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外の空気を肺に吸い込めば、少し落ち着ける気がした。
結局のところ、こんな場所もこんな恰好も、俺には場違いで。そう思いながらも、圭人に頼まれれば嫌と断る選択肢はない。
だって、黙っていたあいつから話を引っ張り出したのは俺なのだ。そりゃ、責任ぐらいは存在する。
「とはいえ……疲れる、なぁ」
近くの花壇を覗き込んでいる楓と智にぃには聞こえないようにつぶやいた。
どれだけ気合を入れてみても、自分の責任だと思ってみても。俺と圭人の住む世界は違い過ぎて、そこにいるあいつを見続けることはけっこうしんどい。
たぶんだけれど、楓はそれをわかってくれていて。だから俺を、外へと連れ出してくれたんだろう。
兄として情けない限りではあるけれども、そんな弟の気遣いが嬉しかった。
「楓」
「ん?なに」
手招きして呼ぶと、小さな歩幅で近寄ってくる。ベンチに座った俺の正面に立つから、そのまま腰の辺りに抱き着いた。
「なんだよ、どしたの?」
「んー。なんでもないけど、ありがと」
「なんだそれ」
くすくすという笑いが頭の上で聞こえる。
視線を上にあげれば、軽く首を傾げた楓と目が合って。いつもより少し濃いめのメイクは、よく似合っていた。
俺も、楓みたいだったらよかったのに。
何度となく胸に飛来するその考えをなんとか脇へと押しやって、小さく笑う。
「少し休憩したら戻ろうか。もうすぐパーティーも終わると思うよ」
『さすが』
花壇のバラを眺めていた智にぃが振り返って言うから、俺と楓の声が重なった。
だから、と困ったように眉を下げたとにぃの顔は見慣れたそれで。
腕を離し、そのまま楓の表情を伺い見れば、嬉しそうに笑っている。
楓と智にぃが、互いに好き合っていることが嬉しい。そう思えるのは、俺が圭人を好きになったからっていうのがきっと大きいんだろうなと考えた。
二人のことは大好きだけれど、もし圭人がいなくて二人が付き合って、なんてなったら疎外感はどうしたってあるわけで。
ずっと三人でいたから、俺はその状況に甘えてしまっていたし。優しい二人が俺に気を使うのも、わかりきっている。
そこまで考えて、もしやたらればの話に意味はないし、何よりそんなふうに思ってしまう自分が嫌になった。
「楓ぇ」
「どしたよ樹」
「なんか俺、すごい今マイナスっぽい」
「……いつもじゃん」
呆れたように言われて吹き出す。こら、とたしなめる智にぃの声がしたけれど、俺自身反論できないんだから別にいい。
「まったく。またひとりでいろいろ考えてぐるぐるしてんの?」
「……うん」
「圭人のこと、だよなぁ」
それだけが原因なわけじゃないけれど。大半はそれなので、頷きを返した。
「引け目みたいなもの、どうしても感じるから」
「無理もないとは思うけどね。僕だって感じるもの」
「正直俺も感じないって言ったら嘘だけどさ。樹はあいつの家とか行ったことあんだろ?」
「実家は、ないかな……独り暮らししてるマンションだけ」
「そのマンションにしたって、大学生が一人で暮らすには豪華だと思うけどね」
軽く肩をすくめた智にぃに視線を移す。
「でも、圭人くんは圭人くんじゃない。そもそも最初、やたら貢ごうとしてたの忘れちゃった?」
「み、貢ごうと、って」
「なんだっけ、服とか。髪もだし、コンタクトとかそういうのも、全部圭人くんが買おうとするって言ってたじゃない」
直接智にぃに話した覚えは俺にはなかったけれど、どうせ楓から筒抜けなのだ。うん、と頷くと、優しい手が頭を撫でてくれた。
「それを一個一個、やめろって言い続けたのは樹くんでしょ。だから、圭人くんの後ろにある、お父さんとか会社とか関係なく彼を好きなんだなって僕は思ったけど」
顔が熱くなるのがわかって、だけど頭の上にある手はそんなことを気にするわけもなく。
俺もそう思ったよ、なんて楓が言うから、頷くしかなくなる。
「圭人くんが、楓や樹と同じ、ただの大学生だったとしたって――きっと、同じように彼は樹を好きになったし、樹だって圭人くんを好きになってたと思うな」
