11 / 54
ウェズブルグ家2
しおりを挟む
「それから、ノアさまに先ほどのような態度はいけません。ノアさまが髪をほどけと言うのならほどき、眼鏡を外せというのならその通りに」
「はい……」
「これからお部屋で、契約書にサインをして頂きます。お茶を用意致しますまでに、熟読した上でサインを」
「はい、分かりました」
イーサンの口調や態度は、どことなく王立学校時代の数学教師を思わせた。
クレハはその数学教師の高圧的な態度が苦手だったので、初対面の時についイーサンのことも苦手だと感じてしまったのかもしれない。
階段を上った奥の部屋の前でイーサンは止まり、ドアを開いた。
「こちらがクレハさまのお部屋にございます」
「わぁ……」
ドアの向こうは、密かに夢にみたお姫様の部屋のようだった。
小花柄の壁紙に、上等なソファセット。クレハが勉強しやすいようにか、立派なデスクまである。ベッドも大きくて、柔らかそうな布団にはやはり花柄のカバーが掛けられてあった。
今の季節ではまだ火はついていないが、暖炉もちゃんとあって、客人をもてなすためにテーブルの上に可愛らしい菓子が置いてある。
「デスクの引き出しには、必要と思われる羊皮紙やインク、ペンなども入っています。消耗品で必要な物がありましたら、いつでもお申し付けください」
「どうもありがとうございます」
「それでは、こちらの書類に目をお通しください。その間にお茶をお持ち致します」
お茶菓子と一緒にテーブルの上にあったのは、契約書だった。
そこには綺麗な文字で様々な契約内容が書かれてあり、浮かれていたクレハは気持ちを引き締める。
「それでは、失礼致します」
イーサンが部屋を出てゆくと、クレハは真剣に書類に目を通す。
失礼だが契約相手がノアだろうとも、こちらが不利になるような内容が書かれてあっては堪らない。
(でも……、概ね好待遇ね)
ここへ来るまでに心配していた、家庭教師以外の時間は使用人と共に働くなどは書いていない。
代わりに主人と共にテーブルについて食事をすることなど、家庭教師にしては過分なことが書いてある。
「主人が触れる場合には、基本的に応じること。拒否をする場合には明確な理由を述べること……?」
触れると言われて想像するのは、先ほど三つ編みを手に取られたことや、あのキスのこと。
それを思えば、髪に触れられるなど構わないし、キスも正直ドキドキしたが嬉しい……とは思う。
――イーサンの態度が怖いといえば怖いが……。
「でもこれって、キスをされたくなかったら、ちゃんとした理由を述べたら回避できるということよね」
楽天的に捉えると、他の契約内容も軽いハードルのように思えてきた。
「よし、基本的に好待遇だし、サインしちゃいましょう。ちょっと変な項目はあるけれど、こんないい勤め先きっと他にはないんだわ」
「ノアさまもいるし」という言葉を、クレハは口にしなかった。
それを言葉にしてしまえば、自分がここに働きに来たことが別の目的にすり替わってしまうような気がしたからだ。
羽根ペンを手に取りインクに浸すと、クレハはもう一度契約書に目を走らせてから自分の名前を書く。
「きっと昨日ノアと出会いがあったのも、幸運の一部なのよ。母さんが事故に遭ったのは不運だったけれど、ノアとも出会っていたから大きな不幸にはならなかったんだわ」
ペンを置いて焼き菓子を一つ口に放り込んでから、クレハは母に想いを馳せた。
自分のせいで母を事故に遭わせてしまった。
そればかりが今日一日クレハの胸を支配し、黒く塗りつぶしている。
「でも……、母さんの怪我はちゃんと時間が経てば治るわ。私もノアと縁があって、こうやって雇ってもらえた。だからここで一生懸命働いて稼がないと。お給金はとてもいいし、これは千載一遇のチャンスと思わないと」
サインをしてしまった契約書を見ながら呟いた時、ノックの音がしイーサンがワゴンを押して入ってきた。
ソファセットの側までワゴンを押すと、イーサンは契約書にクレハのサインがしてあるのを認める。
「サインをありがとうございます。今日からあなたは正式にこのウェズブルク家の使用人となります。ノアさまのご提案により、色々破格の待遇ではありますが……。ご自身が使用人であるということは、どうぞ忘れなきよう」
「はい、わきまえます」
目の前でイーサンは香りのいい紅茶を注ぎ、クレハは礼を言ってからその香りを吸い込んだ。
「……ですが、わたくしはあなたに感謝もしています。ノアさまのお話では、不意をつかれて背後から殴られ失神したところを、あなたに助けられたとのこと。あなたがいらっしゃらなければ、ノアさまはもっと酷く痛めつけられていたかもしれません」
「そう言って頂けるのは嬉しいですが、本当にタイミングが良かっただけなので」
クレハが謙遜をするとイーサンは微笑した。
そしてクレハが紅茶を飲んでいるあいだ、イーサンはこの屋敷の基本的な生活時間などを説明してくれる。
そのあいだクレハは香りのいい紅茶を楽しみ、高級そうなクッキーもなるべく多めにつまんでおいた。
