最後の風林火山

本広 昌

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野望編

3、超絶美人のおふう姫

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 秋暑し頃、山本菅助は武田信玄から用件を伝えられる。

「奥かわつくの国衆、奥平おくだいら貞能さだよし殿が徳川とくがわを離れ、我が方に鞍替えしてきた。ワシは奥平殿に人質を出せと命じたゆえ、貰いに行け」

「お、奥信濃ではなく、奥三河ですか?」

「十年前に出来たばかりの新参より、しん三郎さぶろう義光よしみつ公以来四百年続く名門のほうが、信頼に足るのであろう。まあ、境目に住むか弱き国衆おとめ運命さだめだな」

「わ、分かりました……」

 菅助は、不満げに口をへの字に曲げながらも、引き受けた。



 三河国は徳川家康とくがわいえやすが治める国だが、隣国遠江とおとうみ浜松はままつを本拠とする大名だ。

 元は今川義元の家来だったが、十二年前、わり桶狭おけはざで義元が織田おだ信長のぶながに討ち取られちから、今川を離れて自立し、織田と盟約を誓った。

 信玄は五年前、嫡子義信の死をきっかけに、家康と協力して今川家の滅亡に成功させている。

 これで旧今川領の駿河を武田、遠江を徳川が支配することとなった。

 だが、これに怒ったのがさが国の北条ほうじょう氏康うじやすだ。
 これまで結んでいた武田との盟約を蹴り捨て、両者の激戦が繰り広げられる。

 戦いはおよそ四年続くなか、氏康は昨年病死し、その子氏政うじまさが跡を継ぐ。

 この代替わりをきっかけに、武田と北条は同盟を復活させている。

 武田家は、織田家との友好は今でも保ててるが、徳川家との友好のほうは、雲行き怪しい。

 とはいえ、徳川家と織田家の盟約は固く結ばれているため、信長が信玄のために家康をなだめているのが現状である。



 山本菅助は途中、信濃国伊那いな郡の大島おおしま城で、老臣秋山虎繁あきやまとらしげから晴近はるちか衆の精鋭百名を借り、南進。
 国境を越えて、三河国に入った。

 南信濃の険しい山脈も、奥三河では緩やかな山地になる。

 菅助が奥平氏の居城、作手の亀山かめやま城に到着すると、出迎えは多数いた。
 目線を定めない中年当主奥平貞能と、その嫡男貞昌さだまさは色白・華奢で、ひ弱そうだ。しかし貞能の父道紋どうもんは、老いても屈強そうに見えた。
 家来たちも総出でいる。

 挨拶の後、貞能は揉み手をしながら菅助に接した。

「ひ、人質は三名選びました。皆、我が一門です」

 菅助は貞能に、城内主殿大広間へと招かれ、豪勢な食事でもてなされる。
 ここで人質と面会するが、一人足りない。

 道紋は、
「おいこら! おふうはどうした? 武田のご使者殿が首を長くしてお待ちかねなんだぞ! 貞昌っ、おまえの嫁だろ。どこにいる?」
 と、貞昌を睨んでカッカする。

 貞昌は、「ふん、知りませんよ」と無責任に吐き捨てた。

 家臣たちは慌てて探した。
 目が泳ぐ貞能は冷や汗をかき、菅助に愛想笑いを見せて言った。

「な、何せ、人見知りする姫で……」

 その間、菅助は道紋から、人質になる男子二人を紹介されられた。

 二人とも若く、一人は貞能の実子で貞昌の弟、十一歳の仙丸せんまるという。

 もうひとりは陰気で存在感が薄く、小声の上にどもりで、その名も聞き取りにくかった。

 貞能は、武田贔屓な道紋と死んだ魚の目つきをする貞昌を気にしながら、相変わらずの低姿勢で言う。

「ち、父上が申すには、織田様は武田様を臆してます。ならば武田様につくが得策と申しました。徳川様は立派ですが、織田様が武田様に媚びてるようでは、徳川の行く先も不安です」

