Gemini

あきら

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 がらがら、という音と共にガレージを開ける背中を見守る。
 頼りなかったそれは、ここひと月ほどでずいぶん自信のようなものが溢れるようになった気がした。

「えっと、確かここ……」
「言ってたのってこの辺かな?」

 少し埃があるガレージの中を見回す。
 アウトドア用の、かなりいい椅子を見つけて指すと、それそれ、という声が聞こえた。

「っていうか暗くて見えないよね。ランタン持ってくるよ」
「ありがと智にぃ」

 にこ、と笑う顔が暗い中でもわかる。
 十年以上も側で見続けてきたその笑顔は、今までと少し違うように思えた。
 二人の世界を狭めていたのは、僕なのかもしれない。そう思うと、痛む心臓を誤魔化して。

「ん、これで見えるね」
「圭人が言ってたのってこれかな?」
「たぶんそうじゃない?椅子四つと焚火台」
「じゃあ向こうまで運ぼう。手伝ってよ智にぃ」
「言われなくても」

 よいしょ、と椅子を持ち上げる細い腕。意外と筋肉質なそれに苦笑して、自分も同じように椅子を運ぶ。
 二人で往復して四つ運び終わったあと、残りは焚火台と薪だとガレージに戻ったときに、不意に訪ねてみたくなった。

「ねえ、樹」
「ん?なに?」
「樹は圭人くんが好きなの?」

 一瞬の間。
 蛍光灯よりも頼りないランタンの灯りでもはっきりとわかるほどに顔を赤くして、双子の片割れはうなり声を上げる。

「と、智にぃから見て、そう思う?」
「そう思うが半分。あとはまぁ、楓がね」
「あいつ、まったく……」

 少しの悪態をつきながら、だけど赤い顔のまま、僕をちらりと見上げた。
 顔の造形はまったくと言っていいほど同じなのに、そうやって僕を見る仕草ひとつとっても二人は全然違う。

「……正直、好きかどうかって言われてもよくわかんないんだ」

 ぽそり、と。独り言を零すように、樹が言った。

「ただ……あいつといるのは、すごく楽。それこそ、楓や智にぃと同じくらい一緒にいたような気になるぐらい、楽なんだ」
「楽?」
「……気を張らなくていいっていうか。俺は俺でいいって、そう言ってくれるから」

 軽く首を傾げる。
 僕の顔を見た樹は、えっと、と焦ったように付け足した。

「髪も服も無理強いされたわけじゃ、なくて。圭人にこうしてみたら、とか、こういうのがいいと思う、とか言われると、その」
「してみたくなっちゃうんだ?」
「う、うん」
「今まで僕や楓がいくら言っても、変えようとしなかったのに?」

 ちょっとだけ意地悪がしたくなって、そんなことを言ってみれば、それは、と口ごもる。そんな姿を見ると結局可哀相になってしまって、すぐにごめんね、と返した。

「樹が変わろうとしてるの、僕たちはすごく嬉しいんだからいいんだよ。ただ、ちょっと悔しいだけ」
「楓、も……そんなこと、言ってた」
「そりゃそうでしょ。僕はまだしも楓は生まれた時からずっと、樹と一緒なんだから」
「……うん」

 今度は申し訳なさそうな顔をして、倉庫の地面を見つめる。
 そんな顔をさせたいわけじゃない。だから、くしゃりとその頭を撫でた。

「楓は不安だったんだよ。樹が自分から離れてっちゃうんじゃないかって」
「そ、んな」
「うん、わかってる。でも一生二人なわけじゃない、それもわかってるんだよ」

 ためらいがちに腕が上がって、僕の胸に指先が触れる。
 いつもなら。もしくは楓なら、ぎゅうと抱きついてくるか僕から抱きしめてあげるところだ。
 だけど、と思い留まる。樹の心に生まれた感情が、恋なのだとしたら。兄代わりを続けてきた僕も、彼の手を離すときがきたはずだ。

