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2.予感
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要件書きを読み進めていくと、あまりにも現実離れした発明案が記載されており、狐につままれたような気持ちになった。
本当にこんなものが作れるのかしら、と疑うような気持ちになりながら、次の束に手を伸ばせば、そちらはもう仕様の決まった設計書であった。
1時間ほど経った頃であろうか。要件書き・設計書を読み終わったカレンは、すっかりこの機械の開発が楽しみになっていた。
「こんなものを作りあげることができたら、どんなに楽しいだろう。ここにもう試験報告書があるということは出来上がっているのよね」とワクワクした気持ちになり、思わず口角が上がる。逸る気持ちも抑えられずに、次の束に手を伸ばそうとしたところ、いつの間にか隣に立っていたトラヴィスから制止の声がかかった。
「少し説明させてくれ」
はい、と短く返事をして視線を向ければ、「あっちだ」と扉を指さされる。入ってきた扉とは別の扉が不在の室長の席の後ろにあった。
スタスタと足を動かす彼の背を慌てて追いかけ、続きの間に入室すると、ロの字に机が並んだ会議スペースになっていた。
「来てもらって早々、こんなで悪いな」
そう言いながら、また眉尻を下げる彼の表情に、アリシアが彼を褒めそやす気持ちが少しわかったような気がした。
いかにもな強面のお兄さんが、困ったような笑顔を浮かべているのだ。何を言われても「はい」と応じてしまいそうな危うさがある。本音をぐっとこらえて「とんでもないです」と言いながら口の端を引っ張り上げれば、トラヴィスも小さく息を吐いた。
前置きもそこそこに、彼が壁面の黒に大きな図を書くと、現在部署を上げてとりかかっている「入室記録器」についての説明が始まった。
その名の通り、誰が入室したかを記録するための機械として発明された入室記録器は非常に大掛かりなものだった。
予め決められた記号の書かれた紙を機械の読み取り部にかざすと、機器の内部にはめ込まれた紙に読み取った内容を書き写してくれるという代物だ。
紙の読み取り・書き込み部分は、同じく碧の塔にある「機巧開発部」が担当しており、詳しい説明は割愛された。
「論理回路応用室」では読み取った記号から、「誰が」操作したのかを判別して、書き込み用の部品に情報を渡す部分の開発を担当しているらしい。
読み取り用の紙に書かれた記号は、一見すると何を示すものなのか読み取れないが、ある一定の法則で計算をしていくと、氏名になるという暗号のようなものであった。
現在は、一通りの発明が終わり、実証試験中であるとのことなのだが、ここからが問題だった。
まずひとつ。試験がうまくいっていない。
4日前から始めたという実証試験は、ここ碧の塔の受付で試験協力を了承してくれた来庁者に、受付係が記入した読み取り用の紙を配布し、塔内の各所に設置した機械で任意に読み取りをしてもらう、というものであったが、日に数回、異常を知らせる赤ランプが灯り、読み取った記号と書き込まれた結果を見比べては、回路を修正する日々を送っているらしい。
次にひとつ。お披露目が2か月後「王城」であるというのだ。
2か月後といえば、新緑の季節である。青葉の繁る季節を称え、王城で交歓会が行われるが、緑を祝う春の会には、名にちなんで「碧の塔」の職員が招待されている。その手土産として「入室記録器」を持ち込む算段なのだそうだ。
「二月後に王城でお披露目」という大きな使命を負っていながら、日に何度も警告を上げる我が子のお守りに走り回る日々を送っている、というのが彼の説明だった。
「まずは、資料と回路に目を通して、仕様の理解に勤しんで欲しい」と締めくくったトラヴィスは、やっぱり眉尻を下げて困ったような笑みを浮かべていた。
