卵の創世記

星蝶

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EpisodeⅡ

2-15 少女、目する悪意

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 遂に来たと言うべきか。ようやく来たと言うべきか。やはり来たと言うべきか。

 本国から軍を借り受けたセブルスはそこにはいない。能力が合計90%も減少していればここにいないのも当然と言える。
 だが、油断などしてはいけない。

「……エクリーちゃん、ごめんなさい」

 それはすぐそこまで騎士の軍勢が迫ろうとしていた時であった。沈痛な面したジネヴラに「どうしたの?」としかエクリーは言えなかった。

「今回の攻防戦に私もアヴィも参加出来そうにない」
「……そ」

 怒っていいだろう。最終手段として残していたアヴィスはともかく遊撃及び防衛の主力であるジネヴラが辞退するのだから。
 しかし、怒りなど湧かない。ただ怖いだの、殺したくないだのというくだらない理由ではないとわかっているからだ。

「敵には神の加護を持った者がいる」

 それはあまりにも想定外であった。あの創世と共に生まれた神が力を現世にそこまでの干渉をするとは思っていなかった。

「複数種族からなる魔物の群れは脅威で、ファーリ旦那様やエクリーちゃんみたいな異質な存在がいる」

 神々は脅威を数値で表す。
 邪悪なる神々の方が脅威であるため、現世にて信者獲得だの暗躍だのはしていなかった。
 だが、『竜王』の異名を持つアヴィスと邪悪なる神々の1柱に数えられるジネヴラが彼らと共に戦えばどうなるか。それも、自身の加護を与えた相手に対し。

「そこに私達も加われば世界の外に目を向けていた神の軍勢が私達を封印すべく、殺すべくやって来る」

 将来的な脅威よりも今ある脅威に対応をしている。いや、『今』しか彼らは対応できない。逆に言えば『今』であれば必ず対応して来る。

「だから、ごめんなさい」
「……わかった」敵の布陣、敵戦力を脳内でシュミレートする。「大丈夫……」

 勝たなくてはならないと言う訳ではない。逃げ切ると言う手段もある。相手が籠城戦にもつれ込まされれば敗北は必須だろう。
 けれど、今回は違う。

 敵は一日足りとも無駄にはしない。短期戦を望んでいる。そして、短期戦を少しではあるが長引かせることはできそうだ。

「……一戦争よりも、一殺人の方が愉しいのにどうしてそんなにも争いたがるのかな」

 西側の空を見上げるともう日が昇り始めている。
 森の中から喧騒が聞こえてくる。森が騒がしくなり始めた。

「……大丈夫。きっと、平気……」

 エクリーは考える。
 相手の出方を、相手が取るであろう戦法を。

 ただひたすらに人を人間を殺すことだけに意識を向けていく。

「迷う必要なんてない」

 殺人を悪だと思うのならそう思っていればいい。自身の行為を正当化させたいのではない。善悪、その二つで物事を見る行為が間違っている。
 この世に絶対なる悪が存在しないように、絶対なる善も存在しない。
 誰も彼もが自身の行為を『善』と言う。悪だと言おうとも、その行為の核心は善である。

 彼ら人間がこの地を襲う理由はしっかりとある。
 ひとつが町長の延命のため。ひとつが将来起こるであろう災禍を避けるため。ひとつが魔物という人ではないものが人より優秀であるがため。ひとつが魔物の存在が気に食わないため。ひとつが――、

 挙げようと思えばいくらでも挙げることができる。

 対する魔物側と言えば、
 ひとつが死にたくないから。ひとつが娘を魔の手から守るため。ひとつがやって来たから。ひとつが人間であるため。ひとつが復讐のため。ひとつが――、

 こちら側も挙げようと思えばいくらでも挙げることができる。

 どちらもが正義であることを信条にある。これからの出来事を悪だと思っているものは誰一人としていない。

 だからこそ、

「殺そう」

 決心はついた。この約1年、ただのうのうと魔法を学んできただけじゃない。

「振りかざす手を止めない」

 死なないようにする理由など彼らにはない。殺そうと襲ってくるのだ。殺しても構わない。良心も痛まない。

「手が止まろうと」

 死にたくないと言おうとも関係ない。

「足が止まろうと」

 殺意が霧散しようとも関係ない。

「振るった刃は止まらない」

 彼らはエクリーたちを襲うためだけにやって来た。殺すためだけにやって来た。

「最期くらいは人として終わらせよう」

 それは慈悲ではない。

「だから、逃げるなんてことはしないでね」

 エクリーの口から少しだけ長い鋭く尖った犬歯が現れた。


◇◆◇


「――これは聖戦だ! 神は勝利を望んでいる。――否、勝利しか望んでいない! 敵を殺せ! 赤子であろうが、殺せ! 見逃すなどという可笑しなことは考えるな。生き延びた者は我らを――いや、親しい相手を殺す脅威となるだろう。奴らは獣だ。理性など持ってはおらん。腹を満たす餌としか考えず、我らの子を喰らい尽くすだろう。泣こうが喚こうがそれは何も関係ない。見つけ次第、殺せ。死にそうになろうとも、人類全体のため殺せ。我らは自分自身のために戦うのではない。殺すのではない。死ぬのではない。人間という種の未来のために戦うのだ! 貴様らには望むのはただ一つだけだ! 死をも恐れぬ奮戦を期待する!」

