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下卑た手、心痛の人

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「おーい」

 ペチペチと頬を叩かれても、シャーロットは黙って体の力を抜いていた。

「お上品な貴族サマだから、腰抜かして気絶したんじゃねぇの?」

「ちょっと脅しただけでこれかよ。……ったく」

 無遠慮な手が胸の肉を潰し、腿を這ってもただ気絶したふりを続けた。

 人がなにより興味を失うのは、『無反応』だとシャーロットは思ったのだ。

 下手に怯えたり、逆上して逆らうのは一番してはいけないこと。かといって、彼らの望む通り下卑た要望に体を開くのもまったく違う。

 ギルバートは戦場のことを、シャーロットに決して話さない。

 だが護衛たちと話していて、彼のいい噂も悪い噂も妻として耳に入れていた。

 戦場では冷酷無比に戦ったということや、剣の腕が冴えているだけではなく頭もいいということ。

 戦場に身を置いていた夫に思いを馳せ、ふと思ったのだ。

 軍人が一番注意を払わないもの――。それは、沈黙した死体なのでは、と。

 シャーロットがいますぐ死体になるのは、最後の手段にしたい。だが死ぬ代わりに、気絶をして無反応になるという手はある。

 それをいまシャーロットは実行していたのだ。

「肌がすべっすべだなぁ。きっと喰ってるもんが違うんだぜ」

 太腿が撫でられる。

「せっかく嫌がってるところを抱いてやろうと思ったのに」

 ポヨンと胸の肉をつつかれ、それでもなおシャーロットは体の力を抜き無反応を貫く。

 正直気持ち悪くて仕方がないし、鳥肌になってしまっているのは隠しようがない。

 ギルバート以外の男に触れられる肌など、もとより持ち合わせていないのだ。

 けれど今は無反応を貫くことで、男たちがいずれ自分から興味を失ってくれればと思っていたら――。

「脅迫状のほうはどうなってる?」
「あぁ、もう馬は出たはずだ」

 気を失ったシャーロットがつまらないと思ったのか、男たちは別の話をしだす。

(やったわ)

 ホ……と胸に安堵の火が灯り、シャーロットはそのまま男たちが自分から気を逸らすことを望む。

「ここは王都から離れているし、そう簡単には見つからないだろう。俺たちだってちょっと注意を払えばこの屋敷が誰のものか察しがつく。だが王宮から攫われた女が、国内のどこにいるか、もしかしたら国境を越えてるかもしれないことなど、きっと予想もつかないだろ」

 話ながらも男たちの手はシャーロットに触れていたが、触り方も先ほどより目的を失ったおざなりなものになっている。

「見張りはどうなってる?」

 やがて男たちの興味は完全に逸れ、手が完全に離れた。どやどやと気配がシャーロットの周囲より部屋の外に消えてゆく。

 それでもシャーロットは気絶したままを貫いていた。

 目隠しをされている以上、同じ部屋にまだ見張りがいるか分からないからだ。

 じっとしたまま、シャーロットは知り得た情報をまとめる。

(言葉は純粋なエルフィンストーンの発音と、アルトドルファーの訛りが入ったものが混じっているわ。両国のなにかしらの事情を持つ者が集まっているのね)

 そしてほんの僅かに指を動かす。

(柔らかさからいって寝かされているのはベッド。それにとても上質な布だから、『屋敷』と言っていたし、誰か貴族の館を隠れ家にしているのかしら。ほんの微かに香の匂いもするし、廃屋とかそういう場所でないのは確かね)

 自分でできるだけの情報を集めていた時だった――。

 静かな室内で人が動く気配がし、シャーロットは息を殺す。

 金属がこすれる音がして、柔らかな腹部をなにか鋭利なものがつついた。

(っ……剣?)

 心臓がヒヤッとし、シャーロットは必死になって体が震えるのを堪える。

「……いっそ殺してやりたいがな」

 そう言った声は、あきらかに先ほどまでの粗暴な男たちと様子が違っていた。

(この人……主犯かしら?)

 緊張で口腔に唾が溜まるが、それを嚥下することすらシャーロットは我慢する。

「剣で死ぬのと、毒で死ぬのと……。どちらが苦しいのだろうな?」

 その人物がシャーロットの指輪の仕込み毒を知っているのかと思い、彼女は再度ヒヤッと肝を冷やす。

 自害用の指輪を奪われれば、自分の最後の尊厳が守れない。

「どちらにしても、大事なものを奪えば同じ苦しみを与えられるわ」

 そこに女性の声がした。

(あら……? この声……)

 聞き覚えがある。

 そう思って記憶をたぐり、思い当たったシャーロットは微かに息を漏らした。

(エリーゼさま。……そうだわ。わたし、エリーゼさまとお酒を飲んでいたのよ。途中で眠たくなったのはお酒のせいだと思っていたけれど……)

 声の正体が分かった途端、シャーロットは胸をえぐられるような悲しみに襲われた。

(お友達になれると思っていたのに……。エリーゼさまも、ギルさまを憎む人たちの仲間なの? あれだけギルさまのことを英雄だと、沢山お話して笑い合ったのに……)

 裏切り――。

 という言葉が思い浮かんで、シャーロットは自分自身に疑問を投げかける。

「裏切られた」というほど、自分とエリーゼは長い付き合いで親しかっただろうか?

 ――答えは「ノー」だ。

(わたしが勝手に騙されて、勝手に舞い上がっただけ……)

 涙が零れそうになり、シャーロットは必死になってそれを堪えた。

「この女を盾にとり、死神をおびき寄せ――斬る。それから王都に火を放ち、エルフィンストーンに宣戦布告だ」

 乾いた笑いが聞こえ、シャーロットはゾッとして背筋を震わせた。

(この人……なんてことを考えているのの? ギルさまにお知らせしなければ)

「その前に犯してしまえば? わたくしの恋人を奪った死神が、妻を娶ってのうのうと生きているなんて許せない。この女の平和ボケした顔も、腹が立つったら」

(……ギルさまがエリーゼさまの恋人を奪った?)

 同じ女性なのに「犯してしまえば?」と言い放ったエリーゼの言葉は、単純に悲しい。けれどそれよりも大事であろうことに、シャーロットは思いを巡らせていた。

(ギルさまが命を奪った相手だとしたら……。今まで戦場で命を奪った相手……になるわ。エリーゼさまは伯爵令嬢。そのお相手となれば、高位騎士……?)

 そこまで考えて、シャーロットはハッとエリーゼの顔を思い出した。

(エリーゼさまのつけぼくろ……。顎にある『私は慎み深い女性です』の意味は……。恋人がいらっしゃるという暗喩だった?)

 なにも知らないシャーロットが、賢明に頭を働かせていた時だった――。
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