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母の事故
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「ふふ、私はパンも温かいのが美味しい派なの。まわりには変わってるって言われるんだけれどね。でも温かいものを食べると体も温まるし、きっと私は間違えていないわ」
そう言いながらクレハは人懐こい笑顔を浮かべ、椅子に座ったノアにスープを勧める。
「温かいうちに食べて。ベーコンが焼けたら私も座るから」
「ありがとう。じゃあ、好意に甘えて先にいただきます」
礼を言ってノアは丁寧に食前の祈りの言葉を口にし、それから目の前で湯気をたてているスープを口にした。
野菜や豆がゴロゴロ入っていて、腹が膨れるようにパスタも入っている。濃厚なトマトは甘味とほんの少しの酸味とがあり、塩加減も絶妙だ。
その間、ノアの鼻をベーコンが焼けるいい匂いがくすぐっていた。
「君は料理が上手なんだね。料理人のようだ」
「やだわ。こんなのできて当たり前よ。私よりも料理の上手いシェフは、あなたの家にいるんじゃないの? あなた、見たところいい家の人みたいだし」
褒められて悪い気はしないものの、貴族の息子が普段口にしているものを想像すると、ノアの褒め方は過分な気がする。
「確かに君が言っていることは正しいかもしれないが、いま僕が美味しいと心から感じているのは、本当のことなんだ」
琥珀色の目を細めてノアは微笑み、クレハもそれ以上は彼の言葉を疑わない。
「ありがとう。確かにあなたにとって、襲われて気絶して……大変な一日だったものね。ご飯が美味しく感じるのも分かる気がするわ」
そう言ってクレハは表面がカリッと焼き上がったベーコンをへらですくい、「どうぞ」とノアの前に皿を置いた。
そして自分も席につくと、ノア同様に祈りの言葉を口にしてから食事をし始める。
「あなた、王立学校の何年生?」
「最終学部の最高学年。今年の夏に卒業なんだ」
今は初夏で、あとひと月もしないうちに彼は卒業ということになる。
そして王立学校は初等部が六年、中等部が三年、高等部が三年、最終学部が三年となっている。そのあとに大学が四年ある。
その制度からクレハは、彼が二十一歳だと推測した。
「あら、おめでとう。やっぱり大学に進むの?」
「そうだね、やらないとならないこともあるし」
言葉を濁したノアのその先をクレハは言及せず、話題は天気の話になった。
「雨、止まないわね」
そう言って口の中のベーコンを噛んでいる時だった。
ドンドン! と荒々しい音がして玄関のドアが叩かれ、クレハが「母さんかしら?」と立ち上がる。
「母さん? お帰り……」
ドアを開けた向こうに立っていたのは、クレハが待っていた母の姿ではなく、ヒゲを生やした四十代ほどの人狼の男性だった。
「クレハ、カエデが馬車に轢かれた。体を強く打って医者が診ている」
「えっ!?」
「大丈夫だ。命に別状はない。ただ脚を骨折したらしいのと、商売道具の手もひねって痛めたらしい」
「そう……。教えてくれてありがとう」
ランプを手にした男性はチラッと家の中のノアを見て、またクレハを見る。
「俺はまた医院に戻る。クレハはいつも通り、変わらずに明日も学校に行けと、彼女からの伝言だ」
「どうもありがとう。ウォルおじさん。私は平気と母さんに伝えて」
気丈に微笑んでそう伝えると、男性は大きな手でポンポンとクレハを撫でた。それからまた雨のなか走っていった。
「どうやら、大変なことになってしまったね」
いつのまにか立ち上がって後ろまできていたノアに、クレハは弱々しく微笑む。
「人生にハプニングはつきものよ。大丈夫、生きているのならなんとかなるわ。まずは栄養をとらないと。体が健康じゃないと、心も健康にならないもの」
そう言ってクレハはまたテーブルにつき、本当はあまり食欲もないだろうに、顔をこわばらせてナイフとフォークを動かし始める。
「君はたくましいね。……いや、女性に言う言葉じゃないか」
「いいの。母さんが働けなくなったら、私は大学を辞めてでも働かないと」
「そんなことを言うんじゃない。君は将来の夢があるんだろう?」
先ほどまでは意気揚々と話していたのに、今のクレハにはその明るさが失われて気力だけで動いているような雰囲気がある。
「だって……、父さんがいない今、私がちゃんとしないと……」
厚いベーコンを睨み、ナイフで切り分けると冷めてしまったそれを口の中に押し込む。グッグッと歯でしっかりと噛んでいるうちに、涙が溢れてきた。
「…………」
強がっている彼女にそれ以上何も言うことができず、ノアは自分も食事の残りに取りかかった。
先ほどとはうって変わって食卓は静かになり、やがてクレハがカップの水を飲み干して食事が終わる。
ふぅ……と知らずと息をつき、クレハはしばらく空になった食器を眺めていた。それからしばらく二人は雨の音を聞き続け、思い出したようにクレハが立ち上がる。
「片付けなきゃ……」
「僕がやるよ。えぇと……」
「あなたはこういうことをするの、慣れてないでしょう。さっき私が料理をする時、知らないものでも見るような目で見ていたわ」
