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リリアンナの朝
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翌朝、いつも通りの時間に起床したリリアンナは、軽装で走り込みに行く。
上は体にフィットしたシャツに、下はキュロットスカートだ。貴婦人たちなら下着同然と思う姿だが、リリアンナは構わない。
体力をつけるために走っているのに、わざわざ邪魔になる装備をする理由がない。
リリアンナはいつも、五つの宮がある外周を走っている。
正門がある近くでその姿にお目にかかろうと、騎士たちの中には早起きをする者もいた。
薄着のリリアンナを見たいというのもある。だが本当の目的は、揺れないようにしっかり下着でホールドしているが、実際ユッサユッサと重量を見せつける胸だ。
リリアンナの侍女は「お胸が垂れてしまいます!」と悲鳴をあげて、よりリリアンナの胸にフィットした下着を注文している。
そんな外野の秋波や心配をよそに、リリアンナは今日も外周を三周走りきった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
花の離宮に戻ってリリアンナを迎えたのは、件の侍女アリカだ。
アリカはリリアンナよりも年上の二十七歳で、姉的存在でもある。
主がこの花の離宮で暮らし始めた時から、イリス家からついてきてリリアンナの身の回りの世話をしている。
主の早起きにももうすっかり慣れていて、リリアンナが外周を走り終わる頃には、風呂の用意が済んでいた。
「まずはお飲み物を」
走り終わった後の、水にレモンと塩、少しの蜂蜜を入れた飲み物は気持ちをスッキリさせてくれる。
ゴクッゴクッと喉を鳴らしてリリアンナがレモン水を飲んだ後、必ずやることがある。
「ではお嬢様」
「ええ」
背筋を伸ばしてスッと立つと、巻き尺を手にしたアリカがリリアンナの胸周りを測ってゆく。
「お嬢様の年齢で、お胸が垂れてしまってはいけませんから。ほんの少しでも数に変化がありましたら、より強力な下着を手配致します」
リリアンナのアンダーバストとトップバストを測り、肩から乳頭までも測る。
「……アリカはちょっと心配性だわ」
リリアンナも、侍女相手だと年相応の令嬢の話し方をする。
「何を仰るのです。リリアンナ様は確かに武人でもあられますが、その前に妙齢のご婦人です。体力や戦闘技術を磨くのも大事ですが、女性らしさを忘れてはなりませんよ?」
「……そう、ね」
「はい、宜しゅうございます。今日も完璧なプロポーションです」
計測が終わると、リリアンナは苦笑いをしてバスルームに向かった。
「朝食の準備ができております」
汗を流し、長い髪を流したままのリリアンナは、バスローブ姿で食卓に着く。
厚切りにしたトーストは二枚。
一枚はバターと蜂蜜を塗って食べたり、季節のジャムを塗る。もう一枚は、ハーブや胡椒入りのチーズを塗って食べる。
それがリリアンナのお気に入りだ。
加えてたっぷりのサラダに、コーンスープ。ハムやウィンナー、スクランブルエッグ。
貴婦人が食べるには量が多いが、リリアンナは人一倍体を動かしているので丁度いい。
花の離宮の料理人も、リリアンナは美食家な上によく食べるので、働きがいがあると言っている。
「お嬢様、お部屋にあるバラはどうされたのです?」
アリカに訊かれ、リリアンナは一瞬喉を詰まらせる。
すぐに水を飲んで侍女を見ると、ずっとリリアンナづき侍女をこなしてきた彼女は、意味ありげな笑みを浮かべていた。
「……あれは……。殿下に頂いたわ」
リリアンナの執務室のデスクに、一輪挿しに飾られたバラがあった。
有能な侍女はそれを見逃さなかったのだ。
「一輪のバラの意味は、『あなたしかいない』。赤いバラの花言葉は『情熱』『愛情』『美貌』『あなたを愛します』」
詩をそらんじるようにアリカが言い、リリアンナは目を丸くした。
