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第一部
8話 夕凪の頃
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ゴローが帰った後、再び窓ががたがたし始めた。
「チッ、また来たか」
真が舌打ちする。
「和樹、母親の携帯番号教えな」
「えっ?」
「早く! 黄泉淵様が来る前に」
「うう……」
ごにょごにょと番号を伝えると、いつのまに奪ったのか、和樹のスマホに真がカカカっと番号を打ち込む。
「お前、いつも母親のことなんて呼んでる?」
早口で尋ねる真に気圧されて「お母さん、ですけど」と答えると、真が無表情で和樹を見下ろした。
「じゃあ呼び方は『お袋』がいいかな。母親に電話口で『お袋、いつも愛してるぜ』って言え。一言一句このままな」
「えええええ!? 嫌ですよ」
「すまん、今はこれしか方法がないんだ」
真が緑の通話ボタンを押し、通話口を和樹の口に押し付ける。
呼び出し音が流れて止まり、母親の声がした。
「和樹?」
ここは腹をくくろう。どんな恥も命には代えがたい。
「お、お……お袋、いつも愛してるぜ!」
さっきまで起っていた箇所が急速にしぼんでいくのを感じる。真がスマホを持っていない方の手で口を押さえて後ろを向いた。絶対楽しんでるだろこの人。
数秒の間を置いて、「はあ?」と鋭い声が聞こえる。
「あんた、酔ってるの? 未成年のくせに?」
「あ、いや」
「ああもう二十歳だっけ? なんでもいいわ。もう二度と電話してこないでちょうだい」
ガチャ。ツーツーツー。
気まずさが空気を支配した。
「あー」
何かを察した真が頭をかく。
「すまん、そういう感じだったとは思わなくて」
「……もういいです。それより、黄泉淵様は?」
真が顎を上げて窓を見る。先ほどまで吹き荒れていた風はもう止まっている。
「夕凪の時間だ。凪ってのは朝と夕方にある風が吹かない時間のことだな。この間は黄泉淵様も身動きが取れない。夕飯にしようぜ」
するすると縄を解かれて、凝り固まった肩を和樹はぎこちなく回した。
「これ、膝に掛けてな」
真が毛布を投げてよこす。和樹の服の股間部分は染みになっていて、恥ずかしくなって慌てて毛布で隠した。
たたんであったちゃぶ台を組み立てて、さっきゴローが持ってきた二人分の白飯とみそ汁、焼き魚の膳を置く。
「冷めてて悪いな。あっためるか?」
「いや、このままでいいです」
両手を合わせて白米を口に入れると、喉奥がじんと熱くなった。
せきが切れたようにぽろぽろこぼれる涙を見て、真は慌てたように箸を置いた。
「悪い、縛った跡が痛むのか?」
「いえ、ただみじめで」
鼻をすすって味噌汁を飲む。あと何時間辱めを受ければ終わるのか知らないが、空腹の状態で耐えるのは辛そうだ。食べられるうちに食べておかなければ。
「あー、聞いていいのかわからないんだが、母親と仲が悪いのか?」
「……あの人、いわゆる教育ママで。高校まで過干渉だったんですけど、俺がいい大学にいけなかったからもう失望されてるんです。生活費は出すから、せめて世間体のためにみっともない真似だけはしないでくれって」
魚をほぐして熱い喉に放り込む。塩辛いのは醤油のせいだけではない。
「ごめんな、母親に電話なんてさせて」
「いや、いいんです。黄泉淵様に連れていかれても『あいつ』に会えないならいっそ……」
真の眉根が寄った。
「おいちょっと待て、お前の『好きな子』って……」
「自殺でした」
「……」
真が絶句する。
僕、和樹のことが好き。
幼馴染に告げられたのが中学1年生のときだった。
そのときはひどく舞い上がって、喜んで受け入れた。自分と幼馴染が登場する短編小説を書いたりなんかして、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