疲れた顔をしているものの、クレハは少し笑みを取り戻した。そんな彼女を見て、ノアは「お恥ずかしい」と肩をすくめておどけてみせる。
そう言いながらクレハは人懐こい笑顔を浮かべ、椅子に座ったノアにスープを勧める。
「温かいうちに食べて。ベーコンが焼けたら私も座るから」
「ありがとう。じゃあ、好意に甘えて先にいただきます」
礼を言ってノアは丁寧に食前の祈りの言葉を口にし、それから目の前で湯気をたてているスープを口にした。
野菜や豆がゴロゴロ入っていて、腹が膨れるようにパスタも入っている。濃厚なトマトは甘味とほんの少しの酸味とがあり、塩加減も絶妙だ。
その間、ノアの鼻をベーコンが焼けるいい匂いがくすぐっていた。
「君は料理が上手なんだね。料理人のようだ」
「やだわ。こんなのできて当たり前よ。私よりも料理の上手いシェフは、あなたの家にいるんじゃないの? あなた、見たところいい家の人みたいだし」
褒められて悪い気はしないものの、貴族の息子が普段口にしているものを想像すると、ノアの褒め方は過分な気がする。
「確かに君が言っていることは正しいかもしれないが、いま僕が美味しいと心から感じているのは、本当のことなんだ」
琥珀色の目を細めてノアは微笑み、クレハもそれ以上は彼の言葉を疑わない。
「ありがとう。確かにあなたにとって、襲われて気絶して……大変な一日だったものね。ご飯が美味しく感じるのも分かる気がするわ」
そう言ってクレハは表面がカリッと焼き上がったベーコンをへらですくい、「どうぞ」とノアの前に皿を置いた。
そして自分も席につくと、ノア同様に祈りの言葉を口にしてから食事をし始める。
「あなた、王立学校の何年生?」
「最終学部の最高学年。今年の夏に卒業なんだ」
今は初夏で、あとひと月もしないうちに彼は卒業ということになる。
そして王立学校は初等部が六年、中等部が三年、高等部が三年、最終学部が三年となっている。そのあとに大学が四年ある。
その制度からクレハは、彼が二十一歳だと推測した。
「あら、おめでとう。やっぱり大学に進むの?」
「そうだね、やらないとならないこともあるし」
言葉を濁したノアのその先をクレハは言及せず、話題は天気の話になった。
「雨、止まないわね」
そう言って口の中のベーコンを噛んでいる時だった。
ドンドン! と荒々しい音がして玄関のドアが叩かれ、クレハが「母さんかしら?」と立ち上がる。
「母さん? お帰り……」
ドアを開けた向こうに立っていたのは、クレハが待っていた母の姿ではなく、ヒゲを生やした四十代ほどの人狼の男性だった。
「クレハ、カエデが馬車に轢かれた。体を強く打って医者が診ている」
「えっ!?」
「大丈夫だ。命に別状はない。ただ脚を骨折したらしいのと、商売道具の手もひねって痛めたらしい」
「そう……。教えてくれてありがとう」
ランプを手にした男性はチラッと家の中のノアを見て、またクレハを見る。
「俺はまた医院に戻る。クレハはいつも通り、変わらずに明日も学校に行けと、彼女からの伝言だ」
「どうもありがとう。ウォルおじさん。私は平気と母さんに伝えて」
気丈に微笑んでそう伝えると、男性は大きな手でポンポンとクレハを撫でた。それからまた雨のなか走っていった。
「どうやら、大変なことになってしまったね」
いつのまにか立ち上がって後ろまできていたノアに、クレハは弱々しく微笑む。
「人生にハプニングはつきものよ。大丈夫、生きているのならなんとかなるわ。まずは栄養をとらないと。体が健康じゃないと、心も健康にならないもの」
そう言ってクレハはまたテーブルにつき、本当はあまり食欲もないだろうに、顔をこわばらせてナイフとフォークを動かし始める。
「君はたくましいね。……いや、女性に言う言葉じゃないか」
「いいの。母さんが働けなくなったら、私は大学を辞めてでも働かないと」
「そんなことを言うんじゃない。君は将来の夢があるんだろう?」
先ほどまでは意気揚々と話していたのに、今のクレハにはその明るさが失われて気力だけで動いているような雰囲気がある。
「だって……、父さんがいない今、私がちゃんとしないと……」
厚いベーコンを睨み、ナイフで切り分けると冷めてしまったそれを口の中に押し込む。グッグッと歯でしっかりと噛んでいるうちに、涙が溢れてきた。
「…………」
強がっている彼女にそれ以上何も言うことができず、ノアは自分も食事の残りに取りかかった。
先ほどとはうって変わって食卓は静かになり、やがてクレハがカップの水を飲み干して食事が終わる。
ふぅ……と知らずと息をつき、クレハはしばらく空になった食器を眺めていた。それからしばらく二人は雨の音を聞き続け、思い出したようにクレハが立ち上がる。
「片付けなきゃ……」
「僕がやるよ。えぇと……」
「あなたはこういうことをするの、慣れてないでしょう。さっき私が料理をする時、知らないものでも見るような目で見ていたわ」
疲れた顔をしているものの、クレハは少し笑みを取り戻した。そんな彼女を見て、ノアは「お恥ずかしい」と肩をすくめておどけてみせる。
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