「はい……」
「これからお部屋で、契約書にサインをして頂きます。お茶を用意致しますまでに、熟読した上でサインを」
「はい、分かりました」
イーサンの口調や態度は、どことなく王立学校時代の数学教師を思わせた。
クレハはその数学教師の高圧的な態度が苦手だったので、初対面の時についイーサンのことも苦手だと感じてしまったのかもしれない。
階段を上った奥の部屋の前でイーサンは止まり、ドアを開いた。
「こちらがクレハさまのお部屋にございます」
「わぁ……」
ドアの向こうは、密かに夢にみたお姫様の部屋のようだった。
小花柄の壁紙に、上等なソファセット。クレハが勉強しやすいようにか、立派なデスクまである。ベッドも大きくて、柔らかそうな布団にはやはり花柄のカバーが掛けられてあった。
今の季節ではまだ火はついていないが、暖炉もちゃんとあって、客人をもてなすためにテーブルの上に可愛らしい菓子が置いてある。
「デスクの引き出しには、必要と思われる羊皮紙やインク、ペンなども入っています。消耗品で必要な物がありましたら、いつでもお申し付けください」
「どうもありがとうございます」
「それでは、こちらの書類に目をお通しください。その間にお茶をお持ち致します」
お茶菓子と一緒にテーブルの上にあったのは、契約書だった。
そこには綺麗な文字で様々な契約内容が書かれてあり、浮かれていたクレハは気持ちを引き締める。
「それでは、失礼致します」
イーサンが部屋を出てゆくと、クレハは真剣に書類に目を通す。
失礼だが契約相手がノアだろうとも、こちらが不利になるような内容が書かれてあっては堪らない。
(でも……、概ね好待遇ね)
ここへ来るまでに心配していた、家庭教師以外の時間は使用人と共に働くなどは書いていない。
代わりに主人と共にテーブルについて食事をすることなど、家庭教師にしては過分なことが書いてある。
「主人が触れる場合には、基本的に応じること。拒否をする場合には明確な理由を述べること……?」
触れると言われて想像するのは、先ほど三つ編みを手に取られたことや、あのキスのこと。
それを思えば、髪に触れられるなど構わないし、キスも正直ドキドキしたが嬉しい……とは思う。
――イーサンの態度が怖いといえば怖いが……。
「でもこれって、キスをされたくなかったら、ちゃんとした理由を述べたら回避できるということよね」
楽天的に捉えると、他の契約内容も軽いハードルのように思えてきた。
「よし、基本的に好待遇だし、サインしちゃいましょう。ちょっと変な項目はあるけれど、こんないい勤め先きっと他にはないんだわ」
「ノアさまもいるし」という言葉を、クレハは口にしなかった。
それを言葉にしてしまえば、自分がここに働きに来たことが別の目的にすり替わってしまうような気がしたからだ。
羽根ペンを手に取りインクに浸すと、クレハはもう一度契約書に目を走らせてから自分の名前を書く。
「きっと昨日ノアと出会いがあったのも、幸運の一部なのよ。母さんが事故に遭ったのは不運だったけれど、ノアとも出会っていたから大きな不幸にはならなかったんだわ」
ペンを置いて焼き菓子を一つ口に放り込んでから、クレハは母に想いを馳せた。
自分のせいで母を事故に遭わせてしまった。
そればかりが今日一日クレハの胸を支配し、黒く塗りつぶしている。
「でも……、母さんの怪我はちゃんと時間が経てば治るわ。私もノアと縁があって、こうやって雇ってもらえた。だからここで一生懸命働いて稼がないと。お給金はとてもいいし、これは千載一遇のチャンスと思わないと」
サインをしてしまった契約書を見ながら呟いた時、ノックの音がしイーサンがワゴンを押して入ってきた。
ソファセットの側までワゴンを押すと、イーサンは契約書にクレハのサインがしてあるのを認める。
「サインをありがとうございます。今日からあなたは正式にこのウェズブルク家の使用人となります。ノアさまのご提案により、色々破格の待遇ではありますが……。ご自身が使用人であるということは、どうぞ忘れなきよう」
「はい、わきまえます」
目の前でイーサンは香りのいい紅茶を注ぎ、クレハは礼を言ってからその香りを吸い込んだ。
「……ですが、わたくしはあなたに感謝もしています。ノアさまのお話では、不意をつかれて背後から殴られ失神したところを、あなたに助けられたとのこと。あなたがいらっしゃらなければ、ノアさまはもっと酷く痛めつけられていたかもしれません」
「そう言って頂けるのは嬉しいですが、本当にタイミングが良かっただけなので」
クレハが謙遜をするとイーサンは微笑した。
そしてクレハが紅茶を飲んでいるあいだ、イーサンはこの屋敷の基本的な生活時間などを説明してくれる。
そのあいだクレハは香りのいい紅茶を楽しみ、高級そうなクッキーもなるべく多めにつまんでおいた。
0
お気に入りに追加
685
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる