前髪おろしただけなのに

小寺湖絵

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前髪おろしただけなのに【後】

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「レオナルド!?あんた仕事は!?まさかクビになったの!?」

「今いいとこだってのにぶっとばすぞてめぇ」


それは長期出張中のはずの夫だった。

彼は相変わらず打てば響くように私に返事をしてくるが、その黒い瞳は私ではなく、私の正面を睨みつけている。

そのあまりに獰猛な眼差しを見て、私は初めて、レオナルドが今まで自分に向けていた視線がかなりマイルドだったことに気づいた。


「な…っレオナルド将軍!?ということはこの女の子はまさかアンジュ女史!?冗談だろ!?」


男は真っ青になり譫言のようにそう呟くと、足をもつれさせながらその場を去っていった。


呆然とその後ろ姿を見つめていると、急に掴まれていた右腕を引っ張られる。


「え!?ちょ、どこ行くのよ!」

「あ?帰んだよ」


返ってきた奴の声はまだ不機嫌だった。
奴はいつも不機嫌だが、ここまで不機嫌な声は聞いたことがない。


「帰るって…勝手に決めないでよ。私これからランチに行くんだから」

「はぁ?誰とだよ」

「1人でだけど?」

「………お前が?」


疑わしげな目でじろじろと見つめられ、思わず肩をすくめた。何だかとてつもなく失礼なことを思われている気がする。

せめて威厳を示すため下からギッと睨みつけられると、何故か赤面された。ほんとなんなんだこの男は。


「……てめぇ、その顔やめろって言ってんだろ」

「言われてないわよ」

「じゃあ今言う。やめろ。今すぐやめろ」

「あんたが怒らせるようなこと言うからでしょうが。というかあんた、この間からなんで態度おかしいのよ」


思わず呆れ返って脱力すると、レオナルドはぐぬぬと唇を噛み視線を彷徨わせる。そんなところもおかしい。いつもだったら小気味のいい返事が返ってくるのに。


「…………飯には今度俺が連れてってやる。だから今日は帰るぞ」

「はぁ?なんであんたと行かなきゃなんないのよ」

「お前がそんな格好して野郎に狙われるからだろうが!」
 

 
今日だけで何度言ったかわからないが、やはり「はぁ?」と言う言葉しか出てこない。

どうしてこいつにそんなことを言われなくてはのらないのか。

頭に大量のはてなを浮かべていると、先ほどまでの騒ぎようが嘘のように、奴は搾り出すような声で言った。


「………なんではこっちのセリフだ。俺の前では、そんな格好、しねーだろうが………」



え。


顔を逸らし、真っ赤な顔を片手で覆うようにしてそう吐き捨てる奴に、私は絶句した。
 

え、なにそれ。

そんな理由?

まさか、私が他の男とご飯に行くと思って怒ってたの?


「…っふふ、ふふふふふっ、ははははは!」


数秒後、私は数年ぶりに高らかな笑い声をあげていた。こんなに笑ったのは久しぶりだ。

案の定、レオナルドはさらに耳まで赤面して劣化の如く怒り出す。


「笑うんじゃねえ!」

「はは…っだってあんた…っそんなことで拗ねてたとか……っ!」

「拗ねてねえ!」


初めてこの男に対して可愛いと言う感情が湧いた。

笑いのツボが治るまで随分の時間を要した。

その間レオナルドはずっと何かを言っていて、この数週間乾いていた心がすっと満たされていくのを感じる。

はぁはぁ言いながらようやく笑うのをやめた私は、改めてレオナルドと向き合う。

レオナルドはびくりと肩をゆらし、どこかムッとした顔で言った。


「な、なんだよ。やるか?」


昔から勉強と仕事しかしてこなかった。
結婚なんて名字が変わるだけだし、デートなんてナンセンス。

そう思っていた。

だが、


「いいわよ」


手綱でずたずたになった奴の両手をギュッと握り、わざと上目遣いに奴の顔を見上げる。

案の定赤くなった耳に向かって、私はそっとささやいた。


「今度とびきりおしゃれして、あんたとデートしてあげる」

 
「~~~~ッッ!?」


どうしよう。

何か目覚めそうだ。

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