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6.邂逅
しおりを挟む「やぁ、エルンスト」
「エルヴィンじゃないか。それにダレルも。息災で何よりだ」
エルンスト、と彼に先立つ男性に声をかけられたのは、室長だ。
突然現れた意中の相手に、カレンはすっかりパニックに陥っていた。幸いなことに感情の出にくい顔には、それを感じ取らせるようなものは浮かばない。
目をしばたかせてから、口の端を少し上げて微笑みを作ると、トラヴィスや他の面々と並んで室長たちの会話を見守った。
「さて、そろそろそちらの美しい女性を紹介してくれてもいいんじゃないか?」
久しぶりの再会を喜び合っている彼らは、どうやらカレン以外とは顔見知りの様子であった。
突如水を向けられ、小さく息をのむ。
「カレンちゃんね。カレン・クレイバーグ嬢。鬼姫の後任で入室記録器の開発から参加している」
鬼姫とは前任者のジーンのことだろうか。緊張のせいか会ったこともない彼女の呼び名に話題をそらしたくなる。
紹介を受けて室長の斜め後ろに立てば、そこは昼寝の彼の真正面だった。
「こちらは、エルヴィン・フォン・ヴォラク伯爵。僕のいとこで隣の彼はダレル・アッシャー。彼の副官さ」
ダレル・アッシャー様
伯爵に向かって、膝を曲げて頭を下げながら、心の中では聞いたばかりの彼の名前を復唱する。
遠くから眺めているだけだった幸運の象徴は、存外近い関係にあった。
室長の従兄弟だというヴォラク卿は、室長と似た色を持っていた。こげ茶のスリーピースが若苗のような髪に合わさって、木の幹の色にみえる。
不自然にならぬよう、今度は正面の彼へ向き直り挨拶をすると、いつも遠くに揺れていた銀の髪が目に入った。
ブラックスーツをまとった彼の袖口には、あの煌めくカフスが付けられている。
身長差は10数センチと言ったところだろうか。見上げるようにして彼の姿を映せば、遠目ではわからなかった容姿がはっきりと見えてくる。切れ長の大きな瞼は少しつり上がった形をしており、瞳は髪と同じ白銀だ。
ふとカレンは、自身がまるで彼の色に合わせたような装いをしていることに気が付き、体温が上がるのを感じた。
「あの模様が変わる仕掛けは素晴らしいね。初めの判を押す仕組みからは大進歩じゃないか」
「デリエ卿のおかげさ。卿から賜ったご意見を取り込んで今の形に変えたんだ。まあおかげで新しい部下からは鼻つまみにされそうだが」
「ははっこんな美人に怒ってもらえるなんて本望じゃないか」
危ういやり取りをする室長とヴォラク卿に、彼の前でなんてことを、と憤りの気持ちが溢れる。
もうカレンの室長に対する好感度はマイナスに近づいていた。
これ以上、彼の前で変なことを言われませんように、と祈るような気持ちで成り行きを見守っていると、室長と伯爵を残した他の面々が距離をとるようにして、歩き出した。トラヴィスたちに続いて、カレンも輪を離れれば、見慣れた面々にダレルが加わった、別の意味で心配になる集まりになってしまった。
「エルヴィン様は相変わらずだな」
「エルンスト様もな」
気安い言葉でトラヴィスに話しかけられたダレルは、ニヤリと笑いながら、言葉を返す。
窓から眺めていたときのように、見つめてしまいそうなところをアリシアに小突かれ我に返った。
「ねぇ、もしかして」
「そのもしかして、よ」
「本当に?では彼が窓から見えていたっていうの?」
「だからそうだって言っているじゃない。こんなことになるなんて、私‥‥」
男性陣が中心となり会話が進むそばを、少し離れてアリシアと小さく呟きあう。
「大丈夫よ、今のあなたはとっても美しいわ。自信をもって」
「そうじゃない。そうじゃないのよ、アリシア。私は遠くから眺めているだけでよかったの。知り合いになってしまうなんて」
「知り合ってしまったからにはしょうがないじゃない。それにアッシャーさんなら、遅かれ早かれこうなったわ。こうなったらお近づきになるのよ。」
「嫌よ。話してみて嫌な性格だったら、どうしてくれるの?私の癒しの時間が」
「その時はそのときよ。こうなってしまったんだから、覚悟を決めなさいっ」
今まで我慢していた動揺が一気に噴出し、縋るような声音で彼女にまくしたてると、普段見せない姿のカレンにひどく楽しそうな彼女は声を弾ませる。
「大体別に私はあの見た目を眺めているのが好きなだけで、異性として好ましいかなんて」
「そういう割りには耳まで真っ赤よ」
あれこれと言い訳を並べては近づこうとしないカレンに、背後に回ったアリシアが、とんと両手で背中をおす。
「知る限りは素敵な方よ」と小さく呟かれた声に、不承不承足を進めた。
◇◇◇
「しかしあの狸じじいも役に立つことがあるんだな」
「ほとんどクレームみたいなものだったがな。エルンストの導火線に火をつけたらしい。おかげでこっちは3週間休みなしだ」
「まったくあの家の連中は」
正直なところ、あのまま少し離れたところから、眺めていたかった。
2階の窓から庭にいる人間が見えるくらいだ。元来カレンは視力が良い。少し距離を取ったところで、普段より近くで眺めることはできたし、離れていれば本人に気が付かれないか心配する必要もない。
会話の輪に戻ると、話はやはり入室記録器のことだった。
狸じじいというのはデリエ卿のことだろう。精悍な見た目通りの少し荒い砕けた言葉遣いに肩の力が抜ける。トラヴィスとダレルが視線を向けた先では室長達が楽し気に会話していた。
あの室長とよく似た従兄弟殿は中身も似ているようだ。トラヴィスとは振り回されている者同士なのだろう。お互いの労をいたわり合う姿は長年の盟友のようにもみえた。
その後もしばらく世間話は続いた。時折カレンも会話に加わったが、ただでさえ、輝いて見えた男性が盛装をしているのである。加えて、一生関わることのないと思っていた彼が目の前にいるという事実に眩暈を覚え、半分宙に浮いたような気持ちだった。
結局会話の内容はほとんど覚えていないカレンだったが、「またどこかで」と短く挨拶して去っていった彼の、上品な香りだけが脳にこびりついていた。
彼が去っていったあとは、同僚たちと連れ立って、機巧開発部に挨拶したり、論理回路技師の職業訓練校に出資しているという貴族の方に期待のお言葉をかけていただいたり、と商家で働いていたころには考えられないくらい、濃密な時間を過ごした。
「ぜひお話を」と声をかけてくる貴族たちに、室長やヒューゴが、簡単な仕様や実用化の案を説明している後ろで、ニコニコと笑っているのがカレンの本日の仕事である。時々視界の端を通る銀に意識を奪われぬよう、必死に目の前の会話へと意識を向けて過ごした。
入室記録器は、行く先々でお褒めの言葉をいただき、お披露目としては大成功だった。
宵のうちも過ぎた頃、皆に労いの言葉をかけて回ってくださった、第二王子殿下の結びの言葉によって交歓会は幕を閉じる。
整えてもらった仕立て屋まで、乗ってきた馬車で送られ、ドレスを脱がされた後も、まだ魔法が解けていないようなふらふらとした足取りで帰路についた。
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