キスはまだ早いよ。幼馴染はそう言っていたが、気持ちが抑えられなかった。
中学二年生の夏、彼にキスしようとしていたところを偶然母親に見られてしまった。
床に落ちるコップ。流れるオレンジジュース。
「うちの息子をたぶらかして。気持ち悪い」
のちに母親が幼馴染に言い放った言葉だ。
噂は一瞬にして広まり、和樹と幼馴染は学校でいじめられるようになって、自然と疎遠になっていった。
中学3年生にあがったばかりの春に、幼馴染は死んだ。
部屋には大量のオカルト本と、術式を使った痕跡。そして遺書が一通。
僕は黄泉の国で暮らします。そんな言葉を遺して彼は死んだ。
「俺だっていろいろ調べたんです。黄泉の国へ行く方法。普通に死んだ魂は消えてなくなる。黄泉の国へ行くには、神様に見初められなければならない。でも俺の力じゃ術式なんて使えなかった」
「だから祠を壊してたのか。神に黄泉の国へ連れて行ってもらうために」
真の眉間にしわが寄っている。
母親の望む名門大学は合格圏内だった。しかし、和樹が受験したのは宗教学科のある中堅私立大学だった。すべては「あいつ」に会うために。インターネットの裏アカに思いを吐き出しながら、必死に勉強して、ここまでたどり着いた。なのに……。
「あいつは遺書で俺に言ったんです。生きろって。到底受け入れられなかった。でも、ようやくわかりました。あいつはもう『次』を考えていた。気持ちはもう俺に向いてなかったんだって」
再び涙があふれてくる。
真の手がおずおずと伸びてきて、和樹の頭に置かれた。そのままわしわしと撫でられる。
「つらかったんだな。とにかく俺が和樹の地雷踏みまくってたのはわかったよ。ほんとごめんな」
「……いえ」
「その辺は今後配慮するから」
「今後?」
「お清めだよ。俺は神職としてお前を生かす責任がある」
薄暗くなってきた窓を真が見上げる。
「そろそろ夕凪の時間も終わる。続けるぞ、お清め」
「……」
「そんな顔するな。俺が絶対に和樹を助けてやる」
真の腕が和樹の頭を引き寄せる。
じんわりと心地がよくて、和樹は真の肩に顔をうずめた。
「チッ、また来たか」
真が舌打ちする。
「和樹、母親の携帯番号教えな」
「えっ?」
「早く! 黄泉淵様が来る前に」
「うう……」
ごにょごにょと番号を伝えると、いつのまに奪ったのか、和樹のスマホに真がカカカっと番号を打ち込む。
「お前、いつも母親のことなんて呼んでる?」
早口で尋ねる真に気圧されて「お母さん、ですけど」と答えると、真が無表情で和樹を見下ろした。
「じゃあ呼び方は『お袋』がいいかな。母親に電話口で『お袋、いつも愛してるぜ』って言え。一言一句このままな」
「えええええ!? 嫌ですよ」
「すまん、今はこれしか方法がないんだ」
真が緑の通話ボタンを押し、通話口を和樹の口に押し付ける。
呼び出し音が流れて止まり、母親の声がした。
「和樹?」
ここは腹をくくろう。どんな恥も命には代えがたい。
「お、お……お袋、いつも愛してるぜ!」
さっきまで起っていた箇所が急速にしぼんでいくのを感じる。真がスマホを持っていない方の手で口を押さえて後ろを向いた。絶対楽しんでるだろこの人。
数秒の間を置いて、「はあ?」と鋭い声が聞こえる。
「あんた、酔ってるの? 未成年のくせに?」
「あ、いや」
「ああもう二十歳だっけ? なんでもいいわ。もう二度と電話してこないでちょうだい」
ガチャ。ツーツーツー。
気まずさが空気を支配した。
「あー」
何かを察した真が頭をかく。
「すまん、そういう感じだったとは思わなくて」
「……もういいです。それより、黄泉淵様は?」
真が顎を上げて窓を見る。先ほどまで吹き荒れていた風はもう止まっている。
「夕凪の時間だ。凪ってのは朝と夕方にある風が吹かない時間のことだな。この間は黄泉淵様も身動きが取れない。夕飯にしようぜ」
するすると縄を解かれて、凝り固まった肩を和樹はぎこちなく回した。
「これ、膝に掛けてな」
