10 / 71
後悔を越えた謝罪
しおりを挟む
その後、花音は安野に祖母が今後どうなるかを伝えるかどうか、非常に迷った。
だが手紙で洋子が「秘密」と言っていたのがよぎる。
おまけにタイムリープものの映画や物語で、主人公が時間を越えた事や、運命をねじ曲げた事を外部の者に漏らせば、ろくな結末にならないというのも沢山見てきた。
だから現時点では、安野には何も言わないでおく事にした。
「じゃあ、私これから病院に向かいます。それじゃあ」
『ええ。ごめんください』
安野との電話を切り、花音は祖母が入院している病院に向かう。
病院は札幌駅の一駅隣の、桑園駅のすぐ近くにある大きな総合病院だ。
地下鉄でまず札幌駅に向かおうとすると、人身事故で通夜に遅れたのを思い出し、ジワリと嫌な汗が浮かぶ。
(大丈夫。今はまだ、お祖母ちゃんの容態が急変する前だから)
自分に言い聞かせ、花音は地下に通じる建物まで歩いた。
「お祖母ちゃん」
「花音」
祖母が入院している部屋は二人部屋だ。
病院側が祖母に気を利かせたのか、タイミングなのか隣のベッドはなかった。
「急にどうしたの? 仕事は?」
「仕事は終わった。……たまに顔を見ないとって思って」
これまで正月と盆以外は避けてきたのに、何を今さら……と自分でも思うが、他に言いようがなかった。
「急になぁに? おねだりでもあるのかしら」
祖母は特に具合は悪くないようで、いつもと変わらず柔和な笑顔を見せている。
六年前の事も祖母からは気に掛けていないという様子を貫き、それが今はありがたかった。
「デパ地下で大福を買ってきたよ」
「ありがと。ここのお餅、柔らかくて餡子も上品な甘さで好きなのよねぇ」
プラスチックのパックには、期間限定で売っている特濃草大福と、花音用の胡桃大福が入っていた。椅子を引いてベッド脇に座った花音は、まじまじと祖母を見る。
「どうしたの?」
いつもと変わらない祖母が、あと少しで棺の中に入るなど信じられない。
急に涙がこみ上げ、花音は祖母の手を握った。
「花音?」
尋ねられても、花音は何も言えずポロポロと涙を零すしかできなかった。
「どうしたの?」
「……何でもないの。……思いだし泣き」
祖母を心配させてはいけないと思い、花音は涙を拭う。
そして大福の入ったパックを開くと、粉を払って「食べよう」と微笑みかけた。
一緒に買ってきたお茶のペットボトルをお供に、しばし二人は無言になって口を動かす。
柔らかくよく伸びる餅と、程よい甘さの餡子、胡桃のコリコリとした食感に癒やされているうちに、気持ちが落ち着いてくる。
まずは、これまでの態度を謝らないとと思った。
ずっと避けて逃げていたけれど、祖母が亡くなる前にきちんと伝えるべきだ。
「……今まで態度が悪くてごめん」
その言葉を聞き、祖母は大福の最後の一口をきちんと噛んで嚥下したあと、笑い混じりに頷いた。
「私もごめんなさい。ずっと謝りたかったけれど、タイミングを逃し続けていたわ」
やはり祖母も、手紙に書いてあった通り、ずっと後悔していたのだ。
「私はあなたの祖母である前に、今までずっとピアニスト、教師でありつづけたわ。それを優先させて、花音が一番つらいときに寄り添ってあげられなかった。あなたが事故にあった時、どれだけ絶望したのかピアニストなら分かっているはずなのに、それよりも自分の感情を優先させてしまった。……祖母失格だわ」
洋子は溜め息混じりに微笑み、言葉を続ける。
「あなたの才能は本物よ。『この子なら私より遙か上をいくかもしれない』そう思ったからこそ、私も奏恵も期待してしまった。けれど自分たちが当たり前にピアノと共に過ごしていたからといって、私たちはその感覚を花音にも押しつけてしまった。学校の勉強や行事よりピアノを優先させて当然、友達と遊ぶ時間よりピアノ。普通の人と違った感覚のまま、あなたを育ててしまった」
一つ息をつき、祖母は悲しげに呟いた。
「花音が挫折する日がくるなんて思っていなかったの。必ずあなたは成功すると思っていた。……けれどあなたは私の心ない一言で心を折ってしまい、人生を変えてしまった。私さえあの時もっと励ましていれば、リハビリをして今もピアノを弾いていたかもしれないのに……」
花音は両手でペットボトルを持ち、手持ち無沙汰にそれをいじる。
やがて溜め息と共に首を横に振った。
だが手紙で洋子が「秘密」と言っていたのがよぎる。
おまけにタイムリープものの映画や物語で、主人公が時間を越えた事や、運命をねじ曲げた事を外部の者に漏らせば、ろくな結末にならないというのも沢山見てきた。
だから現時点では、安野には何も言わないでおく事にした。
「じゃあ、私これから病院に向かいます。それじゃあ」
『ええ。ごめんください』
安野との電話を切り、花音は祖母が入院している病院に向かう。
病院は札幌駅の一駅隣の、桑園駅のすぐ近くにある大きな総合病院だ。