執務室に戻ると、扉のすぐ前にアリシアが待ち構えている。ニッコリと人好きのする笑顔の彼女が指さす先には、壁にかかった赤く灯るランプがあった。
◇◇◇
「回収いってきまーす」
努めて明るい声で、宣言をしたアリシアは、カレンの手を取ると、トコトコと歩き出す。
「トラヴィスさんから一通り聞いたわよね?」
「えぇ。『困ったちゃん』のお守りをしているって」
「そうなの。これから行く先は中でも一番手のかかる、北の末っ子ちゃんよ。」
おどけた喋り口の彼女がいうには、単純に「論理回路応用室」から一番遠い、4階の北廊下に設置した機械なので、北の末子だそう。
入口からほど近く喧騒に包まれた「論理回路応用室」とは、まさに正反対の、静かで日の当たらない北の端には「魔道研究所」があるそうだ。
道すがら、「あの扉から中庭に出られる」「この先は食堂があるから後で行きましょう」「あっちの薬草園は面倒な人が多いから近寄らない方がいい」などと、案内しながら、カレンを引っ張るアリシアはどこか楽しげであった。
「こちらが、かの噂に聞く『入室記録器』でございますわ」
10分ほど歩いただろうか。芝居がかった口調の彼女が指し示す先には、腰の高さほどの台に置かれた縦長の木箱があった。
金属で縁取られた木箱の上部には、四角い枠で囲われたくぼみがあり、そこが読み取り部となっているようだった。
箱の横には「ご協力ありがとうございます。赤のランプが灯ったら、↓の箱に試験紙を捨て置きください」と書かれた紙が貼られており、矢印の先の箱には、手のひらサイズほどのカードが1枚入っていた。
アリシアが慣れた手つきで木箱の背面の錠前に鍵を差し込み、箱を開くと、論理回路が設置されているであろう板の下に、1枚の紙が敷かれていた。
敷かれた紙を取り出し、代わりの紙を差し込むと、元通りに木箱を閉める。ついでに入力元となったであろうカードを箱から拾い上げると、2枚まとめてカレンに手渡した。
「さーあ、帰ってこれの解析よ」
いつだって明るく笑う彼女に、表情が乏しいと言われがちなカレンも、本日何度目かわからない笑みを浮かべた。
回収してきた紙と、設計図・論理回路を見比べてみると、原因は受付係の悪筆のせいであった。
途中、食堂での昼食をはさみつつ、塔内5か所に設置された機械の異常を知らせるランプが光らせると、アリシアやブレットに案内されながら、紙の回収へ向かう。
収拾してきた紙を何度か解析したが、悪筆が原因の誤読が6件、読み取り向き誤りが2件、その他が3件というなんとも言えない結果であった。
今日はいつもより、多く点灯したようで、受付係は誰なんだと犯人探しに室内が湧いていた。
夕日も薄く、空の紺が濃くなってきた頃。窓の遠くから、終業を告げる鐘が響く。
「初日からこんなでごめんなさいね。明日からは9時に直接ここへきて頂戴」
鐘の音を聞くや否や、いそいそと帰り支度を始めるヒューゴを横目に見つつ、声をかけてくれたアリシアに頷く。
今日一日付きっ切りで面倒を見てくれた彼女に改めて深く頭を下げれば、「これからたっくさん働いてもらうんだものっ」と、すっかり今日一日でおなじみとなった笑みを浮かべてくれた。
「お先に失礼します。」
小さく声をかけて、退室を告げると、既に帰り支度を終えていたヒューゴが、扉を押さえて待ってくれていた。
どうやら、共に退室するようだ。小さくお礼をして、連れ立って玄関へ歩き出す。今日一日他の3人と話す場面は多くあったが、彼とはあまり話さなかった。どうしたものか、と逡巡していると、ヒューゴのほうが口を開いた。
「嫌になってない?」
「むしろ忙しいのは心地良いです」
「変わってるね」
世間話というにはぎこちない会話はすぐに途絶える。
当たり障りのない雑談が少し苦しくなってきた頃、馬車乗り場のある塔の玄関へとたどりついた。今のカレンにとっては、砂漠のオアシスのようだった。
「じゃあここで。辛くなったら、アリシアにでも言いなね」
