恋する乙女の挿話集

雨塔けい

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究極の選択

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 とんとん、と、つま先で床を叩いて、履き慣れた靴に足を入れる。
 玄関の鍵を閉めたのを確認して、いつも通りの方向に歩き出す。
 7時55分きっかり。
 
 天気は快晴。
 初夏の暖かい風が吹いている。気持ちがいい。
 
 8時2分。
 見慣れた青いバスに乗る。
 いつも同じゲームをしているサラリーマンや、毎朝眠そうな顔で化粧をしているOLを横目にバスの後部座席へ向かう。
 窓の外は相変わらず明るい。

 8時24分。
 バスを降りて、緩やかな坂を登る。
 同じ年頃の学生達がこぞって同じ方向に向かうその様は、見ていて飽きない。

 8時28分。
 前方に君が見えてくる。
 背は高いくせに、細くて少し猫背で頼りない、あの背中だ。
 私よりも歩くのが遅いから、だんだん近づいてくる。
 シャツに少し皺が寄っている。可愛いなあ、もう。

 8時36分。
 うーん、どうしよう。
 この時間はいつも頭を抱えている。
 歩くためのエネルギーを脳みそに回しているから、歩幅がぐんと小さくなって、なかなか距離が縮まらない。
 私にとってはトロッコ問題そのものだ。顔には出さないけれど、自分の進路のことよりも本気で悩んでいる。

 悩んでいるうちに、学校の前の桜並木が見えてきた。花は既に散って、黄緑の葉っぱが眩しく揺れている。

 もう時間がない。ええい!
 
 「おはよう、あきちゃん」
 ああ、言ってしまった。

 「あ、おはよう」
 私の葛藤をよそに何でもないような顔であいさつを返してくれる。
 少し掠れた低めの声も大好きだ。
 今日は前髪が少しはねている。…好き。
 惜しい気持ちが残らないわけではないけれど、さっきまでの悩みは吹き飛んでしまう。

 「昨日のアニメ見た?」
 「見たよー。」
 何気ない会話の一つ一つに幸せを感じてしまう。
 この時間もまた、何物にも代えがたい。

 こんなの、悩むなという方が無理な話だ。

 愛しい背中と愛しい時間。切り替えのスイッチを押すのは私。
 私が毎朝究極の選択を迫られていること、まだ君は知らない。
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