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野望編
5、いざ初陣!
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初冬を迎えるや、甲府のに軍勢が集まり出す。
駿河国からも各隊が着陣する。
武田信玄の悲願、信濃国完全統一、第六次川中島合戦、そして飯山城攻めが始まる。
初陣を迎えた山本菅助は、真紅の甲冑をまとい、五人の宿老のひとり、山県昌景率いる赤備え衆に組み入れられた。
菅助は機嫌がいい。
飯山城を道鬼流に改造した縄張図も用意できたからだ。
これは最高の出来だと信じていた。
もし信玄が軍議の席で、それを出せと言えば、いつでも真っ先に誇らしく見せられるようにしている。
信玄から、「さすが道鬼の子」と褒められたかった。
十月三日、快晴。
武田軍一万は出陣する。
長坂釣閑斎ら留守役は、見送る。
本陣にある風林火山の旗は、そよ風にはためいている。
赤備え衆は、先陣を任された。
四日、諏方郡上原着陣。
五日、武田軍は杖突峠を越えて高遠城に到着した。
高遠には信濃中からの武田勢が、次々に到着する。
菅助は不思議で仕方なかった。
「あれ、何で南に進む? 川中島は北だぞ……」
この違和感は、武田軍の侍大将以下全兵士も同じだった。
宿老会議が本丸で行われる。
終了ののち、赤備衆に山県昌景が戻り、全容を明かした。
「我らは徳川を攻める。国境を越えたのち、我が隊は秋山殿の伊那勢と共に、本隊と行動を別にする。心してかかれ!」
これに皆、ざわつく。
しかし、気持ちの切り替えが早い。
合戦で稼げるのなら、何処でも構わないのだ。
そのうえ、長年戦ってきた北の天才より、南の若造のほうが倒しやすい。
皆、これまで以上に意気込んだ。
逆に菅助は、放心する。
傑作の縄張図は、ゴミと化した。
武田軍南下は、徳川家を慌てさせた。
二万五千に膨れあがった武田軍が青崩峠を越え、遠江国に入るや否や、早速犬居城主天野景貫が徳川家康を見限り、武田軍を城の中に迎えた。
武田信玄本隊は更に南下し、浜松防衛の要四城のひとつ、高天神城を攻めようとしたが、その前に降伏してくれた。
遠江国でも屈指の堅城といえど、兵力は全部浜松に取られてるから、守りようがないのだ。
徳川は、要の城を一つ捨てなければならないほど、準備不足かつ、切羽詰まってる現れである。
別働隊は三河国に入る。
伊那勢は美濃国方面に動き、赤備え衆は作手に入る。
亀山城で山本菅助は、奥平の面々に命じる。
「奥平様は赤備え衆に組せよ。甲冑は我らが用意した、赤のものをまとうこと!」
奥平道紋は息をのむ。
奥平信能は目を回し、声を震わせる。
「は、話が違う!」
奥平の家来たちも騒ぐ。
山県昌景が睨みを利かし、菅助の前に出で言った。
「これは御館様の命令だ。貴様らは忠節を誓ったはずだ。従わねば、貴様らを粉みじんに滅ぼすのみ。我らは赤備えだ。晴近の連中ほど優しくはないぞ!」
奥平の者どもは、昌景の脅しに怯えた。
貞能は、嘆く。
「あ、後備えではなく、赤備えだったとは……」
菅助は、そんな様子を見て、
――これが武田最強部隊か、気持ちいいなあ!
と、快感を覚えた。
奥平貞昌は、ぼやいた。
「おふうめ、一体何のための人質じゃ。役立たずめ」
ぼやき声が菅助に聞こえた。
――夫婦の絆は、無いのか?
