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理由

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「やぁ、クレハ」

 ノアが戻ってきたのは夕方だった。

「ノアさま」

 クレハは起き上がることができるようになったものの、イーサンにそのままノアの部屋にいるようにと言われていた。
 なので自分の部屋から本を持ってきて、時間を過ごしていた。

「遅くなってすまないね。勝手なことだが、君の母君にご挨拶をしてきた」
「えっ?」

 栞を挟もうとして思わず手から落ち、花の絵が描かれた栞はヒラヒラと床に落ちてしまった。

「果物と花を見舞いにに持って行ったら、ずいぶん喜んでくれたよ」
「あ、あ、あの……、どうもありがとうございます」

 頭を下げるクレハに、ノアは屈んで落ちた栞を拾う。

「昨日の今日だから怪我が劇的に良くなったとかはないが、気持ちは元気そうで良かった。君のことは屋敷できちんと預かっているからということと、家庭教師の件や入院費などもこちらが負担するとも伝えておいた。負担になっているだろうことをすべて取り除いたから、あとはゆっくり治すことに専念してほしいとも」

「あの……、本当にどうもありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいのか」

 改めて深々と頭を下げると、クレハの黒髪をノアが撫でる。

「君が僕を見付けていなかったら、君はちゃんと母君の待つ家に帰れていたかもしれないね」

 そう言うノアの目は少し切なげな色をしていた。
 母の事故は自分のせいなのだと思い出すのと同時に、クレハはノアに非はないのだと首を振る。

「どうぞそんなことを仰らないでください。人は誰だって病気にもなりますし、怪我もします。それがいつかというタイミングは、神さましか分からないんです。こうやってノアさまが私たち母子にとても良くしてくださっているだけで、本当に幸せなんです」

 また深く頭を下げると、クレハの背中からサラサラとウェーブした髪が滑ってゆく。

「……顔を上げて。今日は一日どうだった? 腰は?」
「はい、お陰さまでゆっくりと過ごさせて頂きました」

「子を授かった感じはあるかい?」
「……っ、分かりません!」

 ノアが琥珀色の目で真剣に覗き込んでくるので、クレハは思わず照れて横を向いた。

「熱っぽいとか、そういう前兆を感じたらすぐに言うんだよ?」

 クスッと笑ってからノアはジャケットを脱ぎ、慌ててクレハは着替えの手伝いをする。

「ノアさまは……、私のような混血の一般市民相手に、どうしてそん」
「クレハ」

 何かを言いかけたクレハの言葉は、ノアの指が彼女の唇をふにゅりと潰したことにより途切れてしまった。

「そういうことを言ってはいけない。いいね? 君の血にどこの血が混ざっていようが、君の種族がなんであろうが、君が僕を助けてくれた人であることに変わりはない」

 少し厳しめの視線と言葉でたしなめられ、クレハは自分が言ってはいけないことを口にしたと感じた。
 ノアの指がスッとクレハの唇をなぞりつつ離れると、彼女は反省して「はい」と頷く。

「僕がどうして君を気に掛けるかということだよね?」

 学校の制服から屋敷内でのシャツとベストという姿に変わると、ノアはゆったりとソファに座って切り出す。

「はい」
「うーん……、どう言ったものかな。恋をしたということに後から理由をつけるのは、非常に難しいことだ。……初めて知ったな」

 そう呟きながらノアは真面目に考え込む。
 そんな赤毛の主人を見て、クレハは彼が真剣に自分に恋をしてくれているのかと、胸の奥が熱くなる。

「私……、本当に大したことをしていないんです。人として当たり前のことをしたつもりで……」

 それでもクレハの不安は消えず、迷いを表す声も弱々しい。

「人に親切にしてもらって、それがとびきりの美女……僕の好みだった。あまりに単純すぎるかもしれないが、僕にとってはこれが恋をした本当のきっかけなんだ」

「……もったいないお言葉です」
「それに、君はとてもいい体をしているしね。僕らの体の相性は最高だと思うよ」

 悪びれもせず昨晩のことを匂わされて、クレハは「もう……」と顔を赤くする。

「外見と……、体だけ、ですか?」

 図々しいと思いつつも、クレハとてノアを想っているのでそう思うのは当たり前だ。
 それに気付いたのか、ノアは顎に手をやって考え始める。

「君のことは好きだよ。変人気質なところは面白いし、僕を平然と脱がせたところも面白い。料理が上手なところとか、胸が大きいところとか」

「……褒められている気がしません。あと、胸の大きさはコンプレックスなんです」

 勃然としてクレハが言い返すと、ノアはハハッと笑い出した。

「冗談だよ。君の理知的なところ、自然体で優しいところ。懸命になって理性を押し出そうとしているのに、その奥に隠しきれない好奇心や情熱があるところ。この目で見たり、感じるものすべてに惹かれている」

「あ……、う。あ……ありがとうございます」

 自分で惚れた部分を言ってほしいと言ったものの、流れるように賛辞の言葉を耳にすると、クレハは途端に照れてしまった。

「すみません、私面倒な性格で……」

 両手を体の前に出して横を向き、クレハは真っ赤になる。
 ノアは悠然とした主人の笑みを浮かべると、その手を取って優しくクレハを抱き締めた。

「この二日の付き合いだが、君のことはなんとなく掴んでいるつもりだよ。僕は君という少し変わった女性を受け入れる度量があるつもりだし、君が僕の掌の上でどれだけ自由に動いても、楽しく観察させてもらうよ」

 チラリと見上げると、煌々たる満月のような目が優し気にこちらを見下ろしている。

「……ノアさまも変わった方ですね」
「そうかもね。さ、着替えて食事に行こう」

 ポン、とクレハのネグリジェの尻を叩くと、彼女は飛び上がって尻を隠した。



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