the trip voice

あきら

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2 醜態

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 サンプルボイス、と書かれたリンクをクリックして、何種類かの声を視聴する。

「……駄目だ」

 それからため息をついてイヤホンを外し、大学の食堂テーブルに突っ伏した。周囲は人で溢れていて、ざわざわとした空気に包まれている。

「おう、お疲れ」
「何してんの透?具合でも悪いの」

 頭の上からする声に首を動かせば、よく見知った顔が並んでいる。
 心配そうな幼なじみの声に、いや大丈夫と返した。二人はおもむろに俺の座っている正面に腰を下すと、ほとんど同時に首を傾げる。

「大丈夫って面かよ」
「顔色めちゃくちゃ悪いじゃん」

 眼鏡を上げながら和哉が言えば、心配そうな顔のまま俊樹が続けた。
 もう一度大丈夫だと軽く手を振る。けれど二人はそれで納得するはずもなく、相変わらずの訝しげな表情で俺を見た。
 これは話すまで譲らないやつだと思いながら、再びのため息を吐く。長い付き合いも善し悪しだ。

「……前に話した配信者いたじゃん」
「ああ、珍しく透がハマってたASMRの人?」
「相変わらずだな」
「うるさい。その配信者が、しばらく配信休むって昨日言ってて」

 ぼそぼそと言った俺の言葉に、和哉と俊樹が顔を見合わせる。
 そして呆れたように、二人して軽く笑った。

「それで凹んでるんだ?」
「ほんっとお前、声フェチだな」

 うるさい、と再度同じセリフを口にする。
 こいつら以外は誰も知らない俺の秘密が、この声フェチという性癖だ。

 それも、いい声ならなんでもいいってわけじゃない。やたらめったら好みにうるさいタイプの声フェチが俺。
 好みにドンピシャの声の持ち主などそうそういるわけもなく、常に多種多様な配信を聞いていた俺が最近一番嵌っていたのが『さく』という名前の配信者だった。
 おそらく本名でもなんでもないその単純な名前にそぐわない、主張の強い声音。基本的に男性にしては高めではあるが、時折ASMRの台本を読む低音も俺の耳には心地よく響いた。
 ついでに言えば、メンバー限定公開の、あの声も。

「俺のわずかな楽しみが」
「まあまあ。もう辞めるってわけじゃなくて、休むだけだろ?元気出せよ」
「ったく、仕方ねえな」

 苦笑しながら俺を励ます俊樹と、乱暴な言い方ではあるもののすぐ側にあった自販機で買ったコーヒーを渡してくれる和哉。
 サンキュと礼を言って受け取ったけれど、漏れるのはため息ばかりで。二人は顔を見合わせ、これは重症だと呟いた。



 呆然自失としたまま一週間を過ごした俺を、誰が責められるだろう。
 なんとかバイトを終え、帰路につきながら携帯電話を見る。Xが更新を知らせて、慌てて開いた。
 そこにあった文面は、俺の期待していたものじゃない。ごめんね、で始まる文章に目を通す。

『二週間って言ったけど、引っ越しが伸びちゃったのでもう一週間休ませてください』

 いいねを押し、待ってますと告げ。けれど残念な気持ちは抑えられるはずもなく、公道にしゃがみ込んだ。
 今日は大学も休みで、バイトも早上がり。まだまだ外は明るく、セミの声が聞こえる。
 あの配信を見つけるまで、自分はどうやって日々を過ごしていたのかも思い出せない。深いため息をつきながら、自分の部屋がある大学の寮へと足を進めた。

「――ん?」

 寮の入り口に、珍しい車が止まっている。銀色に光るそれは、某引っ越し業者のトラックだ。
 エントランスの手前で、見慣れない顔が困ったように辺りを見回していた。引っ越しの業者に頭を下げているところを見ると、大体の想像はつく。

「あっちもこっちも引っ越しトラブルかよ」

 小さな独り言を漏らして、すたすたとそこへ近づいた。

「――入寮の人?」
「え、あ、えと、は、はい」

 突然の俺の言葉に戸惑いを見せながらも、こくりと頷く。やっぱりなと苦笑して、オートロックの扉を開けてやった。

「今日、管理人いねえんだわ。ちょいちょいそーいう時あるから」
「は、はぁ……」

 そんなことを言われても、とその表情が如実に語っている。
 そりゃそうかと苦笑しながら、引っ越し業者の方をちらりと見た。それから、再度困っていた張本人の方へ向き直る。