地下鉄でまず札幌駅に向かおうとすると、人身事故で通夜に遅れたのを思い出し、ジワリと嫌な汗が浮かぶ。
(大丈夫。今はまだ、お祖母ちゃんの容態が急変する前だから)
自分に言い聞かせ、花音は地下に通じる建物まで歩いた。
「お祖母ちゃん」
「花音」
祖母が入院している部屋は二人部屋だ。
病院側が祖母に気を利かせたのか、タイミングなのか隣のベッドはなかった。
「急にどうしたの? 仕事は?」
「仕事は終わった。……たまに顔を見ないとって思って」
これまで正月と盆以外は避けてきたのに、何を今さら……と自分でも思うが、他に言いようがなかった。
「急になぁに? おねだりでもあるのかしら」
祖母は特に具合は悪くないようで、いつもと変わらず柔和な笑顔を見せている。
六年前の事も祖母からは気に掛けていないという様子を貫き、それが今はありがたかった。
「デパ地下で大福を買ってきたよ」
「ありがと。ここのお餅、柔らかくて餡子も上品な甘さで好きなのよねぇ」
プラスチックのパックには、期間限定で売っている特濃草大福と、花音用の胡桃大福が入っていた。椅子を引いてベッド脇に座った花音は、まじまじと祖母を見る。
「どうしたの?」
いつもと変わらない祖母が、あと少しで棺の中に入るなど信じられない。
急に涙がこみ上げ、花音は祖母の手を握った。
「花音?」
尋ねられても、花音は何も言えずポロポロと涙を零すしかできなかった。
「どうしたの?」
「……何でもないの。……思いだし泣き」
祖母を心配させてはいけないと思い、花音は涙を拭う。
そして大福の入ったパックを開くと、粉を払って「食べよう」と微笑みかけた。
一緒に買ってきたお茶のペットボトルをお供に、しばし二人は無言になって口を動かす。
柔らかくよく伸びる餅と、程よい甘さの餡子、胡桃のコリコリとした食感に癒やされているうちに、気持ちが落ち着いてくる。
まずは、これまでの態度を謝らないとと思った。
ずっと避けて逃げていたけれど、祖母が亡くなる前にきちんと伝えるべきだ。
「……今まで態度が悪くてごめん」
その言葉を聞き、祖母は大福の最後の一口をきちんと噛んで嚥下したあと、笑い混じりに頷いた。
「私もごめんなさい。ずっと謝りたかったけれど、タイミングを逃し続けていたわ」
やはり祖母も、手紙に書いてあった通り、ずっと後悔していたのだ。
「私はあなたの祖母である前に、今までずっとピアニスト、教師でありつづけたわ。それを優先させて、花音が一番つらいときに寄り添ってあげられなかった。あなたが事故にあった時、どれだけ絶望したのかピアニストなら分かっているはずなのに、それよりも自分の感情を優先させてしまった。……祖母失格だわ」
洋子は溜め息混じりに微笑み、言葉を続ける。
「あなたの才能は本物よ。『この子なら私より遙か上をいくかもしれない』そう思ったからこそ、私も奏恵も期待してしまった。けれど自分たちが当たり前にピアノと共に過ごしていたからといって、私たちはその感覚を花音にも押しつけてしまった。学校の勉強や行事よりピアノを優先させて当然、友達と遊ぶ時間よりピアノ。普通の人と違った感覚のまま、あなたを育ててしまった」
一つ息をつき、祖母は悲しげに呟いた。
「花音が挫折する日がくるなんて思っていなかったの。必ずあなたは成功すると思っていた。……けれどあなたは私の心ない一言で心を折ってしまい、人生を変えてしまった。私さえあの時もっと励ましていれば、リハビリをして今もピアノを弾いていたかもしれないのに……」
花音は両手でペットボトルを持ち、手持ち無沙汰にそれをいじる。
やがて溜め息と共に首を横に振った。
0
お気に入りに追加
113
あなたにおすすめの小説

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。


裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

婚約破棄されなかった者たち
ましゅぺちーの
恋愛
とある学園にて、高位貴族の令息五人を虜にした一人の男爵令嬢がいた。
令息たちは全員が男爵令嬢に本気だったが、結局彼女が選んだのはその中で最も地位の高い第一王子だった。
第一王子は許嫁であった公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚。
公爵令嬢は嫌がらせの罪を追及され修道院送りとなった。
一方、選ばれなかった四人は当然それぞれの婚約者と結婚することとなった。
その中の一人、侯爵令嬢のシェリルは早々に夫であるアーノルドから「愛することは無い」と宣言されてしまい……。
ヒロインがハッピーエンドを迎えたその後の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる