Gemini

あきら

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 よし、と笑って鏡の中を見る。
 俺とは違う、不安そうな目。それが俺を見て、泣き出しそうに歪んだ。

「な、なぁ、楓?」
「なんだよ」
「今度はなんだよ……?」

 双子の兄が涙目でそう問いたくなるのもわからないでもない。
 何しろ彼は今、俺の手によって俺そっくりな姿に変えられている。

「ちょっとした悪戯だって」
「い、悪戯、って」
「だってさぁ、樹は腹立たねぇの?周りからさんざん馬鹿にされてきたくせに」

 珍しくもないが、俺は怒っていた。
 圭人と付き合い初めてから、樹は一気に垢抜けて。今まで俺や智にぃがいくら言っても変えようとしなかった見た目を、圭人のために変えた。
 それはまあ、いい。再三言ってはいるが、悔しいことに間違いはなくても、樹が嬉しそうに変わってくれたことが嬉しいから。

「なんでお前がそんなに怒ってんだよ」
「俺は樹が大事なの。その大事な兄貴が馬鹿にされて、なんで怒らないと思えんだよ」

 だけど今、俺が腹を立てているのは、樹の周りの連中に対してだった。
 昔からの知り合いはいい。最近友達になったっていう、圭人の友達も別にいい。
 俺が一番気に食わないのは、ずっと樹のことを『双子の暗い方』と馬鹿にしていて、いまだに変わったのは見た目だけだろうと嘲笑う奴らだ。

「だからって、なんで」
「俺と樹の区別のつかない奴らに、馬鹿にされる謂れなんかない」
「なんなんだよその楓論理……」

 ぼやく樹の言葉は右から左に流し、髪型のチェック。ワックスをつけて整えて、うん、と頷く。

「今日は俺の方、座学の講義しかないから。代返して、あとは話聞いてノートだけ取っといて」
「まったく……まあ、それで楓の気が済むならいいけどさぁ。俺の方も今日は講義少ないから大丈夫だとは思うけど」
「ん、なんかあったら連絡するから」

 いろいろ文句は言いながらも、いつも最終的には俺の好きなようにさせてくれる兄のことが、俺は大好きなんだ。



 かくして俺は樹と入れ替わり、大学のキャンパスにきている。
 とはいえ、俺と樹の大学は一緒だから大差はない。学部も同じで、違うのは取っている講義の種類だ。
 だからいつもは違う建物にいることが多い。多い、だけで、たまに一緒にはなる。
 なるからこそ、わかっていた。樹を馬鹿にするやつのことも。

「おはよ」
「おはよ。あのさ、今日のあれなんだけど」

 ざわざわとした教室の中に入る。何人かがこっちを見て目が合って、樹の仕草に見えるよう軽く会釈した。
 へらへらした笑みを浮かべた奴らが何人か近寄ってくる。そいつらの顔に見覚えはなかったけれど、嫌な雰囲気は感じ取れた。

「お前さぁ、いつまで弟の真似してんの?」
「似合わねぇんだって」

 やっぱり感じた通りだ。あいつは変なところで頑固だから、周りに嫌なことを言われてもそれを俺に言わない。
 それは昔からで、俺が勝手に聞きつけては蹴りをかましたりしていたなぁと小学生のころを思い出した。
 もっと頼ってくれていいのに。俺は樹が笑ってくれるなら何でもするのに、と思う。

「無視かよ」

 がん、と音がした。すっかり思考の外側に追い出していたそいつらをじとりと見上げる。
 俺の座っていた机を蹴られた音だった。

「弟がいなきゃ何にもできねぇくせに」

 そのセリフに、にこりと笑って立ち上がる。それから、周りには見えないように鳩尾へ一撃入れた。
 う、と呻いた男の体を支えてやって、倒れる前にもう一撃入れておく。

「俺とあいつの区別もつかねぇくせにくだらない文句つけにくんな」

 そいつにだけ聞こえるよう耳元で言うと、傍から見てわかるほどの冷や汗が落ちた。

「まぁ、それでも言いたきゃ言えよ。その相手はまた俺かもしんないけどな?」

 あいにく、俺は樹みたいに優しくない。倒れることも許さずに、今度は足を思い切り踏んだ。
 それから、具合悪そうだねとわざとらしく言う。
 連れのほうに目を向ければ、案の定顔を青くしていた。