 菅助は、道紋と貞能親子の態度を見てると、ここでは自分が一番偉いと思い込んでしまう。
 ひとつ質問してみた。

「奥平家は、姉川あねがわの戦いには参陣したのですか?」

 これは道紋が答える。

「いいえ。戦わぬことが、奥平家がどの大名家においてでも、組する条件としていますから」

「しかし、川中島には参陣させますぞ」

「武田様は、我らは客将、つまり最も安全な後備あとぞなえにするとおっしゃられておりました。ならば妥協できます」

「道紋様も、武田家を心得てますな」

こう二(一五五六)年に武田勢が、この地を攻めてます。あの頃は敵でしたが、敵ながら惚れ惚れするほどの強さを見せてもらいました」

「えっ、その年は武田は川中島で三百日も対峙した次の年。確かいくさは無かったと思いますが?」

 菅助は意外な事実だと驚いた。
 道紋は、親切に教えた。

「武田、今川、北条三国の盟約が成った直後です。これで今川家の三河攻めが烈しくなりました。その年、今川家は武田家に合力を頼み、信玄様は伊那勢を奥三河に送ったのです。それで今川勢は、三河の殆どを手中にしました」

 菅助は知らなかった。

 奥平貞昌が横を向き、心の中で、

――お前が連れてきた晴近衆が、伊那勢のなかでも一番暴れ回ったのだぞ。奥平は滅亡寸前まで追い込まれたのに、武田にとっては、軽く忘れる程度なのか!

 と、怒鳴りたい不満を抑えた。

 菅助はそんな貞昌の気も悟れず、話を元に戻す。

「今年、大島城が出来たことで、武田の拠点城が奥三河に近くなりました。徳川も奥平様には、手が出せないでしょう」

 菅助は酒を呑み、笑う。
 道紋も後追いして笑う。
 貞能や家来たちは、顔を引きつらせながら笑う。
 貞昌は、退出した。



 四半刻(約三十分)経ち、やっとおふうが老女に連れられてきた。

 新調した小袖をまとう十五歳の新妻は、眼が覚めるような美貌だった。

 酒で赤くなった菅助は、更に真っ赤となり、鼓動が高まる。

 しかし人妻なので、高ぶる気持ちを強引に押し殺した。

 おふうは、敵意と分かる鋭い眼差しで、ここに居並ぶ者全てを睨んだ。
 菅助もそれは感じたが、むしろそんな氷のような冷たさが、逆に美しさも増して映っていた。

――天女のごときお方じゃあ。甲州、いや、東国でもこんな美しい人はいないぞ!

 菅助は、やっぱり惚れたいと、目尻を垂らした。
 でもやっぱり人妻だ。

――ええい、ダメだダメだ! ワシには軍師の夢がある。女にうつつを抜かす暇などないのだ!!

 菅助は、我に帰れと必死になった。



 日が改まり、菅助は人質を連れて甲府へ出立する。

 しかしまた、おふうが来ない。
 菅助はおふうの部屋に行き、部屋の前に着くと、美しい声での怒りと、なだめる老女らしい声が騒がしい。

 菅助が戸を開けて踏み込むと、おふうは短刀を抜き、喉を突こうとしていた。

 菅助が焦る。

「な、何をされている?」

 と大声をあげると、おふうは菅助に刃の先を向け、

「近寄るな、けだもの!」

 と騒ぐ。
 ここで貞能と貞昌が駆けつけた。
 菅助は、おふうをなだめる。

「落ち着かれよ、姫様っ」

「嫌、私はここで自刃します」

「な、なりません!」

「奥平は弱虫よ。私が生まれる前は、みんな三河武士の誇りを持っていたのに、弘治の負け戦以来、誇りは悪しきものだと捨て、今川に媚び、徳川に媚び、次は武田ですか? 情けない。私だって三河武士の娘。ああ、せめて私だけは、その誇りをもって死んでいきたい」

 おふうは菅助に向けた刃を、再び自分の喉元に向けた。

 菅助は困り果てて動けないが、奥平貞昌がおふうの腕を掴み、短刀を奪おうとする。

「殿様っ、放してください!」

 おふうは抵抗し、信昌を睨んだ。

 信昌は激怒して、おふうの頬を思い切りひっぱたたいた。
 おふうは勢い余って床に倒れ、気を失う。

 髪が乱れたその美しさに、菅助は息を飲み込んでしまう。

「そ、そこまでしなくても……」

 しかし貞昌は冷徹に、

「フン」

 と、菅助を無視した。

 しかしとにかくこれで、菅助はおふうを連れ出せる。

 気絶したまま、おふうは姫籠に乗せられた。

 城を出立する晴近衆。
 奥平貞能も武田信玄に挨拶するため、同行した。

 山本勘助は後ろの姫駕籠にチラッと目をやると、口がポカンと開く。

 ハッと思い、しっかりしろと、口をへの字に閉じる。
 そして、目を少し上に逸らした。

 奥三河に射し込む陽が暖かい。西から厚い雲が現れるも、北東から来る風は少しばかり冷たかった。
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