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レクイエム
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用意された懐石仕出し弁当をつつきながら、親戚や遠縁すぎて顔も名前も分からないおじさんたちが、ビールを飲んで大きな声で笑っているのを、花音は現実味なく聞いていた。
食べ終わったあと、まだ祖母の顔を見ていないと思い、席を立って祭壇前まで行く。
遺影を見て線香をあげ、手を合わせる。
洋子は花音にとって〝先生〟だった。
幼少期から高校生まで、花音は洋子にピアノを師事していたのだ。
だからこそ期待され、祖母と娘である以上に先生と生徒だった。
祖母は温和な性格ではあったものの、ピアノに対する情熱は人一倍強い。
趣味として楽しむ初心者や子供には優しく接するが、プロを目指す者には厳しかった。
しかし現役のプロであった祖母だからこそ、教えを請いたいという者が跡を絶たない。
そんな最高の教育を受けながら、花音は〝失敗〟してしまったのだ。
だからこそ、自分は祖母と母の期待を裏切ってしまったという罪悪観が強い。
この六年はまともに言葉を交わせないまま、祖母はこうして帰らぬ人になってしまった。
(お祖母ちゃん、ごめんね。もっと、他に道があったかもしれない。期待に応えられなくてごめんなさい。――でも私、どうしたらいいか分からなかったの……っ)
花音は手を合わせ、涙を滲ませる。
肩が震え嗚咽してしまうが、周囲にいる人全員も祖母の死を悼んでいる。
花音の涙だけが特別だと誰も分からず、彼女は手を下ろす。
最後に花音は棺の小窓から洋子の安らかな顔を見て、また手を合わせてから席に戻った。
その日の夜は催事場に泊まり、翌日は告別式だ。
棺が霊柩車を兼ねたバスに乗せられる時、大勢の人が外で手を合わせていた。
花音たちも紫とグレーの配色のバスに乗り、清田区にある焼き場に向かう。
火葬場で祖母の棺を見送り、それから狭い待合室で弁当を食べ、時間を過ごした。
約一時間半経って知らせがあり、向かった先には白い枯れ枝のような骨が残っていた。
(これが……、お祖母ちゃんだったのか……)
祖母の形をした〝肉〟はもうない。
若い頃は美貌のピアニストと評判だった顔も、ピアノを愛しんだ手も、七十七になってもスラリとした体も、もう――ない。
気丈な母が肩を震わせて泣き、叔母たちの間からもすすり泣きが聞こえる。
花音も泣く――と思っていたのだが、この場にいる母たちほど自分は悲しむ資格があるのだろうかと思うと、情けなさが上回ってどうしても泣く事ができなかった。
祖母だった物のすべてが小さな壺に収まる。
それからまたバスに乗り、同じ札幌市内とはいえ長い道のりを移動した。
告別式がすべて終わったあと、父が運転する車で中央区にある自宅まで送ってもらった。
花音は玄関先に置いておいた塩で身を清め、着替えて風呂に入る。
「……疲れた……」
激しく運動した訳でもないのに、随分と疲れを感じた。
雨は夜になっても続いていて、花音はいつものようにヘッドフォンを被る。
無音の世界で安堵するはずだったのに、頭の中ではモーツァルトの『レクイエム ニ短調K.626〝ラクリモーサ〟』が流れている。
無意識に指が動き、ズキッと強く痛んで手を止める。
その痛みは、心の痛みでもあった。
――遅刻しないで、ちゃんと最初からお通夜に参加したかった。
胸にあるのは後悔ばかりだ。
――五月の下旬に検査入院をするって聞いていたから、六月になって急変するなんて思わなかった。
――『いつもの検査か』って思って、お見舞いに行かなかったのが悔やまれる……。
遅れて、安らかに眠っている洋子の顔を思いだし、涙が零れてくる。
「もっと……、ちゃんとできたら……っ。――――ごめんなさい……っ」
呟いた声は震えて掠れる。
外からザアザアと雨音が聞こえるのに溶けるように、花音の嗚咽が混じった。
後日、母から連絡があった。
『渡したい物があるから、時間があったらお祖母ちゃんの家に来て』
恐らく祖母の遺品についてだろうな、と思い、翌週末に花音は再び西区の祖母宅に向かった。
Tシャツにジーンズとカジュアルな格好の花音が最寄り駅まで着くと、母が車で迎えに来てくれた。
花音は運転免許は持っているものの、車は所持していない。現在は街中に住んでいて、会社に行くのに交通機関が密集しているので、車がなくても困らないからだ。