「樹」

 だから、その指先をそっと両手で握りこんだ。

「大丈夫だよ。二人がそれぞれ誰かを好きになったって、二人はちゃんと繋がってる」
「……でも」

 きゅ、と。僕の手の中で、細い指が震えて握る。

「でも、そうしたら……智にぃは?」
「僕だって離れやしないよ。いつまでも君たちのお兄ちゃんでいたいからね」

 笑って言うと、少し考える素振りをして。
 違う、と小さな声が言った。

「智にぃは、楓に……誰か好きな人ができても、平気?」



 当たり前でしょ、とは返せなくて。
 軽く息を吐いて、火が上り始めた焚火台を見つめる。

「どうぞ」
「あ、ありがと」

 差し出された暗い青色のマグカップを受け取り、一口飲む。やけにいいコーヒーで、思わず苦笑が漏れた。
 まいったなぁ、と胸中でぼやく。いったいつから、バレていたんだろう。
 焚火の側にいるのは僕と圭人だけだ。双子たちは何やら楽しげに、支度してくると樹が楓を引きずるようにして部屋に連れて行ってしまった。
 多少、気まずくないと言えば嘘で。けれども彼は、僕が何やら思案の渦でぐるぐるとしているのを知らん顔で放っておいてくれる。

「そりゃ、樹も好きになるか」

 ぽそりとつぶやいた。幸い、聞かれてはいないようだ。
 僕にくれたものとは少しだけ色合いの違う、だけれどもやっぱり青いマグカップを静かに傾けている顔を盗み見た。
 ハーフらしく、彫りの深い整った顔は少し羨ましくもある。ふふ、と苦笑が漏れると、今度は聞こえたらしい彼は不思議そうに首を傾げた。

「ありがとね」
「え」
「僕が無理についてきちゃったから。本当は二人だけ招待できればよかったんでしょ?」

 笑って言えば、軽く目が泳ぐ。正直者なんだな、なんて思いながら答えを待った。

「いや、そもそも……俺が樹を遊びに誘って、そしたらあいつ、前に楓が言ってたところがいいって言いだして」
「樹らしいね」
「そんで、どうせなら楓も一緒にって言われて……見せてやりたいって言われちゃ、断れねーし」

 頭を掻いて言うその言葉に、また苦笑する。どうやら、彼は本当に樹が好きなんだな、と改めて認識したからだ。

「そういえば、見せてあげたいものって?」
「ああ、それが前に楓の言ってたやつで――」

 圭人の言葉が途切れて、視線が僕の向こうに向かった。二人が下りてきたんだなと思い、それを追いかける。

「なんでお前のほうが乗り気なんだよ」
「いいじゃん、たまには。こういう機会でもなきゃ着ないだろ?」
「そりゃそうだけどさぁ……」

 いつもと逆だな、と思う。
 上機嫌な方が樹で、渋々といった声が楓。珍しいなと体もそちらへ向けた。

「いいな、それ」
「うん、ありがと圭人」

 小走りで樹が近寄ってくる。僕の方を見て一度微笑んで、それから圭人の目の前でくるくると回ってみせた。

「楓もこっちきて。ちゃんと見せてよ」
「……うう」

 浴衣姿の楓が、小さく唸りながら僕の目の前に立った。
 二人とも白色を基調とし、樹は緑、楓は赤でそれぞれ葉と楓が描かれた浴衣。誂えたようなそれは、恐ろしくて値段は聞けないけれど、いいものだろうことは想像に難くない。

「よく似合ってるよ」
「なんか、すごい、恥ずかしい。子供の時以来だよこんなの」
「いいじゃない。写真撮りたい」
「やめろ」

 両方の頬を膨らませて、不満げに言う。そんな表情もかわいい。
 そう、僕は。ずっと前から、楓のことが好きだ。
 
 樹と楓への気持ちに、差が生じたのはいつごろだっただろう。自分でも覚えていないけれど。
 楓は誰よりも樹を大事に思っているから、と。言い訳と共に、少しだけ樹に手をかけることが増えた時期だったように思う。
 自分の気持ちを悟られないためと、僕が樹を構うことで楓が嬉しがってくれるのが嬉しかった。
 僕のこの気持ちを伝えるつもりなんかこれっぽっちもなくて。ただ、二人のことを近くで見守っていられればそれでよかった。



「寒くないか?」
『大丈夫』

 圭人の言葉に、二人がそろって答える。
 もうとっくに汗ばむ時期とはいえ、今いる場所はそこそこ標高が高い。下がった気温の為の焚火だけれど、浴衣に穴でも空いたら困ると火を小さくするよう提案したのは僕だ。
 別にいいのに、と言う圭人に樹が軽く怒って、結局のところ言われた通りにする。
 そんな二人を温かく見守ってあげたい気持ちと、やっぱり彼が現れたことによって、僕たちの関係に変化が生じたのだという気持ちがせめぎ合って、後者を再確認せざるをえなかった。

