最後の風林火山

本広 昌

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愛憎編

10、勝利の鍵

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 武田勝頼は軍勢一万五千のうち、豊川対岸の篠原に陣する五千を率いた。
 武田軍は、疾風の如く牛久保城と二連木城を攻め落とし、業火の如く吉田城を肉薄して、医王寺に引き返した。

 牛久保城は、豊川下流の数メートル程しかない崖の上にある小城である。

 山本菅助は二百の兵で、この城の守備に就かされた。
 武田の乱破は、既に岡崎に送った。
 以後は吉田城と周辺の監視となる。
 つまり、暇のもてあそびだ。

「面倒くさいのう。なんで武田の軍師たるワシが、こんなところでくすぶらなきゃいけないんだ……」

 菅助は不満いっぱいだったが、ふと気付いた。

「たしかここは、父上が若い頃、養子となったおおばやし家のある町じゃったな。ここで父上はどんな生活してたのだろう?」

 とはいえど、町衆は皆どこかに逃げて、町は無人となっている。
 父の若かりし日々を尋ねるにも、これでは面倒だった。

 

 山本菅助の下に突然、同年輩の若大将が訪問してきた。

「某、春日虎綱が嫡男、昌澄まさずみでござる」

「二連木城を任された春日殿か?」

「左様。吉田城の敵は動かんから退屈じゃ。酒を持ってきた。ま、一献いかがかな?」

 菅助は付き合った。
 昌澄は父虎綱の名代として参陣している。

 二人は城の、豊川と周囲の平野がよく見える崖先で、雑談少なげに酒を呑む。

 昌澄が、本題に入った。

「山本殿はもしや、この地に城をひとつ築こうと考えてるのでは?」

「築くというより、吉田の改造だ」

「ワシは反対じゃ」

「ん、何故じゃ?」

「駿河と遠江は、全て北条に譲るべき!」

 菅助は思わず、酒を吹いた。

 昌澄の考えが理解出来なかった。

「一体何を言うかと思えば……」

「タダとは言わん。見返りとして、北条を武田の越後攻めに協力させ、越後全部を武田領にするのだ」

「受け入れられるわけが無い。まさか、そなたが考えた策か?」

「いや、父上じゃ」

「北条家を過信し過ぎてる」

「違う。北条氏政様を織田と徳川のいくさに巻き込ませれば、我らが勝てると言ってるのだ」

「ふん、今でも武田が勝利をしてるさ」

「負けた時のことをも考えろ!」

「ワシの策で負けたことなどない。だから軍師なのじゃ!」

 ふたりの意見は平行線になった。

 昌澄の父虎綱は、武田家を、亡き信玄が本来やるべきであった信濃完全統一に戦略を戻したったようだ。

 それを昌澄は鵜呑みにし、己の意見を言わない。

ーー頭を使え。知恵を出せ。オヤジの犬め。

 と批判したくなる。
 なるほどそんな奴と呑む酒は、美味くない。



 五月十日、牛久保の山本菅助は、岡崎に放った忍びからの報告を得た。

「信長の岡崎入りは十四日。あと、千丁もの火縄銃を持ってきた?」

 菅助は早速、勝頼に早馬を送った。



 早馬が戻る。
 内藤昌秀から命令が出た。

 徳川・織田の援軍の作戦を掴め。
 とくに鳶ヶ巣山奇襲の有無を確かめろ。

 だった。

「また鳶ヶ巣山か。それよりも三万何千という大軍勢と、千丁もの火縄銃を気にするべきじゃ。あんな高い武器、よくもあれだけ沢山揃えたものよ。内藤様も小さなことを心配しすぎる。年取って、頭を使って知恵を出せなくなったのでは?」