やっぱりアリシア頼みの彼は、表情も変えずに告げると、待っていた馬車へ乗り込み、去っていく。
慌ただしく過ぎ去った転職初日。
夕日に煌めく碧の壁を見上げると、明日からの期待に胸を弾ませた。
本当にこんなものが作れるのかしら、と疑うような気持ちになりながら、次の束に手を伸ばせば、そちらはもう仕様の決まった設計書であった。
1時間ほど経った頃であろうか。要件書き・設計書を読み終わったカレンは、すっかりこの機械の開発が楽しみになっていた。
「こんなものを作りあげることができたら、どんなに楽しいだろう。ここにもう試験報告書があるということは出来上がっているのよね」とワクワクした気持ちになり、思わず口角が上がる。逸る気持ちも抑えられずに、次の束に手を伸ばそうとしたところ、いつの間にか隣に立っていたトラヴィスから制止の声がかかった。
「少し説明させてくれ」
はい、と短く返事をして視線を向ければ、「あっちだ」と扉を指さされる。入ってきた扉とは別の扉が不在の室長の席の後ろにあった。
スタスタと足を動かす彼の背を慌てて追いかけ、続きの間に入室すると、ロの字に机が並んだ会議スペースになっていた。
「来てもらって早々、こんなで悪いな」
そう言いながら、また眉尻を下げる彼の表情に、アリシアが彼を褒めそやす気持ちが少しわかったような気がした。
いかにもな強面のお兄さんが、困ったような笑顔を浮かべているのだ。何を言われても「はい」と応じてしまいそうな危うさがある。本音をぐっとこらえて「とんでもないです」と言いながら口の端を引っ張り上げれば、トラヴィスも小さく息を吐いた。
前置きもそこそこに、彼が壁面の黒に大きな図を書くと、現在部署を上げてとりかかっている「入室記録器」についての説明が始まった。
その名の通り、誰が入室したかを記録するための機械として発明された入室記録器は非常に大掛かりなものだった。
予め決められた記号の書かれた紙を機械の読み取り部にかざすと、機器の内部にはめ込まれた紙に読み取った内容を書き写してくれるという代物だ。
紙の読み取り・書き込み部分は、同じく碧の塔にある「機巧開発部」が担当しており、詳しい説明は割愛された。
「論理回路応用室」では読み取った記号から、「誰が」操作したのかを判別して、書き込み用の部品に情報を渡す部分の開発を担当しているらしい。
読み取り用の紙に書かれた記号は、一見すると何を示すものなのか読み取れないが、ある一定の法則で計算をしていくと、氏名になるという暗号のようなものであった。
現在は、一通りの発明が終わり、実証試験中であるとのことなのだが、ここからが問題だった。
まずひとつ。試験がうまくいっていない。
4日前から始めたという実証試験は、ここ碧の塔の受付で試験協力を了承してくれた来庁者に、受付係が記入した読み取り用の紙を配布し、塔内の各所に設置した機械で任意に読み取りをしてもらう、というものであったが、日に数回、異常を知らせる赤ランプが灯り、読み取った記号と書き込まれた結果を見比べては、回路を修正する日々を送っているらしい。
次にひとつ。お披露目が2か月後「王城」であるというのだ。
2か月後といえば、新緑の季節である。青葉の繁る季節を称え、王城で交歓会が行われるが、緑を祝う春の会には、名にちなんで「碧の塔」の職員が招待されている。その手土産として「入室記録器」を持ち込む算段なのだそうだ。
「二月後に王城でお披露目」という大きな使命を負っていながら、日に何度も警告を上げる我が子のお守りに走り回る日々を送っている、というのが彼の説明だった。
「まずは、資料と回路に目を通して、仕様の理解に勤しんで欲しい」と締めくくったトラヴィスは、やっぱり眉尻を下げて困ったような笑みを浮かべていた。
執務室に戻ると、扉のすぐ前にアリシアが待ち構えている。ニッコリと人好きのする笑顔の彼女が指さす先には、壁にかかった赤く灯るランプがあった。
◇◇◇
「回収いってきまーす」
