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王妃ソフィアの企み1

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 正装に着替えたディアルトは、濃紺のジャケットにアイボリーのトラウザーズ、革のブーツという姿で中央宮殿に向かった。
「殿下、タイが少し曲がっています」
 宮殿に入る前、ディアルトの姿をチェックしたリリアンナがタイを直す。
 その様子を、衛兵が羨ましそうに見ていた。
「君もドレスを着れば良かったのに」
 普段通り、青いスカートに白銀の鎧というリリアンナを見て、ディアルトが残念そうに呟く。
「私は護衛ですから」
 視線を落として言うリリアンナのドレス姿を想像しつつ、ディアルトは宮殿に向かって歩き出した。


「陛下。ディアルト、参りました」
 謁見の間の赤い絨毯の上でディアルトが一礼をし、その更に後ろでリリアンナが深く頭を下げる。
「ディアルト、そう畏まらないでくれ。顔を上げて楽な姿勢を」
「……は」
 言われた通りディアルトが頭を上げると、亡き父と面差しが似ているカダンがいる。
 宝石や金であしらわれた、ビロード張りの王座に座った彼は、ディアルトが前にいるといつもどこか困ったような顔をしている。
 その顔つきはディアルトに似ていると言っても良く、四十九歳の彼は頭に白いものが多い。しかしその顔は、若い時分にウィリアと共に美男子兄弟として名を馳せていた面影のまま、今でも美しい。
「調子はどうだ?」
 叔父から甥への言葉。
 だが気持ちだけで言えば、カダンはディアルトのことをもう一人の息子のように思っていた。
 ディアルトもそれを理解しているつもりだが、本当の子供や妻がいる前でそんな厚顔な態度は取れない。
 好意はありがたいが、甘えきれないでいる。それがディアルトの現状だ。
「お陰様で、毎日幸せに暮らせています」
 穏やかな微笑を浮かべたディアルトのことを、王妃ソフィアは苦々しげに見ている。
 ディアルトの従弟のバレル、ナターシャ、オリオの三兄弟もいるが、彼らは特にディアルトに対して特別な思いは持っていない。
 ソフィアだけが一人、我が子のために策略を練っているという現状だ。
 カダンもそれについては頭を悩ませているが、自分の妻が我が子可愛さに……と言えば強くも言えない。
「そうか、何か望みはないか?」
 当たり前だが、カダンはディアルトが生まれた時から彼を見守ってきた。
 兄亡き後、自分がディアルトをしっかり育てないとという気持ちも、勿論ある。
「お気遣いありがとうございます。ですが私は現状に満足しています。欲を言うのなら、リリアンナと結婚したいと思っていますが」
 いつもと変わりない自然体のままディアルトが言い、彼の背後でリリアンナが激しく動揺した。
「はは、リリアンナについてはいつも言っているな。お陰でディアルトの気持ちは王宮公認になっている。リリアンナ、其方はディアルトをどう思っている?」
 カダンから直接問われ、リリアンナは嫌でも顔が赤くなるのを自覚する。
 ――まるで、公開処刑だ。
「……陛下、お戯れを。私は一介の護衛係に過ぎません」
 けれど努めて声を平坦にし、いつものように答えた。
「だ、そうだ。ディアルト」
 笑いのこもったカダンの声に、ディアルトも笑いながらリリアンナを振り向く。
 謁見の間にいる大臣や貴族たち、衛兵たちにも注目されているなか、リリアンナは平静を装って真っ直ぐ前を向いていた。
 その内心は、羞恥で荒れ狂っていたのだが――。
「なんだぁ……。陛下の前でもリリアンナはいつも通りか……」
 残念そうに言ったディアルトの声に、周囲からクスクスと静かな笑い声が起こる。
 軽口のようにも受け取れる一連の言葉にまわりが笑うのは、ディアルトが王宮の者たちの半分には受け入れられている証拠だった。
「それで……、ディアルト。王座に座る決意はできたか?」
 場も和んだ頃で、カダンが本題を切り出す。
 ソフィアが厳しい顔になり、彼女を擁護する大臣たちがわざとらしく咳払いをする。
 カダンが見守る中、ディアルトは一瞬目元をフッと柔らかくした。その後、静かな瞳で王を見つめる。
「いいえ。いまだ精霊を見られない私に、王座に座ることは大役です。ファイアナとの戦もまだ収まっていない今、先王の時より共に戦略を練っていらした陛下が引き続きお座りになるべきと思っております」
「それは――、ご自身が無能であるとお認めになった。……と取って宜しいですね?」
 張り上げられた声が謁見の間に響き、高い天井にワンワンと反響した。
 皆がハッとしてそちらを見れば、ソフィアが勝ち誇った顔でディアルトを見下ろしている。
「ソフィア」
 カダンが静かに諫めるが、その前にディアルトが穏やかに返事をする。
「……そうですね、陛下。無能と取られても仕方ありません」
 高圧的なソフィアにさして反抗もせず、穏やかに対応するディアルトは安寧な家畜を思わせた。
「では! 王座につくつもりのない殿下は、戦地に赴かれては如何です? 第一王子として戦況を把握し、現地の騎士や兵士たちの士気を上げるのも立派なお役目かと思います。もしかしたらファイアナから休戦ないし停戦が申し込まれるかもしれませんし、その時は殿下が前線にいらっしゃれば何かのお役に立つかもしれませんわよ?」
 カダンの眉間に深い皺ができ、知らずと深い溜め息が漏れる。
 大臣や貴族たちの間からは、「何を仰るのですか、陛下」と反対する声もあれば、「良い案でございます」と賛同する声もある。
 ディアルトの後ろで、リリアンナは思わず声を上げようとして口を開き――感情を始め様々なものと一緒に言葉を呑み込んだ。
「ソフィア、私が歿(ぼっ)すればディアルトが王になる。王位継承権第一位のディアルトに、そんな真似はさせられない」
「陛下。わたくしは殿下に死地に赴いて、戦えなど申しておりません。あくまで現地で戦っている者たちを鼓舞できれば、と思っているのです」
 まるで大劇場の演者のように、ソフィアは声を張り上げて片手を掲げ、自分の意見を主張してくる。
 その姿に思わず、ソフィア派の貴族たちがワッと拍手をした。
「……そんなこと、許されない」
 押し殺したカダンの声よりも、拍手や歓声の方が大きい。
 カダンが軽視されているというよりも、ソフィアが自分の味方たちを煽動するのが上手なのだ。観劇を趣味としているソフィアは、何をどうすれば人々の注目を集められるかなど、知り合った演者や歌手などを通して教わっている。
「殿下、行ってくださいますわよね? 前線の者たちを鼓舞してくだされば、すぐ安全な王都に戻って来てくださいませ」
 ソフィアの目は爛々と光り、優越感に浸ったその顔は「嫌とは言わせない」と言っている。
「ディアルト、返事をしなくていい」
 頭痛がするのかカダンは額を押さえ、唸るように言う。
 それに対してディアルトは少し考え、それからニコッと緊張感のない様子で笑った。
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