30 / 71
でも、何もなかった
しおりを挟む
「『花音の事が好きだから、付き合っています。見守っていてください』って」
「……もぉ……」
まさか梨理に対してそんな事を伝えると思わず、花音は照れる。
「俺はとても真剣に気持ちを込めて弾いたよ。……でも、何もなかった」
告白の話はさておき、花音は頷く。
「……私は、弾くのが怖いです。……〝今〟に不満はないから、もし弾いてどこかに跳んでしまう事があったら……怖い」
「分かるよ。だからここで花音に『弾いてみて』とは言わない」
秀真はえんじ色のキーカバーを鍵盤の上に置き、静かにピアノの蓋を閉める。
「昔はここで心霊的な体験もしたんだっけ?」
以前に宮の森の彼の家で話していた時、洋子や梨理にまつわる事はあらかた話した。
だから秀真も花音の不思議体験を分かってくれている。
「そうなんです。小さい頃にこの部屋で練習していたら、誰かがいる気配や、笑い声、歌声も聞こえた気がしました。不思議と当時は『怖い』と思わなくて、〝何か〟が私のピアノを一緒に楽しんでくれているのが嬉しかったです」
花音は小さなソファに腰掛け、昔を思い出す。
秀真ももう一度ピアノの椅子に座り、話を聞いてくれた。
「他の子も〝オバケ〟の気配を感じたと言って中には『怖い』という子もいましたが、悪さはしなかったと思います。事実、この家に住んでいる祖母にも何も悪い事は起こっていません」
秀真は頷く。
「だからこそ……、〝今〟のこれは何なのかな……って」
花音は小さく息をつき、「分かんないや」と困ったように笑った。
「〝未知〟についてどれだけ考えても、解決はしないよな。第三者的に見ると、今後花音が幸せに生きられて、洋子さんも体調を悪くしないのなら、すべて忘れてこのまま生きてもいいと思うんだ」
「……そうですね」
あれこれ考えても、現状の何かが大きく変わる事はないだろう。
〝タイムリミット〟があり、元の世界に戻るというのも考えにくい。
「都合良く、後悔していた花音に梨理さんが『やり直しさせてあげたい』と考えた……と思ってみないか? 花音は洋子さんを救えたし、あとは普通に生きればいい」
「そう思いたいです。……梨理さんにお礼は、何かできないでしょうか?」
尋ねられ、秀真は黒いアップライトピアノを見た。
「お墓参りとか、ちょくちょく洋子さんに顔を見せるとか、……そういう事でいいんじゃないかな? 実に基本的な事だけど」
「ですね」
見つめ合って笑い合い、二人はこれから来る生徒のために練習室Cをあとにする事にした。
一度二階のリビングまで戻ると、洋子と安野に挨拶をする。
それからハイヤーを呼んで、宮の森の家に向かった。
「花音の恋愛歴について聞いていい?」
宮の森の家で秀真が淹れた美味しいコーヒーを飲んでいた時、彼がそんな事を尋ねてきた。
花音はとっさに、口の中にあったカフェオレを噴いてしまうところだった。
「ど……っ、どうして、いきなり……っ」
「いや、だって……。気になるだろ?」
彼は照れくさそうに笑い、それでも花音への興味を隠さない。
「……そんな……。本当にお付き合いって言えるものはほぼ経験していないんです。告白された事はあっても子供でしたし、知らない人からだと怖かったです。あとは音楽、音楽で……」
「……確かに、大事な時期だったもんな」
そう言うものの、秀真はどこか嬉しそうな顔をしているので、花音は内心むくれる。
「社会人になってから一人だけ付き合った事があります。合コンで出会いました。優しくて話しやすい人でしたが、……決定的に『合わない』って思った事があって」
「……というと?」
秀真に尋ねられ、花音は息をついた。
「私が音楽を避けていたからか、彼は私の事をクラシック嫌いと思ったみたいです。それで目の前で延々とクラシックを馬鹿にされて……。私がショパンコンクールに出た事のある元音大生だって言っていなかったのはこちらに非があります。避けていたのも事実ですが、あそこまで悪く言われると腹が立ってしまって……」
愚痴っぽく言ったあと、花音は長い溜め息をつく。
「っはは……! 花音らしいな」
ひとしきり笑ったあと、秀真は花音の手を握ってくる。
「何はともあれ、花音みたいに素敵な女性がフリーで良かった」
「……え、と」
大きく温かな手に包まれて、鼓動がどんどん速まっていく。
「……キスをしていいかな?」
尋ねられ、花音は言葉では何も言えず、真っ赤になったまま一つ頷いた。
「……もぉ……」
まさか梨理に対してそんな事を伝えると思わず、花音は照れる。
「俺はとても真剣に気持ちを込めて弾いたよ。……でも、何もなかった」
告白の話はさておき、花音は頷く。
