時戻りのカノン

臣桜

文字の大きさ
上 下
7 / 71

練習室Cのピアノ

しおりを挟む
「私、高校時代にお父さんが死んじゃったでしょ? あの時、学校にいて死に目に会えなかったんだけど、それに間に合えば良かったなぁ……なんて、思っちゃう」

 その言葉が、ぽつん……と心の奥に落ちた。

(そうか、〝願い〟ってそういう事なのかもしれない。私やお祖母ちゃんに関わっていて、皆を幸せな結末に向かわせる願い)

「ん? どした? 花音」

「ううん。ありがとう」

「変なの」

 友人にきっかけをもらい、花音は一刻も早くあのピアノの前に立たなくてはと思った。




 友達と駅で別れてから、花音は祖母の家に電話をかけた。

『はい、もしもし。海江田でございます』

 遅い時間の電話だが、家政婦の安野あんのなら出てくれると思っていた。

 生前、洋子は大切な手だからという理由で、いっさい料理をしなかった。

 再婚したあとは亡き祖父がピアノに理解を示し、家事を引き受けてくれたようだ。

 やがて家政婦を雇うようになり、現在に至る。

 現在の家政婦の安野という人は、五十代のふくよかな女性だ。

 多少ミーハーな面もあるが、洋子をとても尊敬していて最期の時まで尽くしてくれていた。

 洋子は亡くなったので、今後は支払われるべき金を受け取ったあと、契約終了させるのかもしれない。

 または母を新たな契約相手として、現在の海江田家の管理人となる道もある。

 当面は葬儀あとのゴタゴタが落ち着くまでは、安野は無人になった海江田家を管理する事になっていた。

「もしもし、安野さん? 花音です」


『あぁ、花音さん! その後お変わりありませんか?』

「はい。安野さんもお疲れ様です。その、これからなんですが、そちらに行っても構いませんか?」

『えぇ、構いませんけど……。どうかしましたか?』

「いえ。ちょっとした事なんです。特に何も用意しなくていいですから。確認したらすぐ帰りますので」

『分かりました。玄関の鍵を開けておきますね』

「はい。じゃあ、また」

 電話を切ったあと、花音は地下鉄に乗って大通駅に向かい、乗り換えをして最寄り駅で降りた。




 タクシーを拾って海江田邸まで向かい、遅い時間なのでチャイムは鳴らさず家に入った。

 入ってすぐは天井の高い玄関ホールになっていて、シャンデリアが下がっている。

 すぐ横手には階段とエレベーターがあり、そこから上階の住居スペースに繋がっていた。一階の他の部分は手洗い以外すべてレッスン室だ。

 電気をつけ、花音は緊張しながら廊下を進んでいく。

 練習室はA、Bがグランドピアノのある部屋で、CからEまでがアップライトピアノのある待機練習室だ。例の黒いアップライトピアノは、練習室Cだ。

「……こんばんは」

 練習室Cに入り、電気をつける。

 梨理がここにいるというので思わず挨拶をしたが、勿論誰も返事をしない。

 花音は荷物をソファに置き、アップライトピアノの椅子に座る。

 洋子が所持しているピアノは、すべて昔ながらの良い物だ。

『最近作られたピアノは白鍵が樹脂製の物もありますが、昔に作られた物はちゃんとした木製の鍵盤ですからね』

 そう言っていたのは、祖母と古くからの馴染みの調律師だ。

 花音は両手を広げて外側から内側へと、鍵盤を撫でてゆく。

 ドクッ、ドクッ……と心臓が嫌な音を立てて鳴っていた。

 練習室に入ってピアノを目にしてから、花音は異様な緊張状態にあった。

 六年前の事件以来初めて、ピアノの前に座る。

 白鍵を静かに押すと、綺麗な音がする。

「っ……!」

 この六年ピアノを弾いていなかったので、自分のこの手が音を出したのだとにわかに信じられず、ギクッとして身を強ばらせた。

 周囲が静かなだけあり、余計にいまの一音は響いたように感じられる。

「……梨理さん、ピアノを弾いたらあなたに会えるの? 願いを叶えてくれるの?」

 口に出して尋ねても、誰も答えない。

 鏡のように磨き上げられたピアノには、花音の顔が映っているだけだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

私にモテ期とか冗談でしょ? アラサーオタ喪女に突然の逆ハーレム

ブラックウォーター
恋愛
アラサー、独身、彼氏なし、趣味サブカル全般。 28歳の会社員、秋島瞳は単調な毎日を過ごしていた。 休日はDVDやネット動画を観て過ごす。 食事は外食かズボラ飯。 昨日までは…。 同期でやり手の上司、克己。 エリートで期待のルーキー、勇人。 会社創業者一族で貴公子、龍太郎。 イケメンたちになぜか付き合ってくれと言われて…。 なんの冗談?私にモテ期っておかしいって!

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

助けてください!エリート年下上司が、地味な私への溺愛を隠してくれません

和泉杏咲
恋愛
両片思いの2人。「年下上司なんてありえない!」 「できない年上部下なんてまっぴらだ」そんな2人は、どうやって結ばれる? 「年下上司なんてありえない!」 「こっちこそ、できない年上の部下なんてまっぴらだ」 思えば、私とあいつは初対面から相性最悪だった! 人材業界へと転職した高井綾香。 そこで彼女を待ち受けていたのは、エリート街道まっしぐらの上司、加藤涼介からの厳しい言葉の数々。 綾香は年下の涼介に対し、常に反発を繰り返していた。 ところが、ある時自分のミスを助けてくれた涼介が気になるように……? 「あの……私なんで、壁ドンされてるんですか?」 「ほら、やってみなよ、体で俺を誘惑するんだよね?」 「はあ!?誘惑!?」 「取引先を陥落させた技、僕にやってみなよ」

あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~

けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。 ただ… トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。 誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。 いや…もう女子と言える年齢ではない。 キラキラドキドキした恋愛はしたい… 結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。 最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。 彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して… そんな人が、 『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』 だなんて、私を指名してくれて… そして… スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、 『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』 って、誘われた… いったい私に何が起こっているの? パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子… たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。 誰かを思いっきり好きになって… 甘えてみても…いいですか? ※after story別作品で公開中(同じタイトル)

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

処理中です...