「そ……そんな意味があったの?」
「お嬢様ほどのレディなら、皆様ご存じのことです。お嬢様が興味がなさすぎるだけです」
時々この侍女は、主に対して辛辣になる。
「殿下に告白されたのですか? 今更……という感じも致しますが」
「……そう、ね」
王宮にあるオランジェリーで毎朝採ったオレンジは、搾りたてのジュースになっている。
一口含んで酸味のある果汁を味わうと、口の中に唾液がジュワッと湧いてくる。
「もう九年のお付き合いですものね」
「殿下も成長されたわ。出会った時はヒョロッとした少年だったのに、今は私よりずっとお体がしっかりしていて……。腕力だけなら敵わないもの」
朝食を平らげたあとの皿は片付けられ、すぐ側でアリカが紅茶を淹れてくれる。
「男性として意識されることだって、ありますよね?」
意味ありげな言い方をするアリカを、リリアンナは横目で睨む。
「……あれだけの美男子を意識するななんて、拷問に近いわ。……でも私は、護衛係だもの。浮ついた気持ちでいれば、殿下を守れなくなる」
「だからあんなにツンツンしているのですか?」
「……気を抜いていたら、咄嗟に戦えないわ」
「……そこが、お嬢様の不器用な所なのですよねぇ……」
リリアンナの前に紅茶を出し、アリカは妹を見るような眼差しで微笑む。
「私は現場を拝見していませんが、お嬢様の対応ぐらい想像できます。一世一代の告白を、どうせすげなく断られたのでしょう?」
「…………」
ズバリと言い当てられ、リリアンナは何も言えない。
代わりに、紅茶を一口飲んだ。
アリカの淹れる紅茶は、悔しいほど香り高く美味しい。
「殿下のお気持ちは本物だと思います。傍から見ている私にだって、殿下のお嬢様への想いは溢れてくるほどですもの。どうしてお応えできないのです?」
「それは……」
アリカの問いに、いつも明朗な言葉を発するリリアンナは珍しく口ごもる。
「……私など、殿下に似合わないわ」
たっぷり五秒ほど経ってから呟かれた言葉は、男女問わず憧れられている美女とは思えないものだった。
「どうしてです?」
「…………」
リリアンナは答えられない。
その理由はとても独りよがりで、尚且つ確証のないものだった。なので、「こうだから」とハッキリと口に出せない。
黙り込んでしまった主を見て、アリカは溜息をついた。
「事情は存じ上げませんが、お嬢様はこの国が誇る名門イリス家のご長女です。容姿端麗、頭脳明晰。老若男女問わず見る者すべて、お嬢様の虜になるような完璧な女性です。私の自慢のお嬢様です。……そのような方が、謙遜や自虐をされているのなら、思い直すべきです」
アリカの言葉はもっともだ。
すべてを持っているように思える存在は、謙遜したり遠慮をすると逆に反感を買う可能性があると分かっている。
少しの謙遜なら「謙虚だ」で済むが、度が過ぎると「嫌味なのか?」と思われることをリリアンナは知っている。
騎士団に入ってすぐの頃は、メキメキと様々なことに才能を伸ばし、正直嫉妬された。
男だらけの世界に慣れていなかった時分には、つい男性に遠慮してしまっていたのだ。
そうすると「女性だから」というフィルターが、余計についてしまう。
ある時それがいけないと悟ったリリアンナは、遠慮せず図太く生きることを決めた。
結果、今はクールビューティーともてはやされることになっているのだが……。
「そういう問題なら……、まだ楽に考えられるのだけれど」
だがリリアンナが悩んでいることは、そう単純な理由ではなかった。
「差し出がましいことを口にしてしまいました。お嬢様にはお嬢様のお悩みがあるのですね」
「いいえ、いいの。アリカはいつも私のことを考えてくれているわ。今あなたが言ったことだって、正しいことだもの」
「畏れ入ります」
「けれど私は……、殿下のお気持ちを受け取る資格はないのよ」
寂しそうに呟くと、リリアンナは凛と咲く一輪のバラを思い出す。
真っ直ぐに伸びたあのバラは、ディアルトのようだ。
いつも真っ直ぐな目をしていて、誇り高く美しく、いい匂いがする。
遠い目をしてティーカップに唇をつける主を、アリカは憐憫に似た気持ちで見つめていた。
上は体にフィットしたシャツに、下はキュロットスカートだ。貴婦人たちなら下着同然と思う姿だが、リリアンナは構わない。
体力をつけるために走っているのに、わざわざ邪魔になる装備をする理由がない。
リリアンナはいつも、五つの宮がある外周を走っている。
正門がある近くでその姿にお目にかかろうと、騎士たちの中には早起きをする者もいた。
薄着のリリアンナを見たいというのもある。だが本当の目的は、揺れないようにしっかり下着でホールドしているが、実際ユッサユッサと重量を見せつける胸だ。
リリアンナの侍女は「お胸が垂れてしまいます!」と悲鳴をあげて、よりリリアンナの胸にフィットした下着を注文している。
そんな外野の秋波や心配をよそに、リリアンナは今日も外周を三周走りきった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
花の離宮に戻ってリリアンナを迎えたのは、件の侍女アリカだ。
アリカはリリアンナよりも年上の二十七歳で、姉的存在でもある。
主がこの花の離宮で暮らし始めた時から、イリス家からついてきてリリアンナの身の回りの世話をしている。
主の早起きにももうすっかり慣れていて、リリアンナが外周を走り終わる頃には、風呂の用意が済んでいた。
「まずはお飲み物を」
走り終わった後の、水にレモンと塩、少しの蜂蜜を入れた飲み物は気持ちをスッキリさせてくれる。
ゴクッゴクッと喉を鳴らしてリリアンナがレモン水を飲んだ後、必ずやることがある。
「ではお嬢様」
「ええ」
背筋を伸ばしてスッと立つと、巻き尺を手にしたアリカがリリアンナの胸周りを測ってゆく。
「お嬢様の年齢で、お胸が垂れてしまってはいけませんから。ほんの少しでも数に変化がありましたら、より強力な下着を手配致します」
リリアンナのアンダーバストとトップバストを測り、肩から乳頭までも測る。
「……アリカはちょっと心配性だわ」
リリアンナも、侍女相手だと年相応の令嬢の話し方をする。
「何を仰るのです。リリアンナ様は確かに武人でもあられますが、その前に妙齢のご婦人です。体力や戦闘技術を磨くのも大事ですが、女性らしさを忘れてはなりませんよ?」
「……そう、ね」
「はい、宜しゅうございます。今日も完璧なプロポーションです」
計測が終わると、リリアンナは苦笑いをしてバスルームに向かった。
「朝食の準備ができております」
汗を流し、長い髪を流したままのリリアンナは、バスローブ姿で食卓に着く。
厚切りにしたトーストは二枚。
一枚はバターと蜂蜜を塗って食べたり、季節のジャムを塗る。もう一枚は、ハーブや胡椒入りのチーズを塗って食べる。
それがリリアンナのお気に入りだ。
加えてたっぷりのサラダに、コーンスープ。ハムやウィンナー、スクランブルエッグ。
貴婦人が食べるには量が多いが、リリアンナは人一倍体を動かしているので丁度いい。
花の離宮の料理人も、リリアンナは美食家な上によく食べるので、働きがいがあると言っている。
「お嬢様、お部屋にあるバラはどうされたのです?」
アリカに訊かれ、リリアンナは一瞬喉を詰まらせる。
すぐに水を飲んで侍女を見ると、ずっとリリアンナづき侍女をこなしてきた彼女は、意味ありげな笑みを浮かべていた。
「……あれは……。殿下に頂いたわ」
リリアンナの執務室のデスクに、一輪挿しに飾られたバラがあった。
有能な侍女はそれを見逃さなかったのだ。
「一輪のバラの意味は、『あなたしかいない』。赤いバラの花言葉は『情熱』『愛情』『美貌』『あなたを愛します』」
詩をそらんじるようにアリカが言い、リリアンナは目を丸くした。
「そ……そんな意味があったの?」
「お嬢様ほどのレディなら、皆様ご存じのことです。お嬢様が興味がなさすぎるだけです」
時々この侍女は、主に対して辛辣になる。
