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死神の怒り1

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「……囲まれてる」
「えっ?」

「っくそ! 蹄の音一つしなかったぞ! 早すぎる!」

 毒づく男の声と裏腹に、シャーロットは歓喜していた。

(ギルさまが迎えに来てくださったのだわ)

「エリーゼ、逃げる準備をしておけ。君だけはこの混乱で死んではいけない。同志たちが命を落としても、弟の無念を知る者が誰か生き延びなければいけない」

「……分かったわ」

 今度はハッキリと男は「エリーゼ」と呼び、シャーロットは確信する。

 男が『弟』の仇を取りたいと思っているのも理解した。

(ギルさまにお知らせしなければ――) 

 だが――。

「おい、起きろ!」

「あっ!」

 パンッと頬を張られ、シャーロットは声を上げた。同時に腕の縄が引かれ、上半身が乱暴に起こされる。

「お前の愛しい死神が迎えに来たぞ。……だが人質として、最後にその命でもって働いてもらう」

「うっ……」

 グッと鎖骨の下――谷間が始まる辺りに剣の切っ先がつけられ、シャーロットは小さくうめいた。

 冷たい金属の感触とともに、一瞬熱いものを感じる。

 けれど目隠しをされたシャーロットの目には、自分の胸元に赤い血の膨らみができていることは、分からないのだった。

 やがて遠い所から争う音が聞こえ、男はシャーロットを肩の上に担いで歩き出す。

「むぅっ」

 猿ぐつわをされたシャーロットは、助けを呼ぼうにも声が出せない。

 貴族の館らしく寝室に隠し通路があったらしく、男はそこを通っているようだった。ひんやりとした空気の向こう、壁ごしに戦いの気配を感じる。

 剣戟、咆吼、そして苦悶の声。

 戦場に身を置いたことのないシャーロットは、心臓をギュッと鷲づかみにされた気分でそれを聞いていた。

「無駄な抵抗はするなよ。お前を殺すのは、最適の場にしておきたい」
「…………」

 抵抗をするなと言われても、固く戒められた身では何もできない。それに目隠しをされ縛られた身で暴れれば、男の肩から落ちて強かに体を打つだけだろう。

 シャーロットは白い尻を男の顔の横に、太腿の裏を腕で押さえられていた。

(……ギルさまに見つけてもらいたいけれども、これはこれで見つかったらとても恥ずかしい格好だわ……)

 内心そう思ってしまう自分にどこか余裕があるのは、夫が元帥であるという自負があるからだろうか。

「外に出る。騒ぐなよ」

 どこか突き当たりまできたのか、ひんやりとする場所でシャーロットは体勢を変えられた。

(いや……っ)

 はしたないことに、シャーロットは男の肩に股を預け、彼女の太腿の間から男の腕が入る格好をされてしまった。

 上半身がずり下がらないように、反対側では腕の間から男の腕が通っている。

 梯子のようなものを上り、男が出口を開いた時、シャーロットは尻が外気に触れてヒヤッとするのを感じた。

 外は雨が降っていて、下着一枚のシャーロットは否が応でも濡れてしまう。

 さすがにそれを可哀想と思う気持ちがあったのか、男はシャーロットの体の上にマントを被せた。

 密かに移動し、屋敷の騒動をあとにしようとした時――。

「……っ」

 男が息を呑むのが聞こえ、シャーロットの腿を掴む手に力が入る。

「――妻を、離せ」

 獣のうなり声に近い、獰猛な声が聞こえた。

 地を這う低い声はシャーロットの耳にも届いた。けれど彼女は一瞬『それ』が夫の声だと理解できなかった。

「もう一度言う。妻に――触れるな」

 凄まじい怒気と殺気が男に向けられ、それをシャーロットも感じた。

 指一本でも動かせば、次の瞬間容赦なく切られてしまうような気迫――。

 自分に向けられたものではないのに、シャーロットは体がすくみ動けなくなってしまった。口の中がカラカラになり、嫌な汗がふつふつと湧き出る。

(これが……ギルさまの『死神』としての殺気……)

 口腔に溜まった唾を嚥下できる余裕もなく、ただ息を潜めていた時――。

「…………」

 男がゆっくりとシャーロットを地に下ろした。

 雨でぬかるんだ大地に下ろされたシャーロットは、自力で起き上がることもできず体や頬に泥をつける。




 ギルバートは闇のなか煌々と光る目で、目隠しと猿轡をされた妻の白い肌が泥に汚されるのを見た。

 妻をあんな姿にしたのが許せない。

 妻を縛り口を塞ぎ、自由を奪ったのが許せない。

 自分以外の男が触れたなんて、怒りのあまり気がおかしくなりそうだ。

 自分の物ではないマントが妻を包んでいるのを見て、マントを切り裂きたくなった。




「俺の顔を覚えているか」

「……知らん。戦場で名も顔も覚えられぬほど切り捨てたし、恨みを持つ者の顔など知ったことか」

 すげないギルバートの声に、男もシャーロットも沈黙する。

 男は言葉にならない怒りに震え、シャーロットはギルバートが憎まれることに平然としているのに心を痛めた。

 しかし男よりも凄まじい怒気に包まれているのは、ギルバートのほうだ。

 彼の目に映っているのは、男のマントの下、肌も露わになっているシャーロット。両手も脚も硬く縛られ、やわい肌に荒縄が食い込んでいるのが痛々しい。

 目隠しをされ猿ぐつわをされている姿は、こんな緊急事態だというのに劣情を刺激させる。

「……私とてシャルを縛るのは、まだ先だと思っていたのに……」

 きつく食いしばった歯の間から漏れた言葉は、幸い誰の耳にも届いていなかった。

「我が弟ベネディクトの仇、いま討ってやる!」

 長剣を抜き、男が走り出した。

「知るか! 妻の肌に触れた罪、贖わせてやる!」

 最高に苛ついたギルバートは隻眼を細め、目にもとまらぬ早さで抜剣する。
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