これは昌景にも聞こえた。
昌景は貞昌の胸倉を掴み、怒鳴った。
「己の国ぐらい、己の力で守れ。貴様等が腑抜けだから、我らが親切に手を貸してやってるのじゃ。人の上に立つ武士なら戦え。嫌なら犬畜生にでもなり下がれ!」
と、貞昌を殴った。
貞昌は倒れ、鼻血が出る。
菅助は貞昌をかばった。
「山県様、別に殴らなくても……」
「我らは民の税があって生かして貰ってるのだ。そんな領民の汗水に応えるためには、いくさ場で身も心も鍛え上げるしかないのだぞ。武田武士の強さの源はここにあると思え。それが師匠が作り上げた、武田魂というものだろ!」
昌景は犬歯をむき出しにして、菅助を怒鳴った。
菅助は、父のことをいわれると、何も言い返せなかった。
十一月に入る。
別働隊の圧力で、奥三河の徳川方国衆が次々に降伏した。
特に、長篠長篠城主菅沼正貞の降伏は大きい。
長篠城は、要四城のひとつだからだ。
残るは二俣城、吉田城となる。
更に東美濃では、伊那衆が親織田国衆、岩村城の遠山氏を降伏させた。
秋山虎繁は岩村城主となり、ここの女城主を妻とした。
この時信玄本隊は、中根正照が守る二俣城を攻略する。
中旬、別働隊は本隊と合流した。
このとき信玄本陣に早馬が来て、織田信長宿老佐久間信盛が三千を率いて浜松城に入った旨を伝えた。
武田軍の二俣城攻撃が、再開する。
この日攻めるのは、山県昌景の赤備え衆だった。
赤い甲冑の奥平衆は、奇声を上げ、必至に戦う。
菅助は監視役となって戦況を観察し、本陣に上げることが仕事である。
菅助はこの役目を、適当にこなした。
「奥平衆、大手より攻撃を仕掛けます」
菅助は信玄に報告するが、信玄はただ、黙っている。
実際に指揮する大将は、若干二十二歳の武田勝頼である。
信玄の四男で、諏方御寮人が実母。
義信の死後、急遽嫡子扱いされ、当主になるため、帝王学を叩きこまれる。
副将内藤昌秀が、これを教えていた。
勝頼は菅助の報告に、「作戦通り」と頷いたが、昌秀が何かと質問を投げかけてくる。
「大手の守備は、どのくらいいる?」
これに菅助は答えられない。
「皆、塀際に潜んでるので……」
「矢は? 鉄砲は? 放たれてるであろう」
「はい」
「どのくらいだ? 見立てで構わん!」
「えっ、それは……? 沢山……」
「ええい、沢山では分からん。いかほど放ってくるから敵の弓隊・鉄砲隊の数は把握できる。それが出来れば足軽・槍隊の数もおおよそは掴めるはずじゃ。もう一度、見直して来い!」
菅助は昌秀に怒鳴られ、慌てて最前線へ走る。
勝頼もそこまで深く考えず、内心ビクッとしたが、誰にも感づかれないよう黙った。
信玄は敏感に気づくも、昌秀が戦況をよく分析して勝頼にしっかり教えているので、安心して何も言わなかった。
本陣を出た菅助は、不服いっぱいだ。
――皆、ワシの事を賢いと褒めてるのに、内藤様は見る目がないのか?
と、前線に戻り、言われた事を無難にやる。
人数を掴めば報告に戻る。
しかしまた、昌秀に怒られた。
「そこまで見れれば、大手を守る侍大将の資質も読めるはずだ。師匠は一目で見抜けるのに、貴様は何故、探ろうとしない? 頭を使って知恵を出せ。これ、師匠の決め台詞だろ!」
「も、申し訳ございません」
と再再度、先陣に行かされる。
「言われてないことなど、分かるわけがない!」
勘助は段々と腹を立てる。
そして言われた通りに探り、報告する。
でも、また昌秀の雷をくらった。
「この鈍感者め! 一体どこを見ていくさをしているのだ!」
菅助は、任を外された。
菅助は気落ちして陣を出るが、何故解任されたか分からない。
若さゆえの経験不足は仕方が無いから認めるが、だからこそ丁寧に優しく説明してほしかった。
「ワシは、褒めれば伸びる男なのに……」
夜、菅助は山県昌景の陣に戻ると、このことを愚痴った。
が、昌景は軽く笑う。
「その程度で凹むな。ワシもアイツも秋山も馬場も春日も、五宿老は皆、貴様くらい蒼臭かった頃は、師匠に殴られてばかりだったぞ。怒鳴られる前にな。刀の錆にされそうになったこともある。しかしアイツも怒るだけとは、性格が丸くなったのう。箕輪の郡代になったからなのか? 親方様と勝頼様の御前だからなのか? それとも年をとったからなのか? いや、貴様なんぞ、鼻から期待してないのかもな」
菅助は、肝を冷やした。
「期待されてないのは、嫌だ!」
昌景は、してやったりとほくそ笑む。
「ならば死に物狂いになって働け。本気で軍師になりたければ、何でもいいからアイツの鼻を明かせる事をしろ。それが貴様の、目下の目標だぞ」
「は、はい!」
菅助は元気を取り戻した。
昌景は昔を思い出す。
――ワシら五人、束になって知恵を絞り策を講じても、師匠には最後まで勝てなかったなぁ……。
これも今や、郷愁となっていた。
二俣城は連日の攻撃にも耐えたが、晦日に降伏、開城した。
これで要四城で取ってない城は、吉田城のみとなる。
山本菅助はこれを見て、信玄が目指す戦略がはじめて見えた。
「次に狙うは吉田城じゃ。そこを落とせば要の城を全て従えた事になるぞ。吉田城を落とせば、浜松城は孤立する。そうなれば徳川家康を人質にしたも同然。武田の城下の誓い(無条件降伏)に乗るは必定じゃ!」
絶対に間違いないと、疑わなかった。
菅助は皆に言いたくて仕方が無く、同僚の侍大将たちや足軽達に、謎を解いたかのように得意げに解説して廻った。
その都度、無学な雑兵たちは「道鬼様の息子は賢い」と、褒めちぎった。
菅助説はじわりと軍団内な広がり、本陣の重役会議でも取り上げられた。
信玄は「誰の発言じゃ?」と問う。
山県昌景は申し訳なさそうに答えた。
「師匠の倅が勝手に……。張り倒しておきましょうか?」
「いや、構わん。それでいい」
信玄は大らかだった。
むしろ菅助の声が軍団の外にも広まって、徳川家康の耳に入ってほしかった。
案の定、数日後、家康の耳に入ったらしい。
吉田城主酒井忠次が、警戒を異常なほどに高めたからだ。
吉田にこの情報が届くには、浜松経由でないとありえない。
信玄は、織田信長と対立する越前国主朝倉義景と、大和国で反信長の旗を掲げる松永久秀に密書を送る。
そしてある日の軍議で、信玄はこの侵攻の意義について、初めて口を開いた。
演説っぽい強さはなく、サラッと流すようにだ。
「徳川など眼中に無い。狙うは上洛よ」
偉大なる武田信玄の言葉は、一挙手一投足が注目の的になる。
これは瞬く間に徳川領のみならず、織田信長や、反織田の全勢力に伝播した。
菅助は予想が外れ、恥をかく。
目上の侍大将から目下の雑兵に至るまで、「騙り者」「山師」「馬鹿息子」など、散々に罵られてしまった。
菅助は、孤立した。
「上洛なんて、はじめに浜松を攻め落としてからのほうが、楽できるのに……」
とぼやいても、誰も聞いてくれない。
武田軍は十二月二十二日早朝、二俣城を出陣した。
天竜川を越え、ゆっくり南進する。
吉田城を目指すには最短距離だが、途中にはあの浜松城がある。
馬上の山本菅助に、緊張が走る。
「浜松城には徳川軍八千と織田の援軍三千がいる。もし素通りすれば、間違いなく背後を襲われるぞ!」
と焦った。
これでは最強武田軍でも、大敗は免れない。
無敗を誇る風林火山の旗に、泥を被せたくなかった。
昼を過ぎ、武田軍は浜松城を無視して三方ヶ原台地に入る。
これで徳川・織田連合軍が、城から討って出た。
本陣の武田信玄はその速報を受けるや、いきなり軍配団扇を握り、
「全軍反転っ!」
と命令する。
この遠征、信玄が初めて軍団に命令した。
本陣は、緊張が極まる。
複数の法螺貝が、激しく吹かれる。
全軍にもこの緊張感は、瞬時に伝播した。
全軍行動中、信玄はそれをよそに、思う。
――成る程、家康はワシの言葉を信じなかったか。そうか、それでいい!
と、この若い敵将を褒めた。
三方ヶ原台地は、一面が真っ平の草原になっている。
大軍が大軍らしく、力任せで戦うには絶好の地形であった。
武田軍が陣配置を終えると、それは絵図に描いたかのように綺麗な魚鱗の陣へと化けていた。
これを確認した信玄は、まるで良い夢を見たかのような感動を受ける。
――道鬼よ、天から見てるか? ここではそなたが「本は読まない」と言いながらも尊重した古き兵法が、何の工夫もなく簡単に使いこなせるぞ!
武田信玄の生涯、五十回を越える合戦で初めての体験だ。
いや、おそらく日本史上、初めて立体として現れた紙の上の陣形だ。
勝利は既に決まった。
敵に遠慮など、いらない。
更に風上をも取っている。
夕日に染まった孫子の旗は、強い北風に猛々しくなびいていた。
駿河国からも各隊が着陣する。
武田信玄の悲願、信濃国完全統一、第六次川中島合戦、そして飯山城攻めが始まる。
初陣を迎えた山本菅助は、真紅の甲冑をまとい、五人の宿老のひとり、山県昌景率いる赤備え衆に組み入れられた。
菅助は機嫌がいい。
飯山城を道鬼流に改造した縄張図も用意できたからだ。
これは最高の出来だと信じていた。
もし信玄が軍議の席で、それを出せと言えば、いつでも真っ先に誇らしく見せられるようにしている。
信玄から、「さすが道鬼の子」と褒められたかった。
十月三日、快晴。
武田軍一万は出陣する。
長坂釣閑斎ら留守役は、見送る。
本陣にある風林火山の旗は、そよ風にはためいている。
赤備え衆は、先陣を任された。
四日、諏方郡上原着陣。
五日、武田軍は杖突峠を越えて高遠城に到着した。
高遠には信濃中からの武田勢が、次々に到着する。
菅助は不思議で仕方なかった。
「あれ、何で南に進む? 川中島は北だぞ……」
この違和感は、武田軍の侍大将以下全兵士も同じだった。
宿老会議が本丸で行われる。
終了ののち、赤備衆に山県昌景が戻り、全容を明かした。
「我らは徳川を攻める。国境を越えたのち、我が隊は秋山殿の伊那勢と共に、本隊と行動を別にする。心してかかれ!」
これに皆、ざわつく。
しかし、気持ちの切り替えが早い。
合戦で稼げるのなら、何処でも構わないのだ。
そのうえ、長年戦ってきた北の天才より、南の若造のほうが倒しやすい。
皆、これまで以上に意気込んだ。
逆に菅助は、放心する。
傑作の縄張図は、ゴミと化した。
武田軍南下は、徳川家を慌てさせた。
二万五千に膨れあがった武田軍が青崩峠を越え、遠江国に入るや否や、早速犬居城主天野景貫が徳川家康を見限り、武田軍を城の中に迎えた。
武田信玄本隊は更に南下し、浜松防衛の要四城のひとつ、高天神城を攻めようとしたが、その前に降伏してくれた。
遠江国でも屈指の堅城といえど、兵力は全部浜松に取られてるから、守りようがないのだ。
徳川は、要の城を一つ捨てなければならないほど、準備不足かつ、切羽詰まってる現れである。
別働隊は三河国に入る。
伊那勢は美濃国方面に動き、赤備え衆は作手に入る。
亀山城で山本菅助は、奥平の面々に命じる。
「奥平様は赤備え衆に組せよ。甲冑は我らが用意した、赤のものをまとうこと!」
奥平道紋は息をのむ。
奥平信能は目を回し、声を震わせる。
「は、話が違う!」
奥平の家来たちも騒ぐ。
山県昌景が睨みを利かし、菅助の前に出で言った。
「これは御館様の命令だ。貴様らは忠節を誓ったはずだ。従わねば、貴様らを粉みじんに滅ぼすのみ。我らは赤備えだ。晴近の連中ほど優しくはないぞ!」
奥平の者どもは、昌景の脅しに怯えた。
貞能は、嘆く。
「あ、後備えではなく、赤備えだったとは……」
菅助は、そんな様子を見て、
――これが武田最強部隊か、気持ちいいなあ!