「殿下に告白されたのですか? 今更……という感じも致しますが」
「……そう、ね」
王宮にあるオランジェリーで毎朝採ったオレンジは、搾りたてのジュースになっている。
一口含んで酸味のある果汁を味わうと、口の中に唾液がジュワッと湧いてくる。
「もう九年のお付き合いですものね」
「殿下も成長されたわ。出会った時はヒョロッとした少年だったのに、今は私よりずっとお体がしっかりしていて……。腕力だけなら敵わないもの」
朝食を平らげたあとの皿は片付けられ、すぐ側でアリカが紅茶を淹れてくれる。
「男性として意識されることだって、ありますよね?」
意味ありげな言い方をするアリカを、リリアンナは横目で睨む。
「……あれだけの美男子を意識するななんて、拷問に近いわ。……でも私は、護衛係だもの。浮ついた気持ちでいれば、殿下を守れなくなる」
「だからあんなにツンツンしているのですか?」
「……気を抜いていたら、咄嗟に戦えないわ」
「……そこが、お嬢様の不器用な所なのですよねぇ……」
リリアンナの前に紅茶を出し、アリカは妹を見るような眼差しで微笑む。
「私は現場を拝見していませんが、お嬢様の対応ぐらい想像できます。一世一代の告白を、どうせすげなく断られたのでしょう?」
「…………」
ズバリと言い当てられ、リリアンナは何も言えない。
代わりに、紅茶を一口飲んだ。
アリカの淹れる紅茶は、悔しいほど香り高く美味しい。
「殿下のお気持ちは本物だと思います。傍から見ている私にだって、殿下のお嬢様への想いは溢れてくるほどですもの。どうしてお応えできないのです?」
「それは……」
アリカの問いに、いつも明朗な言葉を発するリリアンナは珍しく口ごもる。
「……私など、殿下に似合わないわ」
たっぷり五秒ほど経ってから呟かれた言葉は、男女問わず憧れられている美女とは思えないものだった。
「どうしてです?」
「…………」
リリアンナは答えられない。
その理由はとても独りよがりで、尚且つ確証のないものだった。なので、「こうだから」とハッキリと口に出せない。
黙り込んでしまった主を見て、アリカは溜息をついた。
「事情は存じ上げませんが、お嬢様はこの国が誇る名門イリス家のご長女です。容姿端麗、頭脳明晰。老若男女問わず見る者すべて、お嬢様の虜になるような完璧な女性です。私の自慢のお嬢様です。……そのような方が、謙遜や自虐をされているのなら、思い直すべきです」
アリカの言葉はもっともだ。
すべてを持っているように思える存在は、謙遜したり遠慮をすると逆に反感を買う可能性があると分かっている。
少しの謙遜なら「謙虚だ」で済むが、度が過ぎると「嫌味なのか?」と思われることをリリアンナは知っている。
騎士団に入ってすぐの頃は、メキメキと様々なことに才能を伸ばし、正直嫉妬された。
男だらけの世界に慣れていなかった時分には、つい男性に遠慮してしまっていたのだ。
そうすると「女性だから」というフィルターが、余計についてしまう。
ある時それがいけないと悟ったリリアンナは、遠慮せず図太く生きることを決めた。
結果、今はクールビューティーともてはやされることになっているのだが……。
「そういう問題なら……、まだ楽に考えられるのだけれど」
だがリリアンナが悩んでいることは、そう単純な理由ではなかった。
「差し出がましいことを口にしてしまいました。お嬢様にはお嬢様のお悩みがあるのですね」
「いいえ、いいの。アリカはいつも私のことを考えてくれているわ。今あなたが言ったことだって、正しいことだもの」
「畏れ入ります」
「けれど私は……、殿下のお気持ちを受け取る資格はないのよ」
寂しそうに呟くと、リリアンナは凛と咲く一輪のバラを思い出す。
真っ直ぐに伸びたあのバラは、ディアルトのようだ。
いつも真っ直ぐな目をしていて、誇り高く美しく、いい匂いがする。
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