返す言葉が出てこなくて、代わりに涙が出そうになった。
俺は、そうだけど。圭人は本当に、そうなんだろうか、なんて。
たまたま俺が、あいつの世界と違うところにいたから、物珍しさから好きになったってだけじゃないのか、なんて。
思考はどんどんマイナスな方向に落ち込んでいって、俺はしばらくその場から動けそうになかった。
渋々、ではあるのだけれど。さすがに中座したままなのも悪いだろうと、会場に戻ることにする。
心配そうな楓になんとか笑顔を返し、ざわつく会場へと入った。照明が抑えられた中、壇上のライトが当たる場所にいる圭人が見える。
マイクを手に、何かを話しているみたいだった。隣には、黒いドレスの綺麗な女性が微笑んでいる。
本来は、それが普通の光景だ。あいつのいる場所は壁際の俺の隣なんかじゃなく、会場の真ん中で。綺麗な女性と並んでいるのが、普通のはずだ。
だけど、苦しくて。見たくなくて、逃げ出してしまおうかと思う。
その瞬間、あいつが俺を見た。目が合って、踵を返そうとした足はすくんでしまう。
『だけど、本当に……本当に、世界を広げてもらったのは俺の方だ。自分も知らなかった自分を知って、誰も知らなかったお前を知れて、誰よりも好きになった』
何を言ってるんだと、そう思うのに。言葉なんてまともに出てきてくれるわけもなく、小さく首を横に振って、楓の後ろに半分隠れた。
そんな俺からけして視線を外そうとはせず、あいつは続ける。
『今日、俺の大学の友人も招待しているんです。彼らの曲も、ぜひ聞いてもらいたいですね』
こめが俺の肩を撫でた。優しく、だけど勇気づけるみたいに。
「ほら樹、なんかやって欲しいって」
「む、むり、無理無理無理無理、こんな人たちの前でなんて」
「俺も一緒にやるよ。歌とかさ、それなら大丈夫だろ」
「お、お前なんで平気なんだよ」
平気じゃないけどさぁ、と言いながら楓目線は智にぃに向けられる。完全に他人事の顔をしていた彼は、びくりと肩を跳ねさせた。
「な、なに楓」
「もちろん智にぃも一緒にやるよな?楽器なんでもいけるもんな」
「え」
「な?」
にこにこと笑う楓に対して、智にぃがそれを拒否できる理由もない。
そしたら俺は別に引っ込んでていいんじゃないかと思ったけれど、楓は俺も智にぃも逃がすつもりはないようで。がし、と右手と左手で俺たちの手首を掴む。
戸惑っている間に、圭人が壇上を離れて。いい笑顔を浮かべたまま、俺たちのほうへと近寄ってきた。
「そういうわけで、頼まれてくれるか?」
「……お、俺で、いいのかよ……」
小さな声で言う圭人の両目は、俺だけを見ている。
そのことが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、周りを見る余裕のある楓が羨ましくもあり、なんだか心中はかなりぐちゃぐちゃで。
「俺はお前の音楽が一番好きだから、聞きたい」
でもそんなことを言われたら。嘘なんて一片もない、そんな顔をして、俺のがいいなんて言われてしまったら。
智にぃが楓の言葉を拒否できないのと同じで、俺だって、圭人に頼まれることだったらなんだって叶えてやりたくなってしまうんだ。
笑顔で去っていった圭人の父親の背中を思い出す。
智にぃよりもさらに高い身長と、俺と圭人を足してもまだ余裕のありそうな広い――というか大きな体。それを嬉しそうに楽しそうに揺らして、俺と握手とハグをしてくれた。
「好きな部屋行ってて。俺もすぐ行くから」
「う、うん」
その父を送ってくるからと、圭人に耳元で囁かれて、こくりと頷く。
滑り出した車を二階の窓から見送って、改めて一階のリビングへ降りた。
「……常識が崩壊してくわ」
「同感」
そこでは楓と智にぃが周囲を見回していて。
俺はといえば少し慣れてしまって、その辺もたぶんちょっとおかしくはあるのだけれども。
「いいから部屋決めよ。俺、階段あがって右側でいい?先に荷物置いちゃったし」
「どこでもいいよ……どうせ全部馬鹿みたいに広いんだろ」
「楓ってば」
口の悪い楓の言い分は当たっているので、苦笑しつつ頷く。
「なんか食べる?圭人は好きにしろって言ってたけど」
「けっこう食べたからそんなに。飲み物は欲しいかも」
「俺もそれだな。智にぃは?」
「僕も。コーヒーお願いしていい?」
いいよ、という俺の声に礼を言いながら、二人が階段を上がって行ったので、適当にその辺の棚を開けて薬缶を探し、水を入れて火にかけた。
反対側に向き直り、今度は食器棚からマグカップを三つ取り出す。緑と、赤いのと、青いそれをカウンターキッチンに並べた。
またも棚を漁る。生憎インスタントのコーヒーも、ティーバッグも見つからない。
「……紅茶はどうにかなるけどコーヒーは難しいな……智にぃに頼もう」
結局見つかったのは茶葉と、挽かれたコーヒー豆。普段あまりコーヒーを飲む習慣がない俺としては、道具は解るもののどうしていいやら困ってしまう。
「あれ、どしたよ樹」
「あ、楓。これできる?」
そこへ楓が下りてきたので駄目元で聞いてみた。楓も普段コーヒーは飲まない、はずなのだけれど。
「あーできるできる。貸して」
「マジで?じゃあコーヒー頼むわ、俺紅茶淹れる」
「サンキュ」
礼を言うのはこっちのほうだと笑う。
それにしても、と沸騰を知らせた薬缶のために火を止めて、楽しそうにコーヒーの準備をする楓を眺めた。
「お前、かわいいな」
「な、なんだよ急に」
「だってお前、家でコーヒーなんか飲まないじゃん?」
俺の言葉の意味を考えて、理解したのか、一瞬のあと顔が赤く染まる。
「な、なな、な、っ」
「全部智にぃのためだろ?かわいいなって」
「そ、そそ、そんなの、樹だって、そうだろ?!」
「なにが」
「飯だよ飯!あんな家庭料理とか手の込んだものとか作れなかったじゃん!」
「お前だって家で食ってんだからいいじゃん」
不毛な言い争いをしているうちに、智にぃが下りてきた。何とも言えず楽しそうな笑みを浮かべて、大丈夫かと声をかけてくれる。
「なー、智にぃ。楓かわいいよな」
「そうだねかわいいよね」
「な、なな、なに、何言って、何言ってんの二人とも!」
「そうやって照れるとこも僕としてはかわいいと思うんだけど」
「惚気ごちそうさま。で、コーヒーできた?」
「るっさい!樹の馬鹿!お湯ちょうだい!」
怒鳴りながら、俺の手から薬缶を奪っていって、それでもやたら丁寧にお湯を注ぐ様子を智にぃと共に見守った。
尖らせた唇が少しずつ緩んで、薬缶が戻ってくる。コーヒーができあがるころには、楓の機嫌も直るだろう。
苦笑と共に、中身が色濃くなっていくガラスのティーポットを眺めて。早く圭人に戻ってきて欲しいな、なんて考えた。
ノックされた扉を開けて、あれ、と思った。だけど、嫌だとかそういうわけじゃなくて。
着替えた圭人が俺が使う部屋に来て、むしろ逆に首を傾げられる。理由は簡単に思い当った。俺の格好のせいだ。
大した理由があるわけじゃない。じゃない、けど。
「もったいねーな、脱がすの」
頬に触れた唇が楽しそうにそんなことを言う。
ベッドに背中を埋めて、俺の体に触れる手に意識を委ねて。まるでまどろむような感覚に、ふわりと微笑んだ。
「じゃあ、少し話でも、する?」
「この状況でかよ」
「そうだよ」
俺からも唇で頬に触れて、ゆるく両腕を回し抱きしめる。
「俺としては、なんで急に演奏してなんて言い出したのか知りたい」
「あー……それな」
「ずいぶん歯切れ悪いじゃん」
「一番わかりやすいかと思って」
話をしながらも、合間合間に触れあう唇や、服越しに撫でていく手が心地いい。
圭人の言葉に少し首を傾げると、腰の位置にあるベルト代わりのリボンを取り去っていった。
「わかりやすいって?」
「俺の親父と、興味本位で俺の好きなやつを探そうとしてた奴らに」
「は?」
どういうことなのかと疑問を顔に浮かべる。
「あの時、隣に我が物顔で立ってた女の人がいただろ?」
「……うん」
黒いドレスのよく似合う、美人な女性だった。二人が並ぶとお似合いだったなと思い出して、自分でも表情が曇ったのがわかる。
「あの人が、どうかした?」