と、快感を覚えた。
奥平貞昌は、ぼやいた。
「おふうめ、一体何のための人質じゃ。役立たずめ」
ぼやき声が菅助に聞こえた。
――夫婦の絆は、無いのか?
これは昌景にも聞こえた。
昌景は貞昌の胸倉を掴み、怒鳴った。
「己の国ぐらい、己の力で守れ。貴様等が腑抜けだから、我らが親切に手を貸してやってるのじゃ。人の上に立つ武士なら戦え。嫌なら犬畜生にでもなり下がれ!」
と、貞昌を殴った。
貞昌は倒れ、鼻血が出る。
菅助は貞昌をかばった。
「山県様、別に殴らなくても……」
「我らは民の税があって生かして貰ってるのだ。そんな領民の汗水に応えるためには、いくさ場で身も心も鍛え上げるしかないのだぞ。武田武士の強さの源はここにあると思え。それが師匠が作り上げた、武田魂というものだろ!」
昌景は犬歯をむき出しにして、菅助を怒鳴った。
菅助は、父のことをいわれると、何も言い返せなかった。
十一月に入る。
別働隊の圧力で、奥三河の徳川方国衆が次々に降伏した。
特に、長篠長篠城主菅沼正貞の降伏は大きい。
長篠城は、要四城のひとつだからだ。
残るは二俣城、吉田城となる。
更に東美濃では、伊那衆が親織田国衆、岩村城の遠山氏を降伏させた。
秋山虎繁は岩村城主となり、ここの女城主を妻とした。
この時信玄本隊は、中根正照が守る二俣城を攻略する。
中旬、別働隊は本隊と合流した。
このとき信玄本陣に早馬が来て、織田信長宿老佐久間信盛が三千を率いて浜松城に入った旨を伝えた。
武田軍の二俣城攻撃が、再開する。
この日攻めるのは、山県昌景の赤備え衆だった。
赤い甲冑の奥平衆は、奇声を上げ、必至に戦う。
菅助は監視役となって戦況を観察し、本陣に上げることが仕事である。
菅助はこの役目を、適当にこなした。
「奥平衆、大手より攻撃を仕掛けます」
菅助は信玄に報告するが、信玄はただ、黙っている。
実際に指揮する大将は、若干二十二歳の武田勝頼である。
信玄の四男で、諏方御寮人が実母。
義信の死後、急遽嫡子扱いされ、当主になるため、帝王学を叩きこまれる。
副将内藤昌秀が、これを教えていた。
勝頼は菅助の報告に、「作戦通り」と頷いたが、昌秀が何かと質問を投げかけてくる。
「大手の守備は、どのくらいいる?」
これに菅助は答えられない。
「皆、塀際に潜んでるので……」
「矢は? 鉄砲は? 放たれてるであろう」
「はい」
「どのくらいだ? 見立てで構わん!」
「えっ、それは……? 沢山……」
「ええい、沢山では分からん。いかほど放ってくるから敵の弓隊・鉄砲隊の数は把握できる。それが出来れば足軽・槍隊の数もおおよそは掴めるはずじゃ。もう一度、見直して来い!」
菅助は昌秀に怒鳴られ、慌てて最前線へ走る。
勝頼もそこまで深く考えず、内心ビクッとしたが、誰にも感づかれないよう黙った。
信玄は敏感に気づくも、昌秀が戦況をよく分析して勝頼にしっかり教えているので、安心して何も言わなかった。
本陣を出た菅助は、不服いっぱいだ。
――皆、ワシの事を賢いと褒めてるのに、内藤様は見る目がないのか?
