――」
「すぐにわかるさ」


 薄暗い一本道を影正に続いて真っすぐ進んでいく。

 三人が扉の前に立つと、影正は扉の横にあるタッチパネルを操作し、間もなくして扉が開いた。

 部屋の中は大きな研究室のようで、数え切れない程の大型モニターが設置されている。

 それらのモニターはそれぞれが異なる数字を表示しており、見る限り、それは『時』を刻んでいるようだった。

 モニターの他にも様々な形の時計がデジタル、アナログ問わず置かれており、それぞれのデスクの上には、数多くの異なる大きさの砂時計も置かれている。

 そして何より広人の興味を引いたのは、デスクに向かう人が皆、同じような何かの「破片」を手にしていることだった。


「影正さん、この部屋では皆さん何を……?」


 広人が影正の背中に問いかけると、影正は驚いた表情を見せて立ち止まる。


「聞いていませんか? 時を刻んでいるんです」
「時を――ですか?」


「あれ?」と影正が守を見ると、「直接見せた方が早いと思ってね」と守は言った。


「なるほど、確かにそうかもしれません。大体皆さん、口で言っても信じられないでしょうしね」


 そう言って影正は口元を緩ませた。


「広人さん、ここにいる人は今、世界中のあらゆる生物に時を与えています。といっても抽象的過ぎてわかりにくいですよね……、んー。『時を生む』と言った方が良いでしょうか」


「時を生む……ですか?」


 影正の言っている意味が理解出来ず、どうしても歯切れの悪い返事になってしまう。

 それでも影正は淡々と続けた。


「はい。ここにいる人たちが何を手にしているかわかりますか?」
「何かの破片……でしょうか」

「そうです。あれは『刻片こくへん』といって、刻片に小さな傷をつけることで時を生み出すことが出来ます。逆に言えば、あれを刻むことが出来なければ、時が進むことはありません。『今』の次の時が存在しないわけですからね。時が戻らないのも、傷を消すことが出来ないからなんです」


「はぁ」と広人はため息にも似た返事をする。


「一ミリの傷はコンマ一秒を、一センチの傷は一秒を生み出します。つまり、長い傷を付ければ付ける程、時を生み出すということです。例えば一センチの傷を八万六千四百回付ければ一日に、約三千百五十万回付ければ一年となります。ちなみに今『約』と言ったのは、閏年などもある為です」


 話を聞けば聞く程、広人の思考回路は混乱の一途を辿り、何から聞けば良いのかもわからず、一先ず辺りを見渡した。


 影正の言う通り、それぞれが代わり代わりに、「刻片」に傷を刻んでいる。


「まぁ仕組みを聞かされたところで、実際に見ないとわからないこともあるでしょう。どうぞこちらへ」


 影山は広人を別室へと案内した。

 扉の中にある透明なケースの中に、刻片から伸びたケーブルに繋がれた、一匹のマウスが目を開いたまま固まっていた。


「ここは広人さんのように、初めてこちらに居らした方に我々の仕事を理解いただくために作られた部屋です。その中のマウスは特殊なケーブルで刻片と繋いでいる状態です。そのマウスだけはこの世界で唯一、我々とはを与えられて生きています」

?」

「通常、刻片は何に繋ぐこともせず、ただ傷をつけるだけで『時』を生み出します。しかし、このケーブルで刻片と結ばれた生物は、結ばれた先の刻片からしか『時』を得ることが出来ません。つまり、この刻片に傷をつけない限り、このマウスは永遠に止まったままとなるのです」


 影正の笑みは、広人を硬直させるには十分の力を持っていた。

 広人は影正とマウスの間で視線を何度も行き来する。

 すると影正が「試しに傷をつけてみますか?」と広人にペンのような先の尖ったものを差し出した。

 これで傷をつけろということだと理解し、広人はそれを受け取り、マウスのいるケースの前に立った。


「取り敢えず一センチの傷を三回程度、刻んでください」


 影正に言われるがまま、広人は刻片を手に取り刻んでいく。

 その刹那、目の前のマウスは当たり前のように瞬きをし、ピンクの鼻を小刻みに動かした。


「う……、嘘だろ。こんなことって――」


 広人がそう言うと、マウスの動きは再び止まった。

 今度は目を閉じ、前足を少し上げた状態で固まったのであった。

 影山は軽く息を吐き、「信じられないようでしたら、もう一度どうぞ」と両手をマウスの方に向けて開いた。

 広人は恐る恐る同じ行動を繰り返したが、マウスも先程と同じように動き出し、そして止まった。

 時を生み出すなどという空想が、現実となって広人の脳内に刻まれた。


「どうだ、広人。父さんの言ったことが少しは理解できたか?」
「理解できたかはあれだけど……、嘘じゃないってことはなんとなく……」


「ちなみに」と言って影山はマウスに繋がれている刻片を手に取る。


「この刻片には限りがあります」
「限り? つまり、量が決まっているってことですか?」

「えぇ。この刻片、何に見えます?」
「何と言われても……、木の屑のような――」


 あまりにも適当に答えてしまったので、広人はその他にも案をひねり出そうとしたが、即座に「正解です」と言われ、少しあっけにとられた。


「ロンドンにある我々の本社に生えている巨大な木。その木の『破片』がこの刻片なのです。『世界の時差の基準はロンドン』といわれる所以はここからきています」

「正確には『木の根っこ』だがな」


 そう守は補足した。


「その巨木についての詳細は、我々も言い伝えレベルでしか把握はしておりません。一説にはこの巨木に傷をつけたところから世界は始まったとされていますが、それを確かめる術もありません。ただ一つわかっていることは、この巨木は『時』を与えこそしますが、成長はしないということ。ゆえに、刻片は減る一方となります。さらに、成長しないことがわかった時点で我々の開発チームは巨木の根、その全貌を掘り起こしていますので、世界の終わりがいつになるのか、凡その目途も立っているのが実際のところです。といっても、それはまだまだ先のお話しですが」


 そう言って手に持った刻片を置くと、影正は守に視線で合図を送った。


「広人、お前はどう思う?」
「どう思うって言われても……」


 衝撃の連続でまともな思考が働かず、言葉に詰まる。

 広人が唇を噛みながら、守と影正を交互に見ていると、守が口を開いた。


「この仕事が強制ではない理由はな、強制的だと感じた瞬間から正しい判断が出来なくなるからだ。『時』には限りがあり、世界には終わりがある。これは不変の真理といえよう。その中で、一人一人が与えられる『時』、積み重ねられる量は違う。つまり『時』はこの世で一番尊く、最も重たいものなんだ。だからこそ、我々『刻み人』は『時』を与え、『時』を守らなければならない。正しく『時』を刻む責任を負わなければならないんだ」


 守の言葉には、今日一番の感情が乗せられていた。

 その感情に圧倒されながらも、広人はゆっくりと口を開く。


「その責任を負うには、正しい判断が必要になるから……と。でもそれが重荷になって継手がいなくなったら、世界は終わってしまうんじゃないの?」


「それもまた運命……。『時』を悪用されるより、よっぽど平和な最期でしょう」


 影正が口を挟んだ。


「人間は欲望で出来ています。強い欲望は稀に、大きな知恵を授けることがある。以前、『死にたくないから刻片を俺に繋げ』と迫った、とある国の重役もいましたから」


 影正は憐れんだ表情をしていたが、それだけ『時』には価値があるということを、広人は改めて知った。


 そして最後に、守は広人の肩に手を置くと、優しく語り掛けるように言った。



「大学を卒業するまであと二年。限りある『今』を刻みながらじっくり考えてほしい。世界中の人々が、新しい未来を手にするために」




 広人はその場で目を閉じると、時が刻まれる音を心で聞いた――。
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