「言い寄られてた。きっぱり断ったけどな」
「正直かよ」
だけど、俺に落ちたそんな影は圭人の一言ですぐにどこかへ放り投げられてしまって。
単純な自分がおかしいやら、嬉しいやらで、回した腕に少しだけ力をこめた。
「で、そんときに、会場内に好きな奴がいるって言ったらあの茶番仕組まれたってわけ」
「……ん?待て?どゆこと?」
「俺の親父にも紹介できたし、結果オーライってやつだけどな」
「え、な、え?それ、って、親父さんにバレたって、そういうこと?」
「だと思うけど。俺がはっきりは言わないから、たぶん親父もはっきりは言わないだけだと思う」
ちょっとショックというか、衝撃が大きくて。
馬鹿みたいにぽかんと口を開き、すぐ近くにある整った顔を見つめる。
「お前、全部聞いてなかったもんな。俺の話」
「あ、あたりまえだろ?!楓と智にぃと、中庭にいたんだから!」
問題はそこじゃないような気もするが、どういうことなのかを聞こうとした口は軽く塞がれてしまう。
入ってくる舌に抗うこともできなくて、きゅう、と俺の指先が圭人の背中側のシャツを掴んだ。
はふ、と息を吐く。いつの間にか脱がされた服が、ベッドの下に落とされた。
「け、けいと」
「あんまり気にしなくていいって。親父が何か言ったわけじゃねーし?」
「い、いや、気にする、だろ……お前の話じゃ、親父さんだけじゃ、ないじゃん」
「だから楓と智にぃも引っ張り出してやっただろ?」
「なんのカモフラージュだよ……」
思わず呆れた声が出る。
だってそれじゃあ、結局圭人が男の人が好きだってあの場で明言したようなもんじゃないか。
「つまり何?会場内に好きな相手がいて?」
「そいつの演奏が上手いって話をした」
「……おい」
「お前ひとり呼んでも良かったんだけどさ。たぶんそれは、樹が嫌がると思って」
「いや、っていうか」
「俺のために。だろ?」
ぐ、と答えにつまった。
生憎それは正解で、無駄に正直な俺は目線を逸らして口を噤むことしかできない。
だけど、圭人は。俺の上で、やけに嬉しそうに幸せそうに、柔らかく微笑んだ。
結局のところ、こんな場所もこんな恰好も、俺には場違いで。そう思いながらも、圭人に頼まれれば嫌と断る選択肢はない。
だって、黙っていたあいつから話を引っ張り出したのは俺なのだ。そりゃ、責任ぐらいは存在する。
「とはいえ……疲れる、なぁ」
近くの花壇を覗き込んでいる楓と智にぃには聞こえないようにつぶやいた。
どれだけ気合を入れてみても、自分の責任だと思ってみても。俺と圭人の住む世界は違い過ぎて、そこにいるあいつを見続けることはけっこうしんどい。
たぶんだけれど、楓はそれをわかってくれていて。だから俺を、外へと連れ出してくれたんだろう。
兄として情けない限りではあるけれども、そんな弟の気遣いが嬉しかった。
「楓」
「ん?なに」
手招きして呼ぶと、小さな歩幅で近寄ってくる。ベンチに座った俺の正面に立つから、そのまま腰の辺りに抱き着いた。
「なんだよ、どしたの?」
「んー。なんでもないけど、ありがと」
「なんだそれ」
くすくすという笑いが頭の上で聞こえる。
視線を上にあげれば、軽く首を傾げた楓と目が合って。いつもより少し濃いめのメイクは、よく似合っていた。
俺も、楓みたいだったらよかったのに。
何度となく胸に飛来するその考えをなんとか脇へと押しやって、小さく笑う。
「少し休憩したら戻ろうか。もうすぐパーティーも終わると思うよ」
『さすが』
花壇のバラを眺めていた智にぃが振り返って言うから、俺と楓の声が重なった。
だから、と困ったように眉を下げたとにぃの顔は見慣れたそれで。
腕を離し、そのまま楓の表情を伺い見れば、嬉しそうに笑っている。
楓と智にぃが、互いに好き合っていることが嬉しい。そう思えるのは、俺が圭人を好きになったからっていうのがきっと大きいんだろうなと考えた。
二人のことは大好きだけれど、もし圭人がいなくて二人が付き合って、なんてなったら疎外感はどうしたってあるわけで。
ずっと三人でいたから、俺はその状況に甘えてしまっていたし。優しい二人が俺に気を使うのも、わかりきっている。
