高遠の翁の物語

本広 昌

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登場人物総覧

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史実を根拠としてますが、あくまでも作中の〝設定〟なので、物語の都合が含まれます。
オリジナルキャラやセリフなしの人物も含みます。
名前の後の数字は年齢ですが、作品の冒頭1542年7月時点での数え年を記してます。

●高遠諏方家
諏方すわ頼継よりつぐ55 (?~1552)信濃守→紀伊守
→主人公、高遠諏方家当主、諏方頼重三家老の3番目。伊那郡にある神党(惣領家を仰ぐ諏方信仰の国衆や豪族)の盟主。
カタブツで忠義心が高いが、豪傑でも知将でもないその辺のおっさん。この時代なら立派な御老体。父と祖父の時代に連族で惣領家に歯向かったため、三度の反乱を疑う家臣や民衆も少なくない不運を持つ。故に自らの忠誠心に高い理想を求めるも、なにかと脇が甘いことから〝高遠のトンビ〟とあだ名される。

☆諏方小彼岸こひがん/故人 (?~?)
→諏方頼継妻、諏方頼満娘。1539年上原の高遠屋敷で病死設定。結婚してもずっと上原で暮らし、高遠を知らない。子は産まず。

神林かみばやし上野こうずけ入道にゅうどう60代 (?~?)
→諏方頼継筆頭宿老、高遠諏方家直臣、文官的性格、伊那郡竜ヶ崎城主。

保科ほしな正俊まさとし32 (1511~1593)弾正忠
→諏方頼継の家老だが神党でもある。武断的性格、藤沢城主、〝槍弾正〟の異名持ち。

☆神林丁字ちょうじ30か (?~?)
→神林上野入道末娘、高遠諏方家女中頭。諏方御料人世話の中心。

☆諏方蓮峰軒れんほうけん40後(?~1542)
→諏方頼継弟、干沢城主。

●惣領家 (諏方惣領家)
☆ 夜須迦やすか11 (1532?~1555)
→諏方御料人。諏方頼重長女、武田四郎 (勝頼)を産む。

☆諏方頼重よりしげ27 (1516~1542)刑部大夫
→惣領家当主、諏方頼隆長男。惣領家当主の歴代はほぼ大祝体験者で諏方大明神の化身と敬われる。

武田たけだ禰々ねね15 (1528~1543)
→諏方頼重後室、実母武田信虎側室工藤夫人、夫のために尽くす人。

寅王とらおう1 (1542~?)
→諏方頼重嫡男、母禰々御寮人、のちの長岌ちょうきゅうか?

☆諏方頼満よりみつ/故人 (1473~1540)安芸守、碧雲斎
→諏方御寮人曽祖父、諏方頼重祖父、諏方頼隆父。惣領家中興の祖と称賛された名将。

☆諏方頼隆よりたか/故人 (1499?~1530)刑部大夫
→諏方御寮人祖父、諏方頼重父。

☆諏方満隣みつちか42 (1501?~1582?)伊豆守
→諏方御寮人大叔父、諏方頼重叔父、諏方頼満次男、頼重三家老、干沢城代、

☆諏方満隆みつたか30後 (?~1546)薩摩守
→諏方頼満三男、頼重三家老、長窪城代、北信濃の神党を統括。

花岡はなおか? (?~?)
→諏方西方衆、惣領家内神党、下社氏子、花岡城主

小坂おさか? (?~?)
→諏方西方衆、惣領家内神党、下社氏子、小坂城主

有賀あるが? (?~?)
→諏方西方衆、惣領家内神党、上社氏子、有賀城主

真志野まじの? (?~?)
→諏方西方衆、惣領家内神党、上社氏子、真志野城主


●諏方大社
大祝おおほうり
①諏方頼高よりたか15 (1528~1542)
→諏方頼隆次男、頼重弟、幼名豊増丸とよますまる
②諏方伊勢宮丸いせみやまる7 (1536~1606)
→諏方満隣次男、のちの諏訪頼忠よりただ