「大丈夫?早く救護室かなんか連れていってあげたほうがいいんじゃない?」

 眉を八の字に下げると、俺の後ろ側にいた数人がそうだよ、と援護してくれる。
 青い顔と冷や汗だらけの二人が教室を出て行くのを見送って、軽く息を吐き座り直した。さっきの擁護の声を聞く限り、孤立はしてないんだなと安心しながら講義を受けることにする。
 しばらくのあと携帯電話が鳴って、ねむい、という絵文字つきのメッセージが表示され、苦笑した。



 誰もいない、小さな庭のような場所に置いてあるベンチ。そこに横になって、空を見上げる。

「……俺、そんなに頼りねぇかなぁ」

 ぼそ、と独り言が口からこぼれた。
 樹はけして鈍感ではない。むしろ繊細すぎるぐらいだから、あいつらの悪意に気付いてないなんてことないのに。
 なのに、俺には何も話してくれない。それが、少し寂しかった。

「……圭人には話してんのかな」

 自分でつぶやいたくせに、自分で嫌になる。いつになったら、この微妙な嫉妬心は消えてくれるんだろうか、と考えた。
 深呼吸を数回して、スマホを取り出す。家を出るときに交換した、樹のそれから圭人にメールを送った。
 しばらくそのまま待っていると、走ってくる足音が聞こえる。

「っ、ど、うしたよ……珍しいとこに、いんじゃん」

 はあ、と息を切らせて、寝転んだ俺の頭の方から声をかけられた。どんだけ急いで来てるんだ、と思いながら体を起こす。
 息を整える圭人の顔を見れば、ほんの少しだけ目が動いた。

「――樹、だよな?」
「誰に見えるんだよ」

 疑いの声音に驚きながらも、しれっと返す。
 以前ならまだしも、今の俺と樹の見分けがつくやつなんてそれほど多くない。

「なんか、あったのか?」
「――あったと言えばあったし、ないと言えばない。いつもと同じ」

 訝しげな視線が俺を捉える。
 それから、少し考える素振りをして、圭人は言った。

「で、今日は何か弾くの?」
「お前に決めてもらおうと思って呼んだ。この中から決めてよ、どれがいい?」
「そうだなあ」

 俺が渡した樹のスマホの画面を覗き込む。

「今から弾きに行く?」
「んー、どうしよっかな」

 言いながら、スクロールする指を眺めていると、かなりの悪戯心が湧き上がってきた。
 今日の俺は、メイクも薄めで。服装も、俺にしては地味。樹の服を借りてきたからそれも当然なのだけれど。
 そんな今の状況で、いったいどこで圭人は俺が樹じゃないって気づくんだろうか、と素朴な疑問のように頭をもたげる。

「つか、樹はこの後講義あんの?」
「俺?えーっと」

 確かなかったはずだ。朝確認したそれを思い出しながら首を横に振ると、圭人は嬉しそうに笑った。

「俺も、あとひとコマで終わりなんだわ。うちくる?」
「え」

 思わず声が漏れたけれど、ここで何も予定がないのに断る方が不自然だろう。
 そうは思っても、樹と圭人は恋人なわけで。そして俺にも、智にぃという人がいるわけで。

「?なんか用事?バイトとか?」
「あ、いや、そうじゃなくて」

 だけど、しゅん、と。まるで叱られた犬みたいにうなだれる圭人を見てしまったら、なんだかかわいく思えてしまう。
 まあ、いよいよそういう恋人っぽい雰囲気になるまで気づかないようなら、俺からバラせばいいし。何よりそこまで気づかないなんて事態、怒ってもいいぐらいだろうと結論付けて、なんでもないよと俺は返した。