 総指揮官を任せられた彼、テオン・ジグリスは何度も同じことを言っている。しかし、誰一人としてそのことをとやかく言う者はいない。
 自由などと宣っている傭兵たちでさえも彼の演説を前に大人しく聞き耳を立てている。


「ジグリス様」

 士気向上のための演説を数度こなした後、ジグリスの許へとフードを深く被った者がやって来た。

「我らは閣下の悲願を成就するために、これより指揮から外れます」
「ああ、解った」
「では、ジグリス様の男爵位を賜ることを祈っております」
「そちらこそ、閣下の思惑通りに事を成すことを願っている」
「有難く受け取らせてもらいます。ですが、我らは約束されておりますので」
「そうで、あったな」

 神殿が賜った神託は遠征の成功――悪しき魔物の撲滅ではない。この地にいるとされる吸血鬼を捕え、延命に成功するという物だった。

「御使い様方がいる以上、敗北などありえない」
「ははっ、そうでした。そうでした。彼らがいました。しかし、また失敗する可能性もあるのでは?」
「……貴殿が心配するようなことではないだろ」
「いえいえ、我らの目的は吸血鬼を捕らえること。――しかし、あなた方に魔物を駆逐して頂けなければ最悪市街戦に発展するでしょう?」
「つまりは、面倒事を押し付けるな、ということか」
「簡単に言えばそうですね。ですが、ジグリス様ならばそのような失態を起こさないとわかっているので。念のためですよ。念の」
「ふんっ、そうか。なら、さっさと行くがいい。貴殿らの失敗を私の所為にされては困るのでな」

 フッと笑った気がした。
 それと同時にそこには元々いなかったかのように姿が掻き消える。

「転移が使えることを自慢でもしたかったのか?」

 雑念を振り落として机の上に置いてあった鈴を鳴らす。暗幕が上げられ、外の光が中に入り込む。

「時間だ。準備しろ。聖戦の開幕だ」

 その言葉を聞いた部下たちは動き出す。

「何、簡単なことだ。騎士共を死なせないようにしながら、魔物を駆逐するだけのことだ」

 けれど、不安は拭い切れない。
 ここまで兵を増員してまで親類を死なせないように手を打たれているのだ。ひとりでも死なせるようなヘマをすれば自分の首は離れる。もちろん、物理的に。

 だが、何も問題はない。
 肉の壁が九千を超えている。50の坊ちゃん方を護るために世騎士までもが参列している。一部地方で英雄と言われるほどの実力を持った者たちもいる。
 加えて、魔物のエキスパートである傭兵たちも参加している。教会お抱えの傭兵たちであり、魔物相手に遅れなど取ることなどありえない。

 だがしかし、不安が払拭できない。
 何かを忘れている。そんな気がしてしまうのだ。自分の行いが全否定するが如く脳が働かない。

「大丈夫だ。私は失敗などしない。ああ、そうだ! 御使い様方がいる! 英雄方がいる! 負ける? 死ぬ? 負けるはずがない! 死んだとすれば、蘇生させればいいだけだ! なんだ。簡単なことじゃないか! なんで、こんな簡単なことに気がつかなかったんだ! ははは、可笑しくて可笑しくて笑いが止まらん。馬鹿兄の所為で騎士などという道へと放り出されたが、まだ道はある。これが終われば奴を殺すか。そう言えば、確かアシュリーは12歳成人を迎える頃か。あれを正妻にでもして、私がジグリス家の当主になるのも一興だ。――いや、素晴らしい。奴を見返すことも、私も蔑むあの小娘を……ククク」

《条件を満たしました》
《特殊技能〖慈愛〗を獲得しました!》

 テオン・ジグリスの異常なまでの精神の変化を誰も気がつくことができなかった。

「ああ、なんて、私は優しいのだろうか」

 恍惚の境地とでも言うのだろうか。うっとりと明後日の方を向いて口遊んだ。

「フェーロサップ、万歳。総帥に我が力を捧げます」



 彼は――いや、彼女以外は誰も知らなかった。彼女の心の内で育まれて来た狂気の正体を。
 どこまでも暗く深い闇はやって来た生贄をただ殺すべくその手腕を振るった。
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