「とりあえず、ここの扉は開けとくから。引っ越し終わったら声かけてくれ」
「え、っ、いい、んですか?」
「ああ、一応俺寮長なんで。部屋は305、よろしく」
「あ」
「ん?」

 隣です、と小さい声が言う。そういえばと首を軽く傾げた。

「隣空いてたな。そっか、あんたか」
「は、はい。よろしくお願いします」
「そしたら俺もちょっと手伝うわ。中、解ってる人間がいた方がはかどるだろ。鍵はもうもらってんの?」
「い、一応。でも、いいんですか?」
「いいって。どうせ暇だったし」

 笑って言って、引っ越し業者を誘導してやることにする。
 彼が取りだした鍵には部屋番号が書かれたキーホルダーがくっついていて、それを確認すれば俺の隣の部屋に間違いない。
 申し訳なさそうにする表情は、改めて見るとけっこう美人だななんて思った。男性にしては線が細くすらりとした体型もいいな、なんて考える。正直、下心がまるきりないとは言い切れない。

「お疲れ。終わったか?」
「あ、はい。荷物は全部」
「あんたがよけりゃ片づけも手伝うけど」
「それは悪いですよ」

 業者がいなくなったのを確認し、部屋にあった冷たい麦茶を持ってきて差し出してやる。慌てた様子で両手を振るから、とりあえず受け取ってくれと言えば、おずおずと両手を出した。
 こくりと飲み干す姿に、一瞬見覚えがあるような気がして。じっとその横顔を見つめてしまう。

「あ、の……なにか?」
「あ、いや、悪い」

 傾げた顔の横で、さらりとした猫っ毛が揺れる。
 そんな小さな動きにも覚えがあるような気がして、けれどそんなはずはないと軽く頭を振った。

「ま、あれだ。なんかあったら気軽に声かけてくれよ、お隣さん」
「はい、ありがとうございました」

 挨拶を交わし、隣人と別れて自室へと戻る。
 そういえば名前を聞くのを忘れたなと思いながらソファーに寝そべっているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。


 わずかな睡眠が邪魔されたのは、夕方に差し掛かってからだ。
 けたたましいノックの音に目を開き、大きく欠伸をした。いったい何事だと相手の確認もせずに扉を開ける。

「この、最低男!」

 即座に聞こえたのは罵りの言葉と、平手打ちされた感覚だ。それから一拍の間を置いて、ばしゃりと水をかけられたのがわかった。

「ご丁寧にブロックまでしやがって!人の気持ちなんだと思ってんだ!」

 その声には聞き覚えがあった。つい一週間前に振った、セフレのそれだ。
 濡れた髪を乱雑に掻き上げ、息を吐く。

「……気は済んだかよ」
「っ、な」
「お前に本気になれなかった俺が悪い。それはどうしようもない。だから他のイイ奴、見つけてくれ」

 歯ぎしりの音が聞こえたような気がした。
 ぎゅっと握りしめられた拳に視線をやって、もう一発ぐらい殴られておくかと覚悟を決める。けれど、彼は踵を返して、俺に背中を向けた。

「……馬鹿野郎」
「ああ」

 それが、別れの言葉だ。
 小さくなる背中を見送って。寮とはいえ、借り上げ型のマンションで助かったと思いながら、濡れた床をどうしようかと少し迷う。

「――あの」
「うお?!」
「ご、ごめんなさい、その、立ち聞きするつもりじゃ、なかったんだけど」

 不意にかけられた声に驚いてそちらを見ると、今日引っ越してきたばかりの隣人が顔を覗かせていた。
 これ、と渡されたタオルをありがたく受け取ることにする。

「少し片付いたんで、さっきのお礼に、お茶でも、と思ったんですけど」
「……あー、サンキュ。よければ玄関乾くまで邪魔させてもらっていいか?」
「もちろん」

 改めて見ればぶっかけられた水は玄関の中にまで侵入していて、服は洗えばいいにしろそこが渇くまでは部屋に上がるのはなかなか難しそうで。

「服も貸しますよ。サイズ、そんなに変わらなそうだし」
「助かるわ」
「サービスで乾燥機つけます」

 だいぶ恥ずかしいところを目撃された自覚はあったが、そうやって茶化してもらったほうが有難い。
 何度目かになる礼を口にしつつ、俺はすぐ隣の彼の部屋に上がらせてもらうことにした。

 
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