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12.困惑
しおりを挟む「どうしよう」
あれから3日。約束の日になっても妙案が浮かばず、カレンは真っ青になりながら、頭を抱えていた。
あの日、執務室に戻り、次回からの打ち合わせについてトラヴィスに相談すると二つ返事で了承された。
気安い関係のようだったし、よく考えれば当然のことだったかもしれない。
それから、場所についての手紙を出して、今日までの間は前回持ち帰りの課題となっていた件の検討を行っていたが、全くと言っていいほど解決策が浮かばなかった。
アリシア達にも経緯を話し、何とか通行証とそれ以外で2種類のカードを読み込む方法は思いついたものの、1回きりの訪問者に果たして何を読み込みしてもらうか、結局答えがでないまま今日を迎えてしまったのだ。
約束の時間まではあと1時間と少し。たとえ今思いついたとしても、説明資料を作る準備もない。今回の打ち合わせはあまり実りのあるものにならないかもしれないと思うと、幾日も水をもらっていない花のようにしおしおと塞いでしまう。
カレンの気持ちとは裏腹に時計の針の歩みは軽く、あっという間に約束の時間になった。
予定通りの時刻に到着したダレルをしっかり笑って出迎える。今日執務室に在室するのはトラヴィス、アリシア、ブレットの量産化組の3人だ。
彼らと簡単に挨拶をするダレルを横で見守り、一通り話し終わったのを確認してから打ち合わせスペースへ案内する。
一日のほとんどを過ごしているこの部屋に、彼の姿があるのはどこかくすぐったいような気がした。
「今、ブレット君がお茶を持ってきてくれますので」
「あぁ、すまない」
6人で使うことを想定している、ロの字型の会議スペースは2人で向かい合って話すには話づらい。
角の席を使うことにして、斜めに座ると、前回よりも座った距離が近づき、少し後悔した。
前回までの経緯をおさらいして、今考えられている、カードを2種類読み込み可能とする案までを簡単に説明する。
きりっとした眼差しでこちらをまっすぐに見つめられると、声が裏返ってしまうのではないかと不安に思った。
実際にはカレンの表情や声に不安は一切でておらず、ダレルは淡々とした説明に肝が据わっているなと感心していたのであったが、彼女はその事実にはつゆほどにも気が付いていなかった。
「というわけで、今のところお医者様の来庁記録に何を読み込みさせるか、良い案が思いついていないのです」
申し訳ございません、と正直に白状して頭を下げる。
「そこまで大難に捉えなくても良いだろう」
それともさらに不安でも?と、彼が困ったように笑う。
カレンは責められないことで、さらに自分の力不足を実感するようで、逃げ帰りたくなった。きっとアリシアやヒューゴだったらうまくやっていただろう。否定の言葉を返しながらも、陰鬱とした気分が晴れなかった。
「こちらも良い案があるわけではないので、その件は一度置いておくとして、1点相談したいのだがいいだろうか」
「もちろんです」
「読み込み用カードを発行しないというのはどうだろう?」
「‥はい?」
思わず間の抜けた返事をしてしまった。
今提供を考えている機械は、初めに通行証を読み込み、入室記録器用に暗号化した来訪者名が書かれたカードを発行。カードに書かれた暗号と最初に読み込んだ通行証に記載された情報を紐づけて機械で管理し、次回からの訪問時にはカードの読み込みだけで、誰が訪れたのか記録できるようにする、といったものだ。
カードの発行を行わないという意見は、その仕組みを根本から否定するものである。
真意を測りかねる発言に、続きの言葉を待ちながら彼を窺いみると、「今日はその顔ばかりだな」とそっと笑われた。
「先日の交歓会のような場では、予め訪問予定のものを登録しておく必要があったが、うちでは必要ないと話しただろう?初めに通行証を使って、登録するならば、最初から通行証を記録用のカードにしてはどうだろうかと思ってな」
付け加えられた説明はまさに目から鱗といった内容だった。
確かに訪問記録に必要な情報は通行証に記載されているし、文字が手書きではなく、判で印字された通行証の内容は読み取りも容易だ。だから、初めの登録用に使用しようと考えたのである。誰が何の用件で、いつ訪れたのかを記録するためだけであれば、通行証さえあれば、新たにこの機械用にカードを発行する必要もない。考えれば考える程、なぜ思いつかなかったのか不思議なくらいだった。
もらった意見に着想を得て、水が湧き出るように改善案が浮かんでくる。
あれこれと話をしながら、機能を練り上げていくと、先までの凋落が嘘のように気持ちが上を向いていった。
結局、読み取り部品には、通行証を読み取るための機能と、受付係が用件を登録するためのいくつかの釦を用意し、それらを操作してもらうことで、本体部分となる機械に訪問記録を蓄積できるようにすることとなった。
取り込む機能の案をまとめるカレンは、表情にこそ大きな変化はないが、瞳をキラキラと輝かせていた。
あとは、通行証を持っていない人が訪問したときに何を読み込ませるか、さえ決まればどうとでもなる。
結局初めの問題が残ってしまうが、今日はこれで時間切れだった。
「次はそちらにお伺いしてもよろしいでしょうか?受付係の方に直接業務の流れをお伺いできればと‥」
「構わない。係の者の予定も確認するので、日時は追って連絡しても良いだろうか」
「はい、問題ありません」
簡単に次の約束をして、話をまとめる。
先月までのことを思うと、目の前に彼がいてこうして普通に言葉を交わしているのは、やはり不思議な気持ちだった。
「このあとは昼食か?良ければ一緒にどうだろうか」
「はい?」
思わず言葉尻があがったのも仕方ないだろう。
いそいそと資料を片付け、ダレルを見送る準備をしていたところに予想外のお誘いを受け、危うく資料を取り落としそうになった。
「といっても、ここの食堂になるがな。都合が悪くなければどうだ?」
はにかむような表情で告げられ、断れるはずもない。
反射的に小さくうなずき、「これだけ席に置かせてください」と資料を掲げてみせる。
続きの執務室に連れ立って戻り、カレンが窓辺の自席に資料を置く間、部屋の入口でそれを待つダレルを、ブレットが不思議そうに見ている。
「お昼に行ってきます」
唯一在室していたブレットに声をかけ、待っていたダレルと共に食堂へと向かう。
カレンの背中では、残されたブレットが驚いたような、慌てたような表情を浮かべていた。
◇◇◇
突然のランチは滞りなくおわった。
仕事の付き合いがある相手に誘われて、理由なく断るのも不自然だし、断ったとしても昼食は食堂にきていたはずだから、一緒になってしまっただろう。断るすべもなかった。
しかし「次」の約束までしてしまったのは想定外だった。
碧の塔の食堂は、いくつかのメニューから選びカウンターで注文すると、その場で料理を受け取ることができる。提供スピードの速さが売りで、弁当箱に詰めてもらうことも出来るため、忙しい職員たちにも重宝されていた。
8人掛けの大きな机が何台も並ぶ広間で、お昼時だというのに空席が目立つのは研究者ばかりの碧の塔ならではだろう。多くの職員は弁当にしてもらい、自身の執務室で食事をとっている。
カウンターに並んでお気に入りのチキンプレートを受け取ると、隣の彼も同じものを受け取っていた。
まばらに埋まった机のひとつを選んで座ると、雑然とした食堂にキラキラとした彼の姿が、なんともミスマッチでこっそりと顔をほころばせた。
向かい合わせに座り、手を合わせてから、フォークに手を伸ばす。
スパイスの聞いたチキンソテーと薄く味のついたサラダのバランスが絶妙でお気に入りの一品だ。
先に盛られたサラダへと手を伸ばし、軽くを胃を満たした後、切り分けられたチキンをさらに一口大に切ってからフォークで運ぶ。口の中でパリッと鶏皮が崩れたのと同時にカレンの無表情もまた少し綻んだ。
「よほど好きなんだな。同じものを食べているはずなのに、とても美味しそうに見える」
すっかりリラックスして、気ままな閑談をしながら食事をとっていたところ、その延長とばかりに告げられた言葉に思わず身を固くする。
こくりと飲み込んでから、小さくうなずくと、目の前の彼がふわりと幸せそうに笑った。
その暖かな相好に目を奪われたのも束の間、「美味い鶏料理の店があるんだ」と勧められ、気が付いたときには5日後の休みに一緒に出かけることになっていた。
「どうしよう」
食事を終えて、薬草園へと向かうダレルを見送った後
カレンは今朝とは違う意味で小さく呟いて頭を抱えた。
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