そこまで考えて、もしやたらればの話に意味はないし、何よりそんなふうに思ってしまう自分が嫌になった。
「楓ぇ」
「どしたよ樹」
「なんか俺、すごい今マイナスっぽい」
「……いつもじゃん」
呆れたように言われて吹き出す。こら、とたしなめる智にぃの声がしたけれど、俺自身反論できないんだから別にいい。
「まったく。またひとりでいろいろ考えてぐるぐるしてんの?」
「……うん」
「圭人のこと、だよなぁ」
それだけが原因なわけじゃないけれど。大半はそれなので、頷きを返した。
「引け目みたいなもの、どうしても感じるから」
「無理もないとは思うけどね。僕だって感じるもの」
「正直俺も感じないって言ったら嘘だけどさ。樹はあいつの家とか行ったことあんだろ?」
「実家は、ないかな……独り暮らししてるマンションだけ」
「そのマンションにしたって、大学生が一人で暮らすには豪華だと思うけどね」
軽く肩をすくめた智にぃに視線を移す。
「でも、圭人くんは圭人くんじゃない。そもそも最初、やたら貢ごうとしてたの忘れちゃった?」
「み、貢ごうと、って」
「なんだっけ、服とか。髪もだし、コンタクトとかそういうのも、全部圭人くんが買おうとするって言ってたじゃない」
直接智にぃに話した覚えは俺にはなかったけれど、どうせ楓から筒抜けなのだ。うん、と頷くと、優しい手が頭を撫でてくれた。
「それを一個一個、やめろって言い続けたのは樹くんでしょ。だから、圭人くんの後ろにある、お父さんとか会社とか関係なく彼を好きなんだなって僕は思ったけど」
顔が熱くなるのがわかって、だけど頭の上にある手はそんなことを気にするわけもなく。
俺もそう思ったよ、なんて楓が言うから、頷くしかなくなる。
「圭人くんが、楓や樹と同じ、ただの大学生だったとしたって――きっと、同じように彼は樹を好きになったし、樹だって圭人くんを好きになってたと思うな」
返す言葉が出てこなくて、代わりに涙が出そうになった。
俺は、そうだけど。圭人は本当に、そうなんだろうか、なんて。
たまたま俺が、あいつの世界と違うところにいたから、物珍しさから好きになったってだけじゃないのか、なんて。
思考はどんどんマイナスな方向に落ち込んでいって、俺はしばらくその場から動けそうになかった。
渋々、ではあるのだけれど。さすがに中座したままなのも悪いだろうと、会場に戻ることにする。
心配そうな楓になんとか笑顔を返し、ざわつく会場へと入った。照明が抑えられた中、壇上のライトが当たる場所にいる圭人が見える。
マイクを手に、何かを話しているみたいだった。隣には、黒いドレスの綺麗な女性が微笑んでいる。
本来は、それが普通の光景だ。あいつのいる場所は壁際の俺の隣なんかじゃなく、会場の真ん中で。綺麗な女性と並んでいるのが、普通のはずだ。
だけど、苦しくて。見たくなくて、逃げ出してしまおうかと思う。
その瞬間、あいつが俺を見た。目が合って、踵を返そうとした足はすくんでしまう。
『だけど、本当に……本当に、世界を広げてもらったのは俺の方だ。自分も知らなかった自分を知って、誰も知らなかったお前を知れて、誰よりも好きになった』
何を言ってるんだと、そう思うのに。言葉なんてまともに出てきてくれるわけもなく、小さく首を横に振って、楓の後ろに半分隠れた。
そんな俺からけして視線を外そうとはせず、あいつは続ける。
『今日、俺の大学の友人も招待しているんです。彼らの曲も、ぜひ聞いてもらいたいですね』
こめが俺の肩を撫でた。優しく、だけど勇気づけるみたいに。
「ほら樹、なんかやって欲しいって」
「む、むり、無理無理無理無理、こんな人たちの前でなんて」
「俺も一緒にやるよ。歌とかさ、それなら大丈夫だろ」
「お、お前なんで平気なんだよ」
平気じゃないけどさぁ、と言いながら楓目線は智にぃに向けられる。完全に他人事の顔をしていた彼は、びくりと肩を跳ねさせた。
「な、なに楓」
「もちろん智にぃも一緒にやるよな?楽器なんでもいけるもんな」
「え」
「な?」
にこにこと笑う楓に対して、智にぃがそれを拒否できる理由もない。