真が毛布を投げてよこす。和樹の服の股間部分は染みになっていて、恥ずかしくなって慌てて毛布で隠した。
たたんであったちゃぶ台を組み立てて、さっきゴローが持ってきた二人分の白飯とみそ汁、焼き魚の膳を置く。
「冷めてて悪いな。あっためるか?」
「いや、このままでいいです」
両手を合わせて白米を口に入れると、喉奥がじんと熱くなった。
せきが切れたようにぽろぽろこぼれる涙を見て、真は慌てたように箸を置いた。
「悪い、縛った跡が痛むのか?」
「いえ、ただみじめで」
鼻をすすって味噌汁を飲む。あと何時間辱めを受ければ終わるのか知らないが、空腹の状態で耐えるのは辛そうだ。食べられるうちに食べておかなければ。
「あー、聞いていいのかわからないんだが、母親と仲が悪いのか?」
「……あの人、いわゆる教育ママで。高校まで過干渉だったんですけど、俺がいい大学にいけなかったからもう失望されてるんです。生活費は出すから、せめて世間体のためにみっともない真似だけはしないでくれって」
魚をほぐして熱い喉に放り込む。塩辛いのは醤油のせいだけではない。
「ごめんな、母親に電話なんてさせて」
「いや、いいんです。黄泉淵様に連れていかれても『あいつ』に会えないならいっそ……」
真の眉根が寄った。
「おいちょっと待て、お前の『好きな子』って……」
「自殺でした」
「……」
真が絶句する。
僕、和樹のことが好き。
幼馴染に告げられたのが中学1年生のときだった。
そのときはひどく舞い上がって、喜んで受け入れた。自分と幼馴染が登場する短編小説を書いたりなんかして、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。
キスはまだ早いよ。幼馴染はそう言っていたが、気持ちが抑えられなかった。
中学二年生の夏、彼にキスしようとしていたところを偶然母親に見られてしまった。
床に落ちるコップ。流れるオレンジジュース。
「うちの息子をたぶらかして。気持ち悪い」
のちに母親が幼馴染に言い放った言葉だ。
噂は一瞬にして広まり、和樹と幼馴染は学校でいじめられるようになって、自然と疎遠になっていった。
中学3年生にあがったばかりの春に、幼馴染は死んだ。
部屋には大量のオカルト本と、術式を使った痕跡。そして遺書が一通。
僕は黄泉の国で暮らします。そんな言葉を遺して彼は死んだ。
「俺だっていろいろ調べたんです。黄泉の国へ行く方法。普通に死んだ魂は消えてなくなる。黄泉の国へ行くには、神様に見初められなければならない。でも俺の力じゃ術式なんて使えなかった」
「だから祠を壊してたのか。神に黄泉の国へ連れて行ってもらうために」
真の眉間にしわが寄っている。
母親の望む名門大学は合格圏内だった。しかし、和樹が受験したのは宗教学科のある中堅私立大学だった。すべては「あいつ」に会うために。インターネットの裏アカに思いを吐き出しながら、必死に勉強して、ここまでたどり着いた。なのに……。
「あいつは遺書で俺に言ったんです。生きろって。到底受け入れられなかった。でも、ようやくわかりました。あいつはもう『次』を考えていた。気持ちはもう俺に向いてなかったんだって」
再び涙があふれてくる。
真の手がおずおずと伸びてきて、和樹の頭に置かれた。そのままわしわしと撫でられる。
「つらかったんだな。とにかく俺が和樹の地雷踏みまくってたのはわかったよ。ほんとごめんな」
「……いえ」
「その辺は今後配慮するから」
「今後?」
「お清めだよ。俺は神職としてお前を生かす責任がある」
薄暗くなってきた窓を真が見上げる。
「そろそろ夕凪の時間も終わる。続けるぞ、お清め」
「……」
「そんな顔するな。俺が絶対に和樹を助けてやる」
真の腕が和樹の頭を引き寄せる。
じんわりと心地がよくて、和樹は真の肩に顔をうずめた。
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