努めて明るい声で、宣言をしたアリシアは、カレンの手を取ると、トコトコと歩き出す。
「トラヴィスさんから一通り聞いたわよね?」
「えぇ。『困ったちゃん』のお守りをしているって」
「そうなの。これから行く先は中でも一番手のかかる、北の末っ子ちゃんよ。」
おどけた喋り口の彼女がいうには、単純に「論理回路応用室」から一番遠い、4階の北廊下に設置した機械なので、北の末子だそう。
入口からほど近く喧騒に包まれた「論理回路応用室」とは、まさに正反対の、静かで日の当たらない北の端には「魔道研究所」があるそうだ。
道すがら、「あの扉から中庭に出られる」「この先は食堂があるから後で行きましょう」「あっちの薬草園は面倒な人が多いから近寄らない方がいい」などと、案内しながら、カレンを引っ張るアリシアはどこか楽しげであった。
「こちらが、かの噂に聞く『入室記録器』でございますわ」
10分ほど歩いただろうか。芝居がかった口調の彼女が指し示す先には、腰の高さほどの台に置かれた縦長の木箱があった。
金属で縁取られた木箱の上部には、四角い枠で囲われたくぼみがあり、そこが読み取り部となっているようだった。
箱の横には「ご協力ありがとうございます。赤のランプが灯ったら、↓の箱に試験紙を捨て置きください」と書かれた紙が貼られており、矢印の先の箱には、手のひらサイズほどのカードが1枚入っていた。
アリシアが慣れた手つきで木箱の背面の錠前に鍵を差し込み、箱を開くと、論理回路が設置されているであろう板の下に、1枚の紙が敷かれていた。
敷かれた紙を取り出し、代わりの紙を差し込むと、元通りに木箱を閉める。ついでに入力元となったであろうカードを箱から拾い上げると、2枚まとめてカレンに手渡した。
「さーあ、帰ってこれの解析よ」
いつだって明るく笑う彼女に、表情が乏しいと言われがちなカレンも、本日何度目かわからない笑みを浮かべた。
回収してきた紙と、設計図・論理回路を見比べてみると、原因は受付係の悪筆のせいであった。
途中、食堂での昼食をはさみつつ、塔内5か所に設置された機械の異常を知らせるランプが光らせると、アリシアやブレットに案内されながら、紙の回収へ向かう。
収拾してきた紙を何度か解析したが、悪筆が原因の誤読が6件、読み取り向き誤りが2件、その他が3件というなんとも言えない結果であった。
今日はいつもより、多く点灯したようで、受付係は誰なんだと犯人探しに室内が湧いていた。
夕日も薄く、空の紺が濃くなってきた頃。窓の遠くから、終業を告げる鐘が響く。
「初日からこんなでごめんなさいね。明日からは9時に直接ここへきて頂戴」
鐘の音を聞くや否や、いそいそと帰り支度を始めるヒューゴを横目に見つつ、声をかけてくれたアリシアに頷く。
今日一日付きっ切りで面倒を見てくれた彼女に改めて深く頭を下げれば、「これからたっくさん働いてもらうんだものっ」と、すっかり今日一日でおなじみとなった笑みを浮かべてくれた。
「お先に失礼します。」
小さく声をかけて、退室を告げると、既に帰り支度を終えていたヒューゴが、扉を押さえて待ってくれていた。
どうやら、共に退室するようだ。小さくお礼をして、連れ立って玄関へ歩き出す。今日一日他の3人と話す場面は多くあったが、彼とはあまり話さなかった。どうしたものか、と逡巡していると、ヒューゴのほうが口を開いた。
「嫌になってない?」
「むしろ忙しいのは心地良いです」
「変わってるね」
世間話というにはぎこちない会話はすぐに途絶える。
当たり障りのない雑談が少し苦しくなってきた頃、馬車乗り場のある塔の玄関へとたどりついた。今のカレンにとっては、砂漠のオアシスのようだった。
「じゃあここで。辛くなったら、アリシアにでも言いなね」
やっぱりアリシア頼みの彼は、表情も変えずに告げると、待っていた馬車へ乗り込み、去っていく。
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