「智にぃは?寒くねぇ?」
「僕?僕は大丈夫だよ」

 ちら、とこちらを伺いながら言う楓に笑って答える。
 ほっとしたように息を吐くから、トレイに置いたままになっていた赤いマグカップを渡した。

「そろそろかな」

 言いながら、おもむろに立ち上がった圭人がランタンの灯りを消す。
 僕たちを照らすものが、小さな焚火だけになって。悪戯っぽく微笑んだ樹が、軽く楓の肩をつついた。

「楓、上。空、見てみ」
「――え」

 言われて上を向いた楓につられるように、僕も空を見る。
 視界を埋め尽くす満天の星空に、思わず息を飲んだ。 

「う、っわ……なに、なにこれ……すごい」
「綺麗、っていうんじゃ足らないくらいだね……」

 目から入ってくる情報を脳が処理仕切れないと感じるほどの星の量に、呼吸すら忘れそうになって。
 なんとか意識を戻し、空から視線を落とす。

「大丈夫?」
「う、うん……なんかすごすぎて一瞬パニクった。わけわかんなくなった」

 それは僕も同じで。頷き合う僕たちを尻目に、樹と圭人はにこにこと笑顔で互いを見ていた。

「え、なに。樹、俺に見せたかったのって」
「そう、これ。前にさぁ、テレビ一緒に見てた時に楓が言ったじゃん。こういう星空って、今住んでるとこじゃ見れないよなって」
「言ったけど!」

 まさかこんな形で返ってくるなんて誰も想像しない。

「なんだよもう……樹の馬鹿」
「馬鹿ってひどくね?!」

 拗ねた振りをしてみたり、怒ったふりをしてみたり。どっちも本気で言っていないのなんて丸わかりで、かわいらしくて。
 思わず圭人と顔を見合わせてしまって、そして。

「あ」
「え?」
「あ、いや、こっちの話」

 何を納得したんだか、彼は深く頷いた。

「なあ、なんか流す曲選んでくれよ」
「なんかってなんだよ」
「なんかそれっぽいの」

 ひどく曖昧な注文だけれど、彼の気持ちは嫌というほどわかってしまう。僕からもお願い、と加勢すると二人は仕方ないなと笑った。
 スマホを片手に、二人で額をくっつけて。あれはどうだこれはどうだと小さな会議をし出す。

「……かわいい」
「うん」

 ぼそりと圭人がこぼすので、思わず同意してしまった。
 ちら、と彼の視線が僕を見る。それに気づかないふりをして、僕はただ、楓の横顔を見つめた。

『智にぃは、楓に……誰か好きな人ができても、平気?』

 不意に樹の言葉が蘇る。
 ――平気なわけがない。その相手が誰だったとしても、耐えられるわけがないんだ。
 だけど、同時に。こんな気持ちを、気づかれたくない。
 楓の、そして楓の大好きな樹の、いい兄代わりでいたい。

 そんな相反する思いがぐるぐるとしている僕を見透かしたように、圭人が笑った。

「樹」
「なに?今、曲探してんだけど」
「好き」
「だから、曲……は?」

 同じ二つの顔が、きょとんとして圭人を見る。

「俺は、樹が好き。愛してる」
「……え……?」
「聞こえなかった?もっかい言おうか?愛し――」
「っ、うわあ、あ、ああぁあっ!」
「ちょ、樹?!」
「樹?!」

 突然の言葉に、たぶんどうしたらいいかわからなくなって。
 樹はなにやら叫ぶと、自分の服装も忘れてログハウスの中へと逃げ込んでしまった。

「あー。ま、いっか。マスターキーあるし。楓、部屋代わって。荷物廊下に出しとくから」
「はぁ?!おま、ちょ、ふざけんなよ?!」
「ふざけてねーよ。今から口説いてくるから邪魔すんな」
「お、ま、さっ、きの殊勝な態度どこだよ!!」
「遠慮すんのやめた。馬鹿馬鹿しいわ」

 僕にはいまいちわからない会話をして、だけど楓の言葉なんか聞く耳を持たないらしい圭人はさっさと樹を追いかけてしまう。
 後に取り残された僕と楓は、顔を見合わせて困惑するしかできなかった。

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