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王子1

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 翌日クレハは、ウェズブルク家の御者が操る馬車で大学へ向かった。

 途中まではノアが一緒に乗っていて、彼は先に王立学校前で降りて登校する。
 馬車を下り際に、「行ってくるよ」と甘く微笑んで優しいキスをした余韻を、クレハは大学に着くまで味わっていた。

「まずは教授にお礼を言わないと」

 ノアとイーサンにお願いをして早めに屋敷を出たので、講義までに余裕がある。
 ロヴ教授が大学に来る時間帯は把握していて、中庭の時計塔で時間を確認してからクレハは教職員棟へ向かった。





「失礼致します、教授」
「おや、クレハくんじゃないか」

 ノックをしてドアを開くと、沢山の本に埋もれるようにして白髪頭の教授が座っている。

「お陰様でとてもいいご縁がありまして、現在ウェズブルク家で住み込みの家庭教師をさせてもらっています。ウェズブルク家に紹介して頂き、本当にありがとうございました」

「あぁ……、それは……」

 すぐに明朗な返事があると思えば、ロヴ教授は頭の角に手をやって何やら言葉をごまかす。

「……? どうかされたんですか? 教授が紹介してくださったのですよね?」
「いやぁ……。それがウェズブルク家のご息子のほうから、私を訪れて話を持ち掛けてこられたんだ」

「ノアさまが?」

 きょと、と黒縁眼鏡の奥で目を瞬かせるクレハに、ロヴは「内緒だよ」というように口の前に指を一本たてて説明する。

「君に大きな恩があるから、と仰っていた。働き口を探しているという話を彼は知っていて、ウェズブルク家で雇うかたちで君に恩返しをしたいと……。それを君に知らせてしまえば、遠慮をするかもしれないから、私から君に紹介するかたちにしてほしいと言われてね」

「そう……なんですか」

 無意識にクレハは自分の体を抱き締め、そっとノアを想った。
 自分よりも年下なのに、いつのまにか彼に護られている。
 見えない庇護の翼のなかに、自分は優しく閉じ込められていた。

「クレハくん、くれぐれもこの事は……」
「はい」

 形容しがたい愛しさで胸がいっぱいになったクレハは、涙が滲みかけた目でにっこりと笑う。

 この優しい隠し事を守ることで、ノアの配慮や体面を保てるのなら容易いことだ。




 廊下を歩きながら、クレハは屋敷に帰ったらノアをたっぷり甘やかそうと決めた。
 講堂へ向かう足取りも、軽いものになっていた。



**



 講義のあとの時間は、将来職につくための個人的なレッスンや自習の時間としている。
 クレハはそのこともノアに告げていたが、家庭教師のこともあるので決められた時間になると馬車が迎えに来ることになっていた。

(もうそろそろ、時間ね。門の方へ行かないと)

 そう思って暗くなった構内を歩いていると、前方から金髪の青年がゆったりとした足取りで歩いてくる。

(あら、こんな時間に構内に入って来るなんて珍しいわね)

 遠目にもずいぶん顔立ちの整った青年だと分かり、歩き姿も美しい。
 クレハのよく知る城下町の人たちは、体が大柄だったり角や翼など荒々しいフォルムを持つ。
 だが上位貴族などになると、スッキリとしたシルエットを持つ者が多い。

 ノアの見た目に魔物要素がないように、前方から歩いてくる青年にも特にこれと言った要素はない。

(あの人も吸血種なのかしら)

 そう思いながら高貴そうな青年とすれ違おうとした時――。

「すみません、教育課の教授はどちらの方にいらっしゃるかご存知でしょうか?」

 感じのいい声、そして礼儀正しさで青年が尋ねてき、クレハは立ち止まる。
 ロヴ教授が適任かと思ったので、部屋までの道のりを口頭で説明することにした。

「あぁ……、ありがとうございます」

 クレハの説明を受けて青年はニコリと微笑んだものの、その視線は広大な敷地内をさまよっている。
 それにはさすがにクレハも、自分の説明が悪いのだと悟った。

「……すみません。私がご案内しますね」

 相手はどうやら自分よりも年下っぽい感じはするが、外見からして育ちのいい青年であることは明白だ。もし失礼なことがあってはいけない。

「助かります」
「いえ、大学は建物が沢山ありますし、迷っても仕方がないですから」

 そう言ってクレハは先に歩き出し、青年もついてくる。

「私はこの大学の教育課の学生、クレハ・モッティです。あなたは?」

 黒縁眼鏡の奥から青年に微笑みかけると、彼はクレハの名前を聞いてグリーンの目を瞠る。

「あなたが……。私はオーウェン。あなたのことは、家の人間からいい人材が育っていると聞いています」
「オーウェン……」

 初耳の名前だ。

 ――と思いつつ、どこかでその名前は聞いたことがあるな、とクレハは思考を巡らせる。
 考え込みながら歩いているクレハの横顔を見て、オーウェンはクスッと笑って付け加えた。

「一応、私はこの国の王子ということになっています」
「ぴゃっ!」

 王子という単語を聞いてクレハは飛び上がり、豊満な胸を揺らしながらバッとオーウェンから距離を取る。

「っはは! そんなに驚かないでください」

 クレハの反応が面白かったのかオーウェンは快活に笑い、少しおどけてダンスを誘うようなポーズで手を差し伸べる。

「あなたのことを取って食べたりしませんよ。さぁ、教授のところまでの案内をお願いします」
「は……、はい……」

 クレハはまだ信じられないという顔でオーウェンを見て、首をかしげる。それから少し彼から距離を取りながら歩き始めた。

「あの……、お付きの方とかはいないんですか? 王子さまならそういう方がいらっしゃってもおかしくないような……」
「あぁ、それなら目立たないように空に」
「え?」

 オーウェンが空を指差し、思わず空を見上げてクレハは目を瞠った。
 いつのまにか上空には黒い制服を着た護衛がいて、羽を広げていつでも王子のために駆け付けられる位置にいる。

「なるほど……。空に待機していらっしゃるんですね……」

 空に向かってペコリと頭を下げると、護衛は案外軽い調子でクレハに手を振った。

「はは、あいつらクレハさんが美人なもんだから……。調子いいなぁ」
「えっ? 顔が分かるんですか?」

 護衛が飛んでいる場所は、三階建ての屋根ぐらいの高さだ。
 おまけに彼らはサングラスをしていて、この陽が落ちようとしているなかよく見えるものだとクレハは感心する。

「護衛につくには、空が飛べて魔眼を持つ者という必須条件があります。公の場の護衛には、多少いかつい体つきをしていることとか。変身能力のある者とか、その場その場に合わせて必要適性は沢山あります」
「なるほど……。考えてみればそうですね」

 たとえば要人の命を狙うにしても、犯人が変身能力を持つ者なら、それに対応した能力を持たなければ未然に防げない。

「王子さまというのも、大変なんですね……」
「まぁ……、それは言いっこなしですよ。王子だから特別偉いとか大変とか、それはありません。人それぞれの人生ですし」

 公平なものの見方をするオーウェンに、クレハは好感を持った。

「あ、建物はここです」

 教職員棟の建物を指差してチラッと空を見上げると、護衛がそれに気付いて地上に降りてくるところだ。

「それにしても……、どうして私のことを? 見込みがあると教授に認知して頂いていても、まだ一介の学生ですし」

 入ってすぐにあるトロフィーや優勝旗、盾などがある前を通り過ぎ、二人は階段を上がってゆく。
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