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ウェズブルグ家2

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「それから、ノアさまに先ほどのような態度はいけません。ノアさまが髪をほどけと言うのならほどき、眼鏡を外せというのならその通りに」
「はい……」

「これからお部屋で、契約書にサインをして頂きます。お茶を用意致しますまでに、熟読した上でサインを」
「はい、分かりました」

 イーサンの口調や態度は、どことなく王立学校時代の数学教師を思わせた。
 クレハはその数学教師の高圧的な態度が苦手だったので、初対面の時についイーサンのことも苦手だと感じてしまったのかもしれない。

 階段を上った奥の部屋の前でイーサンは止まり、ドアを開いた。

「こちらがクレハさまのお部屋にございます」
「わぁ……」

 ドアの向こうは、密かに夢にみたお姫様の部屋のようだった。

 小花柄の壁紙に、上等なソファセット。クレハが勉強しやすいようにか、立派なデスクまである。ベッドも大きくて、柔らかそうな布団にはやはり花柄のカバーが掛けられてあった。
 今の季節ではまだ火はついていないが、暖炉もちゃんとあって、客人をもてなすためにテーブルの上に可愛らしい菓子が置いてある。

「デスクの引き出しには、必要と思われる羊皮紙やインク、ペンなども入っています。消耗品で必要な物がありましたら、いつでもお申し付けください」

「どうもありがとうございます」
「それでは、こちらの書類に目をお通しください。その間にお茶をお持ち致します」

 お茶菓子と一緒にテーブルの上にあったのは、契約書だった。
 そこには綺麗な文字で様々な契約内容が書かれてあり、浮かれていたクレハは気持ちを引き締める。

「それでは、失礼致します」

 イーサンが部屋を出てゆくと、クレハは真剣に書類に目を通す。
 失礼だが契約相手がノアだろうとも、こちらが不利になるような内容が書かれてあっては堪らない。

(でも……、概ね好待遇ね)

 ここへ来るまでに心配していた、家庭教師以外の時間は使用人と共に働くなどは書いていない。
 代わりに主人と共にテーブルについて食事をすることなど、家庭教師にしては過分なことが書いてある。

「主人が触れる場合には、基本的に応じること。拒否をする場合には明確な理由を述べること……?」

 触れると言われて想像するのは、先ほど三つ編みを手に取られたことや、あのキスのこと。
 それを思えば、髪に触れられるなど構わないし、キスも正直ドキドキしたが嬉しい……とは思う。

 ――イーサンの態度が怖いといえば怖いが……。

「でもこれって、キスをされたくなかったら、ちゃんとした理由を述べたら回避できるということよね」

 楽天的に捉えると、他の契約内容も軽いハードルのように思えてきた。

「よし、基本的に好待遇だし、サインしちゃいましょう。ちょっと変な項目はあるけれど、こんないい勤め先きっと他にはないんだわ」

「ノアさまもいるし」という言葉を、クレハは口にしなかった。
 それを言葉にしてしまえば、自分がここに働きに来たことが別の目的にすり替わってしまうような気がしたからだ。

 羽根ペンを手に取りインクに浸すと、クレハはもう一度契約書に目を走らせてから自分の名前を書く。

「きっと昨日ノアと出会いがあったのも、幸運の一部なのよ。母さんが事故に遭ったのは不運だったけれど、ノアとも出会っていたから大きな不幸にはならなかったんだわ」

 ペンを置いて焼き菓子を一つ口に放り込んでから、クレハは母に想いを馳せた。

 自分のせいで母を事故に遭わせてしまった。
 そればかりが今日一日クレハの胸を支配し、黒く塗りつぶしている。

「でも……、母さんの怪我はちゃんと時間が経てば治るわ。私もノアと縁があって、こうやって雇ってもらえた。だからここで一生懸命働いて稼がないと。お給金はとてもいいし、これは千載一遇のチャンスと思わないと」

 サインをしてしまった契約書を見ながら呟いた時、ノックの音がしイーサンがワゴンを押して入ってきた。
 ソファセットの側までワゴンを押すと、イーサンは契約書にクレハのサインがしてあるのを認める。

「サインをありがとうございます。今日からあなたは正式にこのウェズブルク家の使用人となります。ノアさまのご提案により、色々破格の待遇ではありますが……。ご自身が使用人であるということは、どうぞ忘れなきよう」

「はい、わきまえます」

 目の前でイーサンは香りのいい紅茶を注ぎ、クレハは礼を言ってからその香りを吸い込んだ。

「……ですが、わたくしはあなたに感謝もしています。ノアさまのお話では、不意をつかれて背後から殴られ失神したところを、あなたに助けられたとのこと。あなたがいらっしゃらなければ、ノアさまはもっと酷く痛めつけられていたかもしれません」

「そう言って頂けるのは嬉しいですが、本当にタイミングが良かっただけなので」

 クレハが謙遜をするとイーサンは微笑した。
 そしてクレハが紅茶を飲んでいるあいだ、イーサンはこの屋敷の基本的な生活時間などを説明してくれる。

 そのあいだクレハは香りのいい紅茶を楽しみ、高級そうなクッキーもなるべく多めにつまんでおいた。
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