と、前線に戻り、言われた事を無難にやる。
人数を掴めば報告に戻る。
しかしまた、昌秀に怒られた。
「そこまで見れれば、大手を守る侍大将の資質も読めるはずだ。師匠は一目で見抜けるのに、貴様は何故、探ろうとしない? 頭を使って知恵を出せ。これ、師匠の決め台詞だろ!」
「も、申し訳ございません」
と再再度、先陣に行かされる。
「言われてないことなど、分かるわけがない!」
勘助は段々と腹を立てる。
そして言われた通りに探り、報告する。
でも、また昌秀の雷をくらった。
「この鈍感者め! 一体どこを見ていくさをしているのだ!」
菅助は、任を外された。
菅助は気落ちして陣を出るが、何故解任されたか分からない。
若さゆえの経験不足は仕方が無いから認めるが、だからこそ丁寧に優しく説明してほしかった。
「ワシは、褒めれば伸びる男なのに……」
夜、菅助は山県昌景の陣に戻ると、このことを愚痴った。
が、昌景は軽く笑う。
「その程度で凹むな。ワシもアイツも秋山も馬場も春日も、五宿老は皆、貴様くらい蒼臭かった頃は、師匠に殴られてばかりだったぞ。怒鳴られる前にな。刀の錆にされそうになったこともある。しかしアイツも怒るだけとは、性格が丸くなったのう。箕輪の郡代になったからなのか? 親方様と勝頼様の御前だからなのか? それとも年をとったからなのか? いや、貴様なんぞ、鼻から期待してないのかもな」
菅助は、肝を冷やした。
「期待されてないのは、嫌だ!」
昌景は、してやったりとほくそ笑む。
「ならば死に物狂いになって働け。本気で軍師になりたければ、何でもいいからアイツの鼻を明かせる事をしろ。それが貴様の、目下の目標だぞ」
「は、はい!」
菅助は元気を取り戻した。
昌景は昔を思い出す。
――ワシら五人、束になって知恵を絞り策を講じても、師匠には最後まで勝てなかったなぁ……。
これも今や、郷愁となっていた。
二俣城は連日の攻撃にも耐えたが、晦日に降伏、開城した。
これで要四城で取ってない城は、吉田城のみとなる。
山本菅助はこれを見て、信玄が目指す戦略がはじめて見えた。
「次に狙うは吉田城じゃ。そこを落とせば要の城を全て従えた事になるぞ。吉田城を落とせば、浜松城は孤立する。そうなれば徳川家康を人質にしたも同然。武田の城下の誓い(無条件降伏)に乗るは必定じゃ!」
絶対に間違いないと、疑わなかった。
菅助は皆に言いたくて仕方が無く、同僚の侍大将たちや足軽達に、謎を解いたかのように得意げに解説して廻った。
その都度、無学な雑兵たちは「道鬼様の息子は賢い」と、褒めちぎった。
菅助説はじわりと軍団内な広がり、本陣の重役会議でも取り上げられた。
信玄は「誰の発言じゃ?」と問う。
山県昌景は申し訳なさそうに答えた。
「師匠の倅が勝手に……。張り倒しておきましょうか?」
「いや、構わん。それでいい」
信玄は大らかだった。
むしろ菅助の声が軍団の外にも広まって、徳川家康の耳に入ってほしかった。
案の定、数日後、家康の耳に入ったらしい。
吉田城主酒井忠次が、警戒を異常なほどに高めたからだ。
吉田にこの情報が届くには、浜松経由でないとありえない。
信玄は、織田信長と対立する越前国主朝倉義景と、大和国で反信長の旗を掲げる松永久秀に密書を送る。
そしてある日の軍議で、信玄はこの侵攻の意義について、初めて口を開いた。
演説っぽい強さはなく、サラッと流すようにだ。
「徳川など眼中に無い。狙うは上洛よ」
偉大なる武田信玄の言葉は、一挙手一投足が注目の的になる。
これは瞬く間に徳川領のみならず、織田信長や、反織田の全勢力に伝播した。
菅助は予想が外れ、恥をかく。