 とまで疑った。

 菅助は言われたとおり、乱破たちに細かい状況を探らせた。

 織田信長の援軍三万は、情報どおり十四日夜に岡崎城に着く。

 徳川家康は既にその数日前から、主な重役と共に岡崎に駆けつけていた。

 徳川軍は八千だから、徳川・織田の連合軍は合計三万八千人に膨らむ。

 十五日、敵の軍議が行われた。

 調査の結果、敵連合軍の作戦は、総力挙げての設楽原決戦が判明した。

 すなわち、鳶ヶ巣山の奇襲策は絶対にないことが分かったのである。

 いや、実は酒井忠次が、まさにその作戦を主張した。
 しかしこれを織田信長が、「稚児の如き愚策」と馬鹿にし、一蹴したのだ。

 忠次は、現場最前線の声が蔑ろにされたと不満いっぱいにして、吉田城に立ち去ったという。 

 それを乱破の報告で聞いた菅助は、勝ち誇ったように言った。

「ほらみろ。やはりワシの言う通り、奇襲はない。それが分かれば、ワシは牛久保にいる意味もない。本隊と合流せよの狼煙は、まだ上がらないか?」

 菅助は城の東側を確かめる。
 しかしそんな狼煙は上がってない。



 十六日の昼、今にも降りそうな曇り空だが、狼煙は確認できた。

「指示、遅いよ!」

 菅助は怒った。

 敵連合軍は、朝には岡崎城を出陣していたからだ。

 ただし吉田城の酒井勢は、山本菅助と春日昌澄が釘付けにしてるから、相変わらず動けずにいる。
 岡崎城には留守役として、織田家家臣金森かなもり長近ながちかの部隊だけが残ってる。

 菅助は、牛久保城が三万八千もの敵連合軍に攻められないかと恐怖した。
 だが、こんな小さき城、無視されてることが分かり、安心した。

 撤退の準備は出来ている。
 岡崎にいる全ての忍び衆には、既に設楽原と周辺への移動を命じている。
 菅助は急いで牛久保城を放棄し、行動を開始する。

 城下を走る街道は、豊川稲荷に到着した敵連合軍が、設楽原を目指すために使ってる。

 だから、平野をなだらかに流れる豊川を一度渡河し、対岸の街道を使って後退する。

 これなら二連木城を放棄した春日勢とも合流できる。
 山本、春日両隊は、長篠へ走った。

 くわ集落あたりで敵連合軍に気付かれたが、幸い、追ってこなかった。
 敵は大軍とて、この広い川の対岸にいるのだ。
 敵は追撃できないし、味方も奇襲など出来ない。
 そして雨も降った。
 だからお互い、放っておくしかない。

 この辺りからの豊川は、平地の大河から深い谷川へと風貌する。

 夕暮れ、菅助と昌澄は、鳶ヶ巣山の麓に到着した。
 雨脚は強い。
 谷川の水も増した。

 菅助は見ると、山の上には砦郡は完成されていて、武田信実がその守将となっていた。

 次に対岸の長篠城を見る。
 戦況は、少しだが進んでいた。
 武田軍は曲輪の殆どを占領し、残すは本丸のみとしていたのだ。



 山本菅助は医王寺の武田勝頼本陣に入り、遅れた帰陣命令の一件で憤慨したかった。
 が、出来なかった。
 そういう状況ではなかったのだ。

 御親類衆穴山あなやま信君のぶただの配下が見回り中に捕えた、とりすね右衛門えもんと名乗る奥平貞昌の直臣を訊問してるためだった。
 強右衛門は、この場で処刑されるのが辛く、悔しがっている。

 強右衛門は貞昌の命令で城を出て、岡崎城で徳川家康と織田信長に会い、合力の有無を直に確かめたという。



 武田信豊はふと妙案を思いつき、勝頼に具申した。

「この男に甲州金を与えて、我が味方につけましょう。籠城衆最後の希望である援軍は「来ない」と嘘を言わせ、降伏開城させるのです。実は降伏の道もあるぞと見せてやるのです。それで籠城衆が城門を開けたら、総攻撃しましょう! これで敵はあっという間に全滅で、貞昌も捕らえて処刑できるというわけです。この男が岡崎まで確かめに行ったということは、奥平貞昌は織田信長を信用してない証です。明智、高天神に続き、長篠も見捨てると思ったからです。ならば貞昌の、その不安を執拗に煽れば良いのです!」

