上 下
1 / 65

序章1

しおりを挟む
 ビュウッと強い風が、美しい庭園を吹き抜けてゆく。

「あ……っ」

 少女は目の前に舞い込んできた羊皮紙を、とっさに両手で挟んでいた。

「どうした?」

「お父さま、いまの風でこの紙が飛んできて……」

 プラチナブロンドの少女はそう言い、不思議そうに何の書類なのか確かめようとする。

 その時――。

「すまない、それは私のものだ」
「……っ」

 低く艶やかな声がし、隣に立っている父が体を硬くしたのが分かった。

 けれどこの日初めて宮廷に上がった十五歳の少女は、『その人』が何者なのか知らない。

「強い風でしたものね。はい、どうぞ」

 白い手袋に包まれた手が、羊皮紙を男性に手渡す。

「……大事なものなので、礼を言う」

 男性は背が高く、濡れ羽色の髪が美しいと少女は思った。けれどそれよりも、彼の金色の瞳を見ると目が離せない。

「綺麗な目の色ですね」
「……そうか?」

「はい。時々うちの庭に紛れ込む、黒猫のようです」

『彼』が誰なのかも知らない少女が無邪気に微笑むと、父が低い声でたしなめた。

「これ。失礼だからやめなさい」
「……はい、すみません。お父さま」

「閣下、無礼な娘をどうぞお許しください」

 深く頭を下げる父の姿を見て、少女はどうやら男性が随分と身分の高い人なのだと分かった。

 あわてて父に倣って頭を下げると、その後頭部に手を置かれる。

「いい。助かった。……では」

『彼』が与える雰囲気よりも、その手の優しさのほうがずっと印象に残った。

 石畳を静かに歩いて行く靴音がし、ややしばらくしてから少女はぼんやりとしながら頭を上げる。

「……お父さま、いまの方は?」

 好奇心を隠さない青緑の目が父を見ると、父は非常に複雑な顔をして顔を左右に振る。

「お前は知らなくていい」
「……はい」

『大人の事情』なのだと分かると、それ以上少女は父に質問をしなかった。

 また歩き始めると、前方を歩いていたはずの男性の後ろ姿はもうない。

(……あまり口数は多くなかったけれど、すてきな人だったわ)

 また会えるといいな、と漠然とした期待を抱きながら、少女は父と一緒に大きな宮殿へ向かった。



**



 エルフィンストーン王国が長きに渡る領土争いを終え、隣国のアルトドルファー王国との調印式を開いたのは、三年前の初夏の頃だった。

 両国とも王都は国の中ほどにあり、互いが領土を言い張っていたのはそれぞれの南端と北端の境だ。

 山間の川を挟んで国境があったのだが、その川で採れる砂金というのが悩みの種だった。

 両国ともそこでの砂金は国庫を潤す資源となっており、容易に手放すことはできない。

 川べりに住む者たちはエルフィンストーン王国側の民族であり、言語もそちらを使っている。

 川を含め川べりの民は我が国民と言う両者が、長いあいだ主張を譲らなかったのだ。

 十年以上続いたその争いは、エルフィンストーン王国の王女がアルトドルファー王国に嫁ぐことにより、解決した。

 金の輸出にかかる関税を、アルトドルファー王国にだけ低くすることにより、アルトドルファー王国側から折れたのだ。

 第一にアルトドルファー王国から派遣された砂金取りが、川べりの民によって血祭りにされるのも、ずっと頭の痛い問題だった。また川べりの民はエルフィンストーン国民と見なしているので、それにアルトドルファー王国の軍も出張ってくる。

 おまけにアルトドルファー王国は世継ぎ問題などで内情が揺れており、軍にかけられる余力はそれほどない。

 強国であるエルフィンストーン王国の姫を迎え、血縁となることで様々な問題が解決するのなら……という苦肉の策でもあった。

 内側からも揺らいでいる国が、資金のためとはいえずっと戦争を続けていれば、国は貧しくなる。

 エルフィンストーン王国の軍が非常に強力で『不死の軍団』という悪名すらあったのを考えれば、砂金を相手に譲り和平を結んだのは正解だった。




 調印式は、エルフィンストーン王国の王都で行われた。

 アルトドルファー王国の王族や貴族たちは貴賓として迎えられ、馬車が通る街道には両国の国旗が交互に立てられている。

 王都の十月堂が調印式の舞台となり、両国の王侯貴族が身守るなか国王たちがサインをする段取りになっていた。

 十月堂とは、豊穣の感謝などを捧げる、国民のための建物だ。

 両国の代表として国王たちが挨拶をし、立会人となる司教が誓約書を読み上げようとした時だった――。

「アルトドルファー王国に栄光あれぇ!」

 奇声が上がったかと思うと、人々の間から騎士が一人躍り出た。

 その手には、銀色に光る凶刃が――。

「きゃあっ!」と王家の姫たちが悲鳴をあげ、それぞれの軍と騎士団が動く。

 まず一番に体が動いたのは、全身黒づくめのエルフィンストーン王国の元帥だった。

 腰に下がっている剣をスラリと抜き、騎士の剣を受け止める。

 ギィンッと硬質な音がし、騎士が一歩足を引いて踏みとどまった。

 見れば騎士は、まだ若い青年だった。

 数年前まで十代だったような、騎士になってまだ間もない彼は、顔を蒼白にして歯を食いしばっている。

 顔中に冷や汗をかき、彼がこの凶行を起こすまで緊張しっぱなしだったのが窺えた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

処理中です...