そしたら俺は別に引っ込んでていいんじゃないかと思ったけれど、楓は俺も智にぃも逃がすつもりはないようで。がし、と右手と左手で俺たちの手首を掴む。
戸惑っている間に、圭人が壇上を離れて。いい笑顔を浮かべたまま、俺たちのほうへと近寄ってきた。
「そういうわけで、頼まれてくれるか?」
「……お、俺で、いいのかよ……」
小さな声で言う圭人の両目は、俺だけを見ている。
そのことが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、周りを見る余裕のある楓が羨ましくもあり、なんだか心中はかなりぐちゃぐちゃで。
「俺はお前の音楽が一番好きだから、聞きたい」
でもそんなことを言われたら。嘘なんて一片もない、そんな顔をして、俺のがいいなんて言われてしまったら。
智にぃが楓の言葉を拒否できないのと同じで、俺だって、圭人に頼まれることだったらなんだって叶えてやりたくなってしまうんだ。
笑顔で去っていった圭人の父親の背中を思い出す。
智にぃよりもさらに高い身長と、俺と圭人を足してもまだ余裕のありそうな広い――というか大きな体。それを嬉しそうに楽しそうに揺らして、俺と握手とハグをしてくれた。
「好きな部屋行ってて。俺もすぐ行くから」
「う、うん」
その父を送ってくるからと、圭人に耳元で囁かれて、こくりと頷く。
滑り出した車を二階の窓から見送って、改めて一階のリビングへ降りた。
「……常識が崩壊してくわ」
「同感」
そこでは楓と智にぃが周囲を見回していて。
俺はといえば少し慣れてしまって、その辺もたぶんちょっとおかしくはあるのだけれども。
「いいから部屋決めよ。俺、階段あがって右側でいい?先に荷物置いちゃったし」
「どこでもいいよ……どうせ全部馬鹿みたいに広いんだろ」
「楓ってば」
口の悪い楓の言い分は当たっているので、苦笑しつつ頷く。
「なんか食べる?圭人は好きにしろって言ってたけど」
「けっこう食べたからそんなに。飲み物は欲しいかも」
「俺もそれだな。智にぃは?」
「僕も。コーヒーお願いしていい?」
いいよ、という俺の声に礼を言いながら、二人が階段を上がって行ったので、適当にその辺の棚を開けて薬缶を探し、水を入れて火にかけた。
反対側に向き直り、今度は食器棚からマグカップを三つ取り出す。緑と、赤いのと、青いそれをカウンターキッチンに並べた。
またも棚を漁る。生憎インスタントのコーヒーも、ティーバッグも見つからない。
「……紅茶はどうにかなるけどコーヒーは難しいな……智にぃに頼もう」
結局見つかったのは茶葉と、挽かれたコーヒー豆。普段あまりコーヒーを飲む習慣がない俺としては、道具は解るもののどうしていいやら困ってしまう。
「あれ、どしたよ樹」
「あ、楓。これできる?」
そこへ楓が下りてきたので駄目元で聞いてみた。楓も普段コーヒーは飲まない、はずなのだけれど。
「あーできるできる。貸して」
「マジで?じゃあコーヒー頼むわ、俺紅茶淹れる」
「サンキュ」
礼を言うのはこっちのほうだと笑う。
それにしても、と沸騰を知らせた薬缶のために火を止めて、楽しそうにコーヒーの準備をする楓を眺めた。
「お前、かわいいな」
「な、なんだよ急に」
「だってお前、家でコーヒーなんか飲まないじゃん?」
俺の言葉の意味を考えて、理解したのか、一瞬のあと顔が赤く染まる。
「な、なな、な、っ」
「全部智にぃのためだろ?かわいいなって」
「そ、そそ、そんなの、樹だって、そうだろ?!」
「なにが」
「飯だよ飯!あんな家庭料理とか手の込んだものとか作れなかったじゃん!」
「お前だって家で食ってんだからいいじゃん」
不毛な言い争いをしているうちに、智にぃが下りてきた。何とも言えず楽しそうな笑みを浮かべて、大丈夫かと声をかけてくれる。
「なー、智にぃ。楓かわいいよな」
「そうだねかわいいよね」
「な、なな、なに、何言って、何言ってんの二人とも!」
「そうやって照れるとこも僕としてはかわいいと思うんだけど」
「惚気ごちそうさま。で、コーヒーできた?」