守矢もりや頼真よりざね38 (1505~1597)
→諏方大社上社じん長官。諏方大社最高位は大祝だが、大祝は神そのもの。こな補佐役がナンバーツーの神長官、宮司、矢島満清とは不仲。

矢島やじま満清みつきよ? (?~?)
→諏訪大社上社禰宜大夫。大社ナンバースリー。守矢頼真とは不仲。

武居祝たけいほうり? (?~?)
→諏訪大社下社神職筆頭格。


●その他神党
藤沢ふじさわ隆親たかちか40半 (?~?)
→伊那郡福与城主、
 作中で家督交代。

☆藤沢頼親よりちか20位 (?~1582)
→藤沢頼隆嫡男、弓術得意、
 作中で家督交代。

☆藤沢権次郎ごんじろう10代 (?~?)
→藤沢頼隆次男、強弓使い、

木下きのした惣蔵そうぞう30代 (?~?)
→藤沢家筆頭家臣、箕輪城主。

伴野ともの満守みつもり? (?~1582)下野守
→佐久郡前山城主、慎重派。のちの伴野信守。

笠原かさはら清繁きよしげ20代 (?~1547)
→佐久郡志賀城主、強硬派。

望月もちづき昌頼まさより? (?~?)遠江守
→小県郡望月城主、大井貞隆と旧知。

禰津ねづ元直もとなお? (?~?)
→小県郡禰津領主、元から親武田。

海野うんの棟綱むねつな40代 (?~?)信濃守
→小県郡海野領主、小県郡神党の盟主、海野幸綱の上役。諏方頼重に見限られて滅亡し、上野国に逃れるも消息不明。幸綱のみ知る。

☆海野幸綱ゆきつな30 (1513~1574)弾正忠
→小県郡真田郷領主、海野棟綱御親類衆、異名〝攻め弾正〟。御家滅亡後、諏方信仰を放棄。村上義清を敵討ちの対象とする。のちの真田幸隆。


●小笠原家
小笠原おがさわら長棟ながむね50 (1492~1549)従四位下、大膳大夫、治部大夫、信濃守
→小笠原家当主、信濃守護職、小笠原中興の祖、小笠原流弓馬術師範
 作中で隠居。

☆小笠原長時ながとき29 (1514~1583)従五位、大膳大夫、信濃守
→小笠原長棟嫡男、信濃守護職、小笠原流弓馬術師範、小言が多くてやかましいことからついたあだ名は〝信府のスズメ〟
 作中で家督交代。

☆小笠原信定のぶさだ22(1521~1569)民部大輔
→小笠原長棟次男、伊那郡鈴岡城主、

草間くさま備前びぜん守? (?~?)
→小笠原家重臣、譜代衆、伊那郡荒神山領主、

二木ふたつぎ重高しげたか30代 (?~?)豊後守
→小笠原家重臣、譜代筆頭、中塔城主。小笠原譜代衆復権のため、藤菜姫を長時側室に送り込もうと画策。

麻績おみ夫人27? (?~?)
→諏方頼重先妻、諏方御寮人実母、諏方頼重同年設定、小笠原外様衆。

仁科にしな盛能もりよし50代 (?~?)
→安曇郡仁科領主、小笠原派国衆、外様衆筆頭、のち道外どうがい。外様衆強化のため、夜須香姫を長時側室に送り込もうと画策。

☆仁科夫人20代 (?~1575?)
→小笠原長時正室、仁科道外娘

☆二木藤菜くじな11 (?~1587)
→小笠原長時側室、二木重高養女、実父江馬時盛。小笠原小僧丸 (貞慶)を産む。


●村上家
村上むらかみ義清よしきよ42 (1501~1573)左近衛少将、信濃守
→埴科郡坂城領主、北信濃最大の有力者、信濃反小笠原派の盟主で表向きもその態度でいるが、本心はむしろ逆。そんな表裏比興ぶりから〝坂城のカラス〟とあだ名される。家中に潜む〝何か〟を警戒している。

