時戻りのカノン

臣桜

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祖母からの手紙

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(形見分けとかもあるし、ごたついたのかな)

 祖母はピアニストとして華々しく活躍していたので、宝石や着物など高価な物も多数所持していた。

 形見分けや遺品整理をするのに、徒歩十分の場所に住んでいる長女の母が主に動くのは当然だったのかもしれない。

「弁護士さんに相談して、詳しい事はあれこれしてもらってるから、花音は心配しなくていいからね」

「うん」

 少し前まで祖母の家だったのに、今はその主がいない。

 この六年、元旦と盆の時に親戚で集まる以外では、ピアノ教室になっているこの家に寄りつかなかった。

 よそよそしく感じるリビングに慣れないまま、花音はソファに腰掛けた。

「お祖母ちゃんが、花音に手紙を残していたの。だからそれを渡そうと思って」

「手紙?」

 尋ねた花音の手に、母は一通の手紙を手渡す。

 封筒は水彩画でふんわりとした紫陽花の絵が描かれてあった。

 手紙を渡されたタイミングで電話が掛かってきて、母は忙しそうに対応する。

 その声を傍らに、花音は人気のない部屋まで移動し、祖母からの手紙を開く。

 封筒と同じ柄の便箋には、祖母の流麗な文字が書かれてあった。

『花音、元気ですか? 私はいま病院にいます。毎日する事がなくてとても退屈です。万が一の事を考えて……とお医者様が仰っての入院だけれど、歳も歳なので、この機会に皆に向けて手紙を書き始めました。』

 手紙の出だしはそう始まっていた。

『六年前の事は、もう気にしないでね。私は確かに花音に期待してしまった。けれどそれが花音を苦しめていた事実も考えるべきだった。あなたがリハビリをせずあれっきりピアノをやめてしまったのも、それだけショックを受けて前向きになれない環境を作った私たちに非がある。才能のある若者の前途を、私たちの期待が潰してしまった気持ちになったわ。本当にごめんなさい。』

(お祖母ちゃんは……、気にしてくれていた)

 事故に遭ったあの日、冷たく「花音の不注意のせい」と言われた気がして、彼女はずっと傷付いていた。

 しかし祖母もまた、自分の何気ない言葉や過剰なまでの期待が孫を苦しめていたと、あとになってから痛感したのだろう。

 けれど、気付いた頃にはお互いに遅すぎた。

 花音は心に壁を作り、祖母が外出に誘っても応じなかった。

 もしかしたら謝る機会を設けようとしていたのかもしれないが、花音は固く心を閉ざしてしまっていたのだ。

 あまりにすれ違いすぎてしまった自分たちに、花音は苦しげに呼気を震わせる。

 そして後半の文章を読んで、目を瞬かせた。

『少し内緒の話をします。この家……ピアノ教室では、昔から不思議な事がありました。花音も知っているように、誰もいない練習室からピアノの音が聞こえるなどの、オバケの話があります。そのオバケというのは、きっと私の一人目の娘なのだと思っています。』

 手紙にあった通り、この家のピアノ教室では、不思議な事がたびたびあった。

 洋子の家は三階建てで、一階はすべてピアノ教室になっていた。

 二階と三階が住居スペースだ。

 ピアノ教室では洋子や奏恵に直接教えを請う、グランドピアノがある部屋が二部屋ある。

 その他、アップライトのピアノが置かれている、防音の練習室も三部屋あった。

 この家にいる時、ピアノの音が聞こえ、誰か練習室にいるのかと思いきや、誰もいない……という体験を花音も何度か味わっていた。

 それだけでなく、うっすらとした子供の頃の記憶では、練習室で小さい女の子の幽霊を見た――気もする。

 だから洋子が手紙で亡くなった自分の長女だと思うと書いても、納得できる気がした。

 もっとも、大人になってから心霊的な体験はしていないので、今では子供特有の思い込みだったのでは……と思う時も多かったが。

『私はよく、亡くなった娘――梨理りりの気配を感じていました。あの子は教室に来る沢山の生徒たちの存在を、喜んでいた。あの子は小さいままだから、怖がってしまった生徒たちには申し訳ないけれど、生徒たちを驚かせて喜ぶ時もあったかもしれないわ。』

 確かに、小学生の時に祖母のピアノ教室に通っていた友達の中には、「あそこ、オバケがいるからもうやだ」と言って辞めてしまった子もいる。

『梨理は花音をとても気に入っているように思いました。だから、花音には私の秘密を教えます。』

「秘密……?」

 思わず呟き、花音は次の便箋を捲る。

『練習室にある黒いピアノは、かつて梨理のために買った物です。あのピアノを弾いていると、私には梨理の姿が見え、彼女の声が聞こえました。』

 何も知らずにこの主張を聞けば、とうとう祖母も寄る年波に勝てなくなったのか……と思っただろう。しかし遺書に妄言を書くとは思えない。

(お祖母ちゃんにとっては〝本当の事〟だったんだ)

 いま一つ現実味がないが、花音はなるべく手紙に書かれてある事を素直に受け取ろうとした。
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