「大丈夫。行ってもいい?」
「俺が呼んでんの。あ、じゃあ先帰ってていいよ、鍵持ってんだろ」

 鍵、の言葉に固まる。
 あいつ、合鍵なんてもらってたのかという思いと、それを内緒にされてることと、どこにあるのか知らないという焦りが、俺の胸中でぐるぐるとした。

「忘れた?」
「か、かも……」
「そっか、仕方ねーな。俺の貸すよ」

 慌てる俺に気付いているのかいないのか、にこりと笑って。チワワのキーホルダーが付いた鍵を手のひらに落とされる。

「え、えっと、その、ごめん」
「いいって。ほとんど無理やり押し付けたみたいなもんだし、急に言われたって人んちの鍵を持ち歩いてんのも危ないもんな」

 笑って言うけれど、やっぱりその顔は少し寂しそうだ。もう一度ごめん、と言うと優しい手が頭を撫でた。

「悪いと思うなら、なんか飯作って」
「……うん」
「そんな顔すんなよ。じゃ、また後でな」

 温かな手が離れ、それをひらりと振って、自分の教室があるほうに消えていく圭人の背中を見送る。
 俺の手の中で、借りた鍵がかすかな音を立てた。


 勝手に鍵を使って、何度かきたことのある圭人の部屋に入る。
 がさ、と途中で買い物をしてきたスーパーの袋が鳴った。

「つかなんだよ、樹のやつ。飯まで作ってやってんの?嫁か」

 ぼそりと独り言をつぶやいて、でも自分も智にぃには作ってるなぁと思い直し軽く頭を振る。
 買ってきたものをやたらでかい冷蔵庫にしまおうと、その扉を開けると、中には酒類と、タッパーに小分けされたおかずが重ねられていた。

「我が兄ながら、ほんとこういうとこマメだな。変なとこ大雑把なくせに」

 言いながら、買い物も少しにしておいてよかったと改めて思う。
 帰る前に樹に連絡したのは正解だった。

『バレたらどうすんだよ!』

 そう言った樹に、むしろバレなかったほうが嫌だろと返したのを思い出す。
 鼻歌交じりでご飯を炊いて、樹の作り置きとあと何かもう一品あったかいものでも作ってやるかと手を動かしていると、俺の――いや、樹のスマホが鳴った。
 よいしょ、と手を伸ばしカウンターに置いてあったそれを見る。内容は樹本人からのメッセージだ。俺のスマホを渡しているから、表示される名前は『楓』だけれども。

『ちょっと智にぃのとこ行ってくる。どうせバレるだろうからバラすよ』
「だろうな」

 苦笑しながら、どうぞ、と返した。
 何しろ付き合いの長い智にぃのことだ。どれだけ似せたって、たぶん数分もすれば俺か樹かなんて気づいてしまうだろうし。
 だけど、せっかく入れ替わったんだから勿体ない。それに、樹の後ろ向きな性格も、俺を演じてると思えば少し改善されるかもしれないし。

『でもちょっとぐらい騙す努力してみたら?』
『なんでだよ!俺に楓の真似なんて無理だって!』
『今日一日、大学でバレなかったんだろ?どうせバレても相手は智にぃなんだから、気楽にだましてみろよ』
『お前なぁ……どうなっても知らないぞ、絶対バレるから』
『物は試し、だろ?』

 何度か樹とメールのやりとりをして。最後に呆れた顔のスタンプが送られてきて、笑いながら画面を閉じた。



 結局のところ生姜焼きでも焼いてやるかと思い立ち、買ってきたものと冷蔵庫の中身を組み合わせて準備を始める。
 さて、と一息ついたところでまたスマホがメッセージを知らせ、開くと圭人からだった。もう帰ってくるらしい。
 それならちょうどいいなと肉を焼き始めることにする。タイミングよく、炊飯器も炊き上がりを告げた。

「ただいま」
「おう、おかえり」

 玄関の扉が開いて、足音がして。すぐに聞こえた声に、背を向けたまま返す。

「なんかいい匂いする」
「生姜焼き。手、洗ってこいよ」
「そうだな。あ、でもその前に」

 思ったよりも声は近くでした。
 戸惑う俺に構いもせず、腰に手が触れる。緩く抱きしめられて、ぴく、と勝手に体が跳ねた。

「な、なんだよ」
「ちょっとだけ」

 首筋に唇が触れる。キス、とも言えないようなわずかなそれは、俺の髪を通って耳に行きついた。

「や、やだ、ってば」
「耳?好きなくせに」
「っあ」 

 左の耳朶を柔く食まれて、ぞくりとする。身を捩る俺に苦笑して、それはすぐに離れた。

「でも焦げちゃうな。また後にするわ」
「な、ちょっ、お、いっ」
「手、洗ってくる」

 苦笑したまま、俺の体をひと撫でして手も離れる。
 その手が今度は頭を撫でて、上機嫌に鼻歌なんぞを奏でつつ、圭人の背中は洗面所のほうに消えていった。
 もう、と誰も聞いていない声を零し火を止める。幸い、焦げてはいないようだ。

「……あいつ、あんな声出すのかよ……」

 独り言をつぶやきながら、フライパンの中身を勝手に出した皿に移す。
 いつも俺が目にしている圭人とはちょっと違う雰囲気だった。確かにイケメンで面白くていいやつ、だけど。
 あんな、低くて熱のこもった声なんて、当たり前だけど聞いたこともない。

『好きなくせに』

 吹き込まれるように囁かれた低い声がリフレインして、背中にぞくりとしたものが走った。
 ぺたん、と。その場にへたり込んでしまって。

「できた?」
「あ……」

 戻ってきた圭人を、たぶん赤い顔で見上げる。

「どした?大丈夫か?」
「だ、だいじょ、ぶだけど……その、えっと、腰が、抜けて」

 なんで、という声に少し笑いが入っていて。

「ちょっと待ってな」
「ご、ごめん」
「いいよ。あとで一緒に食お」

 言いながら、皿にラップをかけるのを待った。
 それから、圭人が俺の前にしゃがみこんで。脇の下に手を入れると、へたり込んだ俺の体を支えて立たせてくれる。
 そのままソファーまで連れていかれるから、されるがままに体を投げ出した。
 ちゅ、と。音を立てる唇が、今度は軽く首筋をなぞっていく。

「っ、ま、まって、や」
「なんで?」
「だっ、て、あ、だめ、だめだって」

 着ていたシャツのボタンが少しずつ外されていって。これ以上はさすがにまずいと思いながら、俺の体は力が抜けてしまってろくに抵抗もできない。
 早くバラさないと、と必死にその腕を掴んで引っ掻く。

「ずいぶん嫌がるじゃん?」
「そ、れはっ」

 止めようとする俺を見下ろして、にやりと笑った。
 ここまできても気づかないのかよと、理不尽な怒りが顔を出す。
 覆いかぶさってくる体。耳に唇が触れて、びくりと全身が跳ねた。

「や、ぁ、やめ、っ」
「弱いくせに」
「ひ、あ、やぁ」

 俺の声は泣きそうなそれに変わっていて。ダメだと思いながらも、露わになった皮膚を撫でる指先に反応してしまう。

「や……とも、に……」

 俺の口から勝手に落ちた言葉に、圭人の手と動きがぴたりと止まった。
 同時に、今自分が誰を呼んだのかわかってしまって、さあっと顔が青ざめる。
 だって俺は今、樹だと思われているわけで。樹が圭人に押し倒されて触られながら、智にぃの名前を出したなんてまずすぎる。

「ち、ちが、圭人これは、その」
「いいって、下手な言い訳しなくて」
「言い訳じゃなくて、なあ、話聞いて」
「だから、いいって――楓」

 俺を組み敷いたまま、にやにやと笑う圭人の顔が視界に入った。

「……は?」
「は、じゃねーよ。バレてないと思ってんのか」
「いたい」 

 びし、とデコピンをかまされ文句が漏れた。

「え、あ、ちょ、いつから?!」
「大学んときから。そんときは違和感、ぐらいだな。んで、さっき」

 圭人の指が俺の左耳に触れる。

「ピアス外したって、穴は塞げねーんだから。それで確信した」
「……マジかよ……」
「耳弱いの同じなんだな?痛えって殴んな」
「るっさい!笑ってんな!お前性格悪いぞ!」

 面白くて仕方ないという顔をするので、とりあえず胸板を一発殴っておいた。

「つか言えよ!俺が馬鹿みたいだろ!」
「いやどこまで黙ってんのかと思って」

 お前なぁ、と言おうとした俺の口が止まる。がちゃん、という音と、足音が聞こえたからだ。
 数秒後、リビングのドアが開いて。

『あ』

 期せずして、四人分の声が重なった。



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