☆小笠原藤巻ふじまき (?~1549)
→村上義清正室、小笠原長棟長女、小笠原長時姉。信濃南北問題を本気で解決しようと頑張る賢夫人。村上義利の実母であり村上源吾(国清)を産む。

☆村上義利よしとし (?~1555)常陸介
→村上義清嫡男、母藤巻。信濃南北融和の象徴として生まれるも、小笠原の血が通ってることを恥じる。そのため家中に潜む〝何か〟に踊らされてしまう。

清野きよの清秀きよひで?(?~1565)伊勢守
→村上三宿老筆頭、反小笠原、美作入道道寿軒。

屋代やしろ正重まさしげ?(?~?)
→村上三家老、反小笠原。

屋代やしろ正国まさくに22(1520~1582)左衛門尉
→屋代正重の子、親小笠原、

室賀むろが信俊のぶとし?(?~?)
→村上三宿老、反小笠原。

☆ がく厳寺がんじ雅方まさかた?(?~?)
→ 楽厳寺の僧侶から村上義清家臣へ。


●大井家
大井おおい貞隆さだたか60代 (?~)刑部大夫
→大井家当主、小県郡長窪城主。正義感は高いが高圧的で、目的のためなら平気で嘘を吐く。

平賀ひらが玄信げんしん/故人 (?~1536)
→大井貞隆弟、佐久郡海ノ口城主、武田晴信初陣の犠牲者。

☆大井貞清さだきよ? (?~1546)
→大井貞隆弟、佐久郡内山城主。

☆大井高政たかまさ ?(?~?)
→大井家親類、小県郡鍋蓋城主。


●今川家
今川いまがわ義元よしもと24 (1519~1560)従四位下治部大夫、のち三河守
→今川家当主、今川氏親四男、拠点駿河国駿府、手堅い性格で領国経営が上手い大将だが、貴族かぶれ。花蔵大乱の敵将恵探は慕った兄のため、そこから派生した闇を秋津は極端に嫌ってる。

☆武田定恵さだえ24(1519~1550)
→定恵院、武田信虎長女、今川義元正室。義元を愛してるが不安も持ってる。

☆今川五郎ごろう5(1538~1615)
→今川義元嫡男、のち氏真。

中御門なかみかど寿桂じゅけい53?(1490?~1568)
→ 今川氏輝と彦五郎(共に故人)の母、勧修寺流の中御門家の姫、中御門宣秀妹、敬称"大方様"。夫氏親の死後に尼となるも、一時期は今川家の臨時当主も務めた。三条夫人を誰よりも尊敬し、高い忠節を尽くす。そのために山本勘介親子を利用する。

武田たけだ信虎のぶとら49(1494?~1574)従五位下、左京大夫→陸奥守
→駿府で楽隠居中。

安倍あんべ元真もとざね30 (1513~1587)大蔵尉
→元は信濃国中の滋野一族で、今川家臣ながら諏方神党。

太原たいげん崇孚そうふ雪斎せっさい47(1496?~1555)
→庵原家出身、善得寺と臨済寺住持、今川家家宰。

健乗けんじょう (?~?)
→善得寺副住持、雪斎の一番弟子、雪斎より早く病死したという。


●北条家
北条ほうじょう氏康うじやす28 (1515~1571)従五位上左京大夫、相模守
→北条家当主、相模国小田原城主。領主当初は実力を伏せる。反北条勢力からは〝伊勢氏康〟や〝南方の凶徒〟と見下されている。

☆北条氏綱うじつな/故人 (1487~1541)従五位下、左京大夫
→北条家先代当主、1523年に苗字を〝伊勢〟から〝北条〟に改めた本人。稀代の名将。


●山内上杉家
山内やまのうち上杉憲政のりまさ18 (1523~1579)関東管領
→山内上杉家当主、平井城主。引きこもり男子。

菅野すがの大膳だいぜん? (?~1552)
→山内上杉家奉行、自称足利学校主席、朱子学、官僚肌。

上原うえはら兵庫ひょうご? (?~1552)
→山内上杉家奉行、自称妙心寺主席軍師、楠木流、軍師肌。

扇谷おうぎがやつ上杉朝定ともさだ17 (1525~1546)修理大夫
→扇谷上杉家当主、相模国守護職、武蔵松山城主。1537年に河越城を北条氏綱に奪われてから山内家の保護大名となる。聞こえはいいが要は属国。亡父の遺言〝江戸城奪還〟を生真面目に目指すも、その前に河越城を奪還してからでないと始められない不運を持つ。

●武田家
武田たけだ晴信はるのぶ22 (1521~1573)従四位下左京大夫→大膳大夫
→武田家当主、甲斐守護職、のち出家し徳栄軒信玄。作中では〝蛮族の親玉〟と言われるも存在感なし。

転宝輪てんぽうりん家の方19? (1524?~1570)
→武田晴信正室三条夫人。公卿の転宝輪三条家から武田家へ嫁ぐが、三条家の前はとあるやんごとなき場所から落ちた御人だった。

☆武田太郎たろう5(1538~1567)
→武田晴信嫡男、のちの義信。

板垣いたがき信方のぶかた40代後(?~1548)駿河守
→譜代衆、武田信虎七家老から武田晴信筆頭家老へ。信虎追放の立役者。

甘利あまり虎泰とらやす40代後(?~1548)備前守
→譜代衆、武田信虎中堅家臣から武田晴信家老へ。信虎追放の主要メンバー。

鎌田かまた長門ながと守40代後(?~1545)
→譜代衆、武田信虎中堅家臣から武田晴信家老へ。信虎追放の主要メンバー。

飯富おぶ虎昌とらまさ39(1504~1565)兵部少輔
→譜代衆、武田信虎中堅家臣から武田晴信中堅家臣へ。信虎追放の主要メンバーになるも親惣領家的思考のため厚遇されず。通称〝オブトラ〟

秋山あきやま虎繁とらしげ16(1527~1575)伯耆守
→譜代衆、中堅家臣、元武田晴信小姓、家督を継いで当主へ。鎌田長門配下。

小畠おばた虎盛とらもり52(1491~1561)山城守
→外様衆、遠江国出身。亡父とともに士官。外様の最古参。怪物級の豪傑だが……。通称〝オバトラ〟

横田よこた高松たかとし56?(1487?~1551)備中守
→外様衆、近江国出身。信虎のヘッドハントで士官したといわれる。

神屋かみや東海道うみつみち
山本やまもと秋津あきつ18 (1525~1545)
→山本勘介娘設定。博多商人神屋。業務は廻船問屋、貿易商、浪人兵派遣、行商など、神屋八人衆の東海道頭目、遠江国相良に大塩田を持ち浜岡を拠点とする。秋津丸船頭兼任。

大仏おさらぎ庄左衛門しょうざえもん55(?~1561)
→ショウ、秋津護衛、傅役、秋津丸整備頭、のち山本勘介家臣。

諫早いさはや佐五郎さごろう54 (?~1561)
→サゴ、秋津護衛、傅役、秋津丸航海頭、のち山本勘介家臣。

加藤かとう段蔵だんぞう30代 (?~?)
→派遣浪人、出身不明、通称〝跳び加藤〟

大林おおばやし勘介かんすけ50?(1493?~1561)
→本姓山本、最初今川家臣庵原氏食客、駿河国出身、時々浪人として秋津の浪人衆参加、武田家士官に成功する。

工藤くどう祐長すけなが20 (1522~1575)
→スケ、秋津丸船頭候補、元武田晴信小姓、のち武田家臣復帰。

●神屋北陸道くぬがのみち
☆ ジゥリー?(?~?)
→神屋北陸道頭目、明国の寧波出身、信濃では村上領より北側を商圏開発。伊那郡を商圏開発した秋津を対抗心を燃やしてる。信濃国は東山道だが、担当頭目が信濃、美濃、飛騨、近江は手が出せないと半ば放棄してる。
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