 勝頼は、同意した。

 しかし、内藤昌秀は反対だった。

「そんな小細工など要りません。この男は今すぐ、殺せばよいと存じます。某はこの男を信用できません。長篠城はさっさと攻め落とし、さっさと甲斐に戻って信玄公に墓前報告。そうするべきです」

 信豊はこれに、癇癪を起こした。

「内藤殿はいつも反対ばかりじゃ。昨日の夜と今日の朝の軍議だって、ワシが牛久保と仁連木の部隊を本隊に戻すべきと意見したときも反対した。それで丸一日無駄な争論を繰り広げた。ワシは典厩信繁公の息子だぞ。今の副将は内藤殿ではなくワシだ。ワシはワシのやり方でいくさに勝ってきた。だから内藤殿もいい加減、言うことを聞いていただきたい!」

 菅助はそれを聞いて、

「ああ、やっぱり……」

 そのせいで撤退指示が遅くなったのだな、と、つぶやいた。

 この件は、勝頼が即決で判断した。

「長篠城は断固取り返したいが、武田勢が武田流の縄張りを攻め落とすのは心苦しい。もし正面きって攻め落としでもしたら、父上や山本道鬼が生きてた頃から最先端の難攻不落と宣伝した面子を、ワシ自らが潰すことになる。こんな皮肉は面倒じゃ。だから、信豊の案を取る」

 菅助は今さまながら思った。

「そうか、ワシは、父上が考えた縄張りを潰そうとしてたんだ……」

 なるほどそれは問題だ。
 ならば、信豊の策に賛成しよう。

 このとき昌秀は、言いたくとも詰まった言葉がある。

ーー師匠の築城術は神棚のお供え物ではない。そんな面子など、今、潰せよ!

 もし言葉にすると、信玄と道鬼の悲しむ顔が脳裏から現れてしまいそうだ。
 それは昌秀にとって、胸が痛い。
 しかし武田流の城は自力でしっかり落城さておかないと、軍団や縄張りの更なる発展は約束されない。
 勝頼も菅助も、親を敬うのは良い。
 だがそのせいで、自らの才能に上限を設定してしまっている。
 二人とも、それに気づいていない。
 昌秀は、やきもきする自分に、限界を感じた。



 鳥居強右衛門は、大量の甲州金を目の前に見せられた。
 強右衛門は目が覚めたような表情に変わり、黄金をすぐ受け取って、腰を低くし、ニターっと喜んだ。

 菅助はそんな強右衛門を見て、

「こいつ、武士の風上にも置けないくらい酷い……」

 と思って、顔をしかめた。
 菅助は、強右衛門の眼差しをふと眺めると、何処かで見たことがある凛々しさを感じとった。

「はて、どこだったかなぁ……?」

 菅助は思い出せないまま、信豊の作戦はすぐに実施された。



 雨が止むも、夜空は不安定。
 磔にされた鳥居強右衛門は、谷川を挟んだ籠城衆に向けて、あらん限りの大声を張って伝えた。

「徳川・織田の援軍三万八千は、一両日中に設楽原に参上する。皆、助かるぞーっ!」

 籠城衆は感極まり、雄叫びをあげた。
 強右衛門の表情は、清々しかった。
 勝頼は激怒して、処刑を命じた。

 菅助は、おふうの処刑時と合い重なって映った。
 鳥肌が立つほど震えた。

 内藤昌秀は武田信豊の肩をたたき、山本菅助に目を合わせて、強右衛門を讃えた。

「よく覚えておけ。あの男は、貴様が完璧と信じた包囲陣形をたった一人で泳いで抜けた、本物の三河武士だぞ。死を覚悟した男が、たとえ黄金百万枚積まれても、主君を裏切ることなどあり得ん!」

 菅助も信豊も、強右衛門に騙された。
 菅助の両方の目尻がヒクヒクと揺れ、眼帯の紐が緩み、落ち、右目が現れる。

 雨粒が、再び地に落ちる。

 菅助は走り、絶命して雨に濡れた強右衛門の死に顔を確かめた。

 菅助の脳裏から、おふうの声が聞こえる。



 兄上……。
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