祖母の家は豪邸とも言える広さがある。庭には松の木や手入れのされた庭木があり、プランターには配色を考えられた花も寄せ植えされている。
祖母の家に入ると、家の中は少しゴチャゴチャしていた。
食べ終わったあと、まだ祖母の顔を見ていないと思い、席を立って祭壇前まで行く。
遺影を見て線香をあげ、手を合わせる。
洋子は花音にとって〝先生〟だった。
幼少期から高校生まで、花音は洋子にピアノを師事していたのだ。
だからこそ期待され、祖母と娘である以上に先生と生徒だった。
祖母は温和な性格ではあったものの、ピアノに対する情熱は人一倍強い。
趣味として楽しむ初心者や子供には優しく接するが、プロを目指す者には厳しかった。
しかし現役のプロであった祖母だからこそ、教えを請いたいという者が跡を絶たない。
そんな最高の教育を受けながら、花音は〝失敗〟してしまったのだ。
だからこそ、自分は祖母と母の期待を裏切ってしまったという罪悪観が強い。
この六年はまともに言葉を交わせないまま、祖母はこうして帰らぬ人になってしまった。
(お祖母ちゃん、ごめんね。もっと、他に道があったかもしれない。期待に応えられなくてごめんなさい。――でも私、どうしたらいいか分からなかったの……っ)
花音は手を合わせ、涙を滲ませる。
肩が震え嗚咽してしまうが、周囲にいる人全員も祖母の死を悼んでいる。
花音の涙だけが特別だと誰も分からず、彼女は手を下ろす。
最後に花音は棺の小窓から洋子の安らかな顔を見て、また手を合わせてから席に戻った。
その日の夜は催事場に泊まり、翌日は告別式だ。
棺が霊柩車を兼ねたバスに乗せられる時、大勢の人が外で手を合わせていた。
花音たちも紫とグレーの配色のバスに乗り、清田区にある焼き場に向かう。
火葬場で祖母の棺を見送り、それから狭い待合室で弁当を食べ、時間を過ごした。
約一時間半経って知らせがあり、向かった先には白い枯れ枝のような骨が残っていた。
(これが……、お祖母ちゃんだったのか……)
祖母の形をした〝肉〟はもうない。
若い頃は美貌のピアニストと評判だった顔も、ピアノを愛しんだ手も、七十七になってもスラリとした体も、もう――ない。
気丈な母が肩を震わせて泣き、叔母たちの間からもすすり泣きが聞こえる。
花音も泣く――と思っていたのだが、この場にいる母たちほど自分は悲しむ資格があるのだろうかと思うと、情けなさが上回ってどうしても泣く事ができなかった。
祖母だった物のすべてが小さな壺に収まる。
それからまたバスに乗り、同じ札幌市内とはいえ長い道のりを移動した。
告別式がすべて終わったあと、父が運転する車で中央区にある自宅まで送ってもらった。
花音は玄関先に置いておいた塩で身を清め、着替えて風呂に入る。
「……疲れた……」
激しく運動した訳でもないのに、随分と疲れを感じた。
雨は夜になっても続いていて、花音はいつものようにヘッドフォンを被る。
無音の世界で安堵するはずだったのに、頭の中ではモーツァルトの『レクイエム ニ短調K.626〝ラクリモーサ〟』が流れている。
無意識に指が動き、ズキッと強く痛んで手を止める。
その痛みは、心の痛みでもあった。
――遅刻しないで、ちゃんと最初からお通夜に参加したかった。
胸にあるのは後悔ばかりだ。
――五月の下旬に検査入院をするって聞いていたから、六月になって急変するなんて思わなかった。
――『いつもの検査か』って思って、お見舞いに行かなかったのが悔やまれる……。
遅れて、安らかに眠っている洋子の顔を思いだし、涙が零れてくる。
「もっと……、ちゃんとできたら……っ。――――ごめんなさい……っ」
呟いた声は震えて掠れる。
外からザアザアと雨音が聞こえるのに溶けるように、花音の嗚咽が混じった。
後日、母から連絡があった。
『渡したい物があるから、時間があったらお祖母ちゃんの家に来て』
恐らく祖母の遺品についてだろうな、と思い、翌週末に花音は再び西区の祖母宅に向かった。
Tシャツにジーンズとカジュアルな格好の花音が最寄り駅まで着くと、母が車で迎えに来てくれた。
花音は運転免許は持っているものの、車は所持していない。現在は街中に住んでいて、会社に行くのに交通機関が密集しているので、車がなくても困らないからだ。
祖母の家は豪邸とも言える広さがある。庭には松の木や手入れのされた庭木があり、プランターには配色を考えられた花も寄せ植えされている。
祖母の家に入ると、家の中は少しゴチャゴチャしていた。
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