「……私は、弾くのが怖いです。……〝今〟に不満はないから、もし弾いてどこかに跳んでしまう事があったら……怖い」
「分かるよ。だからここで花音に『弾いてみて』とは言わない」
秀真はえんじ色のキーカバーを鍵盤の上に置き、静かにピアノの蓋を閉める。
「昔はここで心霊的な体験もしたんだっけ?」
以前に宮の森の彼の家で話していた時、洋子や梨理にまつわる事はあらかた話した。
だから秀真も花音の不思議体験を分かってくれている。
「そうなんです。小さい頃にこの部屋で練習していたら、誰かがいる気配や、笑い声、歌声も聞こえた気がしました。不思議と当時は『怖い』と思わなくて、〝何か〟が私のピアノを一緒に楽しんでくれているのが嬉しかったです」
花音は小さなソファに腰掛け、昔を思い出す。
秀真ももう一度ピアノの椅子に座り、話を聞いてくれた。
「他の子も〝オバケ〟の気配を感じたと言って中には『怖い』という子もいましたが、悪さはしなかったと思います。事実、この家に住んでいる祖母にも何も悪い事は起こっていません」
秀真は頷く。
「だからこそ……、〝今〟のこれは何なのかな……って」
花音は小さく息をつき、「分かんないや」と困ったように笑った。
「〝未知〟についてどれだけ考えても、解決はしないよな。第三者的に見ると、今後花音が幸せに生きられて、洋子さんも体調を悪くしないのなら、すべて忘れてこのまま生きてもいいと思うんだ」
「……そうですね」
あれこれ考えても、現状の何かが大きく変わる事はないだろう。
〝タイムリミット〟があり、元の世界に戻るというのも考えにくい。
「都合良く、後悔していた花音に梨理さんが『やり直しさせてあげたい』と考えた……と思ってみないか? 花音は洋子さんを救えたし、あとは普通に生きればいい」
「そう思いたいです。……梨理さんにお礼は、何かできないでしょうか?」
尋ねられ、秀真は黒いアップライトピアノを見た。
「お墓参りとか、ちょくちょく洋子さんに顔を見せるとか、……そういう事でいいんじゃないかな? 実に基本的な事だけど」
「ですね」
見つめ合って笑い合い、二人はこれから来る生徒のために練習室Cをあとにする事にした。
一度二階のリビングまで戻ると、洋子と安野に挨拶をする。
それからハイヤーを呼んで、宮の森の家に向かった。
「花音の恋愛歴について聞いていい?」
宮の森の家で秀真が淹れた美味しいコーヒーを飲んでいた時、彼がそんな事を尋ねてきた。
花音はとっさに、口の中にあったカフェオレを噴いてしまうところだった。
「ど……っ、どうして、いきなり……っ」
「いや、だって……。気になるだろ?」
彼は照れくさそうに笑い、それでも花音への興味を隠さない。
「……そんな……。本当にお付き合いって言えるものはほぼ経験していないんです。告白された事はあっても子供でしたし、知らない人からだと怖かったです。あとは音楽、音楽で……」
「……確かに、大事な時期だったもんな」
そう言うものの、秀真はどこか嬉しそうな顔をしているので、花音は内心むくれる。
「社会人になってから一人だけ付き合った事があります。合コンで出会いました。優しくて話しやすい人でしたが、……決定的に『合わない』って思った事があって」
「……というと?」
秀真に尋ねられ、花音は息をついた。
「私が音楽を避けていたからか、彼は私の事をクラシック嫌いと思ったみたいです。それで目の前で延々とクラシックを馬鹿にされて……。私がショパンコンクールに出た事のある元音大生だって言っていなかったのはこちらに非があります。避けていたのも事実ですが、あそこまで悪く言われると腹が立ってしまって……」
愚痴っぽく言ったあと、花音は長い溜め息をつく。
「っはは……! 花音らしいな」
ひとしきり笑ったあと、秀真は花音の手を握ってくる。
「何はともあれ、花音みたいに素敵な女性がフリーで良かった」
「……え、と」
大きく温かな手に包まれて、鼓動がどんどん速まっていく。
「……キスをしていいかな?」
尋ねられ、花音は言葉では何も言えず、真っ赤になったまま一つ頷いた。
0
お気に入りに追加
113
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
アラフォー×バツ1×IT社長と週末婚
日下奈緒
恋愛
仕事の契約を打ち切られ、年末をあと1か月残して就職活動に入ったつむぎ。ある日街で車に轢かれそうになるところを助けて貰ったのだが、突然週末婚を持ち出され……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる