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父の帰宅~困惑

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「ノアさま、あと一週間ほどで旦那さまがお帰りになるとのことです」

 イーサンがそう言ったのは、それから数日経った夕食後の席のことだった。

「そうか、屋敷はいつも綺麗にしてもらっているから構わないが、父上がお帰りになった時に、ご馳走を振る舞えるように手配しておいてくれ」
「かしこまりました」

 優雅に紅茶を飲んでいるノアを、クレハは向かいの席からチラリと不安そうに見る。
 その視線をノアも敏感に感じ取った。

「父上に会うのが心配かい?」
「……少し」

 ストロベリーの風味がする紅茶はとても美味しいのだが、クレハの心は急に曇ってしまっていた。

「具体的にはどういう心配が? それをハッキリさせておこう」

「……卑屈なことを言いますが、私の身分や外見。そのようなものを筆頭に、私がノアさまの隣にいても許されるのかとか……。もし許してくださらなかったら、私はこのお屋敷を去って、ノアさまにももうお会いできないのかとか……。そんな不安を持ってしまいます」

 クレハの言葉にノアは紅茶の香りのする吐息をつき、じっと彼女を見つめる。

「君は……そんなに僕のことを信じられないだろうか?」
「……え?」

 視線を上げると、そこには次期ウェズブルク家の当主となる青年がいた。

「君は先日、自分を信じてほしいと言った。それはなんの根拠もない、目の前にある現実を示すでもない、漠然とした言葉だ」

「……はい」

 言われた通り、『信じる』という言葉は物証あってのものではない。
 かたちのない人の心や状況というものを、信頼してこそのものだ。

 クレハは以前ノアに自分を信じてほしいと言い、確かにその言葉はノアの言う通り根拠のないものを信頼してほしいという身勝手な言葉だ。

「それと同じことを、僕は君に言いたい。僕は間接的に、君の母君に怪我をさせたも同然だと思っている。その責任を僕はちゃんと取る。ウェズブルク家嫡子として、それは決定事項だ」

 真っ直ぐ前を見た目は、意志の強さを見せる。その目から、彼が本当にクレハのことを何とかしようとしているのが窺える。

「……分かりました。もうこのことについて何も言いません。ノアさまを信じます」

 静かな声に、ノアは一つゆっくりと頷いた。

 夕食室に控えているイーサンはそんな二人を見守り、一週間後に何らかの出来事が起こるだろうことを予想していた。



**



 一週間が経つまでに、クレハはロヴ教授に何度も「仮教育、決して失敗しないように」と言われ続けてプレッシャーを感じていた。

 クレハの仮教育もまた、秋の新学期になると始まることになっている。
 現在は準備段階で王宮に通っていて、自分の教育課程では順調な滑り出しだと思っている。

 けれど、その『教育の運び』と『個人的な感情』は、また別のものだ。
 ロヴ教授にオーウェンがクレハをとてもよく思っていると言われ、嬉しいもののやや憂鬱だ。
 一人の人間として、王子という身分の高い人物からの好意はありがたい。
 オーウェンその人だって、とてもいい人だ。

 けれど自分とオーウェンの距離が近ければ、余計な心配をしてしまう人がいる。

 同時にクレハも、オーウェンと必要以上に距離が近くなるのを望まなかった。





 今もまた、クレハはロヴ教授の前で困り果てていた。

「あの……、ですから。王子さまに気に入って頂けたのは、とても光栄なことだと思っています」

「ではどうして私の申し出を断るのだね? 失礼だが君の家庭環境なら、王子さまの仮教育に伴って王宮に住み込みで勤められるのは、今後の君の夢にもいい影響を与えると思うが」

 ロヴ教授はただ純粋な親切で、仮教育の間クレハが王宮で生活することを提案している。
 これまた彼の親切心だ。

 クレハが生活に困っていると考え、ロヴ教授はオーウェンに彼女の家庭事情を伝えた。そうして、オーウェンもまた「協力したい」という返事をしたのだ。
 これについては、オーウェンからも直々に言われていることだ。

 けれど、大学でお世話になっているロヴ教授からも言われてしまうと、ややこしいことこの上ない。
 オーウェンも人格者として有名なロヴ教授からそう言われれば、色よい返事をしなくてはならなかったのだと思う。
 もちろん、無理をしてでの返事だとも思わない。
 ウェズブルク家の屋敷以上に、王宮には来客用の部屋など数多く空いているのだろう。

「先方がいいというのなら、こちらは構わない」というオーウェンの返答は、ロヴ教授に余計な善意を与えてしまった。

 ロヴ教授も、クレハに借りを作りたいなどの気持ちはない。
 純粋な善意なのだから話がややこしくなる。

 クレハは母子家庭になってしまい、現在は母親が怪我をして入院してしまった。
 そんな彼女はとても優秀な生徒で、ロヴ教授もとても目にかけている。

 その彼女が「家庭のために、自分の夢になら何でもする」と言ってきた。
 それをなんとか手助けできれば……。というロヴ教授の気持ちは、実際のところクレハを困らせていた。

「それは……、その、現在お世話になっているウェズブルク家のノアさまのこともありますし」

「あぁ、それもそうだが……。一時的な家庭教師としてのウェズブルク家か、これから就職する上でお付き合いをするかもしれない王家と、よく考えた方がいいのかもしれないね」

「……はい」

 ロヴ教授が嫌味や悪意で言っていないのは分かっているだけに、クレハも強く出られない。
 また、「ノアさまがいるので、これ以上の教授の親切は無用なのです」とは、常日頃世話になっている身では口が裂けても言えない。

 そして自分がノアと恋人関係にあることも、あまり大きな声では言いたくなかった。
 ノアの自分への気持ちは疑っていない。

 けれどやはり、彼の父とちゃんと会って話をして、自分たちの関係が将来どうなるのか見極めたい。
 公にしていいという時期になってから、クレハもちゃんと周りに言いたいと思っている。

「……あぁ、そろそろ時間だね。貴重な時間をすまない。ただ、王室と関係を持つことはとても栄誉なことだから。君の夢を応援している私の身としても、それがいい方法だと思っているということは、知っていてほしい」

「はい、いつも気にかけてくださってありがとうございます」

 そろそろ昼休みが終わりそうなのに気付き、クレハも頭を下げて教授室を後にする。
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