目上の侍大将から目下の雑兵に至るまで、「騙り者」「山師」「馬鹿息子」など、散々に罵られてしまった。
菅助は、孤立した。
「上洛なんて、はじめに浜松を攻め落としてからのほうが、楽できるのに……」
とぼやいても、誰も聞いてくれない。
武田軍は十二月二十二日早朝、二俣城を出陣した。
天竜川を越え、ゆっくり南進する。
吉田城を目指すには最短距離だが、途中にはあの浜松城がある。
馬上の山本菅助に、緊張が走る。
「浜松城には徳川軍八千と織田の援軍三千がいる。もし素通りすれば、間違いなく背後を襲われるぞ!」
と焦った。
これでは最強武田軍でも、大敗は免れない。
無敗を誇る風林火山の旗に、泥を被せたくなかった。
昼を過ぎ、武田軍は浜松城を無視して三方ヶ原台地に入る。
これで徳川・織田連合軍が、城から討って出た。
本陣の武田信玄はその速報を受けるや、いきなり軍配団扇を握り、
「全軍反転っ!」
と命令する。
この遠征、信玄が初めて軍団に命令した。
本陣は、緊張が極まる。
複数の法螺貝が、激しく吹かれる。
全軍にもこの緊張感は、瞬時に伝播した。
全軍行動中、信玄はそれをよそに、思う。
――成る程、家康はワシの言葉を信じなかったか。そうか、それでいい!
と、この若い敵将を褒めた。
三方ヶ原台地は、一面が真っ平の草原になっている。
大軍が大軍らしく、力任せで戦うには絶好の地形であった。
武田軍が陣配置を終えると、それは絵図に描いたかのように綺麗な魚鱗の陣へと化けていた。
これを確認した信玄は、まるで良い夢を見たかのような感動を受ける。
――道鬼よ、天から見てるか? ここではそなたが「本は読まない」と言いながらも尊重した古き兵法が、何の工夫もなく簡単に使いこなせるぞ!
武田信玄の生涯、五十回を越える合戦で初めての体験だ。
いや、おそらく日本史上、初めて立体として現れた紙の上の陣形だ。
勝利は既に決まった。
敵に遠慮など、いらない。
更に風上をも取っている。
夕日に染まった孫子の旗は、強い北風に猛々しくなびいていた。
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※表紙イラスト・挿絵7枚を、ますこ様より頂きました! ありがとうございます!(各ページに掲載しています)
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新説・川中島『武田信玄』 ――甲山の猛虎・御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
新羅三郎義光より数えて19代目の当主、武田信玄。
「御旗盾無、御照覧あれ!」
甲斐源氏の宗家、武田信玄の生涯の戦いの内で最も激しかった戦い【川中島】。
その第四回目の戦いが最も熾烈だったとされる。
「……いざ!出陣!」
孫子の旗を押し立てて、甲府を旅立つ信玄が見た景色とは一体!?
【注意】……沢山の方に読んでもらうため、人物名などを平易にしております。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
☆風林火山(ふうりんかざん)は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の通称である。
【ウィキペディアより】
表紙を秋の桜子様より頂戴しました。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
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