「るっさい!樹の馬鹿!お湯ちょうだい!」
怒鳴りながら、俺の手から薬缶を奪っていって、それでもやたら丁寧にお湯を注ぐ様子を智にぃと共に見守った。
尖らせた唇が少しずつ緩んで、薬缶が戻ってくる。コーヒーができあがるころには、楓の機嫌も直るだろう。
苦笑と共に、中身が色濃くなっていくガラスのティーポットを眺めて。早く圭人に戻ってきて欲しいな、なんて考えた。
ノックされた扉を開けて、あれ、と思った。だけど、嫌だとかそういうわけじゃなくて。
着替えた圭人が俺が使う部屋に来て、むしろ逆に首を傾げられる。理由は簡単に思い当った。俺の格好のせいだ。
大した理由があるわけじゃない。じゃない、けど。
「もったいねーな、脱がすの」
頬に触れた唇が楽しそうにそんなことを言う。
ベッドに背中を埋めて、俺の体に触れる手に意識を委ねて。まるでまどろむような感覚に、ふわりと微笑んだ。
「じゃあ、少し話でも、する?」
「この状況でかよ」
「そうだよ」
俺からも唇で頬に触れて、ゆるく両腕を回し抱きしめる。
「俺としては、なんで急に演奏してなんて言い出したのか知りたい」
「あー……それな」
「ずいぶん歯切れ悪いじゃん」
「一番わかりやすいかと思って」
話をしながらも、合間合間に触れあう唇や、服越しに撫でていく手が心地いい。
圭人の言葉に少し首を傾げると、腰の位置にあるベルト代わりのリボンを取り去っていった。
「わかりやすいって?」
「俺の親父と、興味本位で俺の好きなやつを探そうとしてた奴らに」
「は?」
どういうことなのかと疑問を顔に浮かべる。
「あの時、隣に我が物顔で立ってた女の人がいただろ?」
「……うん」
黒いドレスのよく似合う、美人な女性だった。二人が並ぶとお似合いだったなと思い出して、自分でも表情が曇ったのがわかる。
「あの人が、どうかした?」
「言い寄られてた。きっぱり断ったけどな」
「正直かよ」
だけど、俺に落ちたそんな影は圭人の一言ですぐにどこかへ放り投げられてしまって。
単純な自分がおかしいやら、嬉しいやらで、回した腕に少しだけ力をこめた。
「で、そんときに、会場内に好きな奴がいるって言ったらあの茶番仕組まれたってわけ」
「……ん?待て?どゆこと?」
「俺の親父にも紹介できたし、結果オーライってやつだけどな」
「え、な、え?それ、って、親父さんにバレたって、そういうこと?」
「だと思うけど。俺がはっきりは言わないから、たぶん親父もはっきりは言わないだけだと思う」
ちょっとショックというか、衝撃が大きくて。
馬鹿みたいにぽかんと口を開き、すぐ近くにある整った顔を見つめる。
「お前、全部聞いてなかったもんな。俺の話」
「あ、あたりまえだろ?!楓と智にぃと、中庭にいたんだから!」
問題はそこじゃないような気もするが、どういうことなのかを聞こうとした口は軽く塞がれてしまう。
入ってくる舌に抗うこともできなくて、きゅう、と俺の指先が圭人の背中側のシャツを掴んだ。
はふ、と息を吐く。いつの間にか脱がされた服が、ベッドの下に落とされた。
「け、けいと」
「あんまり気にしなくていいって。親父が何か言ったわけじゃねーし?」
「い、いや、気にする、だろ……お前の話じゃ、親父さんだけじゃ、ないじゃん」
「だから楓と智にぃも引っ張り出してやっただろ?」
「なんのカモフラージュだよ……」
思わず呆れた声が出る。
だってそれじゃあ、結局圭人が男の人が好きだってあの場で明言したようなもんじゃないか。
「つまり何?会場内に好きな相手がいて?」
「そいつの演奏が上手いって話をした」
「……おい」
「お前ひとり呼んでも良かったんだけどさ。たぶんそれは、樹が嫌がると思って」
「いや、っていうか」
「俺のために。だろ?」
ぐ、と答えにつまった。
生憎それは正解で、無駄に正直な俺は目線を逸らして口を噤むことしかできない。
だけど、圭人は。俺の上で、やけに嬉しそうに幸せそうに、柔らかく微笑んだ。
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